日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「嵐」というビジネスモデル

2019-01-29 19:37:19 | アラカルト

20数年ぶりに酷い風邪をひいてしまった。
ここ1週間余りは、ひたすら寝床で休むしか方法が無かった。
まだまだ本調子とは言い難い状態ではあるが、考え事ができる程度には回復してきた。

日曜日の午後、突然人気アイドルグループの「嵐」が、2020年12月末をもって活動を休止する、と発表した。
メンバーたちの間では、昨年6月ごろから活動休止の意思がまとまっていたようだ。
半年後の発表となったのは、仕事の調整などのタイミングの為だったのだろう。

「嵐」が所属している事務所は、ご存じの通りジャニーズ事務所だ。
そして事務所の先輩となるアイドルグループの一つに、SMAPがいた。
SMAPと嵐とを比較しても意味はないが、SMAPという「男子アイドルグループ」のビジネスモデルの成功が、嵐というアイドルグループに引き継がれた、といっても過言ではないと思う。
それは、グループとして売り出すだけではなく、メンバー一人ひとりを単体(という表現が良いか悪いかは別にして)として、ドラマなどの主役に抜擢させ一人のアイドルとしての人気も勝ち取る、という方法で主な活動をしてきたからだ。
特に、松潤こと松本潤さんはドラマ「花より男子(別名「花男」)」の主役・道明寺司を演じ、人気を決定づけたという印象がある。
そしてこのドラマの主題歌は、嵐が歌っていた。

ただSMAPと大きく違うのは、メンバーの活躍をする場所がテレビドラマやバラエティーという、アイドルと親和性の高い番組だけではなく、櫻井翔さんはニュース番組のキャスター、二宮和也さんは映画「硫黄島からの手紙」のような武骨な作品などへの出演を果たしている(その点については、V6の岡田准一さんも同じだろう)という点だろう。
そして、同じジャニーズ事務所のグループの中でも、メンバー全員が「アイドルと親和性が高い」とは言い難い分野で、成功をしているのか?と聞かれると、難しいのでは?という気がしている。
もちろん、V6の井ノ原快彦の司会進行役の安定感は「あさイチ」を降板されたとき、残念がる声が多かったことは、記憶に新しいところだし、TOKIOにしても、グループとして魅力的で、グループの魅力とは別にメンバー一人ひとりが個の魅力を持っている、といえるだろう。
ただ、そのメンバー一人ひとりの活動の範囲、という点では嵐ほどの幅広さは感じられないように思うのだ。

「嵐」としての活動は休止するにしても、メンバー全員が活動を休止するわけではないはずだ。
むしろSMAP解散後の稲垣吾郎さんや、草彅剛さん、香取慎吾さんたちのように、それぞれが得意とする分野で違った活動を始めるかもしれない。
おそらく、それくらいのポテンシャルを持っているメンバーなのでは?という気がしている。
だからこそ、このような「アイドルと親和性が高いとは言い難い分野でのビジネスモデル」が成り立っていたと思うのだ。

SMAPに始まり、V6やTOKIO、嵐と続いたビジネスモデルが、今後も続くのか?といえば、それは一概に言えないだろう、というのが率直な感想だ。
何故なら、メンバー一人ひとりに「その人らしさ」という、個性が求められ、本人たちもその自覚を持っていなくては、できないと思うからだ。
「嵐」の活動休止が、ジャニーズにとっての終わりの始まりとなるかもしれない。



「プライスレス」という価値

2019-01-20 19:52:43 | 徒然

先日、忌明けの手紙と共に品物が送られてきた。
手紙を拝読し、そして送られた品物をみたとき「プライスレス」とは、このようなものをいうのだな~と、感じた。

頂いたものは、亡くなられた方がお好きだったコーヒー。
そのコーヒーを出されていた店が、訃報を聞いて特別に焙煎されたコーヒーをご仏前に、と送ってこられたそうだ。
そのコーヒーのおいしさに、忌明けの品物として選ばれ、送られてきたのだった。

某クレジットカード会社のテレビCMで、「プライスレス」というキャッチコピーが使われている。
「値段」がないもの、という意味で使われているのだが、CMでは「大事な思い出には値段はない。その大切な思い出作りに当社のクレジットカードをお使いください」というのが趣旨となっている。
確かに「思い出」には、値段というものは付けようがない。
何故なら「思い出」そのものは、とても個人的なものであり、相場というような値段を決めるような場所や積算根拠となるものが無いからだ。

今回「プライスレス」だと感じたコーヒーには、「思い出」というものはない。
送ってくださったコーヒーそのものには、特別に焙煎されたとはいえ「値段」というものはある。
私が「プライスレス」だと感じたのは、亡くなられた方のことを思い、特別に焙煎をされたコーヒー店の店主さんの思いと、その思いを受けとられたご遺族の思い、そしてその二つの思いを私に届けてくださったように感じたからだ。

今回の忌明けの品として送られてきたコーヒーのみならず、これから先は「プライスレス」となるようなギフト商品が、主流になっていくのでは?という気がしている。
ギフトに限らず、商品そのものに「物語性があるか?」ということなのだ。
この「物語性がある商品」ということは、随分前から言われてきているが、現実には「物語性」よりも「有名ブランド志向」なのではないだろうか?

「有名ブランド」そのものには、ある種の「安心感」がある。
「(誰に差し上げても)失敗が無い」という安心感だ。
それは「ブランド力」の裏返しともいえる。
違う言い方をするなら「自分の審美眼」に対する自信の無さ、だともいえるかもしれない。

なんとなくだが、これまでの価値観が大きく揺らぎ始めているのでは?という気がするときがある。
「価値観の変化」といってしまえばそれまでだが、どのような時代であっても変わらないものがあるとすれば、それは「変わることの無い人への思い」ではないだろうか?
それが「プライスレス」という価値のような気がする。





時代の変化と共に変えていくのは、スポーツも同じ

2019-01-18 20:25:30 | スポーツ

横綱稀勢の里が、引退を発表した。
横綱となってから、怪我による休場が続いたうえの連敗では、辞めざる得なかったような気がする。
それだけ「横綱」という地位は相撲の世界では、厳しくも期待される力士だといえる。
ただ、一部では「日本人横綱」にこだわった相撲協会に潰された(といっては失礼だが)のでは?という、話も聞く。
相撲ファンではないので、なんとも言えないが、確かに今の横綱という地位にいる力士の出身地は日本ではない。
「国技」といわれながら、日本人横綱がいないという事実は相撲協会の焦りがあったのかもしれない。

横綱という地位にある日本人力士が活躍した時代は、いつの頃だっただろう?
ここ数年の相撲界の話題は、「暴力事件」ばかりが目立っていた。
それは時には「かわいがり」という名前で呼ばれることもあったが、傍から見れば「可愛がっている」のではなく「鉄拳制裁」のようにしか見えなかった。
同じようなことが、何度も繰り返され問題視されてきたにもかかわらず、変わることが無かった。

何故変わることが無かったのか?と考えると、「強くなるためには、暴力も必要」というような意識が、スポーツ界のあちらこちらにあったからではないだろうか?
確かに私が中学・高校の頃は、「炎天下でも水を飲むな」などという指導法が、一般的だった。
同様に「精神と肉体を鍛える為には、選手を追い込む必要がある」などという精神論的、指導も当たり前のようにされてきた。
その名残が、今でも大手を振って通用している、というのが現状なのかもしれない。
その顕著なスポーツが、相撲ということになるのかもしれない、と稀勢の里の引退のニュースを見て感じたのだ。

一方、世界を舞台に活躍する選手たちの多くは、上述したような「精神論」のトレーニングはしていないのでは?という、気がしている。
例えばサッカーなどは、プロのフィジカルトレーナーがついて、ポジションごとに必要なトレーニングをしているはずだ。
食事にしても、スポーツ専門の管理栄養士さんがついて、食事のメニューを作成したりしているし、既婚選手の奥さんなどを対象とした「料理教室」を開いているチームもあると聞く。
おそらく、テニスの錦織選手なども単身米国へ行った頃から、そのようなトレーニングのプロが技術面だけではなく、トレーニング全般のサポートをしてきたのではないだろうか?
そのような体制ができていなければ、世界のトップクラスの選手として活躍すること自体、難しくなっているというのが今のスポーツ界なのでは?

そう考えると、相撲界も部屋ごとの親方が指導するだけではなく、トレーニングや食事のプロのサポート体制を組む必要があるのでは?
それは「怪我をしにくい体づくり」にもつながっていくのでは?という、気がするのだ。

海外出身の力士と比べると、日本人力士の体は一昔前のお相撲さん(体形)という印象がある。
日本人力士・海外出身の力士と分け隔てなく、力士を育成するにしても日本人力士の足りない部分を補うようなトレーニングは、差別ではなく必要だと思うのだ。
今までの「稽古」を否定しているのではない。
「国技」であっても、時代の変化と共に「稽古」そのものを変え、食事などを含めたサポート体制を変えていかなくては、相撲そのもの魅力が無くなってしまうような気がするのだ。


「古典」を読むメリット

2019-01-16 13:40:47 | ビジネス

日経新聞のコラム・COMEMOに「古典を読まない学生(若者)を憂う」というタイトルがあった。
COMEMO:古典を読まない学生(若者)を憂う

「古典」とは、長い間読み継がれてきたいわゆる「名著」だ。
「名著」を読むことで、教養が身につくなどといわれているが、本当に教養が身につくのか?と、問われれば「読み方次第」ということになると思う。
大学受験の為に、古文を一生懸命読み、古語の活用を覚えた方は多いのではないだろうか?
その時読んだ古文の教科書に載っていた作品を、今どれだけ覚えているだろう?
あるいは、英語の授業でイギリスの詩人・ワーズワースの作品を暗唱させられた記憶はあっても、その詩の題名を覚えている方は、どれほどいらっしゃるのだろう?
私だけなのかもしれないが、高校の授業や受験の為に国内外の古典を読んだ記憶はあっても、何をどう読み・何を学んだのか?ということを、覚えているという方は少ないのでは?と、思っている。

そう考えると、学生時代に古典を読むことが重要なのではなく、どう読んだのか?とかそこから何を感じたのか?といったことが重要なのでは?という気がする。
「読み継がれる理由が分かる」ということだけでも、十分かもしれない。

NHKのEテレに「100分で名著」という番組がある。
拙ブログでも時折紹介したことがあると思う。
今月は「風と共に去りぬ」が取り上げられている。
そのテキストを読んだのだが、テキストを読んで気づいたことがある。
それはトランプ大統領の熱狂的支持者となっている、「忘れられた人々」のことだ。
「忘れられた人々」の中心となっているのは、米国の中西部の「旧穀倉地帯」と呼ばれた地域の人たちが中心だ。
そして「風と共に去りぬ」を読んでいくと、実はこの地域の人たちの多くは「風と共に去りぬ」が描かれた19世紀~作者マーガレット・ミッチェルが生きていた20世紀半ばまで「貧乏白人(あるいは「ホワイト・トラッシュ」)」と呼ばれていた人たちが、多く存在していた、ということに気づくのだ。

これまでメディアなどを含め、トランプ氏の熱狂的支持者は「1990年代以降の急激な時代の変化、ITなどによる技術的変化などについていけなかった人達」と捉えられてきた部分が強いが、もしかしたら潜在的な貧困地域ではないのか?ということに気づいたのだ。
とすれば、問題の本質は今論じられているような「新しい技術の習得や職業訓練」だけでは対応できない問題が根深くある、ということになる。

「古典を読む」ということは、おそらくこのような「今起きていることの本質を気づかせてくれる」、ということなのではないだろうか?
そのためには、大学受験や学校の授業で「古典を読む」ような方法ではなく、本の読み方そのものの技術のようなモノを身に着けるほうが先決のような気がする。


今更ながら「東京オリンピック2020」開催の意味を考えたい

2019-01-15 19:58:03 | 徒然

ここ2,3日ニュースで話題になっている、日本オリンピック委員会(JOC)会長の竹田恒和氏の贈賄容疑。
支払ったコンサルティング料を、コンサルティング会社が贈賄として使ったのではないか?その事実を知っていたのではないのか?というのが、問題の争点になっている。
そしてこの問題に関しての記者会見を今日、竹田氏が行った。
朝日新聞:海外メディア「かえって疑惑深まった」竹田会長の会見 (動画・音声あり)

「この会見は、余りにも短く説明にもなっていない」という指摘が、あるようだ。
竹田氏がどこまで知っていたのかは、この会見では分からない。
ただ、それよりも本当に2020年に東京オリンピックを開催の意味を、今更ながら考えてみたいと思っている。
何故なら、この誘致プレゼンテーションで、安倍さんは「東京電力福島第一原子力発電所事故は、アンダーコントロールされている」と、世界に向け話している。
この発言をした時は、アンダーコントロール状態どころか収束の目途もたっていないときだった。
もちろん「アンダーコントロール」の意味を「管理下」と捉えるのか?それとも「事故収束の目途がたち、着々と進んでいる状況にある」と捉えるのかで、随分違うが、少なくともあの当時は半径30㎞以内の地域は立ち入り禁止だったように記憶している。

それから来年にオリンピック開催を控えた今、避難地域となった自治体と住民に対して東京電力も政府も冷たい仕打ちを始めている。
東京電力側は、次々と住民との和解を打ち切り、政府は避難地域住民に対してのサポート打ち切りを打ち出している。
それはまるで「フクシマ事故などありませんでした」という、ポーズのようにも見受けられる。

2020年東京オリンピック開催が決まったときから、既に指摘されてきた「建築・土木関係の人材および重機などの不足」による、被災地復興の遅れは、ほぼ現実のモノとなり始めている。
それだけではなく、昨年全国各地で発生した様々な大規模災害の復興も、東京オリンピック関連に取られままならない状況にあるのではないだろうか?
昨年の大規模災害は、オリンピック誘致の時には分からなかったこととは言え、東日本大震災の被災地の中でも一番復興が遅れてしまっている「フクシマ事故」の避難地域については、誘致当時から想定されていたことだと思う。

2020年東京オリンピックのテーマの一つが「東日本大震災からの復興」だったと思うのだが、住民や被災自治体に対する東京電力や政府仕打ちは、「上っ面だけを整えた復興のポーズ」と揶揄されても仕方ないのではないだろうか?
(個人的には、次に控えている大坂万博開催もいかがなもの?という、気がしている。平成が終わろうとしているのに、このようなイベントを次々と誘致するのは昭和の高度成長期の経済のテコ入れ策を感じるからだ。)

竹田会長の贈賄容疑で、2020年東京オリンピック開催が中止されるとは考えにくいが、日産のゴーン会長逮捕に対する、報復目的が含まれていたとしても、今なぜこの時期にこのような問題が発覚したのか?
それを考えると、東京オリンピック誘致の時点で何らかの無理があったのでは?という気がしている。


いつも市場に商品が無くてはいけないのか?

2019-01-14 19:38:08 | ビジネス

朝聞いているFM番組中に、農業関連のニュースのコーナーがある。
そのニュースで「ジビエ」について、取り上げられていた。
ご存じの通り「ジビエ」とは、野生鳥獣の食肉のことだが、ここ最近では「獣害」対策の一つとして、積極的に使おうという機運が高まり始めている。
その意味では、農作物を荒らす猪や鹿を「ジビエ」として、市場に出していくということは、農家さんにとってメリットがある取り組みだといえるだろう。
実際、地方に行くと「ジビエ」を使った地域活性化策なども見かける。
「いのししコロッケ」や「いのししソーセージ」、「シカコロッケ」、「ジビエカレー」などだ。

そのような取り組みでどれだけの成果が上がっているのだろう?と、疑問なところもあるのだが、それよりも「安定供給」という点ではどうなのだろう?と、疑問に思ったのだ。
というのも、実家の父が知人から秋から冬にかけ仕掛け罠で獲った猪や鹿の肉を頂く、と話すからだ。
高齢の父にとって、いくら脂肪が少なくミネラル豊富で高たんぱくな「ジビエ」であっても、食べきれる量ではなく、結局ご近所さんに分けることになっているらしい。
名古屋に住む私からすれば、なんとももったいないような羨ましいような話だが、これらの猪や鹿の肉は通年を通してあるわけではない。
狩猟の時期に限定されるのはもちろん、そう簡単に仕掛け罠にかかるわけでもないようだ。
言い換えれば、極めて不安定な入荷物ということになる。

今の食品市場では「通年の安定供給」ということが前提になっている(ように思う)。
もちろん、季節の野菜や魚などはあるが、「食肉」となると畜産農家さんが高品質の食肉を安定的に供給する努力をしてくれている。
そのため、価格も通年の安定供給が可能となっている。
しかし「ジビエ」は、そのようなわけにはいかない。
冷凍技術が進歩しているとはいえ、狩猟シーズン以外での供給は難しいのでは?という、気がするのだ。
もちろん、「ジビエの6次産業化」により、様々な商品に加工するという方法はあるが、「ジビエ」本来の味を楽しむとなるとなかなか難しいのでは?と思っている。

とすれば、「市場に安定供給をする」という考えそのものをやめてしまう、ということも必要なのでは?という、気がしている。
余りにも便利になり、様々な商品が常に店頭に並んでいるのが当たり前、という時代に「出会いもの」と呼ばれるような商品が、スーパーなどの店頭に、地域限定で置かれるのも当然なのでは?ということなのだ。
逆に、そのような「ジビエ」を買い求め遠方から来るかもしれない。
むしろそのような機会を作り、地域外に発信していくことが、地域の活性化につながるのでは?ということなのだ。




VOUGEが「その服、必要?」と、問い始めた

2019-01-10 21:54:38 | アラカルト

VOUGEのサイトに、意外な記事があった。
VOUGE:気づいている?ファストファッションの裏にある真実

VOUGEといえば、言わずと知れたファッション誌の代名詞のような雑誌だ。
そのVOUGEのサイト内に、このような記事が掲載されビデオまで製作されている(記事の最後の方にビデオ映像があり)、というのは正直驚いている。
しかも対象としているのは、ファッションに興味を持ち出す10代だ。

ファストファッションの多くは、最低ロットでシーズン中に何度もその時々の流行をとらえながら作られていく。
プレタポルテと呼ばれる既製服のように、1年ほど前に作品を発表しオンシーズンになるまでに、相当数の服を生産し、それなりの価格で販売する、というわけではない。
それは、ビデオでも丁寧に説明されている。
というよりも、丁寧すぎるくらいに説明されているので、ファッション業界に興味のない方でも見る価値は十二分にあると思う。
ビジュアルだけではなく、使われている統計なども信頼があり、ファストファッションの問題点だけではなくファッション業界そのものが陥っている様々な問題にもフォーカスしている。

おそらくVOUGEが訴えたいのは、ファッションは様々な人によって創られている。
そのファッションを思う存分楽しむ為には、今まで目を背けていた部分にも注意を払い、自分で選択をするということを訴えたいのでは?と、感じている。
それは「ファッション」というものを知り尽くしているからこそ、賢く、おしゃれで豊かな感性を持った人になってほしい、というメッセージでもあるかもしれない。

2018年の冬シーズンから、話題になっていることがある。
それは欧州のブランドが、こぞって「毛皮の使用を中止」の発表をしている、という話題だ。
欧州のファッションブランドで、秋冬シーズンのコレクションには毛皮のアイティムは、必須だった。
それは防寒というだけではなく、華やかなイブニングドレスにより豪華に見せるアイティムでもあったはずだ。
その毛皮のから「エコファー」と呼ばれる、化学繊維によるファーアイティムをこぞって発表したのだ。

しかしその「エコファー」も、本当に「エコなのか?」という疑問が、指摘されている。
VOUGEのビデオには登場していないが、「エコファー」が海洋汚染で問題になっている「マイクロプラスチック」を生み出している、という指摘もされているからだ。
上述した通り、エコファーの原材料は、石油から生産される化学繊維だ。
その化学繊維を製造する過程はもちろん、製品化し服として商品化され、購入後洗濯などをすることによって、繊維がマイクロプラスチック化してしまうのだ。
「エコファー」と言いながら、決して「エコ」と言い切れないのが「エコファー」でもあるのだ。

そう考えると、私たちはファストファッションに限らず、クローゼットの見直しをする必要があるのかもしれない。
そんな提案をファッション雑誌の代名詞であるVOUGEが始めている、ということを考えると、ファッションそのものが大きな転換期に入り始めている、ということを感じるのだ。




情報を発信に、必要な力

2019-01-09 20:37:02 | ビジネス

雑誌「週刊SPA!」の特集記事が、炎上している。
ご存じの方も多いと思うのだが、その特集記事とは「ヤレる女子大生ランキング」というもの。
確かに、この手の特集記事というのは「週刊SPA!」に限らず、男性を読者層としている一般週刊誌などでも、組まれることがあった。
流石にここまで、あからさまなタイトルでは無かったように思うが、「世の男性は、このようなことばかり考えて生活をしているのか?」と、思うような記事は、今でも数多く見られるような気がする。

出版社は謝罪を発表しているが、今週発売の特集を見るとさほど反省というか、堪えているようには思えない。
扶桑社:SPA!1月15日発売号「儲かる副業 BEST31

第1特集がタイトルになっているので、このタイトルだけを見るとそのような印象はないが、第2特集は「既婚者合コン攻略ガイド」になっている。
赤をバックに白抜きの文字なので、第1特集よりも目立つレイアウトになっているような印象すらある。
ネット上で様々に言われつくされているので、あえてコメントをする必要はないと思うのだが、「この雑誌を購入する人は、常日頃このようなことばかり考えているのか?」と思われても仕方がないような気がする。
雑誌そのものの品位もあるが、読者の品位を疑われても仕方のない雑誌、ということになると思う。

この手の記事を得意とする雑誌は、以前からあったし今でもある。
だから、このような特集を組むコトが悪い、とは言い切れないのかもしれない。
ただ、このような記事を得意とする雑誌は、それを売りとしてきたので、当然読者も限られていたし、読者も「眉唾もの」として読んでいたのではないだろうか?
それが大手出版社が、若いサラリーマンを対象とした雑誌で堂々とこのような記事を掲載してしまう、というのは何故だろうか?

そしてこのような発想は何も男性に限ったコトではないようだ。
若い女性に人気の下着通販カタログ「ピーチジョン」も、カタログにけ掲載している「ラブポーション」という商品のキャプション(説明文)に、不適切な表現をしていた、として炎上騒ぎとなった。
ファッションスナップ・ドットコム:不適切表現で批判相次ぐ、ピーチジョンのラブサプリ「ラブポーション」販売中止に
詳細は、Yahoo!のトピックスなどにも取り上げられたので、ご存じの方も多いと思う。
批判が出てから、販売中止の判断がされるまで比較的早い印象があるのは、資本関係のあるワコールの判断によるものかもしれない。
おそらく、社長である野田さんであれば、判断は遅れたような気がする。

確かにピーチジョンの下着は、若い女性が可愛くセクシーに装うという提案をしてきた。
そのために、海外の有名ファッションモデルや若い女性に人気のグラマラスなタレントさんを積極的に起用し、人気となったブランドでもある。
もちろん、この時期には「ババシャツ」なども扱っているが、基本路線は「可愛くセクシー」だ。
それは、創業者であり現社長である野田さんの考えが、大きく反映しているのでは?という気がしている。
だからといって、このキャプションはないだろう、と炎上しているのだ。

ピーチジョンにしてもSPA!にしても、それなりの人たちがつくった雑誌やカタログのはずなのに、何故このようなことが起きてしまうのか?
おそらく、自分たちの「これっていいでしょ!」という感覚を、押し付けていることに気づかないからでは?という気がしている。
言い換えれば、市場となる人たちの気持ちや自分たちが市場と考えていない人たちが、「どう感じ・思うのか?」という想像力と、共感性が低いからなのではないだろうか?

共感性というのは、受け手側だけの問題ではない。
情報を発信する側にも受け手側が持っている共感性を感じなくては、受け手となる人達だけではなく社会全体から共感を得ることはできない。
「独りよがりな広告や記事」といってしまえばそれまでだが、情報を発信する側の感性がより強く求められる時代なのだと思う。




「宝島社」の1月広告が問いかけるもの

2019-01-07 19:10:51 | CMウォッチ

今朝、朝刊の中ほどあたりに「宝島社」の2面を使った広告があった。
「宝島社」の広告は、朝日、讀賣、日刊ゲンダイに掲載されていたようだ。
その広告について、Buzz Feed News が取り上げている。

Buzz Feed News :「嘘に慣れるな、嘘を止めろ、今年、嘘をやっつけろ」宝島社の広告に反響 

広告意図は、この記事にある通りだろう。
今世界中で「嘘(あるいはフェイク)ニュース」が無数に飛び交っている。
米国のトランプさんは、「自分の都合が良いことが真実で、都合が悪いものは全て嘘(フェイク)」とTwitterで、呟いている。
多くの米国民は、それが「嘘」であると分かっているはずだが、トランプさんのTwitterを見て、自分の持っている何かしらの不満のようなモノに対して溜飲を下している、という人達も少なからずいる。それが、トランプさんの熱狂的な支持者となっている。

トランプさんほどではないにせよ、自分の都合の良し悪しで、適当な小さな嘘を言う人は、周囲にもいるだろうし、自分自身も同じようなことをしていることはあるはずだ。
問題は、その「嘘」が多くの人を傷つけ、不信を呼び、社会に断絶を起こすまでになっている、という点だろう。
そして「その嘘」が、真実として捉えられ、間違った認識が広がることで、社会は大きく変わってしまう。
今回の広告の中でも、朝日新聞に掲載された「原油まみれの水鳥」の写真は、過去にあったタンカーなどの事故により、原油が流出する度に同じような写真を見てきた。
それが、「ある特定の国が故意に行ったこと」として、制裁という名の戦争の切っ掛けだったら。
真実かどうかを確かめることなく、戦争へと導く指導者が今多くなりつつある、という、問いかけをしている。
確かに、上述したようにトランプさんのTwitterは、「自分の都合が良い=真実。都合が悪い=嘘」という内容がほとんどだ。
トランプさんのように分かりやすい指導者であれば、まだしも世界中の指導者がトランプさんのように分かりやすい人物ではない。
むしろ、トランプさんのような指導者は少ないだろう。

彼らの多くは、市民が分からないように真実と嘘を上手に混ぜ合わせることで、「嘘を真実」のように見せかける。
それが、時には戦争を引き起こすことになり、「嘘」を信じた市民の多くはヒットラーの「全体主義」のような体制に飲み込まれ、場合によっては自ら「(結果として)嘘をつく」ことになる。
そのような危険性を、今回の「宝島社」の広告は訴えているのでは?という、気がするのだ。

記事にあるように、「宝島社」の広告は社会に問いかける広告が多い。
1980年代~2000年代のベネトンの広告を手掛けた写真家・オリビエーロ・トスカーニほどのセンセーショナルさはないが、広告としての役割である「社会に問いかける」という点では、「広告の力」をまざまざと見せつけていると思う。
そしてそのような広告を出す企業が、今ではほとんどなくなっている、というのも今という社会の姿なのかもしれない。


りそなHDの「核製造企業」への融資禁止が与える影響

2019-01-06 23:35:18 | ビジネス

Yahoo!のトピックスにも取り上げられていた「りそなHDの核製造企業」に対する融資禁止のニュース。
毎日新聞:りそなHD 核製造企業への融資禁止 大手銀初の宣言

このような「核製造企業」に対する投融資を制限・禁止するのは世界的潮流であるという記事も掲載をしている。
毎日新聞:核兵器製造企業 投融資、厳しい目 世界では329機関が55兆円 ICAN、リスト化で圧力

ICANは2017年にノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン」のことだが、唯一といってよい「原爆被爆国」でありながら、日本政府はこのようなキャンペーンに対して消極的という印象を持っている。
明確な理由を日本政府が発表していないので、あくまでも想像でしかないのだが、多くの人が感じているであろう「核の傘の下」という状況に日本が置かれているからだろう。
だからこそ、りそなHDがこのような宣言をしたコト自体、やや驚きでもあるのだ。

ICANが作成した一部リストにある企業名は、いわゆる誰しもが知っている企業名がほとんどだ。
そして、これらの企業に関わる中小企業は、とても多いはずだ。
リストに掲載されている企業以外に、どれほどの企業があるのかは分からないが、裾野の広い産業であればあるほど、経済的影響は大きいとおもわれる。
そしてそのような企業に対して投融資を行うということは、銀行側にとってもメリットの多い投融資先だといえる。
そのような企業に対してあえて投融資を行わない、という宣言の目的は何だろう?と、考える必要があると思う。

考えられることの一つは、「社会に対してリスクのある企業への投融資をしない」という企業姿勢を示す、という点だろう。
これから先、銀行をはじめとする金融業は、社会に対して公正な企業である、ということを示すことが多くの生活者(=市場)から信頼を得ることになる。
欧州の銀行などが、積極的に「社会リスクのある企業に対しての投融資をしない」ということを宣言するのは、目先の利益ではなく将来的社会の安定や生活者に対するメリットがある、と考えてのことだろうし、そのような企業姿勢が社会から大きな信頼を得ると考えているからだろう。
もう一つ考えられるとすれば、(実際のところは分からないが)日本の企業にはそのような投融資先が少ない為、余り影響がない、という判断もあったのかもしれない。

今や銀行に代表されるような金融業であっても、その投融資先がどのような企業であるのか?ということが、問われるようになってきている、ということを象徴しているような気がするし、そのような傾向は金融業だけではなく通信関連のような企業にも広がっていく可能性があるのでは?
そう考えると、りそなHDの今回の判断に追従する企業がどれほど現れるのか?それが、世界から見た日本の企業の新しい価値ような気がする。