日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

広告のことば考

2024-06-04 21:55:14 | マーケティング

朝日新聞のWebサイトで、連載掲載されている「Re:Ron」というシリーズがある。
拙ブログでも、時折取り上げさせていただいている連載記事だ。
最新公開された内容を読んでみて、改めて「広告とことば」ということを、考えさせられた。
朝日新聞:メディアはメッセージ 古びぬマルクハーンの言葉、AI時代への警告 

この「メディアはメッセージ」という言葉は、マルクハーン自署の中で使われたことばのようだ。
そしてこの言葉を使った本は、60年ほど前に刊行されている。
当時の主なメディアと言えば、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌だろう。
その中でも、日本ではテレビそのものが普及し始めた頃で、1964年の東京オリンピックを契機に、白黒テレビの所有世帯が急激に増える、という「媒体」としては、新しい媒体だった。
「白黒テレビ」と聞いて、違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれないのだが、「カラーテレビ」が普及するのは1970年代に入ってからのことだ。
そう考えると、1964年に発刊されたということに、大きな意味があるのでは?と、感じられる方もいらっしゃるのではないだろうか?

日本における1964年頃のテレビCMは短くて5秒、長くて1分と言われていた。
その為CMにお金を掛けたくない企業は、5分のテレビCを数多く流すようになった。
それが「商品連呼型」と言われるCMだ。
商品を覚えてもらいたいがために、短いCM時間に商品名を連呼する、というCMが数多くあった。
結果として、視聴者から放送局に「うるさくて困っている」というクレームが度々送られてくるようになり、5秒のテレビCMは無くなってしまった。

ここで改めて考えたいのは、マルクハーンの「メディアはメッセージ」という言葉だ。
わずか5秒のテレビCMでは、「メッセージ」を伝えることはまず無理だろう。
それが15秒となると、一番伝えたい内容のCMはつくることはある程度できるはずだ。

しかし今現在のテレビCMを見て「企業や商品・サービス」についての、メッセージが伝わっているのか?というと、疑問に感じることが多い。
特に、Web広告と呼ばれるモノの中には、「眉唾モノだな~」という印象を与えかねないモノも少なくない。
利己的な広告が増えているのでは?と、感じている。
Webだから、テレビだから使う媒体が違っていても、「何を伝えるのか?」という考えは、変わることはないはずだ。
何故なら、広告は何かしらの媒体を使い、商品やサービスの存在を伝えることだからだ。



松坂屋の看板が無くなる

2024-05-28 19:55:50 | マーケティング

朝日新聞のWebサイトを見ていたら、松坂屋名古屋店の「看板とロゴが無くなる」という、記事があった。
朝日新聞:さよなら「松坂屋」の名物看板 名古屋・栄に71年、来月取り外し 

名古屋周辺にお住まいの方にとって、松坂屋という百貨店はいつの時代でも「名古屋の百貨店」という位置づけなのではないだろうか?
何故なら、松坂屋の創業の地が名古屋だからだ。
そして看板を見てロゴが「松坂屋」ではなく、「藤」という文字である、ということに気づかれる方もいるだろう。
実は、松坂屋の創業者は伊藤祐民(いとうすけたみ)が、呉服店を開業したのが始まりだからだ。
ただし、当主の名前は「伊藤次郎左衛門」という名前を引き継ぐことになっている。
いずれにしても、代々「伊藤家」が、松坂屋を引き継いできたということを象徴するのが、あの「藤」のロゴという訳だ。

1980年代後半から1990年代初め、マーケティングを担当されてきた方ならよくご存じだと思うのだが、1980年代後半から1990年代初めのころ、多くの企業CII(コーポレート・アイデンティティ)という考えを導入し、それまでの漢字表記のロゴをカタカナやアルファベット表記にする、ということが行われた。
今ではすっかり聞くコトが亡くなったCIだが、企業イメージを一新させ、企業の情報発信を積極的に行い、親しみを持ってもらうという、趣旨で盛んにおこなわれたのだ。
例えば「石川島播磨重工」は「IHI」となり、それまでの「重工業」という企業イメージを一新させることに成功した。
トヨタ自動車等は、自動車等に付けるロゴを変更しても、社章を含め正式な企業ロゴは以前のままにした、という例もある。
もちろん石川島播磨重工とトヨタ自動車では、業種が違う為に対応そのものに違いがあるのは、当然と言えば当然だが、そのような時代の流れの中にあっても、百貨店の多くは創業時のロゴを使い続けていたところが多かったように思う。
「松坂屋」しかり「伊勢丹」、「三越」等だ。

その「松坂屋」の中でも創業の地である名古屋店の看板を取り外す、というのは、大きな決断だったのでは?と、想像する。
もちろん、周囲に高い建物が立ち並ぶようになり、看板を掲げている本館が周囲から見えにくくなった、という事情があるとしても、「看板を取り外す」という意味は、それ以外の理由もあるのでは?と、勘ぐってしまうほどの出来事のように受け止められるのでは?という、気がしている。

地方の老舗百貨店が次々と閉店に追い込まれ、クラシックな建物が取り壊され、街の姿が変わるようになっている。
時代の変化、生活者の変化と言ってしまえばそれまでなのだが、百貨店がその地域で果た役割を考えると、「経済と経営という面で考えれば、当然のこと」ではあるが、一つの社会文化が失われるようなモノも感じる。
その社会文化の象徴の一つが、看板でありロゴであったはずなのだ。
上述したように「松坂屋」は、名古屋の百貨店の顔だ。
その看板を取り外した時、「松坂屋」には、どのような変化が起きるのか?変化が起きないのか?興味があるところでもある。


データを疑う大切さ

2024-05-07 18:29:20 | マーケティング

やっと明けたGW。
どこかへ出かけられた方も、多かったのではないだろうか?
そしてこのGW中に、ある調査が発表されていた。
それは、「岸田内閣支持率」だ。
TBS NEWS DIG:【速報】岸田内閣の支持率29.8% 前回調査より7.0ポイント上昇 5月JNN世論調査 

このニュースを見た時、「一体今の岸田内閣で、支持率が上がる要素がどこの有るのか?」と、疑問符ばかりが頭に浮かんだ。
おそらくそのように感じた方は、私だけではなかったようで、ヤフコメ等でも同様のコメントが数多く見られた。

それだけではなく、この世論調査を実施したのがTBSであり、関連メディアである毎日新聞での同様の調査では、フジサンケイグループ(産経新聞とフジテレビ系)や讀賣新聞系列(讀賣新聞と日本テレビ)といった「保守系メディア」と呼ばれるメディアの調査よりも、厳しい支持率を発表していたからだ。
同じ系列のメディアでありながら、随分と違う世論調査結果に、違和感を覚えた。

ただ、この世論調査を実施した期間を見て、何となくわかった気がしたことも確かだ。
調査機関が、GW真っただ中の5月4日(土)と5月5日(日)だったからだ。
今年のGW期間中の中でも、この両日は、天候も良く絶好の行楽日和だったはずだ。
いくら携帯電話を含めた電話調査であったとしても、行楽に出かけている人達が、このような世論調査に答えるだろうか?
とすれば、固定電話はもちろん携帯電話で回答をした人達も、相当限られたライフスタイルの人たちだったのでは?と、想像て着る。
言い換えれば、これまでの厳しい内閣支持率を出してきた時と、調査条件は同じでも、回答する人達のライフスタイルが違う人たちであった、と考える必要があるのでは?ということなのだ。

GW中、「行楽に出かけない人達=自民党支持者」というのではなく、諸般の事情により世論調査に答えやすい環境にあった人たちの中に、自民党支持者が多かった、と考える必要があるのでは?
ではそのような層とは、どんな人達なのか?
まず真っ先に考えられるのは、以前から自民党の支持基盤となっている人たちが、偶然多かった。
そもそも、回答率が50%未満で、人数も1013人という、決して高くない数字である。
もし回答率が60~70%で、人数も5000人位あれば、ある程度「国民からの支持」ともとらえることができると思う。
決して低いとは言い切れないが、だからと言って信頼で回答数なのか?と言われると、微妙なところだろう。

そのように考えると、この世論調査がこれまでの世論調査と同じように考えてよいのか?ということになる。
マーケティングという視点で考えると、データとして疑うべき数字という気がする。



 


「ブライダルマーケット」という市場をつくった、桂由美

2024-05-01 11:42:13 | マーケティング

昨日、ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんの訃報が、伝えられた。
桂由美さんと言えば、思い浮かぶのは「ウエディングドレス」だと思う。
実は、ウエディングドレスを専門に行うデザイナーは、欧米のファッション業界では珍しい存在である、ということを知っている方はどのくらいいらっしゃるのだろうか?
ファッション関連のお仕事に就いている方なら、ご存じだとは思うのだが、一般的には余り知られていないのでは?と、考えている。
というのも、毎シーズンパリやミラノで発表されるファッションコレクションで、発表するデザイナーにとって、発表する最後に登場するのが「マリエ」と呼ばれる、ウエディングドレスであり、そのウエディングにデザイナーが一番表現をしたいエッセンスを盛り込んでいるからだ。

発表された「マリエ」によって、ウエディングドレスの傾向が分かるのは当然だが、これらのデザインを基に多くの花嫁となる女性はウエディングドレスを注文するからだ。
その意味で、ウエディングドレスを仕立てる(あるいはレンタルをする)洋装店はあっても、ウエディングドレスだけを専門にデザインをし、販売をするというで企業は、見られないからだ。

そして、桂由美さんの知名度が上がるにつれ、日本の結婚式も変わり始めたような気がする。
例えば、結婚式場や結婚式場の情報誌等の表紙は、ウエディングドレスを着ているモデルが、一般的だ。
しかし、50年ほど前であれば、文金高島田の和装の花嫁の方が、多かったという印象を持っている。
まして地方であれば、花嫁支度を自宅で行い、仲人さんに手を取られ家から出て、ご近所の方々からお祝いの言葉を掛けられ、式場に向かうという花嫁さんも、少なくなかった。

そのような光景が見られなくなったのは、結婚式場という専門の場所やホテルウエディングが一般化した為だろう。
と同時に、和装で結婚式を挙げた後、披露宴でウエディングドレスを着る、ということも定着した。
バブル経済真っただ中の頃等は、結婚式では白打掛→披露宴で色打掛→ウエディングドレスへ着替え→カラードレスで来賓のお見送り、というパターンが一般的だった。
もっとも、派手な結婚式と揶揄された名古屋なので、他の地域では違うかもしれない。

バブル経済前から、芸能人やスポーツ選手の結婚式では、都内の有名な教会での「チャペル結婚式」が、度々報道されていたこともあり、その時代時代の憧れの一つが、ウエディングドレスであった、ということもある。
そのような「日本人の結婚式」の姿を変えた人物人が、桂由美さんであった、ということには間違いないと思う。
と同時にそれは日本に「ブライダル市場」という、市場を創ったと言っても過言ではないのでは?と、考えている。

何故なら、「ウエディングドレス」のみのファッションショーを開き、それが結婚式場やホテルの「ウエディングフェア」というカタチで、模擬披露宴体験を提供することで、「結婚式から披露宴、引き出物」に至る、「結婚式に関連する様々なサービスと物販をセット販売」するという、今では当たり前になった「ブライダルビジネス」をつくり上げることに多大な影響を与えることとなったからだ。
そこには、結婚式情報誌に様なモノも含まれている。

「ブライダルビジネス」全てに桂由美さんが、関係していたわけではないが、この日本特有の「ブライダルビジネス」を具現化する切っ掛けを創り、普及させること(=「ブライダルマーケット」)をつくった一人なのだと考えている。


GWの過ごし方から考える、今の日本経済

2024-04-26 22:32:42 | マーケティング

今年のGWは、最長10連休だという。
これほど長い休みとなると、海外旅行へ行く人も多いのか?と、言うと決してそうではないらしい。
朝日新聞:GWの過ごし方、海外旅行は1% 予算は横ばい平均2万7857円 

海外旅行に行く人が少ないのは、円安ということも影響しているのだろう。
昨日は1ドル155円だったと思うのだが、今日はそれよりも安い156円台まで下がった、というニュースがあった。
日々日本の円の価値が下がっていくようなニュースを見ていれば、海外旅行に行くことも躊躇するだろう。
今の日本経済の状況を「新興国並み」と、揶揄する人が出てくるほど、世界経済の中で日本の円は弱くなっている(という印象がある)

そして、朝日新聞の記事を読むと、今の日本経済の壊滅的な状況を実感するのだ。
というのも「家でのんびり過ごす。外食。近所のショッピングモール等で買い物」という、過ごし方が上位にきているからだ。
確かに、現在の円安傾向を受け、日本の有名観光地はどこも「オーバーツーリズム」のような、状況になっている。
有名観光地だけではなく、広島等では「お好み焼き店」に地元の人が入れないほど、海外からの観光客が押し寄せている、と話題になっていた。
FNNプライムオンライン:オーバーツーリズムでお好み焼き店が苦渋の決断・・・金曜の夜は「県民の日」“常連客”の居場所を守る【広島】 

確かに、広島名物として「お好み焼き(広島焼き)」は、全国的に有名だ。
今は、ネットで情報が拡散されると、それは世界規模に広がっていく。
結果として、今回のような事態に発展してしまったのだろう。
そして、今までのような「観光旅行」ではなく、「日本の生活を体験する旅行」へと、変化している、ということもわかる。
「コロナ禍」で、客足が遠のいた飲食店等は、海外からの観光客は歓迎すべきなのだろうが、このような問題が発生する背景を考えると、決して手放しで喜べる状況ではない。
円安ということは、日本全体が安くなっている、ということでもあるからだ。
それは、国内における日本経済の沈下状況にある、ということでもある。
だからこそ「新興国になってしまった日本」と、揶揄する人も出てくるのだろう。

注意すべき点は「新興国」は、これから先発展していく要素があるが、果たして今の日本に「発展していく要素」があるのか?という点だ。
昨日エントリしたように、将来的に消滅する可能性のある自治体が744もある状況なのだ。
人口が減る、というだけではなく、現役世代が極端に減ることで日本の生産性は、今まで以上に落ちてしまう。
それが今年のGWの過ごし方にも現れ始めているような、気がしてくるのだ。
生活者が自由にレジャー等に使えるお金が少ない、ということは、それだけ生活にゆとりがなくなってきている、ということでもある。
そう考えると「新興国」ではなく「衰退国」なのでは?という気すらしてくる。





もはや「sushi、tennpura、sukiyaki、syabusyabu」だけではない、日本料理のグローバル化が示すこと

2024-04-03 12:50:01 | マーケティング

今朝、FMを聴いていたら、英国のオックスフォード英語辞典に、23の日本語が追加された、という話題があった。
東京外国語大学:本学教員が協力しオックスフォード英語辞典に新たに23の日本語由来の語が追加 

日本の大学が、協力しているのだから日本語由来の言葉が、追加されるのは当然だろう、と思われる方もいらっしゃるかもしれない。
日本の大学が、オックスフォード大学に売り込んでいたのであれば、そのようなことになるのかもしれないのだが、例え売り込んでいたとしても、オックスフォード大側からの要請が無ければ、追加されることも無かったはずだ。
そう考えれば、海外で「日本語由来の言葉が、広く一般的に使われるようになってきている」と、考える必要があるだろう。

追加された23の言葉の中でも特に目立つのが、「日本食」に関する言葉が多く追加された、という点だろう。
「カツ(とんかつ)、お好み焼き、たこ焼き、おにぎり」等、いわゆる「大衆的な食べ物」が追加されたということは、それだけ日本の大衆的な食べ物を、海外の人達が食べる機会が増えている、ということでもある。

もう一つ考えられることは、インバウンドとの関係だろう。
来日する観光客の中には、これまでのような「寿司、天ぷら、すき焼き、しゃぶしゃぶ」のような、有名な日本食ではなく、居酒屋や大衆的な食堂で食べる機会が増えた、ということでもある。
「おにぎり」が含まれていることを考えるなら、海外からの観光客がコンビニを利用することが、当たり前になりつつある、と考えてもよいかもしれない。

これは、通り一遍のお仕着せのツアープランではなく、より自由に日本の街中を歩く「体験型観光」へと、変わりつつあるのでは?ということだ。
そのことを示すように、今回追加された日本由来の言葉の中には「金つぎ」や「三徳」という言葉も追加されている。
むしろ「金つぎ」や「三徳」という言葉を知っている日本人がどれだけいるのか?と、疑問を感じないわけではないほど、日本人であっても生活の中で馴染みがあるとは感じられない言葉も含まれているからだ。
稚拙な説明をすると「金つぎ」とは、割れてしまった陶器類を金で継ぎ合わせる技法のこと。
「三徳」は、「三徳包丁」のことを指している。
「三徳包丁」というよりも、一般家庭で使われている野菜も肉や魚も調理できる包丁のことだ。

「金つぎ」は、日本人の「ものを大切にする生活」ということを感じているかもしれないし、日本に古くからある「アップサイクル」の考えを評価され始めている、ということにもなるかもしれない。
反対に「三徳(包丁)」は、日本人の合理性、利便性の発想ということになるかもしれない。

このようにオックスフォード英語辞典に追加された、日本由来の言葉を多額的視点で考えることで、自分たち(の地域)にあったインバウンドということが見えてくるのでは、ないだろうか?
オーバーツーリズムで問題になっている京都等を見て、「観光地が無いからインバウンドは無理」と考えるよりも、オックスフォード英語辞典に追加された日本由来の言葉から、地域の資産の見直し・洗い出しをすることで「主要都市からアクセスが不便だから、インバウンドは無理」という発想から抜け出すことも可能だと考えている。



なぜ問題のある人物を起用したのだろう?‐キリン「氷結無糖」CM‐

2024-03-13 20:14:51 | マーケティング

昨夜辺りから、ネットで話題になっていた、キリン「氷結無糖」のCM。
朝日新聞:キリン、成田悠輔氏起用の広告を削除「高齢者は集団自決」発言で

私が目に留まった話題は「#キリン不買運動」という、ハッシュタグが上位にあったからだ。
一体キリンの何が不買運動にまで発展したのか?と思い、トピックスを見て見ると、キリンの酎ハイ「氷結無糖」のCMに成田悠輔氏を起用したことによる、不買運動の呼びかけだった。

ご存じの方もいらっしゃると思うのだが、成田悠輔氏という人物はテレビ等でコメンテーターとして活躍をしている傍ら、米国のアイビーリーグの一つ・イェール大でも教鞭をとっているらしい。
「らしい」という表現をさせていただいたのは、助教授(あるいは准教授)と日本では紹介されているが、本当は助手なのでは?と、この話題が出る前、SNSで取り上げられていたからだ。

とはいっても、米国のアイビーリーグの一つであるイェール大の教師であるのなら、それはそれで立派なことだと思う。
思うのだが、この方が世間的に有名になったのは、今回の不買運動に繋がる暴言を2021年に、しているからだ。
その暴言とは「高齢者は集団自決をすれば良い」という内容のモノだった。
Diamondon-line:成田悠輔氏「高齢者は集団自決」発言を“例え話”と笑っていられない理由 

この発言そのものは、2021年ネットテレビの番組内での発言だったのだが、その後でこの番組での発言が問題となった、という時間的経過がある。
経済学者とすれば、「生産性が低いのに社会保障費の金食い虫=高齢者」ととらえての発言だったのかもしれない。
確かに、人の一生のうちで一番社会保障費(特に保健費等)を一番使う年齢は、70代以降と言われている。
特に後期高齢者と言われる年齢に達すると、その額は跳ね上がるとも言われている。
財政が厳しい状況の中、社会保障費の削減を考えるのであれば、乱暴な言い方だが、高齢者を減らすしかない、という発想になったのだろう。
それがテレビ受けを狙って、あのような過激な発言となったのかもしれないが、暴言であったことには変わりない。

一つ解せないのは、昨年この「高齢者集団自決」発言は、相当話題にもなり問題視された発言だったからだ。
キリン側が何故、このような問題発言をした人物をCM起用したのか?ということが、不思議で仕方なかったのだ。
CMそのものは、広く世間に知らせるだけが目的ではない。
商品を数多くの人に知ってもらうのは、当然だが、CMの役割には「企業イメージアップ」という狙いもある。

だからこそ、過去に問題発言をしていないか?様々なハラスメントで訴えられていないか?訴えられていなくても、日ごろの発言にハラスメントととらえられても仕方ないような発言はないか?等の調査をしたうえで、CMに起用するはずだ。
10年、20年前の話であれば、分からなかったこともネット時代になり、簡単に検索することができるようになった。
とすれば、過去にこのような発言をし、世間から相当批判された、ということくらいキリンの担当者も知っていたはずだ。
もし知らなかったとすれば、このCMを企画した代理店側にも問題がある、ということになる。
広告を削除したからよかった、という問題ではなく、このCM企画を通してしまったことの方が、問題なのだ。
何となくだが、最近このような「なぜ?」と感じる広告が増えてきている気がする。
このような「広告」が増えるということは、代理店側もクライアント側のマーケティング担当者の能力不足、ということだと思う。


様々な業種が参入し始めた「ランドセル市場」

2024-03-07 21:25:16 | マーケティング

3月に入り、公立高校の卒業式が先日行われた(名古屋の場合)。
卒業式の後にあるのは、入学式ということになる。
私が子供の頃は、女の子は赤いランドセル。男の子は黒いランドセルという選択肢しかなかったが、最近ではとてもカラフルになってきている。
時折見かける小学生のランドセルは、赤いランドセルよりもピンクや淡い紫、水色と言ったパステルカラーから、こげ茶や濃紺と言ったダークカラーまで、色とりどりだ。

そして人気のランドセルは、入学する前の年のGW頃に購入しないと、お気に入りのランドセルが購入できないらしい。
なぜGWなのか?と言えば、祖父母がランドセルを購入する資金を提供してくれる為らしい。
確かに、最近のランドセルは高額な印象がある。
それだけではなく、教科書等のサイズがA4になったため、30年ほど前よりも一回り位大きくなっている。
小学一年生の小さな体では、大きなランドセルを背負うのも大変だろう。
教科書の大型化だけではなく、教科書の代わりにタブレット端末を使うということになると、ますます背負うのが大変になるかもしれない。

そんな「ランドセル市場」に変化が起きている。
「ランドセルの製造メーカー」以外からの参入が相次いでいる、という点だ。
京都の同志社大学に付属小学校が新設された時は、一澤信三郎帆布のキャンバス製のランドセルが起用され、話題になった。
話題になったのは、キャンバス製のランドセルという点ではなく、お家騒動だったのだが、有名私立大学付属小学校が一般的(?)なランドセルではなかったことでも、話題になったと記憶している。

その京都には、元々「ランリュック」と呼ばれる軽量なランドセルのようなリュックサックがある。
「ランリュック」を発売した頃は、採用する小学校も少なかったようだが、徐々に人気となり今では同様にタイプの「ランドセル」を採用する自治体も増えてきているようだ。

それが「教科書の大型+重量化」により、これまでのランドセルメーカー以外の企業が、「軽量・安価」を謳うランドセルを次々と発表している。
例えば、登山やトレッキング用品を製造・販売している、モンベル。
子供服の製造販売を手掛ける、ファミリア等だ。
モンベル:わんバッグ14 
ファミリア BOLG:ランドセル 

そして満を持して?という訳ではないだろうが、作業着等の製造販売を行っている、ワークマンが今年参入を始めた。
FASHIONSNAP:ワークマン初のランドセルは税込み8,800円、「低価格・高機能・軽い」バランス重視の開発の裏側 

先日発表された、昨年の新生児の誕生は過去最低だった。
ということは、「ランドセル市場」そのものは縮小の傾向にある、と考えてもよいはずだ。
にもかかわらず、新たに参入する企業があり、その共通となるキーワードが「軽量」だ。
モンベルの場合、ランドセルの販売を発表した直後から、「大人のランドセルが欲しい」と、要望が多くあり現在では「大人のランドセル」も販売するようになった。

ピカピカの1年生だけを「ランドセル市場」として見ると、市場そのものは縮小していくことが目に見えている。
しかし、体の小さな小学一年生の体に負担のかからない「ランドセル型カバン」と視点を変えると、その市場は変わってくる。
新に参入している、異業種はそのような視点で市場を見ているのかもしれない。


インバウンドと文化、そして震災

2024-03-03 22:01:54 | マーケティング

Huffpostを見ていたら、「震災と祭り」というテーマの記事があった。
正しくは、過疎が進む地域に残る伝統的祭りと震災、というテーマになるのだと思う。
Huffpost:「過疎地に国力を注ぐ必要はない」って、本当ですか?反論に続々と思いが集まった【能登半島地震】

1月1日に発生した「能登半島地震」だが、復興までの道のりはまだまだ遠いはずだ。
というのも、13年前に発生した「東日本大震災」ですら、復興という状況とは程遠い、と指摘されているからだ。
「東日本大震災」の場合、確かに「東京電力福島第一原子力発電所事故」という、これまでの災害とは違う事故が発生しており、同じように考えるべきではない、という方もいらっしゃると思うのだが、「一度衰退した地方の復興は難しい」という点では、同じ問題を抱えているのでは?と、考えている。

その最たるものが「地域の伝統的な祭り」なのでは、内だろうか?
「福島第一原子力発電所事故」により、全地域が避難地域とされた相馬には「相馬馬追い」という、勇壮な伝統的祭りがあった。
しかし、全地域が避難地域とされたため、地域住民がバラバラとなり避難地域から外れた今でも、かつてのような「相馬馬追い」ができない、という状況にあると聞く。
理由は、一度離れてしまった住人が「祭りに参加しにくい」という状況にある、ということだ。
地域の中で伝統的に守られてきた「祭り」は、「祭りの準備」という段階から、その地域全体が「祭りに参加する」という、ある種の連帯が自然に生まれ、それが祭りというカタチとなっているからだ。

そしてこのような「地域に根差した伝統的な祭り」は、海外からも注目されるようになってきているはずだ。
というのも、以前のような「爆買い」のような観光から、「体験型」へと旅行の目的が変わりつつあるからだ。
その最たるものが「伝統的な祭り」ということになるのではないだろうか?

この「伝統的な祭り」こそ、都市部では見ることができない「日本文化の体験」であり、欧州の富裕層にとっては「体験したい旅行先」となりつつあるのでは?と、感じている。
それは、昨年父の介護の為に一時帰省した11月の「出雲大社・神迎え」の頃に見た、海外からの観光客の姿があったからだ。

確かに、過疎地となってしまっている地域で震災が発生すれば、「既に人が減っている地域に、膨大な予算をつけ、復興する意味があるのか?」という指摘があっても、おかしくはない。
特に都市部で生活をする人達からすれば、「当然の指摘」だと思うだろう。
だからこそ、考える必要があると思うのは、「日本の伝統文化の継承は、誰がするのか?」ということなのだ。
それは「伝統工芸」と呼ばれるモノだけではなく、「伝統文化」も同じなのだ。

そう考えると、「伝統文化の観光化」ではなく「伝統文化を地域資産と考え、地域経済の一つの柱」と考え、振興するということは「地域の精神的復興」と言えるのではないだろうか?


「弱い」ことに共感する -Z世代考‐

2024-02-14 22:09:51 | マーケティング

朝日新聞のWebサイトを見ていたら、「Z世代」についての記事があった。
朝日新聞:Z世代に響かない既存の報道や運動、個人主義でメディア不信 

まず、「Z世代」となる年齢を確認しておきたい。
一般的には10代後半から20代前半の若者を「Z世代」と呼ぶ傾向がある。
と言っても10年位の年齢幅があるので、それを一括りにしてよいのか?という考えもある。
記事にある通り、Z世代と呼ばれる若者たちは、生まれた時からデジタルツールが自分の周囲に溢れ、抵抗なくそれらのデジタルツールを使いこなす。
その意味では、見出しにある通り「デジタルツールから得られた情報や価値観」によって、成長してきた世代と言えるかもしれない。

「デジタルツール」が身近にあることで、マスメディアと呼ばれる既存メディア以外からの情報を得やすい、という点は見出しにある通りだ。
おそらく彼らの情報の元となるのは、InstagramやTikTokが中心なのでは?と、想像している。
ご存じの通りInstagramやTikTokは、あくまでも個人が情報発信するSNSであって、新聞社やテレビ等の既存メスメディアが発信しているモノではない。
言い換えれば、情報そのものが「個人」のモノであり、既存メディアが発信をするような社会的な問題や動きには、感心が低い、ということになるだろう。

とはいえ、社会人となればそのような「個人」の情報発信だけでは、仕事を含め社会の中にいることは難しいだろう。
その逃げ道(と言っては語弊があるが)として、今後ますます「自分と同じ人」が発する情報に触れたい、という気持ちになっていくのでは?と、想像することができる。
その理由が「自分と同じ=共感性」ということになるのかもしれない。

それは、社会に出ると暗黙の圧の一つになる「強さ」ではなく、「弱い自分に対する肯定」なのではないだろうか?
人は誰しも強いところばかりではない。
TPOに合わせ、時には強い自分を演じ、素に戻れば弱い自分の存在を認めているのではないだろうか?
そのような「弱い自分の存在」を出せる場所が、Z世代にはない、ということなのか?そのような場所を見つけられない、というのが今の状況なのかもしれない。

そう考えると、最近時折見かける「ちいかわ」のようなキャラクターは、彼らにとって「癒し」の存在なのかもしれない。
筋骨隆々の勧善懲悪なストーリーが目立っていた少年ジャンプなどでも、「東京リベンジャーズ」の主人公は、強いというよりもどこか弱さを感じるキャラクターが登場するようになってきている(と言ってもアニメ版をTverで少し見ただけなのだが)。
「不良が主人公のマンガ」と言っても、これまでのような勇ましさを感じないのだ。
それが、Z世代の一つの価値観だとすれば、「弱さ」は決してネガティブなことではなく、時には「自分を守る」ポジティブなことへと変化していく。

彼らの価値観がどのように変化していくのかは分からないが、これまで「強さ」ばかりが強調されてていた価値観から「弱くても自分らしくある」という価値観が主流となっていくかもしれない、と感じるのだ。