日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「原作ドラマ」の難しさ

2024-01-31 17:21:49 | 徒然

昨年放映されたテレビドラマ「セクシー田中さん」の原作者である、芦原妃名子さんの訃報が報じられてから、数日経過した。
現在テレビが無いうえ、元々テレビドラマを見る習慣が無かったので、配信サイトTverでも視聴をしていなかった。
ただ、時折話題になっていたので、何となく「こんなドラマがあるんだ」という程度の認識はあったのだが、このドラマに原作漫画があるとは知らなかった。
そして、この芦原さんの訃報を受け、一つ思い出したことがある。

それは、随分前に「ビックコミックスピリッツ」で連載されていた「いいひと」が、テレビドラマ化された時の話だ。
テレビドラマ化された時は、原作者の高橋しんさんのお名前があったようだが、その後「原案者」となっていた、ということがあったからだ。
その理由については、Wikipediaに詳しく記載されているので、リンク先を確認していただきたい。
Wikipedia:いいひと

テレビドラマは見ないのだが、この「原作者」から「原案者」になった、という話は当時少し話題になった気がする。
当時は「ビックコミックスピリッツ」に連載されている作品が、次々とドラマ化されていて、ドラマ好きな友人たちから聞くドラマ展開と原作の違いに、「変だな~」と思いつつも「大人の事情」なのだろう、という程度にしか思っていなかった。
この「いいひと」については、原作者である高橋しんさんが単行本化された時に、「原作者から原案者になった理由」のようなモノをあとがきで書かれていたことで、判明したということなのだ。

確かにドラマ化するにあたっては、人気のあるタレントさん(俳優さんとは限らない)を起用するため、どうしても起用したタレントさんにスポットが浴びるように、原作とは違う脚本になってしまうのだろう。
しかし、その設定が大きく変わってしまえば、それは全く違う話になってしまう。
その点が「原作ドラマ」の難しさであり、脚本家の力量が試される部分なのではないだろうか?
何故なら、既に人気作品となっている漫画を基にドラマの脚本を書くのだ。
当然、作品のファンがそのドラマを視聴することは、想定できる。
その時ドラマと原作が違っている、と原作ファンが感じたら、そのドラマは失敗作となってしまう。
いくら視聴率が高く、評判が良くても、失敗作であるということには変わりないだろう。
だからこそ、「逃げ恥」等の大ヒットドラマの脚本を書かれた野木亜紀子さんは、その難しさを語れるのだと思う。
modelpress: 「逃げ恥」脚本家・野木亜紀子氏、芦原妃名子さんの死去に「他人事ではない」日テレコメントにも私見

これまでの経過を見ていると、何となくだがテレビ局側が視聴率や評判を気にして、原作を変えてしまったコトから始まっているのでは?という、気がするのだ。
その要因となったモノがあるとすれば、視聴率ということなのかもしれない。
とはいえ、現在の視聴率と実際の評価とは一致しないことの方が多い。
それは、テレビでリアルタイムで視聴するのではなく、配信サイトで何度も繰り返し視聴する、という人達が増えているからだ。
とすれば、テレビ番組の実際の視聴率として参考になるのは、配信サイト等での再生回数なのでは?
「視聴率」ばかりに囚われていると、テレビドラマそのものが「終わったコンテンツ」と、言われかねない時代になっている、ということかもしれない。


関連グループ会社の巨大化が、問題の根本なのか?‐トヨタグループ内で起きる不祥事‐

2024-01-30 19:00:46 | ビジネス

今日、トヨタ自動車の豊田章夫会長が、相次ぐグループ企業の不正問題に対して、記者会見を行った。
この会見の中で、豊田章夫会長は「トヨタのことで手一杯だった」という趣旨の発言をされたようだ。
朝日新聞:「トヨタだけで精一杯だった」豊田章夫会長、グループの不正陳謝 

同じ記者会見の模様を、毎日新聞は違った切り口の記事を掲載している。
毎日新聞:トヨタ会長、相次ぐ品質不正を陳謝「創業の原点見失っている」 

今回の品質不正問題で、ダイハツや日野自動車と豊田自動織機とは別に考える必要があると思う。
何故なら、豊田自動織機こそが「トヨタ自動車」の始まりとなる企業だからだ。
今では「トヨタ自動車」の方が企業、収益等、遥かに豊田自動織機を上回るほどに成長したが、元々は豊田自動織機を創業した、豊田佐吉氏の息子である豊田喜一郎氏がそれまで自動織機内にあった自動車部門を独立させたのが、始まりだから。

それに対して、ダイハツや日野自動車等は元々別企業をして創業し、資金援助等を経てトヨタグループの一企業となっている。
今日の記者会見で豊田章夫会長が話した「創業の原点を見失っている」という言葉は、今回の品質不正問題における豊田自動織機には当てはまる言葉ではあるが、ダイハツや日野自動車には当てはまらない言葉だと言えるからだ。

それに対してダイハツや日野自動車は、豊田章夫会長になってから、トヨタ自動車は国内のトラック等の輸送用車両の日野自動車やいすゞ自動車と言った、企業を次々にグループ傘下へとおさめ、軽自動車等の強みを持っていたダイハツを資金援助を通して、グループ企業をしていった、という印象を持っている。
言葉が悪いのだが、トヨタ自動車が日本国内における「自動車市場の寡占化を図っている」ようにも見えたのだった。

ダイハツや日野自動車は、元々別の企業をして創業・市場を獲得していたこともあり、「それぞれの企業文化」のようなモノがあったはずなのだ。
そこに「トヨタ方式」と呼ばれる、生産効率を強く求める「企業文化」が、殴りこんできたとすれば、それなりの軋轢のようなモノがあったはずだし、それを切っ掛けに見切りをつけた社員もいたのでは?と、想像している。
特に技術系職でそのようなことが起きていたとすれば、今回の品質不正問題は、起きて当然だったのでは?と、言えるのではないだろうか?

あくまでも個人的な考えなのだが、「トヨタ方式」と呼ばれる「乾いた雑巾を絞って、利益を出す」というような、考えは既に時代遅れなのでは?と思っている。
何故なら、このような考え方の流れの一つに、製造部品在庫を下請け・孫請けにもたせ実際の製造過程では必要最低限の納入をさせる、という考えがあるからだ。
製造過程において、部品等の在庫を持たないことで、メーカー側は在庫管理等の手間とコストを抑えることができる。しかし、その部品在庫は下請け・孫請け・曾孫請けが常時持つことになる。
下請け以下の経営に関しては、トヨタ自動車は関与しない為、トヨタ自動車そのものの収益増につながるが、下請けや孫請け曾孫請けの経営はどうなのだろうか?

奇しくも、今日豊田章夫会長は「ステークホルダー」という言葉を使い、謝罪をした。
「ステークホルダー」とは、株主や顧客だけのことを指しているわけではない。
企業を取り巻く全ての関係者のことを指している。
とすれば、今後トヨタ自動車が考えていかなくてはいけないのは、これまで知らん顔をしてきた下請け・孫請け・曾孫請けにも、どう接していくのか?
そこから考えなくては、「品質不正」という問題の解決にはつながらないような気がするのだ。




日本の伝統工芸を残すのは、海外の高級ブランドなのかもしれない

2024-01-27 20:15:44 | アラカルト

先日、Instagramに「日本の伝統工芸を海外の高級ブランドが注目している」という、実例を見た気がした。
それは、クリスチャン・ディオールの次の秋冬のメンズコレクションの動画だった。
Instagram:クリスチャン・ディオール2024、冬コレクション 

Instagramを見るだけなら、登録の必要はなかったと思うので、この動画だけでも見ていただきたいのだが、内容はプラチナを薄く伸ばし、糸のように切った和紙に巻き付け、それを絹糸と一緒に織り上げる、という「引き箔」という技術を使った西陣織の帯生地を使ったコートの制作過程だ。

若い頃、着物に凝ったことがあり「金の引き箔」の袋帯は1,2本持っていたと思う。
と言っても、このディオールが制作依頼をした帯地ほど豪華絢爛なものではない。
というのも、このような帯は重く、結び難いからだ。
私自身、自分で着物を着つけることができるのだが、友人の結婚式で着つけた時随分苦労した記憶がある。
その為、このような「引き箔」の帯そのものを見ることは少なくなっているのでは?と、想像している。
まして西陣織となると、その工程は複雑で、一行程づつ分業制で行われている。
それほど時間と手間をかけ、織り上げられるのが西陣織ということになる。

実はこの複雑で一工程づつ分業する、というのは日本の伝統工芸においては、良く見られる行程でもある。
だからこそ、使われる素材だけではなく出来上がった物そのものが、高額な物になってしまうのだ。
まして現在の着物は、日常着ではなく「晴れ着」となっている。
上述したように、自分ひとりで気軽に着られるものではない。
そのような社会的背景等もあり、日本の着物産業そのものは衰退の一途をたどっている、と言っても過言ではないだろう。

しかし、織り上げられ、手で縫い上げられた帯地のコートの豪華絢爛さは、西陣織独特のものだ。
ファッションショーで発表される作品全てが、市場に出されることは無く、おそらく今回の西陣織のコートもプレタポルテ(既製服)として、市場に出ることは無いだろう。
「既製服でありながら、市場に出ないモノをつくる」理由は、ファッションショーそのものが、デザイナーの創造性の発表の場でもあるからだ。
そして、その創造性として発表された物は、デザイナーの今後に大きく関わってくる、と言われている。
あえて日本の伝統工芸品を既製服のファッションショーで打ち出した、ということは、ディオールのデザイナーが「日本の伝統工芸品に興味を持っている」という、意思表示でもあるのだ。

西陣織は、衣服に使えるが織物や染色以外の伝統工芸は無理じゃないか?と思われるかもしれないが、そのようなわけではない。
例えば、会場のディスプレイに使われる可能性もある。
そう考えると、日本の伝統工芸を支え・伝える力があるのは、海外の高級ブランドなのかもしれない、という気がするのだ。


EV車製造の転換期なのか?

2024-01-25 19:58:03 | ビジネス

ネットニュースの中で、気になった記事があった。
東洋経済:踊り場が成長の終わりか、テスラが迎える「岐路」 

リンクの東洋経済以外にも、日経等が同様の記事を出している。
それくらい、テスラの減収は注目されることなのだろう。

この減収の背景には、中国市場における売り上げの鈍化等の影響もあるのでは?という気がしている。
それだけではなく、昨年暮れに起きた自動運転支援に関する販売した全車対象のリコールという問題も起きている。
Bloomberg:テスラ、中国で販売した事実上の全車をリコール=自動運転支援に問題 

むしろ、中国市場でのリコール問題はこれから先テスラの経営に大きくのしかかってくるのでは?暗に想像できる問題だ。
ライバル企業のBYDは、ご存じの通り中国のEV車メーカーだ。
日本の自動車メーカーはEV車市場への参入が、大幅に遅れたため現在のEV車市場というのは、テスラvs中国企業という感じになっている。
これには理由があり、中国そのものが「これからはEV車しか販売できません」と声高らかに宣言をしたため、トヨタ等が主力として生産していたHV車が外された為だろう。
むしろ中国の狙いは、そこにあったのかもしれない。

間の悪いことに、テスラのEVステーションの弱点も今回露呈してしまった。
それは先週シカゴを襲った寒波によって、テスラが寒さに弱いということが判明したのだ。
GIZMODO:まるでテスラの墓場、シカゴ寒すぎて充電ステーションが凍る 

このことは、テスラの充電ステーションは「気温の変化に弱い」という印象を与えてしまっている。
シカゴの寒波がどれほどであったのかは分からないが、シカゴよりも強い寒波に襲われる地域は、世界中にある。
ということは、ユーザー側から見れば「欲しい時に使えない」ということにもなってしまう。
現在北米市場では、このテスラ充電ステーションのコンセント(というのだろうか?)仕様を選択する自動車メーカーが増えていることを考えると、充電ステーションが寒すぎて使えない、ということは大きな問題になりかねない。
同時に「EV車充電ステーション」そのものの問題ととらえることもできる。
いくらEV車が売れても、EV車充電ステーションが使えなければ意味がないからだ。

そう考えると、テスラにとってこの「寒さで充電ステーションが使えなくなる」という問題は、EV車そのものの問題が発覚したととらえるか否かで、EV車市場そのものの転換期となるかもしれない、と感じている。



その建物は、街の風景にあっているのか?‐街リノベーション‐

2024-01-24 19:39:27 | アラカルト

このところ、自民党の「裏金問題」についてのエントリばかりしていたので、そろそろ違う話題を…と考えながらファッション専門誌・WWDのサイトを見ていたら、「こういう考え方もあるのか⁉」という、記事があった。
WWD:“世界の隈研吾”が東村山の空き家カフェを監修 快諾に市長は「のけ反るくらいびっくりした」 

空き家カフェについての詳細は記事を読んでいただくとして、この建物の外観だけでも見ていただきたいと思う。


築54年の元たばこ屋ということだが、その当時の面影は全くない。
依頼主となっている方の本業の技術を活かした、ということだが、拙ブログに来てくださる方はどんな印象を持たれただろうか?

この写真を見ると、この元たばこ屋さんがある場所というのは、住宅地の中にありながらも商店も立ち並ぶ一角のようだ。
「街のたばこ屋さん」というのは、バス通り等に面した通りの一角にあり、そこそこの人通りがあるという場所に在ることが多かった。
おそらくこの場所も、そのような場所なのでは?と、想像する。

日本の街並みというと、京都のような古い街に町屋づくりのような家が立ち並んでいたりするところもあるのだが、多くは高度成長期に無節操に建てられているということの方が多いのではないだろうか?
他には、高度成長期に取り残されたかのような戦後のバラック小屋のような建物を取り壊し、新しい都市計画でつくられた街並みか?という感じだろうか?

後者のような場合は、新しい都市計画に基づいて街づくりが行われているので、ある程度の統一性のある街並みとなっている所が多い。
それに対して、この東村山市のように高度成長期に各々が自由に建てられてつくられた街というのは、統一性はあまり感じられない。
そのことが悪いとは言い切れないし、長い時間をかけそれらの建物そのものが「街の風景」になっていることもある。
「街の風景になっていった」という方が、正しいかもしれない。
そのような中に突然、異質な感じの建物が出現したら、どうなのだろう?と、感じたのだ。

元々上述したように、日本は高度成長期~バブル経済期の間、「街づくり」という全体像ではなく個々の事情で建築が行われてきた。
その結果として、どこかチグハグな街並みが出来上がっている、というのも事実なのではないだろうか?
この東村山の元たばこ屋さんは、空き家カフェとして手を加えられ、その街の雰囲気にあっているか否かは別にして、リニューアルすることができた。
しかし、街全体が寂れ、大通りに面していながら空き店舗が目立つような地域も多い。
事実、私の実家がある米子市などはそんな感じだ。
このような状況になると、「建物のリノベーション」ではなく「街のリノベーション」という発想が必要となってくるのでは?と、考えている。
特定の場所にだけ注目が当たるような考え方ではなく、地域全体をどのようにしていくのか?
そこからが、「地域活性化」のスタートになるような気がする。


「スケープゴート」にされたかもしれない、秘書さんや会計担当者は声を上げよう

2024-01-23 20:06:02 | アラカルト

スマホでニュースチェックをしていたら、「自民党裏金問題5人衆」と言われている西村康稔前経済産業大臣が、選挙区である地元・明石市や淡路市で事件の関与を否定する為に、有権者に呼びかけの街頭活動をした、という記事があった。
サンテレビNEWS:「裏金は一切ない」西村康稔前経済産業大臣が疑惑について地元有権者に謝罪 

政治家が不祥事を起こした時、このような「お詫び行脚」をすることは珍しいことではない。
「お詫び行脚」をすることで、自分の潔白を有権者に訴え、次の選挙でも当選を果たすための準備行動だからだ。
そして、有権者の中でも情緒性の高い方などは、この「お詫び行脚=禊」ととらえ、投票行動に反映してしまう、ということが何度も繰り替えされてきた。
有権者が悪いのか、このような「潔白アピールパフォーマンス」をすることが、政治家の仕事だと思い込んでいる政治家が悪いのか?という、「コロンブスの卵」的話は別にして、このようなことが繰りかえされてきた、という事実と結果は理解する必要があるだろう。

今回の「パーティー券裏金問題」に関して、一応の決着として「裏金問題5人衆」ではなく、その5人衆の秘書さんや会計担当者に対する起訴というカタチで決着しそうな雰囲気になっている。
だからこそ、西村前経済産業大臣は、地元で「お詫び行脚」のようなパフォーマンスをし、有権者の同情を買おうとしたのだろう。

このような事件が起きる度に感じることなのだが、政治家の秘書や会計担当者が自分の雇用主であり、仕事の命令者となっている議員に、報告をしていなかった、ということはまずないのでは?ということだ。
少なくとも、1回は相談があったはずだ。
何となくだが、この時のやり取りは「このお金がどんなお金なのか、わかるだろう。その意味に沿って処理をしてくれ」というような、曖昧で忖度を要求するような言い方の指示をしていたのでは?という気がしている。

このような「曖昧で相手に忖度を求める言い方」というのは、実は日本の社会文化の悪い「暗黙の了解」となっている、と感じている。
そしてこの「暗黙の了解」を得やすい関係というのは、主従関係であるということだ。
とすれば、このような「曖昧で忖度を要求し、暗黙の了解の上で行われていた」ということを、秘書さんや会計担当者は、はっきりと言う必要があるのでは?
このままでは、秘書や会計担当者だけが「スケープゴート」のようになり、当の本人は「詰め腹を切らせれば、何とでもなる」という程度にしか考えず、自分の保身と安泰でのうのうと議員の席に居続ける、ということになる。

言い換えれば、問題を起こした渦中の本人たちは全く反省もしていなければ、自分の仕事仲間であるはずの秘書や会計担当者に対する「雇用主としての責任」等、全く感じていないということなのだ。
そのような環境で、「先生の為」という昭和の考えは捨てるべきではないだろうか?
何故なら、スケープゴートにされた秘書や会計担当者にも家族があり、その家族の為にも「自分の名誉を守る」ことが重要だからだ。
「情としての部分」ではなく「職務とご自身とご家族の名誉」の為に、是非声を上げて欲しい。


SNSが起こす小さなさざ波が、大きなうねりとなっている

2024-01-22 20:08:14 | アラカルト

最近X(旧ツイッター)を見ていると、元明石市長の泉房穂さんのPostを頻繁に見かけるようになった。
それには訳があって、私のフォロワーさんの一人が、泉さんをフォローしているからだ。

ご存じの方も多いと思うのだが、現在泉房穂さんは「自民党の裏金問題」について、テレビ局に引っ張りだことなっている人物でもある。
理由は、歯に衣着せぬ発言と生活者の気持ちを代弁している、という点だと考えている。
しかも泉さんの言葉は、平易でわかりやすく、問題の本質をついている、と感じる方が多いのでは?と感じている。

もう一つは、泉さんご自身が自治体の首長として「政治家」としての経験を持っている、という点も大きい。
いわゆる「政治評論家」と呼ばれる人たちとは、経験も実績も全く異なる「実務家」としての言葉でもあるのだ。
だからこそ、泉さんの発言には説得力があり共感する人達が増えているのだと考えている。

このX(旧ツイッター)の中で展開されている「自民党」に対する不信感、岸田首相に対する首相としての手腕に対する疑問、派閥を解消したところで「自民党の本質は変わらない」という根本的な部分、それらに加え今回の「裏金問題」の渦中の政治家に対する甘い対応の検察等に対しても、厳しいPostが日に日に多くなりつつある。

岸田首相をはじめ、渦中の自民党幹部の人たちの多くは「所詮SNSの中でのこと」と、タカをくくっているかもしれない。
しかし、上述したように泉房穂さんのPostは次々にリツイートされ、拡散し、その拡散したPostに対して新たなコメントがついて、再び拡散をしている。
このような「拡散」のされ方を見ていると、マーケティングで言われる「バタフライエフェクト」のモデルのような、動きなのだ。
そしてSNSの強みというのは、この「バタフライエフェクト」と呼ばれる現象を創りやすい、ということなのではないだろうか?

「所詮SNSの中での話」と、思っている政治家の方々はこの「バタフライエフェクト」と呼ばれる「効果」について、知る必要があるのではないだろうか?
「蝶のわずかな羽ばたきが、竜巻を起こす=バタフライエフェクト」が、今まさに市井の中で、SNSを通して巻き起ころうとしているのだ。

おそらく自民党他政治家の皆さんたちは、この現象に気づかれている方々は極わずかなのでは?と想像している。
何故なら、昔ながらの「『地盤・看板・鞄』があれば、選挙に勝てる!」と思い込んでいるだろうし、世襲で当選してきた人たちにとって、それが全てだからだ。
今でも高齢者が多く、投票率も高い地方であれば、その考えは通じるかもしれないが、岸田首相と同世代であっても自由にSNSにアクセスし、投稿をする人達が数多くいる。
そのような人達にとって、地方も都市部も関係がない。
とすれば、岸田首相よりも若い世代が今起こっている「バタフライエフェクト」にのれば、日本の政治そのものが大きく変わる、ということでもある。
有権者も政治家も、その波を敏感にキャッチする必要があると、感じている。


派閥解散で問題は解決しない

2024-01-19 19:45:27 | アラカルト

今朝の新聞に、「宏池政策研究会」の解散を岸田首相が明言をした、と報じられていた。
他にも、今回の「裏金問題」の中心となった旧安倍派も派閥解消を検討している、という趣旨の内容も含まれていた。
そして午後、二階堂派等自民党の主力派閥が次々と解散を表明している。

確かに今回の「裏金問題」の温床になったのは、派閥が主催する「パーティー券」によるものだった。
なので「派閥を解消する」ことで、この問題は解消するかのように見えるのだが、そうではない。
問題は、「選挙にお金がかかる」という理由で、政党助成金等国民が供託する政治活動費では賄えない為、それを補填するために「パーティー」を開く名目で「資金集めをし、それをキックバックし、帳簿上無記載し、政治家が自由に使えるお金」を「裏金」として貯め込んでいた、という点が問題になっているのだ。
「派閥解消=裏金問題解消」ではない。

メディアを含め「派閥を解消したのだから、この裏金問題は一件落着」のような書き方は、有権者を小バカにしているし、問題の本質を見誤ってしまうような「誘導報道」になってしまっている。
あくまでも「派閥解消」は、「裏金作りの温床となるパーティー」を催しにくくなるだけの話で、ほとぼりが冷めた頃違う手法で「裏金作り」に励む政治家たちは、数多くいるのではないだろうか?
それほどまでに、有権者は自民党だけではなく政治そのものに不信感を持ってしまっているのだ。

おそらく、岸田首相は「宏池政策研究会」の帳簿記載ミスが発覚した時から、いち早く派閥を解消させることで、内閣支持率アップを狙っていたのでは?という気がしている。
今のような自民党の状況では、派閥解消により自民党の刷新の印象を与えることは、これほどまでに支持率が低下している岸田首相にとって「起死回生の一打」となるはずだからだ。
それだけではなく、自民党内における影響力の回復を狙うこともできる。
そのような心づもりがあっての「派閥解散」なのでは?と、穿った見方をしてしまうのだ。
だからこそ、次々と「派閥解消」の声が上がり、「裏金問題」の収束を図りたい、という自民党の意図が見え見えなのだ。

「派閥」の素となってしまう「勉強会」そのものは、あってもよいと思っている。
問題は、「勉強会」と称して、集金組織となり、集金したお金を収支報告もせず、自由に「選挙にお金がかかる」という理由で、選挙資金に充てる、ということが問題なのだ。
以前問題になった2019年の衆議院選挙における、河井案里候補へ提供された1億5千万円というお金の出どころが、未だに不明なのはおそらくこのような「裏金」から出されたモノだからだろう。
流れの分からないお金は、元をたどることができないからだ。
このようにして、自分の子飼いになるような候補者を候補者として立て、潤沢な選挙資金を提供する代わりに国会では資金提供をした派閥に属し、考えもないまま賛成をする、という「数合わせの政治」を行っていた、というのもまたこれまでの自民党政治の典型だたようにも思える。

政党そのものが、「政治と真剣に向き合う」ことをしなくては、この問題の一部は解決しないだろう。
そして「お金のかからない選挙」を政治家自身が考え、行うだけではなく「どれだけ選挙にお金がかかりました。政治活動にかかったお金はこれです」という、1円単位までの情報公開が必要なのではないだろうか?
政治家自らが襟を正さなくては、有権者の政治不信は終わらないと思う。


キッチンカーと被災地

2024-01-18 19:30:32 | マーケティング

1月1日に発生した「能登半島大地震」から2週間が過ぎ、救援の内容も徐々に変わりつつある。
例えば、被災地の中学生が学校丸ごと2次避難場所へ移動し、寮生活のようなカタチで生活と勉学を両立させたり、タブレット端末をNTTをはじめとするキャリア各社が提供し、勉強の補助的なサポートを始めるなど、29年前の「阪神淡路大震災」や13年前の「東日本大震災」とは違う、避難生活や支援がされるようになってきた。
特に「タブレット端末を活用した授業」というのは、「コロナ禍」で休校を余儀なくされた時の学習支援として、試みられた経験があってのコトだろう。

その中で、新しい支援スタイルとして注目されてもよいのでは?と感じるのが、大手飲食店会社の「キッチンカー」による被災地支援だ。
「コメダ珈琲」や「すき家」と言った、馴染みの飲食店だけではなく、日清もキッチンカーによる被災地支援をはじめている。
まいどなニュース:コメダ珈琲店のキッチンカーが被災地で活躍「避難所にコメダが」「久しぶりの温かいコーヒーうれしい」
時事通信:キッチンカー、被災地で始動 外食業界が牛丼・カレー提供 能登半島地震
食品新聞(Yahoo!ニュース):能登半島地震 日清食品がキッチンカー派遣し4か所で炊き出し 被災者の栄養状態を考慮し「完全メシ」を提供

29年前の「阪神淡路大震災」、13年前の「東日本大震災」という二つの大震災の時、被災者の生活の質という点で問題となったのが「暖かい食事」だった。
それまでの「避難生活の食事」と言えば、おにぎりと炊き出しの味噌汁や豚汁だった。
これらが悪いわけではない。
とはいえ、いくら暖かいお味噌汁があったとしても冷たいおにぎりという食事が続くことで、被災者の「食に対する意欲」のようなモノは減退しただろう。
そのような状況の中で、食べなれたチキンラーメンや牛丼、暖かいコーヒー等は、食べるというだけではなく心理的な安心感のようなモノがあるはずだ。

キッチンカーによる支援は、それだけではないのでは?と、考えている。
数量は限られているとはいえ、機動力があるので被災地を巡回することができる。
そこで得られた被災者の生活状況等の「情報伝達」という役割も担える。
被災者側にとっても、外からやってくるキッチンカーの存在は「自分たちのコトを支援してくれている」という、安心感があるのではないだろうか?
能登半島のように、地形が複雑で道路そのものが狭く、土砂崩れにより孤立してしまった地域等がまだまだあると聞くが、安全が確保されればキッチンカーによって運ばれる食事以外の安心感は、とても大きいのではないだろうか?

そう考えれば、今回の震災をきっかけに食品業界・飲食業界全体が「災害支援の為の支援の在り方」の協業という発想も生まれてくるかもしれない。
もう一つ企業の連携として必要なのでは?と考えるのは、オフィス街の企業同士が「災害支援チーム」を組み、企業が保有している「緊急災害支援品」を、ローリングストックとして消費期限の迫っている飲料水を飲料水以外目的として、災害地で使ってもらうという考えだ。
何となくだが、企業が災害用としてストックしている飲料水の内、消費期限が近いモノ等が案外あるのでは?と、想像しているからだ。
飲料水ではなく、手洗い用の水としてであれば十分使うことができるだろうし、水そのものは衛生面でも必要なことが多い。
災害発生時から問題になるのは、食事と衛生面だ。
そのどちらにも「水」は必要であり、飲料用の水をそれ以外の目的で使うことに、躊躇する被災者も多いのでは?
まして、今回のように個人からの支援を受けしにくい時等は、企業が集まり大きな支援品として、提供できるものがあるのではないだろうか?

企業の災害支援として、単体で出来ること、業界全体やオフィス街全体で出来ること、支援の在り方はいろいろだが、「企業として何ができるのか?」という、ことを考えた新しい企業支援は、その企業や業界団体に対して、生活者からの大きな信頼を得られる社会行動なのだと思う。


ファッションと模倣 -UNIQLOとSHEIN‐

2024-01-17 18:31:28 | ビジネス

朝日新聞等に、中国のファッション通販サイト・SHEINが、ユニクロから提訴された、という内容の記事が上がっている。
Huffpost:ユニクロがSHEINを提訴。人気商品「ラウンドミニショルダーバッグ」の模倣品をめぐり 

中国のファッション通販サイト・SHEINが話題になったのは、昨年の夏ごろだったような記憶がある。
サイトを見るとわかるのだが、とにかく安いのだ。
その安さにひかれ、10代の若者を中心に、人気のファッション通販ブランドとなっていった。
その後、実店舗を東京で持ったと思うのだが、展示されている商品があまりにも少なく、来場したお客さんはがっかりしていたようだ。
Business Insider:初のリアル店舗 「SHEIN TOKYO」が原宿にオープン 開店行列100人あまり、穏やかなスタート  

記事を読んでいただくとわかると思うのだが、SHEINの実店舗では商品を販売するのではなく、実際の商品を手に取れる場所=展示会場、という位置づけの様だ。
その後、この原宿店がどうなったのか?はよくわからないのだが、ネットで購入できる商品を実際手に取ってみる、という場所があることは良いことだが、果たして原宿という地価が高い場所でそのような商売が成り立ち続けているのだろうか?と、思っている。
何故なら、SHEINのビジネスの考え方が「薄利多売」だからだ。

確かに現在の日本のような経済状態では、ファッションに興味を持つ10代の若者たちからすれば、ユニクロであってもなかなか手を出しにくい価格帯のファッションとなっている可能性は高い。
決して高価な商品ではないが、それでも「値段と財布の折り合いがつかない」という若者たちは少なくない、と思っている。
それに対して、SHEINがつくり出すファッションは、トレンドを抑えつつ価格は、お手頃ということになれば、若い人達が、開拓なるのも当然だろう。

SHEINについては、ユニクロだけではなく海外のブランドからも、訴えられていたように記憶している。
何故そのようなことが起きるのか(できるのか?)と言えば、ファッション全般について、法的な根拠を示すことが難しいからだ。
というのも、ファッションショー等で公開されたデザインに対する法的な保護そのものが、無いに等しいと言われている。
もう一つは、ファッションの流行り廃りのサイクルが早い為、デザイナーがデザインのパテント等を取得することが間に合わないからだ。
それだけではなく、パリやミラノ、ロンドン等で開催されるファッションショー等で発表されるデザインの多くは、その後アパレル産業の一つのトレンドを生み出すほど、「似たようなデザイン。雰囲気が似ているデザイン」が大量につくられることが当たり前のようになっている。
そのような慣例があるファッションの世界の中で、SHEINは複数のファッションブランドから提訴される、ということが起きている。
おそらく企業内にデザイナーがいない為、「似たようなデザイン。雰囲気が似ているデザイン」ではなく、そのままパクっているのだろう。

ユニクロが提訴した「ラウンド型のバッグ」そのものは、以前からあるようなデザインのような気がしている。
特段目新しさは感じなかったのだが、細かなデザインディテール等が違うのだろう。
もしかしたらSHEINは、バッグサイズまでパクったのかもしれない。
SHEINは超が付くほどの低価格で、若者から支持を得ることができた。
しかし、その低価格であることで、児童労働の疑惑が起きたり、製品そのものの問題、果ては環境負荷の高い素材を使っているのでは?という、指摘までされるようになってきている。

ユニクロの提訴がSHEINに与える影響がどれほどなのか?と問われると、わからないところが多いのだが、このようなカタチで「問題の多い企業」と報道されることで、SHEINそのものイメージダウンへと繋がっていくのではないだろうか?

因みにこれからのファッショントレンドは、「良いモノを丁寧に長く着続ける」ことだそうだ。
ファストファッションに飽きたのではなく、ファッションが環境負荷の高い業界であること等が、問題になりつつあり「大量生産・大量消費」の時代から、生活者のファッションに対する意識が変わりつつある、ということのようだ。