個人的には降って湧いた様な「ビットコイン騒動?」。
何となく聞いたことはあったのだが、「仮想通貨」ということや「マネーロンダリング」ということばが、ついて回っていたため「筋の良くない儲け話」という程度の認識しかしていなかった。
その「ビットコイン」の取引所(?)の一つ「Mt.Gox」が再生法を申請した、とニュースにあった。
日本では余り馴染みがないため、積極的な取引をしていた方は少なかった様だが、世界各地では、そんなのんきな規模の話では無いようだ。
今回の「Mt.Gox」の破綻(?)の大きな原因は、システム上のバグがありそこから取引データが流出、結果本来「Mt.Gox」に在るべき「ビットコイン」がネット上で盗まれた、と言うことらしい。
「ネット社会で起きた事件」と見るコトができるのだが、そもそもこの「ビットコイン」という通貨、誰が管理をしていたのだろう?
いろいろ調べてみると、誰かが管理をするのではなく「ビットコイン」という通貨を流通させる中で、その「ビットコイン」の価格が変動し、実際の通貨に反映されるということらしい。
私の理解不足もあると思うのだが、どうも「基本中の基本」がわからないのだ。
アナログ思考の私としては、実際の通貨を仮想通貨に置き換えるのであれば、その「仮想通貨の価値」というモノがあると思う。
それが、実際の通貨から見ると驚く程高い、と言うことも不思議だった。
株式投資などは、投資する企業の情報を得て納得して、投資することができるのに、この「ビットコイン」には、その様な情報がある訳ではなく「ビットコイン」という仕組みそのものが、ある種の「価値」となっていた様に思える。
とすると、半ば投資目的でこの「ビットコイン」という商品を購入した人は、そのシステムを購入した、と言うことなのだろうか?
もう一つ感じたことが、中国をはじめとする「ビットコイン」に対する熱狂さだ。
伝え聞く熱狂さを知ると、「バブル(経済)」ということばを思い浮かべてしまうのだ。
それだけ、中国を中心に「金余り」という状態で、新しい「儲け話」を求めていた、と言うことなのかも知れない。
中国の場合、決してそれだけが大きな理由では無さそうだが、自国通貨よりも仮想通貨のほうに信頼を置き、投資するという人が世界中には多かった、と言うことなのだろうか?
いずれにしても「Mt.Gox」の再生法申請で、随分損をした人がいるのではないだろうか?
だからと言って「仮想通貨」であれば、保障されるべきものは何もない。
それこそ「自己責任」と言うことになる。
もちろん、その覚悟をして投資をされていたのだと思う。
冷静に考えれば、仮想通貨を実際の通貨と交換する為には、相当額の実際に使うことができる通貨の準備が必要だろう。
それだけの通貨準備をする為には、それこそ各国の中央銀行と何らかの関係を結ぶか世界規模で投資する人を億単位で集めるくらいしか方法が無いと思うのだが・・・。
「儲け話」というのは、人の思考を停止させてしまうモノなのかも知れない。
一部の新聞での報道なのだが、あるテレビCMに対して医療関係者が疑問を呈している。
そのCMとは、「HBOC」という遺伝性のがんの検査を勧めると言う内容のモノ。
youtube:ファルコバイオシステムズ
このCMを何気なく見る限り、何も問題がないように見える。
しかし、医療関係者が疑問を呈している理由が「何も問題がないように見える」ことなのだ。
「遺伝性乳がん」については、昨年米国の女優・Aジョリーさんが「遺伝性乳がんに罹患する確率が高い」という理由で、「予防的乳房切除」をおこない公表した。
公表したことで、日本でも一時期話題となった。
ただ、日本の医療関係者、特に乳がん治療に携わる乳腺外科の医療者からは、「予防的乳房切除」に関して、余り積極的な意見が出ていない。
「積極的意見」と言うよりも、むしろ「乳がん」というがんの理解が深まることが最優先で、その先に「遺伝性乳がん、卵巣がん」の情報を伝えることが重要、と言う意見が多いようだ。
では、なぜこのCMが問題なのか?と言うと、実は「遺伝性乳がん・卵巣がん」の遺伝子検査には、「事前に遺伝子カウンセリングを受ける」と言う条件があり、「遺伝子カンセリング」ができる「カウンセラー」は、全国でも200名ほどしかいない。
それだけではなく、「遺伝子検査」によって、「検査を受けた人(や家族)が受ける不利益」等の議論がしっかりできていない、と言う点もある。
「遺伝性乳がん・卵巣がんの発症リスクが高い」と言うことがわかるコトで、検査を受けた女性だけではなく、その姉妹・兄弟にも大きな影響を与えることになる。
(男性であっても、乳がんや卵巣がんが発症するリスクのある遺伝子を受け継いでいると考えられるため、男兄弟であっても結婚などに影響があるのでは?と、考えられるため)。
もう一つは、現在この検査ができる企業が、このCMを流しているファルコバイオシステムズ1社だけ、と言う点がある。
確かに、生活者に情報を流すと言う意味においては、例え1社の独占であっても、意味があることだが、遺伝子カウンセリングができる病院からの紹介が無い限り検査ができない、と言う状況で、CMを流す必要があるのだろうか?と言う、疑問だ。
何よりも医療関係者が、困惑している理由は「遺伝子検査が絶対である」と、考える生活者がいるかもしれない、と言う懸念だ。
「遺伝子検査」そのものは、ある意味「確率」の問題で、「陽性」になったから「絶対乳がんや卵巣がんになる」とは言い切れないし、また逆に「陰性」だからと言って、「乳がんや卵巣がんにならない」と言う確証もないのだ(遺伝性乳がんの患者さんは、乳がん患者の5%程度)。
テレビCMは、不特定多数の人が見る。
だからこそ伝える情報は、正確でなくてはならないし、不安を煽るモノであってはならない。
そのような基本的なコトが、テレビCMには重要、と言うことをこのCMの問題は教えている様な気がする。
NHKの新しい会長となった籾井さんの発言が、物議を醸し出している。
そして今度は、理事達に「日付のない辞表」を出させていた、と言う。
一部では「民間企業ではあること」と言う方もいらっしゃる様だが、民間企業でもその様なことは無いと思う。
会社役員という立場になったことがないので、何とも言えないのだが、「辞表を胸ポケットにしまい、仕事をする」という方は、いらっしゃるかも知れない。
それは「辞表を提出するほどの覚悟と心構えで仕事に取り組んでいる」ということであって、上司が「提出せよ」と言っている訳では無いと思う。
まして「日付無し」というのは、まるで「辞表を預かっているのだから、いつでも辞めてもらっても良い。辞めさせることはいつでもできる」と、言っている様なモノではないだろうか?
まるで「ブラック企業」の社長がやるようなことだという気がする。
その様なことをされた籾井さんのキャリアが、とても気になった。
NHK会長となれば、当然それなりのビジネスキャリアがある。
大手商社で副社長という経験や関連会社の社長経験がある、と言うことだが一連の発言や行動を見てみると、決してその様なビジネスキャリアがある様には思えない。
籾井さんが商社マンとして活躍をされていた時代というのは、日本が高度成長期に突入した頃。
その当時と今とでは、随分ビジネス環境そのものが変わっている。
何より「かつてのような高度成長」など望める様な時代ではない、と言うことは多くの経営者がわかっていると思う。
その様な経営環境の中で、いかに企業を発展させるのか?と言うことを考えているはずだ。
NHKそのものは、一般企業の様な「経営」をする必要がない。
予算も国会で決められ、「国民のみなさまからの受信料」で、経営が成り立っているからだ。
だからと言って、籾井さんの様な「ブラック企業」の様な発想でも良いのだろうか?
むしろNHKが受信料不払い問題で持ち出す「放送法」を、遵守する必要があると思う。
そう考えると、籾井さんのビジネスセンスというのは、実にご自分に都合の良い「ご都合主義」的思考の上に成り立っている、と言う気がしてくるのだ。
それにしても、今回のNHKの経営委員に選出された方々の中には「突飛な思考」の方が多いようだ。
時代が大きく変わるとき「突飛な思考」が必要とされることはあるのだが、その突飛さの方向が今の時代と合っていない様な気がする。
委員を任命した安倍さんの思考が、今回の「突飛な思考」の方と同じ思考、と言うことなのだろうか?
ソチ冬季オリンピックが閉幕した。
今回のオリンピックで感じたことの一つが、「若い選手の活躍」だ。
男子フィギュアスケートで金メダリストとなった、羽生結弦選手をはじめ、10代のメダリスト達が誕生した。
もちろん、「レジェンド」として讃えられた葛西選手の活躍は、素晴らしいと思う。
その様な選手達の活躍ぶりを見ていると、「日本も様々なスポーツの裾野が広がりはじめているのかな?」という気がしている。
様々なスポーツにチャレンジをし、その才能を開花させるチャンスが増えているとすれば、日本のスポーツ文化も発展しているのだな~と、嬉しくなってしまう。
嬉しいだけではなく、それを実感できたのが今回のソチだったと思う。
反面、2020年の東京オリンピック組織委員会長の森さんの発言を聞いていると、もう一つの日本スポーツの問題のようなものを感じる。
それは「スポーツ文化を理解している政治家の人材不足」だ。
確かに、浅田選手に対する発言は「真意が伝わっていなかった」のかも知れないが、発言全体を通してよく読むと、他の選手に対する暴言があった、と言うことが分かる。
メディアが浅田選手の部分を中心に取り上げたために、もっと大きな失言が見逃されてしまった感がある。
そして、日曜日に行われた秩父宮ラグビー場での天覧試合でも、「ハァァ~~~」という発言をしていらっしゃる様だ。
スポーツ報知:森元首相 秩父宮では平穏 両陛下の説明役務めご満悦
記事そのものは、森さんが得意げに両陛下の(ラグビーの)説明役をした、と言う内容なのだが、陛下が「ラグビーがこんなに面白いスポーツだと思わなかった」というお言葉に対して、余分な一言。
確か森さんは、日本ラグビーフットボール協会の会長をしていらっしゃったと思うのだが(だから、天覧試合で説明役になったと思うのだが)、ラグビーというスポーツを振興しようという気が余りないようだ。
ご本人は「早稲田大学ラグビー部」という経歴がある、と言うことでこの様な要職に就いているはずなのだが、この様な発言を知ると「本当にラグビーというスポーツが好きなのだろうか?」と、疑問に思ってしまう。
なにより、オリンピック組織委員の会長などの要職ができる人材が、この様な人なのか?と思うと、スポーツという分野においての政治的人材不足を感じるのだ。
これまで元スポーツ選手が政治家になることはあっても、政治家がスポーツ振興のために国際舞台で活躍をした、と言う記憶は無い。
2020年の東京オリンピック組織委員会の場合、会長になる方がおらず「消去法」で森さんになった、と言う話を聞いたコトがあるが、言い換えれば森さん程度の人材しかいなかった、と言うことにもなる。
スポーツの国際舞台の裏側というのは、国際政治の舞台と同じ様駆け引きがある、と言うことを聞いたことがある。
とすれば、ご自分が経験したコトがあるスポーツですら失言をしてしまう様な人材では、とてもでは無いが国際舞台での駆け引きなどできないと思うのだ。
その点で、日本のスポーツにおける問題は「スポーツに対して理解がある政治家がいない」ということのような気がする。
テレビCMは、番組の邪魔者!と思っていらっしゃる方も多いと思う。
テレビCMの場合「中座をする」と言う方法で、CMを見ないと言う方法があるのだが、ラジオCMの場合、その様な訳にもいかない。
とは言うものの、ラジオCMは映像がないため音声だけで「製品・商品・サービス」を伝えなくてはならない。
その為の苦労というのは、テレビCMとは別の苦労があると思う。
だからだろうか?ラジオCMと言うのは、その時々の社会を反映しているモノが多い様な気がする。
最近では、某ドリンク剤のCMに「クスッ」と笑ってしまった。
一つは「なんてきれいな夜景なの?」とデート中の女性が男性に話しかけ、ややお疲れ気味の男性は「それは、サラリーマンの苦労が輝いているからさ」と、答える。
確かに、高層のオフィスビルには、夜遅くまで照明が点いているコトが多いだろう。遅くまで仕事をする人達がいるからこそ、遅くまで照明が点きそれが一つの夜景となっている・・・と言うのは、想像できる。
また、最近フィットネスクラブに通い始めた若い男性社員が、ウェイトトレーニングの成果自慢をしていると、「あら、私なんて10㎏くらいは片手で持ち上げているわ」と、女性が一言。
その言葉に反応した若い男性社員達のことばは「子育て、お疲れ様です」だった。
おそらく、10年前なら、この様なCMはできなかっただろう。
子育てをしながら仕事を続ける女性が増えてきたからこそ、この様なCMがリアリティを持って聞けるのだと思う。
僅か数秒足らずのラジオCMには、ユーモアのセンスだけではなく、エッセンスとしての社会風刺も必要だ。
それが「都会の夜景と残業をするサラリーマン」であったり、「スポーツジムでのウェイトトレーニングに対する子育ての大変さ」になるのだと思う。
「映像がない」と言うことは、聞き手が想像しやすくなくては意味が薄れる、と言うことなのだと思う。
ちなみに同じラジオCMのシリーズの中には以下の様なモノもある。
母親「さぁ、ごはんにしましょう。その前にすることは?」
子ども「まず、写真を撮ってブログにアップする!!」
母親「まず、手を洗うでしょ(やや怒りの語調)」
確かに、最近外食をすると「頂きます」よりも先にスマホやデジカメで写真を撮る人は多い。
それが良い・悪いではない。その様な人が増えている。増えているだけではなく当たり前になってきている、と言うことをシニカルに伝えているのだと思う。
その点では、テレビCMよりもラジオCMのほうが社会風刺度は高い様な気がする。
最近富士通のパソコンの広告が、とても気になっている。
富士通LIFEBOOK:GRANNOTE
勘の良い方ならおわかりだと思うのだが、この広告に登場しているのは総て男性。
なぜ、女性が登場しないのだろう?
別に最近流行(?)になっている「クレームでCM中止」を狙っている訳ではない。
単純に「女性が登場しないこと」に疑問を感じているだけなのだ。
と言うのも「大人の生活をより豊かに」というのが、このPCのキャッチフレーズだからだ。
女性は、「大人の生活をより豊かに」する対象ではない、と言うことだろうか?
米国ほどではないが、日本でも複数の人が起用される広告では男女比・世代比などのバランスに配慮する傾向がある。
さすがに、女性下着のCMに男性がその下着を着用すると言うことは無いが、女性向け商品にあえて男性を起用する、と言うケースは若干ではあるが増えてきているように感じている。
男性アイドルを起用し「男性から女性にエールを送る」と言う、演出のCM等は対象としているのは女性だが、あえて男性を起用し商品のイメージづけをしている、と言う一例だと言える。
そう考えると、ノートPCと言う商品そのものは、男性向け・女性向けという商品ではない。
そしてこの「GRANNOTE」という商品のキャッチコピーとなっている「大人の生活」という点でも、男性・女性は関係がないと思う。
この広告に登場している男性を拝見すると、おそらく40代後半~50代のように思われるのだが、この世代の女性達の多くは子育てもほぼ終わり、自分の時間を上手に使い、友人同士の小旅行やショッピングなどでネットを日常的に活用している世代だと思う。
もちろん、仕事をし続けている女性も多い世代でもある。
むしろ、男性のほうがその様な余裕が持てずにいるのでは?
とすれば、このPCの付帯サービスが「大人(男性)の生活を豊かにする」ということだろうか?
面白いことに、WEBで紹介されている「みんなの声」を見てみると、実は広告に起用されている様な世代ではなく、もっと若い世代が興味を持っている。
何となくだが「大人の生活を豊かにする」というキャッチコピーとは裏腹に、本当はもっと若い世代で男性・女性なども関係がない人達が、この商品のユーザーなのでは?
違う言い方をするなら「普通のPCと同じ」ということだと思う。
広告も「大人」をキーワードにした付帯サービスにしても、企業側がやりたいことが「今」にあっているの?と、感じるのだ。
週明けから、母の墓参りのために帰省しておりました。
それにしても、今年は本当におかしな気候です。
毎年この時期の山陰は大雪で、母の墓参りも大変。
この冬は、雪の降り始めが早く、大雪となったため防滑・防水のブーツを新調したのですが、活躍をしたのは、2週続けて雪が降った名古屋。
実家に帰省すると、路肩にもほとんど雪がない状態。
原因などは、気象情報なので判っていてもやはり「地球がおかしい」と感じますね。
さて、数日間実家で生活をしていて気づくことがあった。
それは「生協」の取扱商品の変化だった。
実は、母は元気だった頃から長い間、生協の組合員だった。
今は、独居老人状態の父が、組合員となって生協から食料品を購入している。
帰省した時の楽しみの一つが、「生協のカタログを見る」こと。
理由は、スーパーでは見られない様な商品を見ることができるからだ。
ご存じの方も多いと思うのだが、生協で取り扱う商品の多くは「生協」というブランドで扱われている。
いわば「生協」という、PB商品がメインということだ。
もちろん、生協の組合員と一緒になって開発したオリジナル商品も多いのだが、加工食品に関しては、パッケージを見ると某メーカーの商品なんだろうな・・・と思われる商品も数多くある。
そんな生協のカタログだが、しばらく前から「生協」という名前ではなく、ゼネラルブランドの商品も見かける様になってきた。
ゼネラルブランド商品の中でも目を引いたのが、「明治乳業」のヨーグルトだった。
「リスクとたたかう」とか「免疫力を高める」という、キャッチフレーズのヨーグルトだ。
スーパーなどでも販売されている商品であり、スーパーに比べ値引きがない生協での価格は、当然若干割高になっている。
それでも、生協が扱うのはなぜだろう?と、いろいろ考えてみた。
昨年秋頃から、ヨーグルトというか「乳酸菌」の新商品が目立って増えている。
小岩井からは「プラズマ乳酸菌」という、商品が発売されている。
プラズマと乳酸菌が結びつかず、一体どんな乳酸菌なのか気になるところだが、昨今の「トクホ」ブームと、生活者の健康志向が結びついて、この様な「新種の乳酸菌」が登場するのだろう。
それらの「乳酸菌」は、商品開発をした食品メーカー各社が「特許」を持っている。
その為、組合員から強い希望があれば取扱をせざる得ないのだ。
一方、食品メーカー側からすれば、生協の組合員という大きく固定的な市場で、商品を提供できる。言い換えれば、安定した市場で製造ができ値崩れを気にする必要がない、と言う安心感があるはずだ。
生協の組合員であっても、スーパーで買い物をしない訳ではない。
それでも、「生協」と言うブランドが持つ「安全で安心な食品」、「生産者と生活者が一緒になって作る」という、「生活者参加型商品づくり」のブランド力はとても強い。
そこにゼネラルブランドの扱いがあったとしても、「生協」のイメージはほとんど変わるコトがない。むしろ、「商品を選ぶ眼が確かな生活者に認められた」と言う点では、ゼネラルブランド側のほうがメリットが高いかも知れない。
そんなことを考えながら「生協のチラシ」を見る帰省だった。
先日の東京都知事選の結果を見て、「案外、東京という都市は保守的なのかも知れない」と、感じた。
むしろ、地方のほうが「革新的」と言う表現は大袈裟かも知れないが、未来志向が強いのでは?と言う気がした。
と言うのも、荒唐無稽のようなアイディアの大阪の「道頓堀プール」というアイディアなどは、実現できる・できないではなく、挑戦する価値があるのでは?と言う気がしている。
それに比べ、と言う東京から発信されるモノというのは、確かに「最新情報」かも知れないが、それは世界から集まる情報が、東京に集まりやすいと言うことなのだと思う。
しかし、ネットの時代になると「東京経由」という情報は、少なくなりどんな地域にいても世界へとアクセスするコトが可能になる。
いわゆる「田舎」だから・・・と言うギャップはなくなり、逆に「地方色のある情報」を、積極的に発信しようとしている地域が増え始めているのでは?と言う気がしている。
その一つが、岡山県の西粟倉村かも知れない。
おそらく数年前までは「限界集落」と呼ばれる様な、過疎の村。
高齢化が進み、主な産業である林業も衰退の一途・・・と言う状況の中で、新しい試みをはじめているのだ。
それが「西粟倉村森の学校」だ。
「農業の6次産業化」と言うことが言われて久しいが、言うなれば「林業の6次産業化」というコトになると思う。
その中でも興味を引いたのが、「ヒノキの学習机を作る」という木工体験だ。
既に、2013年度は締め切っているようだが、「木の切り出しから製材、机を作る」と言う、木工体験。
もちろん、一気に作るコトはできないので、年に数回泊まりがけの木工体験だ。
それも条件がある、親子での参加での受付となっているのだ。
「親と子ども」と言うだけではなく、「祖父母+両親+子ども」でも参加は大丈夫なようだが、「家族総出で子どもの学習机を作る」と言う経験は、これまでの様な「体験型観光」よりも、もっと深い関係が参加者と西粟倉村の人達との間で生まれるだろう。
なにより「家族総出で机を作る」と言う経験そのものも、参加家族にとっては貴重な経験となるだろうし、その机を贈られたお子さんにとっては、世界でただ一つの机として大切に使うだろう。
何よりこの西粟倉村が、拘った「村であり続ける」という考えは、東京の様なところでは生まれ無かったように思う。
「小さな村だからこそできるコト」、その発想が「森の学校」を生み、ネットという情報網がそれを支える一つの手段となっている様な気がする。
そこから発信されるのは、東京とは全く違う「自然の中で暮らす」という価値観であり、もしかしたらこれから先、目指していかなくてはならない「価値観」かも知れない。
西粟倉村の様な村や町というのは、実は全国に生まれつつあり、それらの地域が新しいエネルギーシステムを創りだしたり、これまでとは違う価値観を創りだしていくのでは?と言う気がしている。
全国的に、大荒れのお天気となったようだ。
お天気とは関係なく、今日は「ヴァレンタイン・デー」。
「小学生の息子さんにだけは、もらったチョコレートの数では負けたくない!」と言う、お父さん達もいらっしゃる様だが、ここ数年の傾向として「義理チョコ・減少、自分ご褒美チョコと家族への感謝チョコ・急上昇」と言うことらしい。
昨日、外出した帰りデパ地下に寄ったのだが、思う程込んではいなかった。
「高級チョコ」と言われるチョコレート売り場ほど、昨日の夕方は人が少ない。
ショーケースを見てみると、2,000円~3,000円前後のチョコレートは既に売り切れ。
むしろ、お手頃価格で分けられる数があるチョコレート売り場が人気だった。
と言うことは、昨日の夕方チョコレートを買いに来ていた女性達は、「義理チョコ」買いだったのか?
そして、ヴァレンタインが終わると、1ヶ月後にあるのが「ホワイト・デー」。
今日の新聞のある百貨店の折り込みチラシでは、既に「ホワイト・デー」向けの商品が掲載されていた。
掲載されている商品を見ると、高級チョコよりも値が張る商品が並んでいる。
何よりも驚いたのが、今日のブルガリの刷り広告だった。
全面広告と言う、大きな広告に婚約指輪が一つ。
どうやら今日から発売される「新作婚約指輪」の広告のようなのだが、何とも絶妙なタイミングだ。
上述した通り、ここ数年の「ヴァレンタイン商戦」の傾向は、「義理から自分、家族」という方向へと動いている。
その中には「本命チョコ」の比率も増え始めているようなのだ。
もちろん「本命」となれば、用意するチョコレートも義理とは違うだろうし、「チョコレート+α」と言うことになるだろう。
中には一生懸命に作った「手作りチョコ」、かもしれない。
「その思い応えるブルガリの新しい婚約指輪はいかがですか?」と言っている様に思えるのが、今日のブルガリの広告だった。
ブルガリと言えば、フランスの高級宝飾品店。
多くの女性にとっては、憧れの宝飾品店だ。
果たして、1ヶ月後ブルガリの新作婚約指輪を手にする女性は、どれほどいるのだろう?
そちらも気になる、広告だった。
ソチオリンピックが開幕し、連日のように日本選手の活躍が報じられる。
今朝は、スノーボードハーフパイプ男子で、銀と銅の日本人メダリストが誕生した。
銀メダルを獲得した平野歩夢選手は、冬季オリンピックでは最年少メダリストとなった。
一方、金メダルの期待があった、ジャンプ女子の高梨沙羅選手は、4位入賞という結果になった。
私などは、「運動音痴にも程がある!」と言われる程運動が苦手なので、オリンピック選手に選ばれるだけでも大変な才能と努力だな~と、感心しきりなのだが、オリンピック大好き国民は、この時ばかりは、その成績に家族や友人でもないのに一喜一憂する傾向がある様な気がしている。
もちろん、メディアの扱いそのものも「オリンピックに出場する限りは、メダル獲得」という感じなので、しかたないのかも知れないのだが、日本の場合、選手強化のために努力をしているのは所属チームの企業や選手個人が中心で、所属団体を通しての国からの支援などは「・・・」と言うのが、現状だ。
そのことについて、400m障害でオリンピックに出場した経験のある為末大さんが、スポーツ新聞のコラムに書いていらっしゃる。
日刊スポーツ:為末大学「結果不振選手批判はブラック企業の論理」
よく言われる「国費を使って・・・」と言っても、実はその国費の使われ方も本当に選手強化に使われているのか、甚だ疑問というケースもある。
以前、夏のオリンピックでメダルの期待があったあるチームスポーツが、思ったような成績が残せず帰国したことがあった。
後で判明したことは、移動中の飛行機で役員達はビジネスクラスで移動。肝心の選手やコーチ、スタッフなどはエコノミーでの移動だった、と言うことだった。
体の大きな選手達が窮屈なエコノミーで移動をし、試合をしない役員達がビジネスの利用というのは、本末転倒では?と批判が出たと記憶しているのだが、もし国費を使っていても、この様な使われ方をしていれば、選手強化などには結びつかないだろう。
そもそも多くの人にとって、オリンピックという舞台は「観戦をする側」であって、その選手達の努力などを目の当たりにし、応援をしている訳ではない。
にも関わらず、この時ばかりは親類縁者か友人の様な気持ちで応援をし、結果が残せないと批判をする、と言うのは何とも無責任のような気がするのだ。
一方、結果を残した選手にとっても、その後のマスコミの追っかけというのは、凄まじいものを感じる。
ご両親や関係者への取材は当然、子どもの頃の恩師や同級生の話など、スポーツとは関係のない話まで取材され、選手は追いかけ回される。
今大会初のメダル獲得となった平野選手は、まだ中学3年生。
ジャンプの高梨選手も17才の高校生なのだ。
これから先の選手生活だけではなく、選手引退後の生活のほうが遙かに長い若い選手達だ。
その伸び盛りの選手達をもっと成長するように、応援するのが「観戦をする側」にも必要なのでは?
スポーツ大国というのは、メダルの数だけでは無く「観戦する側」にも、マナーのようなものがある国だと思う。