日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

来年はどんな年になるのだろう

2011-12-31 19:10:57 | Weblog
今年も残すところあとわずか。
1年、拙ブログにおこし下さりありがとうございました。
年末、いきなりアクセス数が増え驚くこともありましたが、今は落ち着き少し安心をしているところです。

今年は、様々なことが起きた1年でした。
災害だけではなく、中東に端を発した「ジャスミン革命」などは、ITの時代だからこそ起きた市民革命だったと思う。
ただ、「ジャスミン革命」でのITの意味は、「インフォメーション・テクノロジー」ではなく、「インフォメーション・ツール」という、市民情報伝達ツールだったように感じている。
時代とともに、その意味を変化させていくのもITというコトなのかも知れない。

それを象徴するような新聞広告が、今日掲載されていた。
「youtube 紅白チャネル」だ。
若年層を中心に、テレビの視聴離れが指摘されている。
一方、ネットで映像を見たり聞いたりすることが、若年層では当たり前となってきている。
そのギャップを埋める一つの方法(というほどではないが)が、このネットとテレビの融合のような気がしたのだった。

もちろん、ニュースのようなリアルタイムで報道されなくては意味の無いモノも少なからずあるが、エンターティメントの分野で言えば、以前のような「歌番組」である必要はなくなってきているのでは?
音楽の聴き方にしても、ウォークマンが登場してからずいぶん変わったし、ダウンロードが当たり前となった今では、テレビの歌番組では見かけないアーティストのほうが、人気が高いという現実もある。
実は私自身は、今年のレコード大賞を受賞したAKB48の楽曲を聴いた覚えが無い。
そもそも「レコード大賞」そのものが、今の時代にあっているのだろうか?と、考えてしまうのだ。
それだけ、個人の生活の多様化がネットによって加速されてきているのだから、メディアもその変化に対応していかなくては、メディアそのものが時代遅れとなってしまう可能性が高い。
言い換えれば、今年はその現実を見せられた年だったのではないだろうか?
だからこそ、youtubeの「紅白チャネル」は、オヤ?!と思いながらも、これからのメディアの一つの方向性のようなモノを感じたのだった。

メディアが変わる以上に大きく変化していくのは、私たちの生活自体だろう。
電力不足による「節電」の意味も、大きく変わるかも知れない。
電力不足解消のための節電から、自分のライフサイズに合わせた電力の使い方としての節電というコトだ。
なんとなくだが、「イノベーション」とはそんな些細な変化が重なって大きな流れになるコトのような気がする。
そしてそのイノベーションの発信地は、日本であって欲しいと願っている。

モテルと良い上司の条件は同じ?

2011-12-30 19:58:12 | アラカルト
今日は大納会。
今年の株式も今日で、締めくくりとなった。
「今年を振り返る」と言っても、そのトップ5くらいに並ぶものはどのメディアを見ても、同じようだ。
そして、今年は日本だけではなく世界にとっても「生活の価値観が変わった年」だったように思う。

そんな振り返りをしつつ、先日FM番組で「モテる40代男性像」を聞きながら、「モテる男性(女性も含めてかも知れない)と良い上司の条件は似ているかも知れない・・・」と思ったのだった。
FM番組に登場した方は、40代の独身男性を数多く結婚に導いた「モテる男性コンサルティング」のような方。
短い番組の中で3つのポイントのうち2つが、その「共通項」のように感じたのだった。
その2つとは・・・。
1.聞き上手になる
2.(服装の)シルエットにこだわる

「聞き上手になる」というのは、様々なビジネス本で言われていることだが、40代を過ぎるとそれまでの様々な経験や考えが固まってきて、つい「それはね・・・」と話の途中で口を挟みガチになってしまう。
それも半ば自分の考えの押し付けのような雰囲気を漂わせながら、自覚の無いまま自己主張を繰り広げてしまう場合が多いという。

この話を聞きながら、「確かに・・・」と思った。
男性に限ったことではないと思うし、この話を聞いて自分自身にも当てはまるな~と感じるところも多かったのだが、ある程度の社会的ポジションにいるとどうしても、その視点から物事を見てしまうことが多くなってしまう。
別に他者を受け入れないわけではないのだが、受け入れるまでに時間が掛かってしまうのだ。
それが、話し相手からすると「上から目線」であったり、「それはアナタの社会の常識化も知れないけど、私の常識には当てはまらない」という気持ちにさせることになってしまう。
「勝ち負け」が一つの判断基準ではないのに、なんとなく「受け入れることが負けた気分」になってしまうようだ。
と同時に、「認められたい感」のあらわれなのかも知れない。

そして「(服装の)シルエットにこだわる」というのは、意外な気がされる方も多いかも知れないが、周囲の人は自分が思うよりも服装チェックをしている、というコトだ。
特に、40代の男性は新入社員時代にバブルを経験した方などは、その影響を未だに受けている傾向が見られるように感じることがある。
当時は、体を包むようなシルエットが多かったが、今はシャープなタイプが多い。
だからといって、数年前に流行った「チョイ悪風」を目指すと、トンでもないコトになるというコトも十分知ってほしい。
なぜなら、普通の成人女性が「小悪魔風スタイル」で歩いていたら、とてもオカシいと感じるのと同じだからだ。
それよりももっと基本中の基本、「袖丈が合っていない」という男性諸氏を見かけることも少なくない。
そのような基本中の基本ができていないと、いくら仕事ができてもどこかルーズ感が出てしまう。
そのようなトコロを、案外人は見ている、というコトなのだ。

何もパーフェクトなファッションで、聞き上手になる必要は無いと思う。
ただ、「聞き上手」になるだけでも、「信頼の置ける上司」となれる可能性は高いし、少し服装に気遣うことができるだけで、「気遣いのできる上司」と見られるというコトだと思う。

新しい年を迎える前だからこそ、チョッと考えてみたいポイントだと思う。


伝えるコトの難しさ

2011-12-29 19:09:30 | アラカルト
一昨日から、拙ブログに来られている方の数が急上昇している。
ブログをはじめて7年ほどになるのだが、有名なブログというわけでもなく地味にマーケティングという視点で、いろいろなことを書いてきた。
一昨日の内容も、コレまでと大きく変わった内容ではなく、何故急上昇しているのかわからない状態。
昨日は、管理上の何かのミスだろうと思っていたのだが、今日も一昨日ほどではないにしても、コレまでとは桁が違うほどのアクセス数が表示された。
管理人として、何とも不思議というよりも気持ちの悪い現象に戸惑っている。

そこで思い浮かんだのが「伝えるコト」に、何か間違いがあったのでは?というコトだった。
長い間拙ブログにお付き合いくださっている方は、私の書き癖のようなモノもご存知だろうし、つたない文であっても読み手として補足しながら読んでくださっているのでは?と、思っている。
それが最近、「文字面」だけでアレコレ言われるような風潮があるように感じることが多くなってきた。
一番顕著だったのが、東日本大震災発生直後から頻繁に流れたACのCMだった。

まず取り上げられたのが、「あしながおじさん基金」だったと思う。
確かに震災で両親を亡くされた方、お子さんを亡くされた方にとってとても辛いCMだったのかも知れない。
でもその震災地では、ACのテレビCMさえ見ることができない状況だったはずだ。
むしろ過剰に反応したのは、被災地ではなく非被災地に住んでいる人たちだったのでは無いだろうか?
「被災地に対する配慮」というコトなのかも知れないが、現実問題として「あしながおじさん基金」によって高校や大学進学を諦めていた子どもたちが進学のチャンスを得ているという事実がある。
大切なことは、被災地の子どもたちが将来進学のチャンスを諦めさせないコトなのでは?

また、「国境なき医師団」のCMについても同様の指摘がされたようで、CMそのものが震災発生から一週間もたたない間になくなってしまった。
しかし、その被災地では「国境なき医師団」で活動している医師や看護師たちが、懸命の活動をしていた。
CMは確かに、アフリカの子どもたちの映像ではあったが、その活動には「国境が無い」。
その事実を知れば、募金先の一つとして「国境なき医師団」を選ぶことができたのではないだろうか?

ACのCMは、コトバだけではなく映像も含めての問題というコトになったのだが、その後の「放射能汚染」の問題にしても、どことなく「コトバじり」を取り上げ、必要以上に不安を煽る傾向があったのでは?という気がしている。
確かに、放射能汚染で使われるコトバは専門用語が多く、なじみが無いこともあり不安要素が多くあったし、今でもある。
ただ残念なことにテレビや新聞、雑誌などを中心としたメディアは、情報を冷静に受け止めさせるための努力という点では、欠いていたような気がするのだ。
その後私自身、放射線科の医師などから直接放射能についての話を聞く機会などがあり、医療従事者から見た今回の放射能汚染についての見解が、余りにもメディアの騒ぎ方と違っていることに、驚いたという経験があった。

人が他の動物と大きく違うことは、「伝える手段」がいくつもあるコトだと思う。
であれば、私自身の反省を含め「伝えるコトの難しさ」というコトを忘れないコトが大切だと実感している。

それにしても、何故急にアクセス数が増えたのだろう?
未だにこの疑問は解決しないままだ。

政治が機能しない

2011-12-28 19:04:49 | 徒然
最近、日本の国の顔である野田総理の存在感が、薄れてきている感がある。
「もともと存在感など無い」といわれる方も、いらっしゃるかも知れない。
実際のところ、テレビを見なくなったこともありニュースの主な情報源がネットと新聞になって以来、政治のニュースを余り見なくなったような気がしている。
しかし、言い訳をするようだが「見ないようにしている」つもりは無い。
ニュースとして取り上げられる内容に、野田総理にまつわるモノ・コトが少ないような気がするのだ。

それだけではなく、民主党が掲げた「マニフェスト」が次々と反故され始めるに至っては、「野田さんって、民主党の党首じゃなかった?」と、疑問に思うコトになってしまう。
民主党のマニフェストが「実現不可能な内容だった」にしても、キチンと説明をした上で論議をするというステップが必要だと思うのだが、その説明も十分にされてきたとは思えない。
なんとなく、民主党がかつての自民党のような政策を打ち出しているような気がしている。

その自民党も、最近影が薄い。
党首の谷垣さんの問題というよりも、自民党そのものの存在感が感じられないという感じだ。
特に、「東京電力・福島第一原子力発電所事故調査 中間報告」で、政府の責任が指摘されたが、その責任の一端は(というより、多くの部分で)、自民党政権に行われてきたモノがある。
そのことに関しての責任についての、発言が一切聞かれないのは何故だろう?
「責任」という部分で、なんらかの発言をすれば、自民党が推し進めてきた原発政策が失敗だったということを認めてしまうとでも思っているのだろうか?
これほどまでに、多くの国民に迷惑をかけているという意識は無いのだろうか?

他の政党も似たり寄ったりと言うか、今の日本で「政治主導」で行われるコトが私たちの生活にプラスとなるような話が無い、という気がしている。
「プラスになる」というのは、経済政策という意味だけではなく、将来の展望という意味だ。

ただ不思議なことに、これほどまでに国内政治が停滞していても、日本の経済は動いている。
多くの国では、政治の停滞は経済の停滞を招きかねない問題なのだが、日本の場合、経済と政治がまったくといってよいほど、関係性を持っていない。
それどころか、被災地の救済という点では一企業・一個人が協力し合っているような状態だ。
政府が政党を超え、共同で何か経済対策なり安全対策などを打ち出してきた、という印象がほとんど無い。

「政治家の皆さんは、税金によってその活動を支えられている」というコトを考えると、納税者として、今の政治に無駄金を捨てているのでは?と、疑問に思われても仕方が無いような気がするのは私だけだろうか?
機能不全に陥っている政治が、来年は少しでも機能回復して欲しい、と感じる年の瀬だ。



上手いネーミング

2011-12-27 19:20:22 | マーケティング
先週の今頃は「クリスマス」一色だった街中だが、今は「お正月」の飾りつけとなっている。
この時期は、どこかしら心華やぐことが多い。
とはいっても、今年はなんとなく「自粛ムード」。
ご近所の個人宅のクリスマスイルミネーションも、節電気味だった。

そんな「自粛ムードの年の瀬」だが、例年とは違うな~と感じるモノがいくつかある。
その顕著な例が「おせち料理」。
今年の初め、グルーポンが売り出した人気料理店の「半額クーポンおせち」が、参考写真とは似ても似つかないほどの貧相な内容で、尚且つ痛みのあるものまであった、と問題になったが、今では「おせちは自宅で作るもの」ではなく「百貨店などで購入するもの」になってきた。
今年目立つのは、少人数(1~2人用)のおせちのラインナップが増えてきたこと。
それだけ世帯人数が少ない家庭が増えてきた、ということだろう。
そして、内容も本来の「おせち」というよりも、オードブル感覚のおせちという感じだ。
冷蔵庫などの普及だけではなく、元旦から営業を始める大手スーパーやコンビニなどの一般化に伴い、「おせち」をいただく意味が変わってきているのだと思う。
もちろん、「それぞれのお料理に込められた意味」を知り、味わうということはとても大切なことだと思うが、お料理の内容そのものの変化というのは、ある程度仕方の無いことなのかも知れない。

そして、そんな百貨店の「おせちチラシ」を眺めていたら、「上手いな~」と思うネーミングの商品を見た。
名づけて「福幸酒(ふっこうしゅ)セット」。
今回震災にあった東北6県の銘酒(300ml)を、セットにして販売するためのネーミング。
お正月らしく、それでいて被災地の復興を願うネーミングだと思う。
それだけではなく、そのお酒を購入した人も、たくさんの福と幸せがやってきそうな「三方良し」のようなネーミングだ。

今年は「東日本大震災」があったことで、「絆」や「復興」というコトバを聞くことが多かった。
確かに「絆」や「復興」というコトは、今の日本にはとても大切なことだと思うが、それが連呼されてしまうと、そのコトバだけが頭に残り、その意味を感じることができなくなってしまうという部分が無いわけではない。
しかし同じ音でありながら、違う意味を込めたコトバとなると、改めてその意味を考え、新たな年を迎える時の新しい思いへとつながっていくような気がする。

決して大きな扱いでは無い「福幸酒セット」だが、そのネーミングのよさと企画力で、すぐに完売しそうな気がする。

これからの日本のモノづくり

2011-12-26 18:55:39 | ビジネス
今朝の新聞に、柳宗理さんの訃報があった。
ご存知の通り、日本の工業デザイナーの先駆者的人物だった。
柳さんの作り出す作品は、工業製品というよりも「日用品」的な感覚があり、見た目の良さだけではなく、使い勝手や手触り感といったところまで、考え尽くされたデザインだったと思う。
だからこそ、半世紀以上も前の作品が今でも陳腐化せずに、時代の変化とは関係ないのに時代感を感じさせながら、今でも使われ続けているのだと思う。

柳さんのデザインの真骨頂とも言えるのが、「シンプル」というコトだったように思う。
「日本の美は、引き算の美」と言われている。
余分なものを削ぎ落とし続けた結果として現れるデザイン、それが柳さんのやかんや椅子などだったような気がしている。

ところで、今年を振り返ると「東日本大震災」と、「東京電力福島第一原子力発電所事故」の2つぐらいしか思い浮かばない。
特にこの2つが与えた影響は、日本国内だけではなく海外にも大きな影響を与えた。
まず震災についてだが、東北地方の「モノづくりの強さ」を、初めて知ったのは私だけだろうか?
もちろん、関係企業の方にとっては知っていて当たり前のコトだったと思うのだが、それ以外の人たちにとっては、少し驚くコトだったと思う。
そしてその事実を知った上でこれからの「日本のモノづくり」というモノを、考え直す必要があるのでは?と、感じた方も多かったのではないだろうか。
これまでのように、「工場を誘致して生産ラインでの雇用を期待する」という、地方の考え方では、人件費の安いアジア諸国とは太刀打ちできない。
であれば、「日本のモノづくりは、どうあるべきなのか?」という、コトを真剣に考え直す必要が出てきた。
その答えの一つが、今回の震災の被災地・東北にあるのでは?と、思ったのだ。
組み立て生産ラインのための雇用ではなく、「モノづくりの肝の生産ライン」という発想だ。
そこには、デザイも含めたモノづくりが必要になると思う。
むしろ、「工業製品だからこそ、優れたデザインが必要」という時代なのだと思うのだ。
組み立て生産ラインは、その企業における象徴的なモノに限り残し、それ以外は人件費の安いアジアへ拠点を移すというのは、これからの当然の流れとなっていくためには必要な事だろう。

そしてもう一つの「東京電力福島第一原子力発電所事故」は、私たちの「生活そのものを見直す」きっかけとなった。
言い換えれば、「ライフスタイルの転換」を迫られ、生活の「断捨離」を考えさせられたのではないだろうか?
それは「生活サイズの縮小」といえるかも知れない。
ただ「生活サイズの表面積の縮小」というコトなだけで、「生活サイズの内容充実度」という視点で見れば、まだまだ違う発想が生まれるのでは?
おそらく来年くらいから「スモールライフサイズの充実生活」という提案が、様々なトコロから出てくるのではないだろうか?
もしかしたら、それが「世界の快適な生活の標準サイズ」となるかも知れない。
そのくらいの気持ちを、提案していく必要があると思っている。
まさに、柳さんが創りだした「日本のデザイン」のように。

オリンパスとは違う方向軸のキャノン

2011-12-23 13:27:19 | ビジネス
オリンパス経営陣に対する動きが活発になってきた。
個人的には、本業を真面目にやっていればこんなことにはならなかったのでは?という思いが強い。
デジカメの分野では、なかなか厳しい状況であったとしても他の医療関係の映像技術では、相当に高い技術を持ち、尚且つ市場的にも優位性が高かったからだ。
その意味で、わけのわからない本業とは関係のなさそうな企業買収などを勧めたコンサルティング会社などの責任は、大きいような気がしている。

さて、そんなオリンパスとはライバル企業となるのが富士フィルムとキャノンだろう。
実は先日京都へ出かけた時、意外な場所で「キャノン」の名前を知ることがあった。
その場所とは、「建仁寺」
ご存知の方も多いと思うのだが、国宝「風神雷神図屏風」がある京都で一番古い禅寺である。

オリジナルの「風神雷神図屏風」は、国立美術館(もしかしたら国立博物館かも知れない)に収蔵されており、私たちが見ることはできない。
そのような国宝は実は数多くあり、もともと所有していた神社仏閣で見ることができるのは、多くの場合「レプリカ」だ。
それも「模写」であるため、写真撮影が禁止されている場合がほとんど。
「建仁寺」の場合も、レプリカが公開されているのだが、写真撮影が可能となっている。

その理由は、オリジナルの「風神雷神図屏風」をキャノンがデジタル映像処理をし、そのデジタル映像処理したものをレプリカとして公開しているため。
もちろん、劣化を防ぐためにガラスケースでの公開となっているのだが、その質感など克明に表現することできているように思えた(オリジナルを見たことが無いので、美術や社会科の教科書に掲載されているものとの比較でしかないのだが・・・)。

他にも「雲龍図」など、いくつかの国宝級の美術作品が同じ様にデジタル映像処理をされ、公開されていた。
そのために、観光客が写真撮影を楽しむというコトが、存分にできるようにもなっていたのだった。

おそらく、キャノンだけではなくオリンパスなども、このような「美術作品のデジタル映像処理技術」を持っていると思う。
そしてこのような技術がもっと活用されれば、レプリカとはいえ本物と同じ感覚で「国宝」を身近に見られるチャンスができる。
それは、文化遺産という視点で見ればとても大きいことだと思うし、もともと所有している神社仏閣側にとっても、大きな観光資源(本来は、宗教的意味のあるものであって、観光資源ではない、というのは十二分に承知している)になるはずだ。

もし、オリンパスもこのような分野での事業を発展させるという考えを、経営陣が持っていたのなら・・・と考えると、とても残念な気がする。
そして、キャノンの挑戦に拍手を送りたいと思うのだった。

ただ・・・どうやら京都でのお出かけで、風邪を拾ってしまったようで、体調不良につきクリスマス中は、ブログをお休みさせていただく予定。
代わりに、1枚の写真を↓

建仁寺・潮音庭の名残の紅葉

日本の「ガラパゴス化」を考える

2011-12-21 19:29:57 | マーケティング
昨日エントリした「iPhoneについて」をUpしながら、考えていたことがある。
それが、今日のタイトル「日本のガラパゴス化」。

日本の携帯電話が、世界でも稀に見る独特の進化をしてきた結果として、「ガラパゴス化」してしまった、というのはご存知の通り。
スマートフォンが登場するまで、海外では「携帯電話=携帯できる電話」だった。
当たり前といえば当たり前なのだが、その間日本の携帯電話には様々な機能が付加され、とても便利な「何でもツール」に発展を遂げるかのように見えた。
しかし、スマートフォンの登場によって、一気に「ガラパゴス化」してしまう。
その理由を、昨日のエントリをしながら考えていたのだった。

そして一つ思い浮かんだことが、余りにもきめ細やかな「市場ニーズへの反応」だったのでは?というコトだった。
「市場ニーズへの反応」というよりも、「市場ニーズへの想像」と言ったほうが良いのかも知れない。
それは、メーカー側が「こんな機能があったら便利かも知れない」と、次々に付加していく過程で、おそらく市場ニーズというモノを探っていたと思うし、それなりの調査をしていたはずだ。
それが逆に、「遊び」を無くてしまったのでは?

iPhoneに代表されるスマートフォンの魅力は、自分が使いやすいようにカスタマイズをし、自分らしい価値を創っていくという過程がある。
しかし「ガラパゴス化」してしまった日本の携帯電話には、何でも搭載されていることで「遊び」が無く、逆に使い勝手が悪くなってしまったのではないだろうか?
言い換えれば、「便利すぎて、不便な携帯電話」になってしまった可能性がある。

日本国内ですらそのようなユーザー感覚があったとすれば、海外ではよりその印象が強くなってしまったのでは無いだろうか。
メーカー側からすれば「こんなに便利な機能が、たくさん搭載されているのに何故?」という疑問符ばかりが付き、ユーザー側からすれば「便利だけど、使いにくい」というギャップが、「ガラパゴス化」を生んでしまったような気がする。

日本の家電を中心とした工業製品は、これまで「いかに生活を便利にするのか?」というコトを中心に、考えられてきた。
そして、各社競ってそれを実現させてきた。
高度成長期のような時代であれば、それは大きな価値を生むことになったと思うし、事実大きな価値を生んできた。
だからこそ、日本の工業製品は世界で高い評価を受け続けることができたのだと思う。

ただ残念なことに、社会が成熟してくると「均一的便利さ」が、時として「均一的不便さ」になってしまう場合がある。
それが、日本の「ガラパゴス化」の大きな要因なのでは?
特にITといわれる分野では、それが顕著に現れたような気がしている。

日本の感性の中には、独特の「遊び感覚」がある。
余りにもきっちりと余裕が無いほどに作り上げられたモノではなく、どこか遊び心のある余裕感が、これから求められてくるような気がしている。

今更ながら、iPhoneについて考える

2011-12-20 20:40:12 | マーケティング
先日エントリをした「日本のファッションブランドは何故育たないのか?」を考えているとき、フッと「違う視点で考えたい」と思ったのがiPhoneだった。

「何を今更!」と思われることを十分承知で、改めてiPhoneの商品ポジショニングやその魅力などを見直してみたい、と思ったのだ。
というのも、iPhoneが登場する前と後の生活者の変化、それによってもたらされたモノ・コトが、iPhoneというブランドを創り、支持をされていると考えたからだ。
その意味で、iPhoneは「ブランド創り」の今という時代のお手本となる要素があると、思ったのだ。

さて、「iPhoneって、一体何?」と聞かれたら多くの人は、何と答えるだろう?
「スマートフォン」だろうか?
それとも「iPhoneは、iPhoneであって、他に代わるモノは無い」だろうか?
はたまた「生活必需品」と答える方もいらっしゃるかも知れない。

では「iPhoneによって、どんな生活変化が起きたの?」という問いに対しては、どのような答えが返ってくるのだろう?
「とにかく、便利になった」という答えだろうか?もっと具体的に「情報収集がいつでも、どこでもできる」とか「ゲームなどのアプリケーションが充実しているので、暇つぶしに使っている」と、答える方もいらっしゃるかもしれない。
実際、私が某家電量販店の店頭で「iPhoneへの買い替え」を勧められた時、販売担当の方は「ゲームなどのアプリケーションがありますから、どこでも楽しめますよ」と説明をしてくれた。
私が「それって、暇つぶしに使えるってコト?若い人は暇つぶしでiPhoneを使っているの?」とたずねると、「暇つぶしで使っている人は多いですよ」と、明快に答えてくれた。

ただ、この「暇つぶしで使っている」というのは、ジョブスの考えた「iPhoneの使い方」だとは、到底思えなかったのも事実だった。
一方、ジョブスが考えたiPhoneの使い方というのは、ユーザーが自分の使い勝手の良いようにカスタマイズする、(今や死語になった感のある言葉だが)ユビキタスな情報ツールだったのでは無いだろうか?というコトも思い浮かんだのだ。
だから人によっては、「コミュニケーションツール」となるのだろうし、「暇つぶし」にもなるのだろう。
違う見方をすれば、ユーザーが自由に自分発想で使うことで、ユーザー自身が価値を創り出す「インテリジェンスツール(=IT)」という、新しい市場を創ったコトが、iPhoneの魅力となり、ブランドを創ってきているのではないだろうか?
それがapple社の魅力ともなり、「apple」のブランド価値を高めていることにもつながっているのでは?と、考えたのだった。

北朝鮮で「ジャスミン革命」は起きるか?

2011-12-19 15:49:50 | アラカルト
北朝鮮の金正日が亡くなったと、一斉に報道されている。
この報道を知って、2つのコトが思い浮かんだ。

一つは「沈みかけた船から逃げ出すのは誰か?」というコト。
もう一つは「北朝鮮版ジャスミン革命が起きるのか?」という点だった。

ご存知の通り、北朝鮮自体国の経済は既に破綻状態となっている。
にもかかわらず、「先軍政治」を行い軍備にばかり強化してきた。
結果、軍や党の幹部にはそれなりの生活が約束されていた、という奇妙な国だった。
その「先軍政治」を強く推し進めてきたのが、とりもなおさず金正日氏だった。
その後ろ盾である金正日という人物を失い、その後継者である三男・金正恩氏への後継者としての権威付けなども終わりきっていない今、自分の身の安全を確保するために真っ先に逃げ出すのは、それまで金正日氏から恩恵を受けてきた人たちなのでは?と、感じたからだ。

彼らは、貧困に苦しむ民衆とは違い経済的にも豊か(もちろん日本や韓国のような豊かさではないが)であり、逃げ出すためのルートも持っているだろう。
それこそ、貧困に苦しむ民衆に姿を変え、漁船に乗って「脱北者」の振りをするなどというコトは、簡単にできるはずだ。

というのも、北朝鮮も他の独裁政治と同じ様に、時の権力者に取り入ることで「綱紀粛正」の対象とならない努力をしてきていても、その国のために働くという気持ちがあるとは思えないからだ。
国に対しての忠誠心ではなく、時の権力者に対するご機嫌伺いに長けている人たちが、その恩恵にあずかってきたのでは?
そのような人たちからすれば、貧困に苦しむ民衆を捨て自分のためにあらゆる手段を使って、沈みかけた船から逃げ出すような気がしている。

もう一つの「北朝鮮版ジャスミン革命」という点は、難しいかも知れない。
というのも「北朝鮮版ジャスミン革命」が起きて一番困るのは、北朝鮮自体ではなく、隣国・中国という気がするからだ。
この春~夏にかけ「ジャスミン革命」のような動きがあったが、中国政府はネット監視を強化し、現体制維持のためにはなりふり構わないような態度があった。
とすれば、北朝鮮の現体制が崩れ多くの北朝鮮の民衆が「難民」となって中国に入ってくることは、決して好ましいことではないし、その騒ぎに乗じて収まっていた「中国版ジャスミン革命」が起きることを、何としても阻止しなくてはならないからだ。
中国としては、現体制を維持しつつ民衆の経済低発展を促すような策をとってくるだろう。
それが、中国にとって一番メリットがある方法だから。
もう一つ難しいと思う理由は、民衆の貧困度が他の国と桁違いに高い、という点。
情報ツールである携帯電話やインターネットなどが、自由に使える環境にあるとはあまり思えないからだ。

いずれにしても、金正日氏の死亡というのは日本や韓国、中国やロシア、アメリカなどを巻き込み、様々な転換を起こすコトだけは間違いないと思う。