今年もあとわずか、拙ブログにお越し下さるみなさま本年もありがとうございました。
今年は、本業では無い部分での仕事をいただくことがあり、マーケティングとは全く違うことを考えさせられた年でした。
そしてマーケティングや経営、マネージメントなどとは違う分野のことを学ぶことで、新たな視点や考えを勉強させて頂くことができた年でもありました。
本当に、人の繋がりから得られた勉強で、感謝しております。
今年を振り返ってみたとき、日本のいろいろなところから「お洒落で軽やか」な雰囲気が、どんどん失われた年でもあったような気がする。
代わりに登場したのが、重苦しく強制的な社会的な雰囲気だ。
それを象徴するのが、安倍さんと自民党の「ごり押し」という気がしている。
特に安倍さんの「靖国神社参拝」は、時代の逆流という気がしている。
安倍さんが靖国神社へ参拝した直後、安倍さんのFacebookには3万を超す「いいね」が押されたと言うが、Facebookそのものが、ある種の「ファンサイト」だと思えば、3万という数字はともかく、「いいね」が沢山押されるのも当然だろう。
しかし、安倍さんはFacebookの「いいね」を、ファン投票的な意味では無く「国民の意思」の様に思われてしまったように感じている。
それが「国民からの支持」と受け止め、ますます時代を遡る様な雰囲気を安倍さんや今の自民党に感じるのだ。
ところで、安倍さんのことをメディアでは「タカ派」と呼ぶ様だが、本当に「タカ派」なのだろうか?と、最近考えることがある。
むしろ、メディアが作りあげたイメージなのでは?と言う気がしているのだ。
確かに「特別秘密保護法案」などの強行採決などを見ると「タカ派」という気もするのだが、本当の「タカ派」というのは、Facebookで「いいね」を沢山もらうことが「国民の意思」だと勘違いする様なことはないと思うからだ。
そう考えると、単なる人気取りのために「靖国神社」へ参拝をしたのかな?と言う気がしてくるのだ。
来年は、一体どのような年になるのだろう?
少なくとも、明日からの三が日はそんなことを忘れて、のんびりと過ごしたいと思っている。
まとまりの無い内容で締めくくることになりましたが、みなさま良いお年をお迎え下さい。
先日FMを聞いていたら、海底探査船「江戸っ子1号」についてのレポートがあった。
江戸っ子1号プロジェクト公式WEBサイト
「江戸っ子1号」というのは、東京の町工場が集まってつくった「海底探査船」の名称。
海底8000mまで潜り、鮮明な海底の様子を3Dカメラで撮影、成功している。
ここまでのお話なら、「日本の町工場の技術は、凄い!」と言うところで終わってしまう。
しかし、「凄い」のはこのプロジェクトの成果では無く、このプロジェクトを推し勧めた力だと思う。
実際、このプロジェクトを立ち上げた時、参加を表明した町工場は沢山あったそうだ。
皆さん「町工場の実力を見せてやる!」と、勢い込んでいたそうだ。
ところがこの「海底探査船」を造るのに、億と言うお金が必要だとわかったとたん辞退する町工場が続出。
リーマンショックなどもあり資金繰りが大変な中、結局残ったのは僅か2社。
それでも「夢」を実現させたい、と言う思いが原動力となって海洋開発研究機構や芝浦工大、ソニーの映像技術有志などが結集して、世界でも貴重な海底8000mの3D映像撮影に成功した、と言う。
この話を聞いた時思い浮かんだのは、東大阪の町工場が集まって造った「まいど1号」だった。
宇宙開発協働組合:SOHLA公式WEBサイト
この「まいど1号」も、資金繰りの厳しさから一度ならず、何度か挫折しかけたと言う記憶がある。
それでも「いつかは宇宙船を飛ばす!」という夢を持ち続け、それを支援する人達の輪が出来、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)から委託を受ける程になった。
今は「月でロボットを動かせる」ことを目標として、いらっしゃるようだ。
先日、中国が打ち上げた宇宙船が月の到達し、将来的には月にある(鉱物)資源などを活用したい、と言う思惑がある様だが、中国の宇宙船打ち上げ成功よりも、東大阪の町工場が中心に集まった宇宙プロジェクトのほうが、夢がある様な気がするのは身贔屓だろうか?
東西の町工場から始まった宇宙と海底のプロジェクト。
その始まりは「夢を叶えたい」という思いからだった。
「夢を叶える」と言うことは、とても大変なことだ。
だが、それを応援し、支援してくれる人達も沢山いる。
まだまだ、日本のものづくりも捨てたものではない、と思う。
来年、またこの様な話題が一つでも二つでもあれば良いと思う。
きな臭い政治の話題よりも、ズッと社会が明るくなるだけでは無く、じんわりと経済にもプラスの影響をあたえることができるのでは?
何よりも、この様な「ものづくり」こそ、日本らしいと思うのだ。
今日から「お正月休み」で9連休、と言う方も多いのではないだろうか。
既に、高速道路や新幹線などは帰省ラッシュで、大変なようだ。
ところで、昨日のお昼頃、銀行のATMコーナーに並んでいたら、同世代と思われる女性が声を掛けてきた。
「今日は、随分混んでいますね。何かあるんでしょうか」と・・・。
一瞬「は?!」と思ったのだが、声を掛けてきた女性の表情は、本当に不思議そうな顔をしている。
「今日は、官公庁や企業の仕事納めですから、お正月休みで出かけられる人が利用しているんだと思いますよ」と答えると「今日って、仕事納めの日でしたっけ?」と、半ば納得・半ば不満という表情をされた。
この時の女性の表情を見て「あぁぁぁ~、人は自分のコトにしか興味がないのかも知れない」と、感じたのだった。
自営業で年末一杯まで仕事をされている方も多いだろうし、私と同世代の女性となると子育てなども終了し、様々な社会の出来事に興味・関心が薄れている人も実は多い。
むしろ「仕事納め」という意識があるのは、官公庁や企業で働いている人に限られるのかも知れない。
「お正月休みで出かける」ということにしても、自分が出かけないのであれば、ニュースなどで「お正月休みの帰省ラッシュで、新幹線の乗車率は150%を超え、高速道路は大渋滞」と知っても「大変だね~」とニュース画面を見ているだけで、「大変さ」という実感は無いと思う。
もしかしたら「そんな大変な思いをして、無理に出かけなくても・・・」と、思われる方もいらっしゃるかも知れない。
そう考えると、「人は、自分(の都合)を基準に考え、行動する」のでは?と言う気がしたのだ。
特に最近では、様々な場面で「自分の都合」ばかりを、主張することが増えている様に感じる。
ある種の「コミュニケーション力の低下」ということになるのかも知れないのだが、「自分の(都合)を主張する」ことが、「自己表現」だと勘違いをされているのか?ご自分の都合をやたらと押しつけてくる方がいる様に思うのだ。
そしてその様な方は、こちらの都合と言うものを考えることがない。
それだけでも厄介なのに、自分の思い通りにならないとイライラと不満タラタラと言う態度で、ますます自分の都合を無理やり通そうとする。
「気持ちにゆとりがあれば・・・」とも考える反面、社会全体が「自分のことにしか、興味がない」社会に変化しつつある様な感じをもっている。
来年は、少しでも「想像力を働かせた、周囲に気配り・心配りのある社会」に変わることを願っている。
安倍さんが、昨日「靖国神社」に参拝をし、中国や韓国での反応はいつものコトだとしても、米国まで「如何なもの」と不快感をあらわにしてしまった。
これまで、米国が不快感を示すと言うことが無かったように思うと、今の東アジアに対する米国の心配度が相当高いのでは?と、感じる。
ところで、政治家の皆さんは「靖国神社」への参拝には興味がある様だが、皇居近くにある「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」へ行ったと言う話はほとんど聞かない。
そもそも「靖国神社参拝」で問題になる大きな理由は、「靖国神社」に祀られている人達の中に、A級戦犯とされた人達がいるからではないだろうか?
「A級戦犯」となった人達については、「東京裁判」そのものに対する様々な考えや意見がある、と言うことは知っているが、「不戦の誓いを英霊に・・・」と言うのであれば、別に靖国神社でなくても、第二次世界大戦で亡くなった民間人も祀っている「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」でも、構わないと思うのだ。
戦時中、特攻隊員として出撃した若者達が「靖国で会おう」と言って、戦火に散ったと言う話は聞く。その「戦火に散った若者」と「戦争へと突き進んだ時に軍幹部」とでは、そこに祀られている方々の遺族の気持ちが違うのではないだろうか?
それに対して「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」は、特定の宗教に属さないので「政教分離」の意味からも問題はないと思うし、国内外の戦没者を祀っていると言う意味でも、「不戦の誓い」を立てるのに最適な場所だと思う。
毎年終戦記念日や例祭には内閣総理大臣や関係閣僚が参拝することが慣例となっているようだが、終戦記念日や例祭だけでは無く、「きな臭い出来事」がある度に「不戦の誓いと、恒久的平和」を考えるために、参拝すれば良いと思うし、国会議員さんたちも自由に参拝すれば良いと思う。
何より、その様な行動をしっかり国内外に伝える必要があると思う。
今回の安倍さんの靖国神社参拝が、もし千鳥ヶ淵戦没者墓苑だったら、この様な騒ぎにはならないのでは?
「靖国問題」の根本と、なぜ靖国神社でなくてはならないのか?靖国神社に代わる「不戦の誓い」となる場所は本当に無いのか?と言うことを、考えることが大切だと思う。
来年の国の予算が閣議決定した。
自民党は、民主党政権時代「予算のバラマキ」という批判した。
そして民主党も、以前の自民党に「予算のバラマキ」と批判した。
今回は、野党が批判したくても「数の力」で批判も反対もできぬまま、決まった様な気がする。
そして、その予算の振り分けを見てみると、「昔ながらの自民党」と言う気がする。
「予算のバラマキ」と批判されても仕方ない内容だが、「人よりも箱もの重視の経済振興策」ということがありありと判る内容になっている。
計上された「公共事業」だが、日本各地にある既に建設済みの道路や橋などが、耐震補強や大規模なメンテナンス期に入っていると思うのだが、その様な予算計上になっているのだろうか。
と言うのも、新しい箱ものを造るよりも、高度成長期に造られた道路や橋、建築物などが相当老朽化し、今後発生するであろう大震災などに耐えられないどころか、場合によっては被害を大きくさせてしまう可能性もあると思うのだ。
社会のインフラ整備そのものが、「造る」から「維持管理・補強・メンテナンス」へと移ってきていると思うからだ。
それにしても、自民党の考える「予算」というのは、高度成長期の頃から変わっていないな~と感じる。個人よりも企業、国という発想が今でも根強い気がする。
しかし、今の日本の社会はそんな社会だろうか?
雇用にしても、企業は「業績不振」を理由に、「リストラ」という「首切り」を堂々と行う。そしてそれを社会が批判する訳でもなく「リストラ対象になるのも自己責任」という雰囲気がある。
そんな状況をバブル崩壊後約20年続けてきても、日本の経済は好転していない。
そう考えると、もっと「人を大事にする」ことのほうが、企業への優遇税制や旧態依然とした「公共事業」による景気浮揚策よりも、効果が高い様な気がするのだ。
と言うのも、同じく今日の朝刊に「子どもの幸福度」という国際的調査結果の記事があり、豊かなはずの日本の子ども達は決して「幸福」ではない、と言う結果になっていたからだ。
朝日新聞:日本の子どもの幸福度は6位
この調査で日本の歪さを感じさせるのが、家庭での所得格差が開くことで平等であるはずの教育機会が奪われている可能性がある、と言うこと。
国が安定した税収を保ち、右肩上がりは無理でも維持できる国際的経済力を持ち、世界中から「良い国」と評価されるための「国の予算」というコトを考える時期に来ていると思うのだ。
ここ数日、連日のように地下鉄で出かけている。
会社員時代、地下鉄で通勤している時の楽しみ(?)の一つが、ぶら下がり広告を見ることだった。
ぶら下がり広告の多くは、雑誌の広告なのだが時折、目を引く素晴らしい広告を見ることがある。
先日、そんな広告を見た。
その広告とは、キリンのコンビニ向けビール「グランドキリン」。
キリン:「グランドキリン」(ADギャラリー)
私が見たのは、ライトアップされた新東京駅のバージョン。
ライトアップされた東京駅は、とてもクラシカルで喧噪に満ちあふれた東京を一瞬忘れさせてしまう。
しかしよく見ると、新幹線が停まっていたり新幹線の奥には高層ビルの灯りが見える。
その対比こそ、今の東京の姿という印象がある。
新旧の顔が共存している都市=東京という印象だ。
この東京駅のバージョン以外「東京タワー」や「新宿副都心」等の夜景があり、どのバージョンを見ても、今の東京を感じさせる。
「今の東京」と言うなら、「東京タワー」ではなく「スカイツリーだろう」と言われる方もいらっしゃると思うのだが、「東京タワー」が創ってきた東京という都市の歴史が、「スカイツリー」にはない奥行き感を与えている様な気がする。
この広告を見て「なぜコンビニ専用」なのだろう?と、考えてしまった。
そう感じさせるのは、缶ビールでは無く瓶ビールだからだ。
いくら軽量ビンと言っても、ガラス製の容器というのは手軽さと言う点では、缶ビールに負ける。
いくら美味しく飲むための工夫と言っても、「手軽さ」という点で共通するコンビニ向けとは思えない。
それをあえて「コンビニ向け」としているのは、おそらく、深夜まで営業しているスーパーが増えたと言っても、仕事帰りにコンビニに寄りビールとおつまみを買い、自宅でのんびりと過ごす人が多いからだろう。そんな人達に「ちょっと贅沢なビールを楽しみませんか」ということなのだと思う。
もしかしたら、来年あたりコンビニ専用「ギフトパッケージ」という商品も登場するかも知れない。
それほど、自分が飲みたい!と思うだけではなく、贈りたいと言う気持ちにもさせるパッケージングだと思うし、コンビニという小売店の位置づけが変わりつつあるのかも知れないと感じさせる。
それにしても、東京という街のまばゆさは凄まじいものがある。
ニューヨークのマンハッタンやフランスのパリ、英国のロンドンの夜景よりもまばゆい光の洪水なのでは?と、思ってしまう。
ポスターとしてみると、とても美しさを感じさせるのだが、それだけエネルギーを消費している街でもあるのだな~と・・・。
ここ数日、百貨店などへ出かける日が続いている。
実は、百貨店そのものへ出かけることは以前と変わらずにあったはずなのだが、ゆっくり売り場を見て歩く、と言うのは久しぶりだった。
気になったことは、昨日エントリした通り「クリスマス」らしさを感じない売り場の雰囲気だった。
ディスプレイなどは、それなりに「クリスマスらしさ」を演出しているのだが、演出そのものが以前に比べ随分おとなしくなっている、と言う印象もあった。
買い物客も「クリスマス」ということよりも、「日常」への関心が高いような印象だった。
そんなやや寂しさを感じる売り場を歩いていたら、目にとまるポスターがあった。
「ジョルジオ アルマーニ チャリティーマフラー」というポスターだ。
このアルマーニのマフラー、百貨店のみの扱いで「チャリティー」と冠がつくとおり、収益は総て東北の子ども達の未来のために寄付するコトになっている。
日本百貨店協会・百貨店World:ジョルジオ アルマーニ チャリティーマフラー
バブルが崩壊してから、百貨店そのものの存在意義の様なものが問われることが多くなった。
「小売の雄」であったはずの、百貨店が大型スーパーが運営する「ショッピングモール」に取って代われた様な印象すら受けるこの頃だ。「今や百貨店は、海外有名ファッションブランドの売り場貸し」と言うことも、言われているようだ。
確かに、百貨店で人が多く集まる場所というのは、海外有名ブランドの売り場かデパ地下と「物産展」を行う催事場くらいだろう。
そんな百貨店が、この様なチャリティー販売をする。しかも日本全国の百貨店が協力しあって、販売をする、と言うのは初めてではないだろうか?
むしろ「海外有名ファッションブランドを扱い慣れている、百貨店だからできるチャリティー企画」という気がする。
その中でも、人気の高いジョルジオ アルマーニを選んでいる。
価格を見ると、通常の紳士用マフラーよりもやや高めと言う気がするが、アルマーニのマフラーだと考えると、割安感がある。
アルマーニらしく、デザインも色もシックでビジネスでもプライベートでも使いやすそうだ。
案外女性が使ってもオシャレだと思う。
明日から3連休で、クリスマスや年末の買い物を予定されている方も多いのでは?
せっかくクリスマスプレゼントを選ぶ買い物であれば、このようなチャリティー商品も候補に入れてみては?
プレゼントを贈った相手だけでは無く、東北の子ども達も喜ぶ素敵なプレゼントになると思う。
後5日もすれば、クリスマス。
街を歩いていると、華やかなクリスマスイルミネーションが目を引く。
ただ、街中の華やかなイルミネーションとは逆に、なぜかクリスマスらしさが余り感じられないのだ。
あくまでも個人的な感覚なのだが、百貨店の売り場を歩いても「クリスマスギフト」の、商品選びをしている人の姿を余り見かけない様な気がするのだ。
新聞の刷り広告で目立つのは、海外の有名ブランド店の広告。
それはインターネットも同じで、Yahooとの企画で広告を出しているエルメス等、海外の有名ブランドのオシャレなクリスマス広告は目立つのに、実際の小売を歩いてみると日々の買い物が優先され、クリスマス!と言う売り場が出来ていない様な印象を受ける。
年の瀬の慌ただしさの中にあったはずの年末の華やかさの様なものが、年々薄れてきている様な気がしている。
その傾向が今年はより顕著という印象なのだ。
そう考えると、本当に消費そのものは伸びているのだろうか?と、考えてしまう。
生活者の財布の紐はまだまだ固い、と言うことなのか?それとも1年で一番華やかなはずの「クリスマス」への興味が薄れてきているのか?はたまた「プレゼント・ギフト」に対して関心がなくなりつつあるのか?
もう一つ気になることは、FM番組を聴いているといわゆる「クリスマスソング」が、余り聞かれないのだ。定番中の定番、山下達郎さんの「クリスマスイブ」などは、毎年今ぐらいになるとヘビーローテーション状態で、1日の内に何度も聞いていたと思うのだが、今年は余り聞かれない。
洋楽・邦楽問わず、「クリスマスの定番曲」そのものが、余り聞かれない様な気がする。
確かに、バブル経済が崩壊し、リーマンショックやギリシャショックなど経済不安となる様なことが続いてはいるが、それにしても今年は「アベノミクス」で景気が上向きになってきているはずなのに、実際の消費に結びついている感がなく、社会全体が街中のイルミネーションの華やかさとは逆に、社会全体の空気感が暗いように感じる。
この暗さは、一体どこから来るのだろう・・・と考えると、不安な気がしてくるのだった。
外出の帰り、CDショップの前を歩いていたらカセットテープを見かけた。
今の20代~30代前半の方は、「カセットテープって何?」と思ってしまうのでは?
ネットで検索をすれば、カセットテープを販売している所を見つけることができるが、小売店で見かけることはほとんど無いと思う。それほど「カセットテープ」そのものを、見かけることが無くなった。
今日見かけた「カセットテープ」は、録音用の物ではなく既に録音済みの物で、隣にはCDが並んでいた。
並べられていたのは、先日亡くなられた島倉千代子さんの追悼アルバム。
島倉さんが優しくほほえんでいるジャケットを見て「あ!そうか」と、カセットテープで売られている理由がわかったのだ。
それは島倉さんのファン層。
先日大盛況の内にジャパンツアーを終えた、ポール・マッカートニーは既に70歳を超え、来年来日公演が予定されているザ・ローリングストーンズも、60代後半~70代前半だと考えると、島倉さんのファン層は、高齢者が中心だと思う。
その高齢者のファンにとって、聴きやすい音楽ツールはPCやスマホからダウンロードするのではなく、カセットテープやCDなのだ。
確かにPCやスマホを使ってダウンロードをし、iPodのようなツールで楽しむと言うのは便利だと思う。
しかし、その様な操作に慣れていない高齢者にとっては、自分に馴染みのあるツールで楽しむのが一番なのだ。
ツールの利便性、携帯性などが優位なのではない。
その音楽を聴きたい人にとって、どのツールが一番使いやすいのか?と言う点が重要なのだ。
その視点で考えると、最近の「モノづくり」は利便性や新しい技術などばかりに偏っているのではないだろうか?
しばらく前までよく言われていた「ユニバーサルデザイン・ユニバーサルサービス」というのは、身体的ハンディがある人達や高齢者を対象とした、特別なモノ・コトと考える傾向があるが、本来は違うのではないだろうか?
使う人が使いやすければ、例えそれが旧式で古くさいと思える物であっても、ユニバーサルなモノかも知れない。
そしてその様な人の存在を忘れないことが、市場の多様性を創るのではないだろうか?
島倉さんの優しいほほえみは、そんな問いかけをしているように思えた。
「東北復興」のプランの一つとして、「SL銀河」というプランがある。
JR東日本盛岡支社:SL銀河サイト
このSL銀河だけではなく、日本のローカル線には定期・不定期を含めいくつかのSLが運行している。
毎日運行しているのは、静岡の大井川鐵道だけで、他は夏休みなど期間限定となっているようだ。
そのSL運行だが、様々な問題を抱えているようだ。
一つは、メンテナンスの問題。
SLそのものが、とても古いためメンテナンスができる技術者が限られていたり、部品そのものが無かったりするようだ。
もう一つは、燃料費の高騰。
ご存じの様にSLは石炭を燃やして動く。
その石炭が高騰していることやメンテナンスという問題で、定期的に運行するコトが難しい、と言うことらしい。
多くのSLは、旧国鉄のローカル線で運行しているが、上述の大井川鐵道だけは私鉄だ。
その大井川鐵道が2年連続の赤字となっている。
理由は、震災の影響と観光バスの運行基準の変更だという。
震災の影響というのは致し方ないところもあるが、「観光バスの運行基準の変更」というのは、意外な気がした。
「観光バスの事故」が多発した為に、その運行基準の見直しがあり、「大井川鐵道のSL乗車」と言うバス旅行が減ったのが原因だそうだ。
確かに、名古屋発のバスツアーの中には「大井川鐵道のSLを楽しむ」というツアーがある。
その様なツアーバスが、減ったのが影響している、と言うことのようだ。
そこで気になったのは、なぜ「JR東海」が、その様なツアーを組まないのだろうか?と言うことだった。
大井川鐵道はJR金谷駅から始まる(SLの乗車は新金谷駅になる)。
JR金谷駅そのものを利用する人達と言うのは、近隣の静岡などに通勤・通学する人達くらいだろう。とすれば、利用者を増やす方法として大井川鐵道と共同して「旅行プラン」を創ると言う方法があると思う。
鉄道マニアだけではなく、SL乗車目的の旅行者にとっても目的地までのルートが確保されていれば、利用しやすいと思う。
「利用者を増やす」だけではなく、地域の活性化にもつながるのではないだろうか?
大井川鐵道のルートは昔懐かしいと感じさせる所も多く、SLに乗った後は日本唯一の「アプト式電車」というお楽しみもある。
JR東海側としては、新幹線の最寄り駅が「こだま」しか停車しない掛川駅なので、さほどメリットが感じられないのかも知れないが、「新幹線とSLと言う対照的な乗り物に乗り継ぐ旅」と言うのも、面白いと思う。
JR東海の様な大きな企業が、大井川鐵道の様な小さな企業と共同で「旅行プランをたてる」と言うのは、JR東海側としてはおもしろくないかも知れないが、「SLから新幹線」という鉄道の歴史の様なモノだと考えれば、その意味は十分あると思うのだ。
それはSLを運行する大井川鐵道に限らず、旧国鉄の路線であった第3セクターであっても同じだと思う。
旧国鉄時代「ディスカバー・ジャパン」というキャンペーンを展開した現JRグループだからこそ、第3セクターや特徴有る地方の電鉄会社と共同で旅行プランを提案するコトができると思うし、それが新しい「ディスカバー・ジャパン」になるのではないだろうか。