日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

時代を超え、繰り返される「反戦と学生」‐米国コロンビア大学での学生デモ‐

2024-05-02 21:29:18 | 徒然

Huffpostを見ていたら、「時代が変わっても、繰り返されるのだな~」と、感じる記事があった。
Huffpost:コロンビア大学に警察突入。56年前の同じ日にもベトナム反戦デモの学生らが逮捕されていた 

56年前のベトナム反戦デモは、映画化されている。
おそらく私と同世代以上の人達であれば、一度は聴いたことはあるのでは?と思う、ユーミンの「いちご白書をもう一度」のタイトルに使われた「いちご白書」という映画だ。
このタイトルとなった「いちご白書」というのは、当時のコロンビア大学の学長が、コロンビア大学内の「ハミルトンホール」に集まったデモ学生に向かって「何を甘ったるいことをやっているのだ」という趣旨の話をしたことから、このデモのことを「The Strawberry Statement」と呼ばれるようになったと、言われている。
それが、当時コロンビア大学の学生だったジェームス・クネンが「The Strawberry Statement」という本を書き、その後映画化されたのだった。
初公開時には、映画としてどれだけヒットしたのかはわからないのだが、ユーミンの「いちご白書をもう一度」のヒットにより、リバイバル上映をされた(リバイバル上映を映画館で観たのが、私と同世代だろう)。

個人的には、映画のストーリーよりも使われた数々の時代を象徴するような、ヒット曲とそれらの楽曲が使われた場面の方が印象的で、今でも断片的ではあるが、覚えている。

思い出してみれば、56年前米国の大学で起きたベトナム戦争に対する反戦運動は、日本の大学にも影響を及ぼしていた。
反戦運動というよりも「安保反対」に対する学生運動といった方が良いだろう。
コロンビア大学でのハミルトンホールでの学生排除と逮捕が行われた頃、日本でも学生運動が過激化しつつあったような気がする。
その一例が「東大安田講堂事件」かもしれない。
「東大安田講堂事件」の発端は、反戦運動ではないのだが、映像に残る大学構内での学生運動の攻防戦として「東大安田講堂事件」は、忘れられない出来事だった。
他にも同じ年には、新宿騒擾事件(通称:新宿騒乱)等が起きている。
新宿騒擾事件は、反戦運動を繰り広げていた大学生たちが起こした事件である、ということを考えると、コロンビア大における「ハミルトンホール占拠」に近い動機なのかもしれない。
このような熱量は、「いちご白書をもう一度」の歌詞のように、就職活動が近づくと離脱する学生が続出し、残った学生たちはより過激な行動へと発展し、1970年代初めに様々な事件を引き起こすことになる。

当時のことを今更あれこれ言ったところで、今の日本の大学生が反戦デモをするとは思えない。
それは日本と米国における学生の社会的意識の違い、というだけではなく、社会に対する熱量が、全く違うと感じているからだ。
経済的にも30年以上落ち込み続け、豊かさを感じることが無いまま育ってきた今の日本の学生たち。
それだけではなく「全入時代」と呼ばれるほど、大学進学が当たり前になったことで「大学生」が、特別なものではなくなった、ということも関係しているような気がしている。
良い悪いではなく、今という時代の大学生の姿を見て、そのように感じているということなのだ。





「ブライダルマーケット」という市場をつくった、桂由美

2024-05-01 11:42:13 | マーケティング

昨日、ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんの訃報が、伝えられた。
桂由美さんと言えば、思い浮かぶのは「ウエディングドレス」だと思う。
実は、ウエディングドレスを専門に行うデザイナーは、欧米のファッション業界では珍しい存在である、ということを知っている方はどのくらいいらっしゃるのだろうか?
ファッション関連のお仕事に就いている方なら、ご存じだとは思うのだが、一般的には余り知られていないのでは?と、考えている。
というのも、毎シーズンパリやミラノで発表されるファッションコレクションで、発表するデザイナーにとって、発表する最後に登場するのが「マリエ」と呼ばれる、ウエディングドレスであり、そのウエディングにデザイナーが一番表現をしたいエッセンスを盛り込んでいるからだ。

発表された「マリエ」によって、ウエディングドレスの傾向が分かるのは当然だが、これらのデザインを基に多くの花嫁となる女性はウエディングドレスを注文するからだ。
その意味で、ウエディングドレスを仕立てる(あるいはレンタルをする)洋装店はあっても、ウエディングドレスだけを専門にデザインをし、販売をするというで企業は、見られないからだ。

そして、桂由美さんの知名度が上がるにつれ、日本の結婚式も変わり始めたような気がする。
例えば、結婚式場や結婚式場の情報誌等の表紙は、ウエディングドレスを着ているモデルが、一般的だ。
しかし、50年ほど前であれば、文金高島田の和装の花嫁の方が、多かったという印象を持っている。
まして地方であれば、花嫁支度を自宅で行い、仲人さんに手を取られ家から出て、ご近所の方々からお祝いの言葉を掛けられ、式場に向かうという花嫁さんも、少なくなかった。

そのような光景が見られなくなったのは、結婚式場という専門の場所やホテルウエディングが一般化した為だろう。
と同時に、和装で結婚式を挙げた後、披露宴でウエディングドレスを着る、ということも定着した。
バブル経済真っただ中の頃等は、結婚式では白打掛→披露宴で色打掛→ウエディングドレスへ着替え→カラードレスで来賓のお見送り、というパターンが一般的だった。
もっとも、派手な結婚式と揶揄された名古屋なので、他の地域では違うかもしれない。

バブル経済前から、芸能人やスポーツ選手の結婚式では、都内の有名な教会での「チャペル結婚式」が、度々報道されていたこともあり、その時代時代の憧れの一つが、ウエディングドレスであった、ということもある。
そのような「日本人の結婚式」の姿を変えた人物人が、桂由美さんであった、ということには間違いないと思う。
と同時にそれは日本に「ブライダル市場」という、市場を創ったと言っても過言ではないのでは?と、考えている。

何故なら、「ウエディングドレス」のみのファッションショーを開き、それが結婚式場やホテルの「ウエディングフェア」というカタチで、模擬披露宴体験を提供することで、「結婚式から披露宴、引き出物」に至る、「結婚式に関連する様々なサービスと物販をセット販売」するという、今では当たり前になった「ブライダルビジネス」をつくり上げることに多大な影響を与えることとなったからだ。
そこには、結婚式情報誌に様なモノも含まれている。

「ブライダルビジネス」全てに桂由美さんが、関係していたわけではないが、この日本特有の「ブライダルビジネス」を具現化する切っ掛けを創り、普及させること(=「ブライダルマーケット」)をつくった一人なのだと考えている。