毎月、NTTから送られてくる請求書を見ていたら、「おまとめ請求」というご案内文があった。
しかも、毛筆調の縦書きのご案内文。
文章を読む前に、縦書きの手紙が入っているコトに気づいて「え! NTTから縦書きの手紙を送られる様なコトをしたかな?」と、一瞬不安になった。
と言うのも、最近縦書きの文章を読むと言うことがほとんど無く、送られてきても大体香典返しのご案内だったりするからだ。
プライベートでいただく手紙でも、縦書きよりも横書きのほうが多く、「縦書き=特別なこと」 という気がしたからだ。
確かに、NTT側からすれば「特別なご案内」なのだと思う。
しかし、ユーザー側からすれば、わざわざ縦書きのしかも毛筆風のフォントで送られてくる程の内容とは思えない。
「何だろう?」と思って急いで読む、と言うトコロまでは、NTT側の意図に沿ったコトだと思うのだが、その文面を読んで「毛筆調の縦書きにする程の内容?」と思ってしまうトコロまでは考えてはいない様に思う。
何より「今更、おまとめ請求のお勧め」ですか?と言う気がするのだ。
おそらく「おまとめ請求」を積極的にしていたのは、KDDIだったと思う。
それも、随分前から「おまとめ請求」のキャンペーンを展開していた。
KDDIは元々電力系通信会社と提携関係にあり、その関係から携帯電話のauとの「おまとめ請求」を進めていた。
実際、auを使っているから電力系通信会社とネット契約をしている、という友人もいる。
SoftBankもYahooと契約をすると、一定の割引がある。
そう考えると、NTTの「おまとめ請求」のキャンペーンというのは、「何故に今更」という印象しかないのだ。
今更感のある中で、この様なキャンペーンを展開する理由を考えると、やはりdocomoの不振があるような気がする。
確かに、iPhoneを遅まきながら投入し、持ち直した感がある。
今月に入り「カケホーダイ」とか「パケわある」という、割引を打ち出し他社からの乗り換えキャンペーンを展開しているが、「一人負け状態」が長すぎたため、NTTでもそのテコ入れ策として、「おまとめ請求」というキャンペーンを始めたのでは?と言う気がしている。
と言うのもNTT側としては、固定電話のユーザーの多くがdocomoユーザーだと思っているのかも知れないが、それはNTT側の思惑であって現実はどうなのだろう?
おそらく、固定電話ユーザーのほとんどはNTTと契約をしていて、携帯電話はauやSoftBankを使っているのではないだろうか?
そう考えると、NTTの「おまとめ請求」のご案内は、docomoへの乗り換えを促すキャンペーンと、とらえられても仕方無い様に思う。
携帯電話各社が既に展開をしている、と言うことを含め「今更感」はぬぐえないように感じる。
GW前半。明日はお休み!と言う方も多いと思う。
季節柄、近場の公園でのんびりゆったり気分で過ごすには、丁度良いだろう。
そんな季節に合わせたかの様な新商品の紹介が、新聞にあった。
朝日新聞:パナソニックが花柄の新掃除機 フォルム成形法を改良
お若い方は、印象がないと思うのだが、30~40年くらい前、花柄がプリントされたキッチン用品が数多くあった。
代表的なモノは、ポットやジャー炊飯器だったと記憶している。
もしかしたら、冷蔵庫などにもあったかも知れない。
その当時ヒットしたかどうかは定かではないのだが、この「花柄ブーム」も数年で終わった様に思う。
確かに「キッチンに花がある」と言うのは、おしゃれだと思うのだが炊飯器やポットには必要?と言う感じだった。
生活者のライフスタイルも変化し、シンプルなキッチン、使いやすさ重視になった頃からこの「花柄キッチン家電」は、徐々に姿を消していった。
おそらく今では、ポットも炊飯器でも「花柄」の商品はほとんど無いと思う。
その様な時代を経て、まさか!と言う思いでこの新商品の写真を見たのだった。
確かに機能重視のシンプルなキッチン家電が主流になっている反面、30代の主婦を中心に「北欧インテリア」が人気になっている。
シンプルな中にも使いやすそうなデザイン性があり、それでいてどこか可愛らしさも持っている。
おそらく、その様な生活者の意識変化に対応した、と言うことなのだと思うのだが、「何故掃除機に花柄?」という疑問がある。
掃除機そのものを、「納戸などにしまう=掃除機を人目に付かないように隠す」のではなく、インテリアの一つとして、リビングなどにおいても違和感がない、と言う発想なのかも知れない。
実際使っている人達は、掃除機をインテリアのように置きたい、と考えているのだろうか?
掃除機という製品の性格上、その様なコトを求めている生活者はあまりいないのでは?と言う気がするのだ。
日本の家電は、これまでユーザー本位という考えで様々な進化を遂げてきた。
おそらく、行き着くところまで行き着いたのでは?と言う感があるほど、進化したと思う。
その中で、新しい付加価値製品を出していく、と言うことを考えると、とても厳しく難しい部分があって当然だろう。
だからと言って、「花柄プリント」なのだろうか?
プリントが難しい素材に、美しいプリントを施す技術というのは、素晴らしいコトだと思うが、それは掃除機に必要とされている技術なのだろうか?
何より、生活者は「花柄プリント掃除機」を求めているのだろうか?
パナソニックという大企業なのだから、キチンと生活者の意識調査をし、マーケティングを行っているとは思うのだが、どこかチグハグさを感じるのだ。
昨日、ご当地キャラのエントリをした。
今日、所要があり某百貨店へ出掛けた。
そして出掛けた先の百貨店で、ご当地キャラをいくつか見かけることに・・・。
サクラ柄のパンダは、会場となった百貨店のキャラクター。
他のキャラクターはすべて、ご当地キャラ。
右端のキャラは、昨年シュールなご当地キャラとして話題になった岡崎の「オカザえもんの兄」
(素人目には、オカザえもん兄とオカザえもんの区別がつかない)
その左が、名古屋市のご当地キャラ「はち丸」
「陸前高田」の文字が見える可愛らしいキャラは、岩手県陸前高田市の、震災復興を願うキャラ「たかたのゆめちゃん」。
一番左が「オカザえもん」に憧れる、東みよし町のご当地キャラ「オカザえんぬ」。
「はち丸」に関しては、名古屋市のイベントなどで見かけるコトが多いので、直ぐにわかったのだが、生で見る「オカザえもんの兄」には、チョットびっくり。
それよりびっくりだったのが、東みよし町のご当地キャラ「オカザえんぬ(ちゃん)」だった。
昨年引退をした、岐阜市柳ヶ瀬商店街のゆるキャラ「やなな」並の衝撃度だったかも知れない。
いずれにしても、この様なご当地キャラが様々な地域のイベントに登場する、と言う実態を見せて頂いた、とても良い機会となった。
ユニクロさんには、震災復興を願う「陸前高田のたかたのゆめちゃん」の様な、震災地域のご当地キャラのTシャツを是非作って欲しい、と感じたイベントでもあった。
ご当地キャラ、ゆるキャラと言えば、最近は「ふなっしー」ということになるのだろうか?
もちろん、この分野での先駆キャラクターは、ご存じの通り彦根の「ひこにゃん」だろう。
「ひこにゃん」の活躍により、全国各地で「ゆるキャラ」が誕生し、地域の活性化に一役買っている。
そのご当地キャラ、ゆるキャラの中でも異色な存在は船橋市の「非公認キャラ・ふなっしー」だろう。
「ふなっしー」の場合、非公認だからこそその活動範囲を拡げつつある様だ。
企業のテレビCMに起用されたりできるのも「自治体非公認」だからだろう。
「自治体公認」となってしまうと、その自治体のイメージアップや様々な活動に制限が加わってしまうが、「ふなっしー」の場合、非公認であるがゆえに自治体は何も言えない。
その「ふなっしー」と対極にあるのが、熊本の「くまもん」や今治の「ばりーさん」だろう。
県などの自治体主催のイベントには積極的に参加するコトは出来ても、企業の宣伝などはするコトができない。
例えキャラクターを起用した商品などで使用することができても、熊本や今治という地域名を明記というか併記する必要がある。
ところが「ふなっしー」には、その様な制限は全く無い。
だからこそ、相当自由に活動をするコトができる。
船橋市は公認としていなくても、千葉県警のリクルーターに起用されるコトができる。
その意味で「ふなっしー」は、既にご当地キャラというカテゴリーから外れたゆるキャラなのだと思う。
そんな「ふなっしー」だが、じつはご当地キャラ達もこれまでとは違う分野に進出している。
ユニクロの夏商品、「UT」の子ども向けTシャツだ。
ユニクロUT:ご当地キャラTシャツ(キッズ)
既に、週末のチラシなどで登場しているので、ご存じの方も多いと思う。
この「ご当地キャラ」で意外というか、チョッと驚いたのが「くまモン」や「ばりーさん」の様な、ゆるキャラコンテスト優勝キャラだけではなく、「このゆるキャラは、何処のご当地ゆるキャラ?」と名前が思い浮かばないご当地キャラも起用されている、と言う点だ。
ユニクロというかファーストリティリングの本社がある山口県のご当地キャラ「ちょるる」の起用は何となくわかるのだが、千葉県の「チーバくん」は何故?と思ってしまう。
昨年、ご当地ゆるキャラのコンテストで優勝した「さのまる」が起用されていないのも、わからない。
ただ、これからのご当地(ゆる)キャラは、今までの様な地域振興という目的から、キャラクター自体が地域振興とは別の目的で起用される可能性は高くなる様な気がしている。
その先駆けとなったのが、もしかしたら「ふなっしー」かもしれない。
明日から、GWで長期の休み、と言う方もいらっしゃるコトだろう。
どうか楽しいGWをお過ごし下さい。
昨年のベストセラーに、「統計」についての本があったと思う。
いわゆる「ビックデータ」と呼ばれる類いの本だという印象がある。
実際読んではいないので、詳しい内容はわからないのだが。昨年ビジネスの分野で話題になったことと言えば「ビッグデータ」だったのではないだろうか?
その「ビッグデータ」は、様々な「数字」から生活者の思考や行動を探る,と言うツール。
その「ツール」を如何に上手く使うのか?と言う点が、一番問題だったと思う。
データを使う上で、重要なのは「データの信頼性」というコトに尽きると思うのだが、その「信頼性のあるデータ」であっても、「見方」を誤るととんでもないコトになってしまう。
時折言われることだが「データは嘘をつく」と言われるのは、そうした「見方の誤り」というコトになるのかも知れない。
ところで「データ」という数字は、絶対的なモノだと思っている方は多いと思う。
この「絶対的」というのが、実は「データを見誤る」要因かも知れない。
と言うのはマーケティングなどにおける「データ」は、「判断材料の一つ」でしかなく、いくら「信頼性の高いデータ」であっても、そのデータが「ALL or NOTHING」という2つを示している訳ではないからだ。
「データが正しいから、判断が正しい」のではなく「正しい判断をする一つの要素として、データがある」というコト。
しかし昨年から話題になっている「ビッグデータ」を読み解く時、「○○というデータだから、××」という結論を導く傾向はないだろうか?
その「○○というデータ」と「××」という状況の関連性というか、関係性に着目するコトが本当は重要であるにも関わらず「××」という結論を、一元的データの見方で導く傾向が最近ある様な気がしている。
そもそもマーケットを創り出しているのは、データではなく人なのだ。
人の思考も行動も、予定されているモノというのはほとんど無い。
「想定内」のモノごとほど、起きるコトはほとんど無いと思っても良いのに、「想定内」の発想で考える傾向が強くなってきている様な気が漠然とだが、するコトが最近多い。
「データ」を読み解く前に、「想定外のコト」に考えを巡らすコトが大切なのかな?と言う気がするこの頃だ。
具体性に掛ける話で申し訳ないのだが・・・わかる方には、わかって頂けると思う。
中日新聞(東京の方は「東京新聞」になると思います)のWEBサイトを見ていたら、「へ~~~」と思う記事があった。
それが、「テレビ番組輸出額100億円超」と言う記事。
中日新聞:テレビ番組輸出額100億円超 12年度総務省調査
調査年度が12年なので、今現在どうなのか?と言うと不明な点も多いが、若者を中心にテレビ離れが進んでいる、と言われている国内において、番組の放送権や番組関連の商品などの輸出額が100億を超える、と言うのは意外な印象がある。
50%以上を超すアジアでの人気というのは、わからないでもないのだが欧米でもそれぞれ20%以上というのは、意外だった。
特に、テレビ文化の発信地?というか、日本がかつてテレビ番組のお手本としてきた北米(おそらく米国が中心だと思われる)への輸出が22%と言うのは、驚きだ。
それだけ、日本の文化が海外諸国で注目されている、と言うことなのだと思う。
ただ、気になるのはその内訳だ。
日本のテレビ番組というのは、実にバラエティーに富んでいる。
NHKのEテレの番組欄等は、分かり易い例だと思うのだが、幼児向け番組から大人の趣味講座、お料理番組もあればクラシック音楽のコンサートの後には、美術館めぐり・・・。
Eテレの意味である「education」という意味からすれば、幼児から大人までの「EducationProgram」というコトになるのかも知れないが、1日の中でこれほどバラエティーに富んだ番組構成をしている「教育放送」も珍しいかも知れない。
民放にしても、朝から夜まで生活者のライフスタイルを意識した番組構成になっている。
朝の情報番組では、交通情報や天気予報、占いのコーナーまであり、夜のプライムタイムでは、ドラマとバラエティー番組が目白押し。
一方、BS等ではこれまた違う番組を制作・放送をしている。
そう考えると、日本のテレビ番組というのは、実に幅広く様々な世代を対象とした番組作りをしているのかもしれない。
逆に散漫になりすぎたり、「テレビ番組=ドラマ視聴率」あるいは「スポーツ番組=野球中継しかも主に巨人戦)」と、かつての人気番組が今でも人気の中心である、と思い込んでいるのかも知れない。
ただ、テレビ離れと言う現実が、日本のテレビ番組をコンテンツ産業として鍛える要因となっているとすれば、皮肉な結果という気がする。
そして、苦肉の策?として考えられた「番組関連商品」が、テレビ番組と一緒になって「コンテンツ産業」として輸出されているとすれば、そのアイディアもまた日本的というコトと言うことになるのだろう。
楽天をはじめとするネットショッピングは、今や当たり前の「買い物スタイル」となってきている。
特に、昼間なかなか買い物に出掛けられない人にとって、ネットショッピングは便利さだけではなく数多くの商品から選ぶ楽しさを提供してくれている。
ショッピングサイトに出店する側にとっても、これまで顧客になり得なかった遠方の購入者が顧客となったり、少ない投資で全国にビジネス展開ができる、と言うメリットが互いにある。
その様な互いのメリットが大きいコトで、ネットショッピングは急速に定着してきた感があるのだが、どうやらここにきて様々な問題が出はじめているのかな?と、感じる様になってきた。
それはあるショッピングサイトを見ていた時のコトだ。
「(購入者の)受け取り拒否や長期に渡る不在による商品の受け取りができない場合」という注意が目に付いたのだ。
この注意を読むと、なかなか厳しい内容になっており、悪質と判断した場合、出店企業の「ブラックリスト」に載るだけではなく、ショッピングサイトを運営している楽天やYahoo等にも連絡をし、他の出店企業のサイトでも購入が出来なくようにする、と言う警告までしている。
実効をする・しないはわからないが、相当厳しい内容であるコトには変わりない。
ネットショッピングなどの通販には「クーリングオフ」と言って、ある一定期間内の返品の受付が義務づけられている。
これは、購入者である消費者が、実店舗と違い実際にその商品を手にとって見ることができない等の理由により、消費者保護を目的としている制度だ。
もちろん、なんでも返品ができる訳ではなく、返品ができる決まりがキチンと明記してある。
その制度そのものは、問題があるとは思えないのだが、この様な「受け取り拒否」や購入→返品を繰り返す顧客が数多く存在していることも確かなのだろう。
商品を購入する時、参考とするのが「商品レビュー」だ。
その「商品レビュー」を見る度に、「人の感覚って随分違うものだな~」と、感じるコトがある。
特にアパレルや靴などのような商品になると、その傾向がハッキリと現れる。
アパレル等の場合、素材表示には織り地の名称も記載されている。
例えば「ローン」などの薄手の素材のレビューに、「生地が薄すぎて、返品をした」とあると「元々薄い素材なのだが???」と、レビューそのものに疑問が起きるコトもしばしばある。
その様なレビューが多くなってくると、実は通販大手企業などはあえて実店舗を展開する様になってきている。
例えば、通販の大手千趣会などは、都市部を中心にショッピングセンター内に実店舗を持っている。
個人的に好きな神戸の靴メーカーも、イベント販売という形態で年に数回名古屋で百貨店などを中心に、販売をしている。
実店舗やそれに近い形で「対面販売をする」というのは、対面販売でなくてはわからない顧客ニーズの掘り起こし、と言うこともあると思うのだが、もしかしたら通販で販売している商品を直接手に取ってもらうコトで、購入者に実際の商品をわかってもらいたい、と言う考えもあるのではないか?と言う気がしている。
ネットショッピングは気軽に「ポチッ」とできる反面、購入する側にも様々な商品知識も必要な時代になってきているのではないだろうか?
韓国で起きた旅客船の事故。
遅々として進まない救助活動に、被害者家族のいらだちが募っている。
家族を思う気持ちには、国も過去の歴史問題も関係ないと思うのだが、なかなかそうでは無いらしい。
韓国の政治的メンツというコトなのだろうか?日本からの救援を断ったようだ。
ただ、断ってもそれなりの救助活動ができているのであれば問題はないのだが・・・現状は違うようだ。
その為だろうか、韓国国内では政府特に朴大統領に対する批判が出はじめているらしい。
この事故で一番責任を問われるのは、もちろん海運会社だ。
しかし、救援活動が進まず犠牲者が増え続ける、と言う状況は政府にもある、となると朴大統領をはじめとする関係行政府に批難が集中するコトは間違い無いだろう。
既にマスメディアが、政府に対して批難をはじめている。
そうなると「反日」で何とか、国民をまとめていた朴大統領とすると、向ける矛先が無ると言うことになる。
もう一つ気になるのは、今は救援活動ばかりが報道されているが、旅客船の事故というコトになれば、当然燃料である重油の流出というコトが起きているはずだ。
その流出した重油の処理も早く行わなくては、周辺海域での漁業にも影響を及ぼしてくるだろう。
となると、今度は犠牲となった人達の家族だけではなく、事故で汚染された海域の漁業者からも、相当の批難が起きてくるはずだ。
事故海域と言っても、海流に乗って思わぬ地域の漁業者から、事故の影響を問われるかも知れない。
何より、海洋汚染は一度起きると以前と同じ様な漁場に回復するまでに、相当の時間が必要となる。
当然、補償額なども高額になる可能性もあるだろう。
そう考えると、救援活動が後手後手に廻ったために、派生的に新し違う被害が次々と起こり、朴政権はそれらの対応を的確に行う必要がある。
救援活動を含め難しい舵取りを迫られそうな朴政権、と言う気がする。
今日、SoftBankが今月21日からサービス開始を予定していた「スマ放題」の延期を発表した。
SoftBankリリース:「スマ放題提供開始時期の変更について」
先日博報堂DYグループによる「スマートフォンユーザー1000人定期調査」によると、56%以上がスマートフォンユーザーになっており、特に10代、20代では8割がスマートフォンユーザーということらしい。
博報堂DYグループ:「スマートフォンユーザー1000人定期調査」
あくまでも「スマートフォンユーザー1000人定期調査」というコトなので、元々スマートフォンを使っている、もしくは興味関心がありスマートフォンに変更したい、と言う希望のある人達を対象としているのでは?と思いつつも、やはり数字としてみると、ガラケーユーザーは「希少ユーザー」となっているのだろう、と感じるデータだ。
だからこそ、先日docomoがスマートフォンを対象にした新料金プランを発表したのだろうし、今回のSoftBankは、docomoの新料金プランの発表を受け延期にし、改めて新しい料金プランを発表する予定にしたのだろう。
ただ、街中を歩いていると、「スマホに翻弄されているのでは?」と感じる人を多く見かける。
オープンテラスの瀟洒なカフェでデートと思しきカップルが、互いの顔も見ずスマホに夢中になっていたりするのは「なんだかな~」と思う程度だが、最近社会問題になりつつある「スマホ歩き」や「スマホ自転車」となると、ハッキリ言って周囲に迷惑をかけている行為だ。
にも関わらず、当の本人は「チェッ」と舌打ちをし迷惑を掛けた相手をにらむようにして行く。まるで自分が、迷惑を掛けたコトに気がつかないかの様だ。
それだけならまだしも最近では、「LINEいじめ」と呼ばれる様な、ネット上でのいじめが増えているという話もある。
この様な指摘がされて随分経つような気がするが、減るどころか増える傾向にあるコトを考えると、いっそのコトなら通信料金の定額制ではなく、旧来の「使ったら使った分だけ支払う」というプランにすべきなのでは?と言う気がしている。
10代のスマートフォンユーザーが多いコトを考えると、定額制は魅力的だろうし元々日本の通信費は諸外国に比べ高額ということも言われている。
だからこそ、携帯電話通信各社はこぞって「定額制」を打ち出し、ユーザー確保に乗り出すと言うことも十分理解している。
「スマホの通信代が高くて不便になる」と言う考えはよく判るのだが、反面、そのスマートフォンに翻弄される人達の姿を見ると、スマホの便利さと周囲に掛ける迷惑という点のバランスを考えて、本当に今提案されている様な料金プランが良いのだろうか?と、考えてしまうのだ。
昨日、FMを聞いていたら「机が片付いていない人のほうが、クリエイティブ力がある」という話があった。
この話の素は「ひらめきはカオスから生まれる」と言う本の紹介でもあったのだが、片付け能力と断捨離能力が著しく低い私としては、少し嬉しい話題だった。
しかし、机が汚い(片付けができていない)=クリエイティブな力がある、とは言い切れないようだ。
確かに、本の帯には「机が汚い人のほうがクリエイティブなのは、何故だろう?」とあるのだが、そう簡単でもようなのだ。
大切なことは、専門分野については深い知識がある一方、様々な分野に対して好奇心や興味関心が持てる、いわゆる「T字型ビジネスパーソン」のコトを指しているようだ。
違う言い方をするなら、全く異質なモノとモノ、モノとコトを組み合わせるコトを発想する力の有無が、「クリエイティブ力」というコトになると言う。
「クリエイティブ力」というと、「ゼロから発想する力」と捉えられがちだが、実は「ゼロから発想」と言うことは、とても難しい。
むしろ、アイディアの素地となるモノは、全く関係のないトコロにあり、その全く関係の無いトコロにあるモノ・コトを目の前にあるモノ・コトと組み合わせ、ある種の化学反応のようなコトを引き起こす力を「クリエイティブ力」というようだ。
では、何故「机が汚い」という言葉が使われているのか?と言うと、机が汚い→捜し物が多い→捜し物をしている時に全く関係のないモノ・コトを見つけて、探しているモノ・コトと組み合わせるとどうなる?と、考えるからだそうだ。
もちろん、それで机がきれいになるわけではなし、益々机の上が汚くなると言う可能性のほうが大だ。少なくとも私の場合はそうだ(苦笑)。
そう考えると、今の日本は企業だけではなく学校なども「最初からある程度の回答を求めている」のでは?と言う気がする。
と言うのも「机の汚い人」は、ご想像通り「失敗も少なく無い」からだ。
机のきれいな人の思考は、最初からある程度の回答を予測し、その予測に従って組み立てていくらしい。
突発的な発想力ではなく、積み上げていく発想力というと分かり易いかも知れない。
突発的な発想力も積み上げていく発想力も、大切だとは思うのだが、「突破力」という意味では「突発的な発想力」のほうが力がある。
何故なら、多くの人が想像をしていなかったコトが多いからだ。
そう考えると「机が汚い=管理能力が無い」と判断をせず「突破力のある創造性がある」と、評価すると、様々なトコロでイノベーティブなことが起きるかも知れない。