日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

天然新素材は、意外なところにあった?‐ミノムシから繊維を取る‐

2024-11-21 19:59:19 | ビジネス

今朝FM番組を聞いていたら、「え!」と思うような、トピックスがあった。
名古屋に本社がある興和が、ミノムシが吐き出した糸を素材として、量産する、という話だった。
東海テレビ:世界初“ミノムシの糸”使った繊維を商品化 興和が新ブランドを立ち上げ天然素材で環境にもやさしく 

このトピックスを聞いた時、思い出したことがあった。
それは10年ほど前、話題になった「クモの糸」を人工的に創りだした、ベンチャー企業・スパイバーだ。
TECHBLITZ:クモの糸に着目して開発された「夢の素材」資源・環境・食料問題解決へSpiber 

「クモの糸」のスパイバーは、学生ベンチャーから始まった企業なので、今回の興和とは開発費などに関しては雲泥の差だったのでは?と想像しているのだが、スパイバーの場合「クモの糸」という繊維にこだわらず、クモの糸に含まれるたんぱく質に注目することで、繊維だけではなく、化粧品などへと利用できる範囲が広がっているようだ。

スパイバーのクモの糸の時にも話題になったのだが、クモの糸は繊維としてはとても強い。
デリケートな素材の代表の一つシルクも、実はとても強い繊維だと言われている。
市販されている、「シルクのあかすり」等は、ゴシゴシ体を洗うと肌が真っ赤くなるほどだ。
シルクは蚕という蛾の一種からつくられる素材だ。
今回興和が注目した「ミノムシ」もまた、蛾の一種であるということを考えると、蛾が創り出す糸はとても強い繊維なのかもしれない。
説明によると、自然界の中で一番強度がある繊維、ということになるようだ。
その為、真っ先に考えられたのが「防弾チョッキ」のようなものだったようだが、もしかしたらそのようなものよりもより身近なモノに活用されるのでは?と、期待をしている。

例えば、シニア向けのパーソナルモビリティーの一部に使うとか、プラスチックに変わる医療向けの装具(ギブスなどの固定具やサポーター)、インテリアという分野も考えられるかもしれない。
アパレルというのであれば、アウトドア向けということも考えられそうだ。

あくまでも個人的な願望としては「防弾チョッキ」のようなモノではなく、生活者が快適で安心して日常使いできるモノへの活用を考えて欲しいと、思っている。



シンプルな言葉だからこそ伝わる‐谷川俊太郎さんを悼んで‐

2024-11-19 20:18:44 | 徒然

今朝、ネットでニュースのチェックをしていたら、詩人の谷川俊太郎さんの訃報を知った。
産経新聞:評伝・谷川俊太郎さん 透明な詩情、音楽のように 日常語で深く広い世界へ読者誘う 

谷川さんの詩というよりも、谷川さんが使われる言葉にどことなく安心された方も多かったのではないだろうか?
安心する理由は、産経新聞の見出しにある通り「日常語」=飾らない普段使いの言葉を、軽やかに表現されていたからだと感じている。
例えば、10年ほど前だっただろうか?ネスレの企業CMに「朝のリレー」という詩が、起用されたことがある。
谷川さんご自身が朗読をされている動画が、Youtubeにあった。
Youtube:谷川俊太郎作者ご本人が朗読する「朝のリレー」 

世界各地の地名が登場するのだが、リレーをするのは子供たちだ。
そこに大人の姿は無い。
それは「朝」という時間を、どのように受け取とっているのか?ということにも繋がっているのだろう、とその時に感じていた。
そして使われる言葉は、私たちが毎日当たり前に使っている、飾り立てた言葉ではなく平易で普段使っている言葉だ。
だからこそ、心の中に何かしら響くものを感じるのではないだろうか?

批評家の若松英輔さんは、ご自身の随筆の中でリルケの言葉を引用し、「詩はそぎ落とされた言葉で表現される」という趣旨のことを書いていらした記憶がある。
難しい言葉ではなく、平易でわかりやすい言葉だからこそ、伝わるのだということなのだろう。
そしていくらAIが進化し、AIが自由に言葉を操るような時が来ても、「言葉をそぎ落とし、平易でわかりやすい一文」を創ることは、難しいのでは?と、感じている。
何故なら、そこには「言葉から伝わる風景が見える言葉」が、使われなくては受け手となる読者に伝わらないからだ。

仕事上、コピーライティングをすることがある。
難しい言葉ではなく、シンプルで平易な言葉で伝える、という作業は、思いのほか大変だ。
語彙力という問題もあるが、それよりも伝える為に受け手である生活者に「コピー文から風景を見てもらう」ということを考えるからだ。
その意味で、谷川さんの創られる詩はとても勉強になっていた。
谷川さんのような詩人と商売で使うコピーと同列に見て欲しくない、と思われる方もいらっしゃると思う。
それでも、あえて言いたいのは「詩」というそぎ落とした平易な言葉を使い、読者に風景を見させる、ということはとても難しく、大変なことであり、その先にあるのが「伝える・伝わる」ということなのだと思うからだ。

最後に朝日新聞に特集されている、谷川さんのメッセージを紹介したい。
朝日新聞:谷川俊太郎 未来を生きる人たちへ



兵庫県知事選に思う

2024-11-18 19:55:07 | 徒然

昨日投開票が行われた、兵庫県知事選挙。
選挙結果については、既に報道されている通りだ。

兵庫県民ではないので、この結果について云々言える立場ではないのだが、この選挙結果と選挙に至る過程を考えると、どこか解せない感がある。
というのも、今回の選挙は「知事の失職」によって行われた選挙だからだ。
失職することになった原因は、既にメディアで報道されている通りで、知事からのパワハラが原因で自死された方がいたこと。
しかも知事をはじめとする副知事(だったと思う)の隠ぺい体質のようなものがあり、身を挺しての告発であったこと。
これらのこととは関係なく、再選された斎藤知事の「おねだり体質」が、知事としていかがなものか?という、問題に発展した、ということがあった。

パワハラ疑惑の件は別にして、「おねだり体質」に関しては、連日のようにテレビの情報番組で取り上げられていた(丁度、入院中だったので連日の報道をテレビで見ていた)。
この「おねだり体質」の方が、面白おかしく(と言っては失礼だが)取り上げられていたことも、今回の選挙結果に結びついたのでは?という気がしている。

ただ、このような問題の本質から離れたゴシップ要素の強い理由での失職・選挙は、新しい「選挙スタイル」を作り出す結果となったのでは?という気もしている。
何故なら、選挙結果から見ると斎藤知事は初当選をしたときよりも、得票数を大きく伸ばしての再選だったからだ。
時事通信: 「SNSが大きなポイント」兵庫県政立て直しに意欲‐斎藤氏

今回の兵庫県知事選よりも前、東京都知事選で立候補した安野貴博氏がまさに、デジタル選挙と言っても過言ではないのでは?という手法だったからだ。
選挙結果としては、残念なコトになったが、都知事選が行われる前に安野氏を知っていた有権者はどれくらいいたのだろう?
IT関連の仕事をされている方やSF小説ファンの方などは、知っていたのかもしれないが、一票を投じた有権者全てがIT関連の仕事をされていたり、小説のファンであったとは思えない。
とすれば、確かに街頭演説などの旧来の選挙活動をしつつ、SNSをはじめとするITを使った選挙戦を繰り広げていたのでは?と、想像できるのだ。
何故なら、安野氏は「デジタル民主主義」という言葉をキーワードとして、選挙戦を戦っていたからだ。

問題の本丸ともいえる「パワハラ疑惑」については、再選された斎藤知事本人が関係者を含まない第三者機関を立ち上げ、きちんと解明し説明をする責任があると思う。
この点を、選挙の争点としなかったのか?という、疑問も部外者としては気になったところでもある。
そして、今回の選挙結果は、昔ながらの選挙カーで立候補者の名前を連呼する選挙活動が、既に有権者から受け入れられにくい、ということを示していると思う。



企業にとって無視できないSNSの拡散力

2024-11-15 14:01:18 | ビジネス

多くの人が利用しているであろう、SNS。
その中でも、「拡散力」があると言われているのが、X(旧ツイッター)とInstagram、あるいはTikTokなのではないだろうか?
私も複数のSNSを利用しているのだが、文字情報としての拡散力があるのは、X(旧ツイッター)なのだ、と実感することがあった。

SNSを利用されている方ならご存じだと思うのだが、SNSにアクセスすると「おすすめ」と「フォロー」という2つのコンテンツ(というべきか?)を見ることができる。
「おすすめ」と言っても、自分とは全く関係の無いテーマでポストされていることが多いので、そのままスクロールをしてしまうことが多いのだが、時には「え!」という情報が発信されていることもある。
例えば、災害発生時などはSNSという情報発信ツールは、上述した通りの拡散力があるため、広く情報を伝えることができる。
例えば年明けに発生した「能登半島地震」等についても、災害発生直後から被災者から情報が発信されることも多かったし、当然支援物資などの情報なども広く共有された。
もちろん、発信される情報の中には虚偽のモノもあるため、鵜呑みにすることはできないが、即時性と拡散力という点では、マスメディアの比ではない。

それほどまでの力を持つようになったSNSだが、先日から私のXの「おすすめ」として、ある企業の不手際に関する怒りのポストがされるようになった。
その企業とは、メルカリだ。
メルカリは「自分にとって不要なものでも、他の人には欲しいもの」という着眼点から、ネット上で個人売買を行うサイトである、ということはご承知の通りだ。

しかし「個人売買」であるがために、様々な問題が指摘されてきたことも確かだ。
「コロナ禍」においては、マスクなどの衛生用品が高額で取引をされたことが問題となった。
衛生面と適正価格を逸脱した価格で売買されていた為だ。
他にも、限定販売品が発売直後から高額で転売されるなどの問題も、度々指摘されてきた。

今回私のXの「おすすめ」として見たポスト投稿された内容は、出品者が購入者の都合によりキャンセルになった商品が返送されてきたが、その返送品が出品した商品と違うものであった、という問題だ。
このことが明らかになると、X上では「私も同様の経験がある」というポストが次々と投稿されたのだが、仲介サイトであるメルカリに対応を依頼しても、全く対応に応じない、という運営側の不手際についてのポストも徐々に増えてきたのだ。

改めて、メルカリなどのCtoCビジネスについて、整理しておく必要があると思う。
メルカリはあくまでも出品サイトを運営しているだけであって、サイト利用として「手数料」を出品者から貰う、というシステムだったと思う(曖昧な表現なのは、実際私が利用したことが無いため)。
売買に関する責任そのものは、メルカリは負わないというのが基本スタンスなのだ。
その為、このような出品者と購入者との間で起きたトラブルには、介入しないことを前提としてシステムを運用している。

しかし今回のように故意的に違う商品(安価な商品など)を返品として出品者に返送する、ということになるとそれは「詐欺的行為」とみなされるのは当然だろう。
このような時の対応窓口を持っていないコトに対して、トラブルに巻き込まれた出品者は怒り、メルカリ側に誠意ある対応を訴えていたのだ。
しかし、この問題に対して対応してきた窓口は、SNS担当であったことから、より出品者の怒りが爆発し、Xに投稿され、より多くの人たちにしれわたった、ということなのだ。

ではなぜメルカリ側が、SNS担当が対応したのか?ということを考えると、やはりSNSの拡散力と即時性に対する懸念があったからなのでは?
SNSでの拡散を止めることを考えれば、担当窓口となるのは当然なのかもしれない。
しかし、このXにポストした出品者が求めているのは、このようなトラブルが発生した時の問題解決についての対応だ。
メルカリ側が、目先のことしか考えなかった為に、より事態が悪い方向へと動いてしまったのだ。

ネットビジネスと実店舗での商売は別物、と考える傾向が最近あるように感じているが、ビジネスの基本は同じなのだ。
ただ、ネットビジネスの方が、問題発生時の対応を迅速かつ誠心誠意に行わなければ、企業のイメージダウンは即時的で大きい、ということだろう。
以前から拙ブログでも指摘をしていたと思うのだが、CtoCビジネスだからこそ、運用をする側(今回はメルカリ)は当事者任せにせず、対応窓口と悪質な購入者排除の為のルールを明確にすべきだったのではないだろうか?


セブン&アイHDの買収は、原点回帰で避けられるのか?

2024-11-14 21:09:29 | ビジネス

しばらく前から、話題になっているセブン&アイホールディングスの買収の話題。
この買収についての報道がされた時、一部では「小が大をのみ込む」ようになるのか?と、話題になった。
何故なら、ご存じの通り買収を仕掛けたカナダの企業が、日本国内では知られていなかったことや、提案された買収額が思いのほか安かった(低かった)ことも、影響しているのでは?と、考えている。
事実、最初の買収提案の時、セブン&アイホールディングス側が、提案された額が低い(=安く見られたものだ)という趣旨の発言をしていたからだ。

とはいえ、買収提案をしてきたカナダの企業は、コンビニとしては北米では2位の売り上げがあり、他にもガソリンスタンドなどの経営をするという、小売りの大手と言っても過言ではないかもしれない。
そして、当初の提示額よりも買収額を上げてきたこともあり、ここで動いたのがセブン&アイホールディングスの創業家である伊藤家だ。
日経新聞:セブン&アイ自力成長かカナダ社 創業家提案で新局面 

まず、改めてセブン&アイホールディングスという、企業だが伊藤雅俊さんが創業した「イト―ヨーカ堂」がその原点だ。
1970年代初め、伊藤さんが米国視察をしたとき見かけたコンビニ形態である「セブン・イレブン」を見て、米国のセブンイレブンと業務提携をしイトーヨーカ堂傘下のコンビニとして始まっている。
それが現在では、母体であったスーパー「イトーヨーカ堂」ではなく、傘下にしていた「セブン・イレブン」の方が売り上げ、事業規模などが上回り、セブン&アイホールディングスの中心企業となった、という経緯がある。

元々米国企業との業務提携から始まったのだから、カナダの小売企業が買収を持ちかけてきたのか?という印象もあるのだが、とはいえご存じの通りセブン・イレブンは日本のコンビニの中でも店舗数や売り上げでもトップのコンビニだ。
そのトップ企業を買収する目的は、単純に「日本の市場を手に入れる」というだけではないのでは?
何故なら、日本の「コンビニ」そのものが、その業態名が示す通り「便利(=コンビニエント)」な存在として、生活に根付いているからだろう。
その事業幅は、食品以外にもPB商品を展開し、金融業も行っている。
このような事業領域の広さもまた、買収側にとっては魅力的だったのではないだろうか?

この買収に待った!と掛けたのが、イトーヨーカ堂を創業し、セブンイレブンという米国発のコンビニを日本に持ってきた、伊藤家だった。
創業家がこのような買収に動く、ということは相当な考えがあるのだろう。
もしかしたら「日本のコンビニを守りたい」という、事業に対する思い入れもあるのかもしれない。
この創業家の動きで、セブン&アイホールディングスは、創業の原点に立ち戻るようになるのだろうか?


これが「保守」の考えなの?‐百田尚樹氏の女性に対する発言‐

2024-11-11 22:39:39 | アラカルト

一昨日、私のX(旧ツイッター)に、「この発言はいかがなもの」というリポストが、表示された。
その内容が、新聞各社の記事となって、掲載されている。
日経新聞: 「30超えたら子宮摘出」日本保守党百田尚樹代表、SFとして 

これまでも、保守と呼ばれる国会議員さんの中には「女性は、子どもを産むのが役目」という趣旨の発言をされる方は、いらっしゃっていた。
その多くは、自民党のご高齢議員さん達だったように思う。
その議員さん達の頭の中は「戦前・戦中の10代で結婚、出産をしてきた女性」を、当たり前と思ってきたのだろう、と想像をしていた。
それは、ご自身の母親の姿だったのかもしれない、と感じるほどご高齢の国会議員さん達だったのだ。

しかし今回の百田氏は、そのような世代ではない。
しかもご自身のYoutubeチャンネルで、リンクを貼った記事の内容を話している。
いくら「小説家のSF」と前置きをしていたとしても、どうなのだろうか?
単に「品性を欠く」とか「前時代的」という範疇の話ではない、という気がするのだ。

そして昨日、ご自身の発言があまりにも批判的意見が多い、ということに気づかれたのか?一転、謝罪をしている。
FNNプライムオンライン: 「30歳超えたら子宮摘出手術」「25歳超えて独身は結婚できない法律に」日本保守党・百田尚樹代表“問題発言”謝罪

この発言に対して、いくつものツッコミどころがあるのだが、「25歳超えて独身」というのは、男性にも適用されるのだろうか?
おそらく百田氏の中では、女性限定という意味だと思う。
そしてそのイメージの根拠となっているのは1980年代初めのころに言われた「クリスマスケーキ説」なのだろう。
お若い方はご存じないと思うのだが、女性の結婚適齢期を指す言葉の一つで「クリスマスケーキのように24までは、それなりの嫁ぎ先はあっても、25になると嫁ぎ先は無くなる(=結婚相手として見られなくなる)」という考えだ。
当時の女性は圧倒的に、高卒か短大卒で就職をする人が多かった。
高卒で就職すれば、24歳になるころは社会人5年、短大卒でも3年の経験がある、ということになる。
このくらいの年齢で、寿退社をしてもらえれば、企業側にとっても「(男性が)職場結婚の相手を見つける」というメリットもあったはずなのだ。
特にこのような傾向が強かったのが、バブル経済前の銀行や商社、大手メーカーなど日本経済をけん引するような大企業だった。
そのような考えに囚われ続けての、発言なのだろう。

ただ、女性の妊娠適齢期と呼ばれる年齢があることも確かだ。
35歳を過ぎてしまうと、妊娠しにくくなる、というデータはある。
日経新聞:女性が妊娠する能力は35歳で本当に急降下するのか? 

妊娠という視点だけで考えれば、百田さんのいうことは大きく違ってはいないだろうが、だからと言って子宮を摘出してしまえば、「更年期障害」という症状があらわれてしまう。
一般的に、「更年期障害」は閉経の前後10年に起きる、と言われている。
閉経とは関係なく、病気などにより子宮を摘出してしまうと「更年期障害」のような症状に悩まされ、病院に通う女性も少なくない。
このようなコトを知っていれば、安易に「子宮摘出」等という言葉は、出てこないはずなのだ。
そして、乳房と同じく子宮は、女性の象徴ともいえる臓器に対して、このような乱暴な発言をしてしまう、ということは若い女性にしか社会的価値が無い、と考えているのでは?

百田氏は、あくまでも「作家の戯言」のようなコトを言うことで、胡麻化しているが、これらの言葉は百田氏の本音に近いのでは?という気がしている。
「女性は、男性にかしずいて、男性のいうことを聞けば良い」というような、印象すら受けるのだ。
それが、百田氏が立ち上げた「日本保守党」という政治団体の本質でもあるのでは?という、気もしている。




「106万円の壁」の問題

2024-11-09 11:57:58 | ライフスタイル

衆議院選挙の頃、立候補者の多くは口々に「生活者の収入を増やす」ということを、公約の一つに掲げていたと思う。
選挙後、この動きが具体的になってきているようだ。
と言っても「収入を増やす」と、一概に言えないのでは?という気がしている。
それが「106万円の壁」だ。
朝日新聞: 「106万円の壁」収入条件を撤廃へ 厚労省方針 労使の負担変更も 

ご存じの方も多いと思うのだが、この「106万円の壁」のまえには「103万円の壁」がある。
主婦がパートなどで収入を得る為には、「乗り越えなければならない壁」が、いくつもあるのだ。
「乗り越えなくてはならない壁」と言っても、「乗り越える壁」の中には世帯主の扶養控除という制度と関係してくるので、パート主婦だけの問題ではない、という点も忘れてはいけないだろう。

厚労省が発表している資料を見ると、この「106万円の壁」は手取りに影響する「壁」ということが分かる。



その一方で、正規雇用で結婚・出産後も働き続けている女性からは「社会保障などのただ乗り」という、批判もあることは事実だろう。
給与が少ないのだから、当然という考えもわかるのだが、昨今のようにパートで働くシングルマザーが増えてくると、世帯収入は一般的なパート主婦は多く、社会保障費などは世帯主の負担となり、パートで得られた「個人の可処分所得」は多い、ということになる。
もちろん、「パートで収入を得る」ということは、子どもの習い事代の為であったり、生活費の補填という動機があるはずだが、パートで働くシングルマザーとは、そもそも生活環境が大きく違う。
離婚時に養育費などを請求しても、支払わない場合が多いという現実もあるのだが、パート主婦の税優遇がある、というのは事実だろう。

その理由は、「世帯主である夫が働き、妻は家庭で家事をする」という、長い間使われてきた「モデル世帯」を基本としてきたからだろう。
その「モデル世帯」そのものが、今の社会とはかけ離れたモノとなり、多様な家族形態が一般的になりつつある現在、「パート主婦だけを優遇するような制度」の見直し論が出てくるのは、当然かもしれない。

もう一つ、今回この話題が出るようになった背景には、「社会保障費の増大」の対応策、ということもあるのではないだろうか?
ただし、この106万円という額は勤め先となる企業に対する負担も発生するため、「106万円の壁」を無くすためには、中小企業の理解も必要となる。
もしかしたら、社会保障費の負担増となる中小企業の抵抗の方が、パート主婦よりも強いかもしれない。

「106万円の壁」は、様々な政府の思惑があり、単純な「年収アップ」という訳ではない、ということを理解しつつ、「社会保障費負担の不公平感」や多様な家族形態によって起こっている経済格差、ということにも目を向け政策を考える必要があるのではないだろうか?





「星空」という観光資源

2024-11-07 14:39:56 | マーケティング

10月下旬の日経新聞の地方ニュースの記事一覧を見て、驚いたことがある。
それは、日本各地で「星空」をテーマとしたツーリズムに取り組む動きがあったからだ。
そのような動きに敏感だったのは、日経だけではなかったようで、朝日新聞のGlobalにも「星空」に関する記事が掲載されている。
朝日新聞:星空保護に取り組む篠原ともえさん「地球に住むマナー」を指摘 光害対策を応援

「星空」を地域資源として活用しようとしている地域の多くは、過疎に近い状況にあるようだ。
むしろ、10年ほど前から問題になっている「光害」と呼ばれるような、深夜でも様々な光があふれる都市部では、「星空を見る」ということ自体出来なくなっている。
昨今では深夜時間帯だけは、ライトダウンするようになっている所もあるようだが、都市規模が大きくなればなるほど、人工的な光があふれる様になっていることには違いないはずだ。
東京都庁にプロジェクションマッピングなどの話題もあり、プロジェクションマッピングで観光客を誘致するような動きもあるような話も聞かないわけではない。

それほど、都市部の生活者は「光に溢れた生活」をしている。
それを逆手にとって「自然の中で感じ取る明り=星空」を、積極的に情報発信しようとする動きも出ている地域がある、ということなのだ。
このような動きは、決して今に始まったことではないのでは?と、感じる部分がある。
というのも「コロナ禍」以降、「自分の生活の場」をなんでも揃う都会からやや不便ではあるが、「生きている実感」が感じられるという理由で、地方に移住する若い人達が少しづつ現れてきたからだ。

この背景にあるのは、自分たちの暮らし方(=ライフスタイル)をYoutubeのような動画サイトで紹介しつつ、都会では感じられない自然の豊かさを感じる生活を実践しているからだ。
もちろん、実質的にはYoutube広告から得られる収益が主な収入源となっている可能性の方が高いが、このような日本の地方での暮らしが、Youtubeのようなネットサービスによって世界中に発信されることで生まれる、意外な観光地もある。

例えば、東北のネット環境が全くない鄙びた温泉宿に、海外からの観光客が殺到している。
さほど大きな旅館ではなく、ネット環境が全くないような場所にあるにもかかわらず、宿泊客の7割近くが海外からだという。
これまでのインバウンドの発想の中心は、「アクセスが良い。買い物ができる。世界的に有名な観光地がある」ということを必須条件だったように感じる。

しかし、そのような発想は周回遅れなのかもしれない。
確かに、京都で観られるオーバーツーリズムは、その地域で生活をしている人達の生活そのものを、脅かす状況になりつつある。
その一方で、上述したようなあえて鄙びた場所にある温泉旅館を選ぶ海外からの旅行者も増えている、ということなのだ。
著名な観光地をあえて外す海外からの旅行者は、既に日本に何度か来日した経験があり「ガイドブックで紹介されているような場所には興味が無い」のだ。
とすれば、これまでインバウンドの必須条件が無くても、地域創生の為の海外からの旅行者誘致は可能になる。
それは日本の伝統的なお祭りであったり、豊かな自然、歴史的遺構などだ。
と同時に、点で観光地を考えるのではなく、面で考える自然豊かな地域資産の掘り起こし、という発想が求められている気がする。




「もしトラ」が、現実になるかもしれない

2024-11-06 17:01:38 | アラカルト

現在も開票が進んでいる、米国の大統領選。
お昼ごろに、ジョージア州をトランプ氏が獲得、というニュースがあった。
そして夕方、ペンシルベニア州もトランプ氏が制した、というニュースが報じられた。
米国の大統領選で、勝敗を分ける州がいくつかある、と言われている。
その州がジョージア州とペンシルベニア州だ。
残る一つが、フロリダ州だと言われている。

そして、ニュースにあった通りジョージア州とペンシルベニア州の2つをトランプ氏が制した、ということになると、おそらく次期大統領はトランプ氏ということになる可能性が高い、と考えてよいだろう。
選挙前から言われていた「もしトラ」が、現実のモノとなったのだ。

民主党の敗因を上げるとすれば、当初立候補者としてバイデン氏を上げていた事だろう。
バイデン氏は、ご存じの通り就任直後から高齢の為なのか?言い間違いや出席者の名前などを間違えたり、忘れたりということが、度々あった。
その時点で、民主党はバイデン氏の再選を諦めるべきだったのでは?と、個人的には思っていた。
余りにも、バイデン氏に対する不安から急遽立候補者として名前が挙がったのが、ハリス氏だった。
その意味で、ハリス氏の選挙準備期間はトランプ氏よりも短く、ハンディがあったということになる。
何故ならトランプ氏は、バイデン大統領が誕生した時から「自分は、大統領に復帰する」と、豪語していたからだ。

そして選挙戦が始まると、トランプ節は以前と変わらずだった。
「虚言」を繰り返し、様々な波紋を呼んできた。
ネット上で言われる「炎上商法」ともとれるような発言に、辟易とする米国民もいたのでは?と思っていたのだが、それよりもそのような発言を歓迎するような人達が、少なからずいたという事実に、現在の米国が抱えている問題の一端を見たような気がしたのも確かだった。
言い換えれば、「バイデン氏に期待したのに、何も変わらない」と感じている人たちが、多かったということなのだろう。
そのバイデン氏というか民主党に期待していた層が、トランプ氏支持へと動いたのかもしれない。

2大政党で政治を行ってきている米国だが、その政策の中でも経済政策は大きく違う。
トランプ氏の共和党は、「小さな政府」を志向してきた政党だ。
最もトランプ氏自身は、これまでの共和党の「小さな政府」という考えは、持っていないのでは?と、感じている。
共和党の中でも異端な考えを持って、支持を集めてきたのがトランプ氏でもあったのだ。
トランプ氏のこれまでの発言をみてみると「米国の利益優先」ということを強調している。
この言葉が「忘れられて人たち」と呼ばれる、かつての主要産業関連で働いてきたブルーワーカーの人たちの心をとらえるコトとなったのだ。
だが、トランプ氏が本当に「忘れられた人たち」の為に積極的政策をしたのか?というと、どうなのだろう?という疑問がある。

ただそれよりも「バイデン氏の方が、何もやってくれなかった」という、気持ちが強かったのではないだろうか?
その点から考えると、ハリス氏の敗北は民主党の後手後手になった大統領選準備の失敗、ということになると思う。

「もしトラ」が確実になった現在、果たして日本政府はどう動くのか?
以前のような「自民一強」ではないコトを考えると、日本の政治家の「政治・外交交渉力」が、試される4年間になるような気がしている。

 


クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソン

2024-11-05 14:44:56 | 徒然

昨夜遅く、ある大物音楽プロデューサーの訃報が、報道された。
その大物音楽プロデューザーとは、クインシー・ジョーンズのことだ。
今の若い方が、どれほどクインシー・ジョーンズのことを知っているのかは、わからない。
ただ、私と同世代の洋楽ファンにとって、クインシー・ジョーンズは音楽プロデューサーやコンポーザーもちろんミュージシャンという、範疇を越えた存在であったことは、確かだった。

今朝になり、頻繁にFMからマイケル・ジャクソンの楽曲が流れているのは、クインシー・ジョーンズに対する敬意と追悼の意味があってのことだ。
そのことが分かるが故に、マイケル・ジャクソンが自分の兄弟グループ「ジャクソンズ」から、一人離れ活躍するようになった立役者としての凄さを感じることができるのだ。

まず、マイケル・ジャクソンについて改めて書く必要はないと思うのだが、幼少期からショービジネスン世界で活躍を始めたスーパースターであっても、一時期苦しんだ時代があった、ということをご存じの方はどれだけいらっしゃるのだろう?
幼少期、マイケル・ジャクソンは踊りと歌が上手い、クリっとした目が可愛い黒人のこども、として人気者になった。
当時は、人種差別がまだまだ厳しい時代。
ステージ上では、チヤホヤされてもステージを降りれば、強烈な人種差別がある、という幼少期でもあったのだ。
そして少年から変声期を経て青年になる過程において、「ジャクソン5」は「ジャクソンズ」と改名し、活動をするのだが、かつてのようなヒット曲には恵まれないという状況が続いていた。
世間はいつまで経っても、踊りがと歌が上手い、可愛い黒人の男の子、を求めていたということかもしれない。
時期的には、兄たちとの不仲説が言われた時期でもあったように思う。

そんな時、マイケルジャクソンがソロとして活動をする為にプロデュースを依頼したのが、クインシー・ジョーンズだったのだ。
既に、大物プロデューサーとして活躍をしていたクインシー・ジョーンズが、世に出したアルバムが「Off The Wall」だったと思う。
このアルバムで、ソロミュージシャンとしてのマイケルジャクソンの人気を決定づけた、と言っても過言ではないと(個人的には)考えている。
タキシードを着て、整形をする前のマイケル・ジャクソンの表情からは、「音楽の楽しさ」というモノを感じさせるだけではなく、ブラックミュージックに囚われることなく、幅広いジャンルの音楽を1枚のアルバムに収録することで、これまでの「踊りと歌が上手い黒人のこども」という、それまでのイメージを一新させることに成功したからだ。

クインシー・ジョーンズに関しては、「愛のコリーダ」という作品にも触れておく必要があるだろう。
作品タイトルを見て、邦画ファンの方なら分かったと思うのだが故大島渚監督の作品「愛のコリーダ」にインスパイヤ―されて作られた楽曲だ。
タイトルそのものに、日本語を使うという斬新さに驚いたが、クインシー・ジョーンズの魅力は幅広い文化的好奇心があり、それを音楽という場所でつくり上げる、ということに対して特別な才があった、ということだろう。

もし、クインシー・ジョーンズがいなければ、マイケル・ジャクソンは「スリラー」という作品をつくり上げることはできなかっただろうし、数多くの黒人ミュージシャンにスポットライトも当たらなかったかもしれない。
訃報を知り、1970年代~2000年代の洋楽シーンの中心にいたのだな、と改めて感じている。