日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「自民党をぶっ壊す」のは、岸田さんかもしれない

2024-05-31 22:00:50 | 徒然

今から20年ほど前だろうか?当時の自民党総理であった小泉純一郎氏が、「郵政選挙」という名の総選挙に打って出た時、「自民党をぶっ壊す!」と、演説をしていた。
その時の状況は、「郵政民営化」を焦点とし、自民党内を二分するような状況だった。
当時の小泉さんの狙いは一つ。
「郵政民営化」に賛成するのか?しないのか?ということを、自民党員の賛否を問うということだった。
同じ自民党の立候補者であっても、「郵政民営化反対」の候補者に対して、「落下傘候補」と呼ばれる、若く「地盤・看板」を持たない立候補者を各方面から募り、選挙に打って出たのだ。

結果は、ご存じの通り「郵政民営化」は一気に進み、小泉さんの思惑通り進んだ。
とはいえ、「落下傘候補」として立候補し、国会議員となった人の中には、当選したことでその役目を終えたと言わんばかりに、次の総選挙では出馬をしなかった人もいた。
もちろん、この選挙を切っ掛けに国会議員として残っている方も、いらっしゃる。
現在では、旧態然とした自民党議員になってしまったな~という印象の方も少なからずいらっしゃる。

それでも自民党という政党が生き残ってきたのは、自民党内に野党のような考えを持つ議員等もいることで、自民党内の政権交代を行ってきたからだろう。
そんな自民党が、今総理である岸田さんによって「ぶっ壊されそう」になっている。
朝日新聞: 「これまでの積み上げ、全部ぶっ壊した」首相決着に不満渦巻く自民 

確かに、今の自民党の状況は危機的状況だと言えるだろう。
岸田首相に対する支持率はもちろん、内閣に対する支持率も下がり続けている。
一般的に言われる「危険水域」である30%割れとなって、1年以上経つような印象すらある。
その不支持の高さの状況の中、次から次へと自民党議員自身の甘さによる、問題が次々に起きている。
中でも、今回の「裏金問題」は、有権者から到底理解できるものではなく、自民党から出された「改定案」そのものも、有権者からすれば話にならないほど、甘い内容だった。
「自分に甘く、一般世間に厳しく」という、政治家の姿勢は政治不信をより一層招いているにもかかわらず、岸田首相は理解しているのか?と、疑問に感じている有権者が、SNS等を通して声を上げ始めた結果、自民党の内部崩壊を感じさせるようになってきている。

一つは岸田首相のリーダーシップの問題があるだろう。
もう一つは、岸田首相本人が「無自覚」なのでは?と、考えている。
政党、政治家として「無自覚」であることは、「無責任」ととらえられても仕方のない部分がある。
「無自覚・無責任」の首相が率いる政党ならば、その政党を構成する議員たちはバラバラな方向を向くようになってしまう。
上述したように、自民党そのものが「内部に野党がいる」ような、多面的な政党だった。
その多面的政党をまとめることもできず、無自覚・無責任なリーダーであれば、内部崩壊するのは時間の問題と言っても、過言ではないと思う。

そう考えると、「自民党をぶっ壊した政治家」は、岸田さんなのでは?という、気もしてくるのだ。



SNSと広告

2024-05-30 21:28:09 | アラカルト

今朝、FM番組を聴いていたら事業家の前澤さんや、堀江貴文さん等の写真を使う「投資詐欺」の話題があった。
被害者の多くが60代で、中には1億円以上の被害にあわれた方もいる、という。
内容は、注意喚起を促すものだったのだが、いわゆる「特殊詐欺」が一向に減らないコトを考えると、このような悪事を働く輩は手を替えあの手この手で、儲け話をするのだな~と、改めて感じた。

今問題になっている、著名人の写真を使う詐欺の特徴は、ご存じの通りSNSを使うという点だろう。
その中でもFacebookやXといった、SNSが中心である、という話だった。
そこで改めて自分のFacebookを見て見ると、いつの間にか広告だらけになっていた。
元々Facebookは、同級生のような関係性のある人物とをつなげるツールだったはずだ。
もちろん、Facebookの利用そのものは、無料ということになっているので、Facebookを運営するMeta社としては何等かの「収入源」が、必要になる。
それが、広告収入ということになる。
このビジネスモデルそのものが、問題なわけではなくこの「広告」を悪用する輩がいる、ということが問題になっている、ということになる。

ここで一つ疑問なのだが、このようなSNSの広告を悪用することを防ぐ方法として、AI等の導入はできないのだろうか?という点だ。
相手はあの手この手で詐欺広告を出しているのだが、著名人の写真等を使った広告をひとつづつ確認をし、警告をするという作業は途方もなく効率的ではない。
しかし、AIを活用することで排除することが可能なのでは?という、気がするのだ。
例えば同一キーワードの多用等は、著名人の写真検索をするよりも排除しやすいように思うのだ。
AI技術そのものに詳しいわけではないので、間違った認識なのかもしれないが、AIという技術そのものが「情報の蓄積」と「学習機能」という点を考えれば、可能なのでは?ということなのだ。

と同時に、「広告を見たくない」という情報の収集による、排除もできるのでは?
LINEのVOOMという機能があるが、このVOOMにしつこいほど、同じ企業の広告が表示される。
その度に「関係ない」とか「頻繁に表示される」と、回答をしているのだが、全く改善されない。
そしてこれらの広告を見る度に、イライラとするのだ。
一体何のために、「見たくない」を言う意思表示をしているのか?と。
確かに、表示される広告の多くが私と同世代をターゲットにしているのは、十分すぎるほどにわかる。
分かるのだが、それを見たくない、という意思表示をしていながら、日に何度も表示されるのか?
SNSで表示される広告そのものが、テレビCM等と違い「作り込まれた見せる広告」ではない。
だからこそ、受け手となるユーザーの意思を尊重すべきだと思うのだ。







松坂屋の看板が無くなる

2024-05-28 19:55:50 | マーケティング

朝日新聞のWebサイトを見ていたら、松坂屋名古屋店の「看板とロゴが無くなる」という、記事があった。
朝日新聞:さよなら「松坂屋」の名物看板 名古屋・栄に71年、来月取り外し 

名古屋周辺にお住まいの方にとって、松坂屋という百貨店はいつの時代でも「名古屋の百貨店」という位置づけなのではないだろうか?
何故なら、松坂屋の創業の地が名古屋だからだ。
そして看板を見てロゴが「松坂屋」ではなく、「藤」という文字である、ということに気づかれる方もいるだろう。
実は、松坂屋の創業者は伊藤祐民(いとうすけたみ)が、呉服店を開業したのが始まりだからだ。
ただし、当主の名前は「伊藤次郎左衛門」という名前を引き継ぐことになっている。
いずれにしても、代々「伊藤家」が、松坂屋を引き継いできたということを象徴するのが、あの「藤」のロゴという訳だ。

1980年代後半から1990年代初め、マーケティングを担当されてきた方ならよくご存じだと思うのだが、1980年代後半から1990年代初めのころ、多くの企業CII(コーポレート・アイデンティティ)という考えを導入し、それまでの漢字表記のロゴをカタカナやアルファベット表記にする、ということが行われた。
今ではすっかり聞くコトが亡くなったCIだが、企業イメージを一新させ、企業の情報発信を積極的に行い、親しみを持ってもらうという、趣旨で盛んにおこなわれたのだ。
例えば「石川島播磨重工」は「IHI」となり、それまでの「重工業」という企業イメージを一新させることに成功した。
トヨタ自動車等は、自動車等に付けるロゴを変更しても、社章を含め正式な企業ロゴは以前のままにした、という例もある。
もちろん石川島播磨重工とトヨタ自動車では、業種が違う為に対応そのものに違いがあるのは、当然と言えば当然だが、そのような時代の流れの中にあっても、百貨店の多くは創業時のロゴを使い続けていたところが多かったように思う。
「松坂屋」しかり「伊勢丹」、「三越」等だ。

その「松坂屋」の中でも創業の地である名古屋店の看板を取り外す、というのは、大きな決断だったのでは?と、想像する。
もちろん、周囲に高い建物が立ち並ぶようになり、看板を掲げている本館が周囲から見えにくくなった、という事情があるとしても、「看板を取り外す」という意味は、それ以外の理由もあるのでは?と、勘ぐってしまうほどの出来事のように受け止められるのでは?という、気がしている。

地方の老舗百貨店が次々と閉店に追い込まれ、クラシックな建物が取り壊され、街の姿が変わるようになっている。
時代の変化、生活者の変化と言ってしまえばそれまでなのだが、百貨店がその地域で果た役割を考えると、「経済と経営という面で考えれば、当然のこと」ではあるが、一つの社会文化が失われるようなモノも感じる。
その社会文化の象徴の一つが、看板でありロゴであったはずなのだ。
上述したように「松坂屋」は、名古屋の百貨店の顔だ。
その看板を取り外した時、「松坂屋」には、どのような変化が起きるのか?変化が起きないのか?興味があるところでもある。


健康寿命と断捨離

2024-05-27 20:05:14 | ライフスタイル

ご無沙汰しておりました。
GW前に、母の弟である叔父が急遽入院。大学病院のICUで治療を受けていましたが、先日亡くなり、葬儀やその後の対応の為、帰省をしていました。
と同時に、独居老人状態である父のこともあり、週末やっと名古屋へ帰ってきた次第だ。

亡くなった叔父も高齢であったため、亡くなったことに対する悲しみよりも「叔父の人生を全うできたのではないか?」という、思いが強くある。
そう思えるのも、生涯現役という姿勢で、仕事をし続けることができたからでは?と、感じている。

とはいえ、世間では「生涯現役」として、仕事をし続けることができる人は少ない。
多くの人は、企業や公的機関に勤めながら、人生の多くの時間を過ごし、定年退職という区切りをつけ、新たな生活時間を創っていかなくてはならない。
その「新たな生活時間」の中で、「生涯現役」と思えるようなモノ・コトと出会え、向き合うことができれば、それはまた充実した人生の送り方なのだと思う。
ただ、今の日本の社会でそのような生き方ができる方が、どれほどいらっしゃるのだろう?と、叔父の葬儀中に考えていたからだ。

「人生100年時代」と言われるようになってきたが、それは「寿命」という観点でのコトだ。
「自分らしく過ごせる年齢(=ウェルビーイング)」となると、その時間はおそらく100歳という年齢に達することができる人は、多くないのでは?という気がしている。
2019年の厚労省の調査では、「健康寿命は男性の場合72.68歳、女性の場合75.38歳」というデータとなっている。

平均寿命と健康寿命の推移
「コロナ禍」前の2019年の調査なので、現在はもう少し違う結果となっているのかもしれないが、実際の「平均寿命」と「健康寿命」とは違う、ということが分かるはずだ。
そう考えると、「健康寿命」と言われている間に、自分の「終活」を完了させておく必要があるのでは?という気になってくる。
というのも、今回叔父が亡くなったことで父の「終活」の一環として、実家の片づけを始めたからだ。
親元を離れ40年以上経つと、知らない間に両親が貯めていた様々な物があふれていることに気づかされる。

高齢となった父に、それらを片付けさせるということ自体、体力的にも判断力にも無理があることを、実感したのだ。
結局「断捨離第一弾」として、片づけをしてきたのだが、あとどれくらいすれば良いのか?と、困惑するばかりだ。
一時期流行した「ミニマリスト」だが、子育てが終了した頃から「程よいミニマリスト」を目指す必要があるのかもしれない。


個人データ‐マイナンバーカードは大丈夫?‐

2024-05-10 22:05:50 | ビジネス

朝日新聞に、「マイナンバーカードの偽造が相次いでいる」という、記事があった。
朝日新聞:偽造相次ぐマイナンバーカード 河野氏が注意喚起 IC読み取りアプリ検討 

ご存じのように、今年12月に健康保険証をマイナンバーカードと一体化する、ということが決まっている。
元々マイナンバーカードについては、様々なトラブルが起きており、マイナンバーカードと健康保険証の一体化に対しては、様々な問題が解決してからでも良いのでは?という、意見が出ていた(と思う)。
にもかかわらず、河野デジタル大臣は強引に推し進めようとしている。
そこに、このような「偽造問題」が起きている、という状況になってしまっている。

私自身は、現在起きているマイナンバーカードについての問題が解決してから、取得を考えていたので健康保険証との一体化に関しては、とても困っている。
そこに「偽造」という問題が浮上してきているのだ。
ますます、マイナンバーカードに対する信頼度は、ダダ下がり要因と考えてもよいのでは?と、思っている。
マイナンバーカードそのものに興味が無かったので、知らなかったのだが「個人情報へのアクセスが可能」なマイナンバーカードのICチップの読み取りアプリを検討する、という手際の悪さに、驚いている。

と同時に、政府が検討するような読み取りアプリは、大丈夫なのか?という、不安の方が先に立つのだ。
何故なら、これまでのマイナンバーカードをめぐる政府のグダグダな対応を見ていると、不安しかないからだ。
何より、健康保険証と一体化したマイナンバーカードを偽造される、ということは偽造された方の病歴を含む個人情報が流出する、と考える必要があると思う。

個人情報の中でも「病歴」は、究極の個人情報なのではないだろうか?
政府は、単に、風邪やケガの治療で病院を受診。処方薬を購入した程度に考えているのかもしれないが、遺伝と関係のある病気や難病、がん等の治療歴等の個人情報は、その重要性が全く違う。
だからこそ、慎重な議論が必要になるだろうし、今更ICの読み取りアプリの開発という後手後手には、政府自体が「マイナンバーカード」に対する考えが、とても軽いモノだった、という印象しか持てないのだ。

そのような不安な状況の中で、日経新聞が「個人データの越境移転」という話題を記事にしている。
日経新聞:個人データの越境移転、円滑に日英米等10ヵ国・地域 

増え続けるECサイト等で購入した個人データを企業間で流通させ、電子取引を簡便化する、ということを目的しているのだが、商品やサービスを購入した本人があずかり知らないところで、個人データが企業間で流通する、ということに不安を持つ生活者もいるのではないだろうか?
実は、このような仕組みは既に存在しており、情報サイト等にアクセスすると表示される「cookie」が、それにあたる。
「cookie」が表示され、同意をするとアクセス者の情報が広告代理店等のプロモーション等に、使われることに同意する、ということになっている。
「cookie」が表示される度に、そのような文章が表示されるのだが、この表示文をどれだけの人が注意深く読み、同意をしているのだろう?
広告等のプロモーションに使われる程度(と言っても、個人データが勝手に使われるという意味では、嫌悪感を覚える人もいると思うのだが)とは違い、ECサイトでの購入歴から「年齢・居住地域・購入額・クレジットカード情報」等が勝手に違う企業に流出してしまう、という意味も含んでいるのでは?

これらは、生活者にとって便利なコトなのだろうか?
今一度、デジタル化(というよりも「DX推進」)と個人データ保護という問題を、考える必要があるのではないだろうか?


そろそろ「箱もの」発想から、脱却すべきでは?‐築地市場跡地大規模開発‐

2024-05-09 21:03:39 | ビジネス

GW前だっただろうか?、閉場した「築地市場」の跡地に、スタジアム建設予定というニュースがあった。
Impress Watch:築地市場跡地で大規模開発 スタジアムを軸に食・交通・MICEの拠点に 

このニュースを知った時、何故東京に、5万人収容規模のスタジアム建設をするのだろう?という、疑問だった。
この「5万人規模」というのは、実は国際的なスポーツイベントを開催するときの使用するスタジアムの収容人員数とされることが多い。
例えば2002年のサッカーW杯日韓大会で、日本全国に5万人以上収容のスタジアムが建設されたが、FIFAの規定が「W杯実施スタジアムの収容人員条件」が「5万人以上。屋根付き」だったからだ。
この2002年サッカーW杯日韓大会以降、日本で作られるスタジアムの収容人員は、5万人クラスになっていった。

そのような背景を考えれば、「5万人収容のスタジアム」ということは、国際的スポーツイベント開催可能スタジアム、という位置づけである、ということが分かる。
しかし、東京周辺には、この5万人以上収容できるスタジアムが、いくつも既にあるのだ。
2022・東京オリンピック開催の為に建て直された「国立競技場」をはじめ「さいたまスタジアム」、「日産スタジアム(旧横浜国際総合競技場)」と、既に3か所あるのだ。
そこに4番目の同規模スタジアムを建築する必要があるのか?という、疑問なのだ。
と同時に、5万人収容規模のスポーツイベントが、どれほどあるのか?という点でも、疑問なのだ。

多くの観客を呼び込むことができる、国際的スポーツイベントとして、真っ先に思い浮かぶのは、サッカーW杯だろう。
多くの出場国のサッカーファンが、スタジアムにやってくるからだ。
とはいえ、W杯の開催期間は約1ヵ月。
サッカーW杯クラスの国際的スポーツイベントを、数年に1度招聘できるのか?というと、それも甚だ疑問だ。

それだけではなく、「さいたまスタジアム」も「日産スタジアム」の、Jリーグの「浦和レッズ」や「横浜Fマリノス」のホームスタジアムとして、活用されている為毎試合5万人規模の収容はできなくても、それなりの頻度で活用されている(=スタジアム収益がある)。
そう考えると、新たに建設する築地市場跡に建設予定のスタジアムも東京にある、スポーツクラブののホームスタジアムにしなくては、稼働率は期待できない、ということになる。
スタジアム使用期間もほぼ通年でなくては、スタジアムの運用は難しいだろう。

現在稼働している、2002年サッカーW杯開催用に建設された数多くのスタジアムは、サッカー以外の音楽イベント等にも使われているので、そのような設備も必要になってくる。
周囲に商業施設を設けるということになれば、防音という面も検討する必要が出てくる。
このように考えると、今「築地市場跡地に5万人収容規模のスタジアム建設」は、現実的ではないのでは?という気がするのだ。

それよりも、かつて築地市場にあったと言われる、「浴恩園」という公園の再建の方が、現実的で今という時代にあっているのでは?という気がしている。
Huffpost:築地市場跡地にかつて「天下の名庭園」があった。浴恩園とは?再生を求める声も

築地市場跡地というロケーションを考えれば、この場所に庭園ができることで、周辺の温暖化対策になるはずだ。
と同時に、市民のオアシスとして、人気が出るのでは?
確かに、入場料を設定するということは、できないかもしれないが、この庭園の周囲に商業施設を配置すれば、「手ぶらでお出かけできる自然公園」として、人は集まりやすくなり収益を上げることはできるのでは?

小池都知事は、環境問題に対して敏感な感覚をお持ちだと思っていたのだが、神宮周辺の整備に伴う神宮の森伐採問題の頃から「環境問題」への興味がなくなってきているような印象がある。
今、目先の利益を優先するよりも、100年後の自然豊かで快適な都市づくりを目指した方が、後世に名を遺すことができると思うのだが…。





CMと企業‐Apple iPad ProのPR動画を考える‐

2024-05-08 23:09:30 | CMウォッチ

日本時間の早朝、Appleが最新のiPadProを発表した。
その発表に合わせ、CMも公開された。
これまで、AppleのCMと言えば、どこかお洒落な雰囲気のある内容が多かったのだが、今回は違ったようだ。
毎日新聞: 「言葉を失う」楽器破壊する「iPadPro」のPR動画に批判の声 

私もこのPR動画を見をたのだが、決して楽しいモノではなかった。
「楽しい」というよりも、ワクワク・ドキドキするようなモノではなかった。

ここで疑問なのだが、実はiPadユーザーには、音楽関係者が多いと言われている。
iPadに限らず、Mac愛用者も多い。
マイクロソフトのOSであるWindowsはもちろん、Office向けソフト「Word・Excel・PowerPoint」等は、今やビジネスツールとして、必須となっている。
ビジネスユースとしてMacを使っていらっしゃる方もいらっしゃるはずだが、一般企業においてはWindowsがベースとなっているのでは、内だろうか?

おそらくApple社側も、自社の商品のユーザーがどのような人達なのか?ということは、把握していると思う。
そのうえで、今回の動画を制作したのだとすると、趣味が悪いというよりも「顧客を敵に回してどうする」という、気がしたのだ。

確かに、コンパクトさやコンパクトな形状に似合わないほどのハイスペックな仕様となっている、ということを強調したかったのかもしれない。
であれば、今回のような「物を破壊する」というPR動画をつくる意味はなかったのでは?
というのも、リンク先の記事側もわかるように、多くの人たちが「不快だと感じている」からだ。

CMをはじめとする広告の表現の中には、あえて「ネガティブな表現」をすることで、生活者に自社や商品を知ってもらう、という手法もある。
古いところでいうなら、旧国鉄が一面をつかった「私は話したい」というキャッチコピーを使い、「国鉄の運賃値上げ」に対する理解を求めた新聞広告、同じ新聞広告で、ソニーが「β―マックスは無くなってしまうの?」という、ビデオデッキ・β―マックスについての生活者の不安を取り除く為のもの、ボルボの「私たちの製品は公害を出しています」という、環境汚染を自動車が引き起こしていることに対する、企業の考えを述べる広告等があった。
この中で唯一成功した広告は、ボルボだけだったように思う。
国鉄もソニーのβマックスも今や存在しない商品となってしまっているからだ。

以前、Apple社はソニーのCMを参考にしている、と言われていた。
Appleが憧れていたソニーのCMというのは、1970年代後半~1980年代の、お洒落で受け手となる生活者が、憧れるような世界観を持っていたり、一斉を風靡した「トリニトロン」の技術を、卵からかえるタコの赤ちゃんを鮮明な画像(「ここがトリニトロン技術の素晴らしいところ」である問うことを、有無も言わせず、尚且つ嫌味にならないように表現していた頃のCMだった、と言われている。

そう考えると、何故Apple社は自社の中心ユーザーの気持ちを逆なでするようなPR等がを制作したのか?
制作意図として、単純に製品機能をPRすることだけを考えてしまった結果なのか?わからない。
ただ感じられる事は、Apple社が迷走し始めたのでは?という印象を受ける、ということだ。
たかがCM、されどCM…これまでと表現が大きく変わったと感じれば、生活者はその企業のファンで亡くなってしまう可能性も含んでいる、という一例になってしまうかもしれない


データを疑う大切さ

2024-05-07 18:29:20 | マーケティング

やっと明けたGW。
どこかへ出かけられた方も、多かったのではないだろうか?
そしてこのGW中に、ある調査が発表されていた。
それは、「岸田内閣支持率」だ。
TBS NEWS DIG:【速報】岸田内閣の支持率29.8% 前回調査より7.0ポイント上昇 5月JNN世論調査 

このニュースを見た時、「一体今の岸田内閣で、支持率が上がる要素がどこの有るのか?」と、疑問符ばかりが頭に浮かんだ。
おそらくそのように感じた方は、私だけではなかったようで、ヤフコメ等でも同様のコメントが数多く見られた。

それだけではなく、この世論調査を実施したのがTBSであり、関連メディアである毎日新聞での同様の調査では、フジサンケイグループ(産経新聞とフジテレビ系)や讀賣新聞系列(讀賣新聞と日本テレビ)といった「保守系メディア」と呼ばれるメディアの調査よりも、厳しい支持率を発表していたからだ。
同じ系列のメディアでありながら、随分と違う世論調査結果に、違和感を覚えた。

ただ、この世論調査を実施した期間を見て、何となくわかった気がしたことも確かだ。
調査機関が、GW真っただ中の5月4日(土)と5月5日(日)だったからだ。
今年のGW期間中の中でも、この両日は、天候も良く絶好の行楽日和だったはずだ。
いくら携帯電話を含めた電話調査であったとしても、行楽に出かけている人達が、このような世論調査に答えるだろうか?
とすれば、固定電話はもちろん携帯電話で回答をした人達も、相当限られたライフスタイルの人たちだったのでは?と、想像て着る。
言い換えれば、これまでの厳しい内閣支持率を出してきた時と、調査条件は同じでも、回答する人達のライフスタイルが違う人たちであった、と考える必要があるのでは?ということなのだ。

GW中、「行楽に出かけない人達=自民党支持者」というのではなく、諸般の事情により世論調査に答えやすい環境にあった人たちの中に、自民党支持者が多かった、と考える必要があるのでは?
ではそのような層とは、どんな人達なのか?
まず真っ先に考えられるのは、以前から自民党の支持基盤となっている人たちが、偶然多かった。
そもそも、回答率が50%未満で、人数も1013人という、決して高くない数字である。
もし回答率が60~70%で、人数も5000人位あれば、ある程度「国民からの支持」ともとらえることができると思う。
決して低いとは言い切れないが、だからと言って信頼で回答数なのか?と言われると、微妙なところだろう。

そのように考えると、この世論調査がこれまでの世論調査と同じように考えてよいのか?ということになる。
マーケティングという視点で考えると、データとして疑うべき数字という気がする。



 


ビジョンは良くても、現実が伴わなくては意味がない

2024-05-05 20:54:43 | アラカルト

今日は、「子どもの日」だった。
その「子どもの日」に合わせるように、FM番組で「はじめの100カ月育ちビジョン」という話を、FM番組でしていた。
子育てとは無縁の生活をしているので、このようなビジョンをこども家庭庁が出していたとは、全く知らなかった。
こども家庭庁:幼児期までのこどもの育ちに係る基本的なビジョン(はじめの100か月の育ちビジョン) 

FM番組で紹介されていた「はじめの100か月育ちビジョン」では、妊娠→出産→小学校入学までの期間を指すという。
この間、母親が中心となり家庭の中だけの子育てではなく、地域社会全体で「子育てに関わろう」というのが、ビジョンの趣旨のようだ。

確かに、ビジョンとしては重要なコトを謳っている、と感じたのだが、現実として何等かの施策はあるのだろうか?と、思いながら聞いていたのだが、その部分の話を聞くコトができなかった。

年々出生率(一人の女性が生涯で出産する子どもの数)は、年々下がり続けている。
それが、先日政府が発表した「消滅危機自治体」へと結びつくのだが、だからと言って政府が「子育て支援」として打ち出している施策に、具体性を感じない。
何より、今問題になっている「子どもの貧困化」の背景にあるのは、離婚により養育費が支払われない、ということで起きている(と言っても過言ではない)。

「離婚」は、親同士の間の問題であり、子どもには関係の無いことだ。
例えそれが夫婦間の間で話合わせ、合意を得た離婚であっても、子どもに対する養育義務として「養育費の支払い」を義務付ける必要があるはずなのだ。
しかしに本においては、養育費の不払い等による罰則規定に様なモノは無いため、離婚後、養育費を受け取っていない一人親家庭(その多くは母子家庭)は、子どもに対して満足のいく教育環境を整えられない、という状況に陥っている。
もちろん、養育費の問題だけではなく一人親家庭の多くが母子家庭であるため生活全般の経済基盤となる、収入という面でも厳しい状況に陥っている、というのが現状だろう。

「はじめの100カ月、子育てビジョン」が掲げる様に、家庭だけではなく地域社会も参加する子育ては、とても良いモノだと思う。
しかし、そのような「子育て」をする為には、養育がしっかりできる経済基盤が必要なはずだ。
そのうえで、地域社会が子育てに関われるような環境づくり、ということが順番なのではないだろうか?

子育てとは関係の無い国会議員さん達が、GWということで海外へ外遊をされている。
その金額を子育て支援に回せば、少しは子育て環境が良くなるのでは?
そのようなコトも考えない人達に、子育てビジョンを言われても、生活者の心には響かないような気がするのだが…。


「憲法記念日」に考える、改憲の意味

2024-05-03 23:31:57 | 徒然

今日は憲法記念日だった。
「憲法記念日」に合わせ、毎年のように実施されるのが「改憲に対する世論調査」だ。
讀賣新聞:憲法改正「賛成」63%、9条2項「改正」は最多53%…讀賣世論調査 

毎年「改憲」の是非を問う世論調査の中心となるのは、讀賣新聞が実施したように憲法9条であることが多い。
日本が「戦争に対してどのように考えているのか?」ということを、問う内容だからだ。
しかし、この憲法が制定された頃と今とでは、世界情勢が大きく変わってしまっている。
その為に「改憲」を支持する人達が、過去最多という結果になった、ということだろう。

しかし改憲は、9条だけの問題ではない。
今世間で求められている「改憲」の一つは、「皇位継承」という問題もまた、含まれているはずだ。
「男系男子」にこだわる理由が「萬世一系」ということだが、時々の権力者によって都合よく書き換えられている、というのは洋の東西を問わず行われてきたことだ。
まして、日本の歴史は諸外国よりも古いことを考えれば、神武天皇から「萬世一系」と言い切れる根拠は、まずないだろう。
そのような歴史の中にあって、「女性天皇」は、過去認められ存在していたという事実はある。
であれば、「皇位継承」の安定の為にも、「直系長子」の方が時代的にはあっている、と考える人達が増えてもおかしくはない。

また、国会議員に関する内容についても、今後ますます議論していく必要があるのでは?と、感じている人達も多いのでは、ないだろうか?
明治の頃のように、ごく一部の人達によって国の未来を託すことの危うさは、明治・大正・昭和という時代が、「戦争の時代であった」ということでもわかる。
第二次世界大戦の終結の為、ポツダム宣言を受け入れたことで、日本の敗戦は決り、今の日本国憲法がつくられることになったのだが、それでも70年以上前と今とでは、社会の制度や仕組みをはじめ様々なコトが大きく変わってきている。
「憲法を変える」ことは、これまでの「良き日本を変える」ということではないはずだ。

むしろ今問題になっているのは、国会議員がその権限を歪曲化し、都合よく政治とは言えない行為を行っている、ようにも見える。
もちろん、国会議員は「国民から選ばれ、国をより良くしていく」という使命を託されている人達なので、そのような人物を選んでしまう側にも問題がある、ということになる。
だからこそ、「憲法」がある意味と意義を、きちんと知る必要がある。
そのことを考えるのが「憲法記念日」ということになるのだろう。