「森村泰昌 1985-1998」 高島屋東京店 美術画廊X

高島屋東京店6階 美術画廊X(中央区日本橋2-4-1
「森村泰昌 1985-1998」
9/12-10/2

つい先日まで、横浜美術館で非常に意欲的な『大講義』を展開した森村泰昌が、今度は百貨店内のスペースを用いて、至ってごく普通なミニ個展を開催しています。東京・日本橋高島屋の「森村泰昌 1985-1998」へ行ってきました。



今回の展示形態そのものにはサプライズがありません。タイトルに「1985-1998」とあるように、森村の比較的早い頃の制作を、お馴染みのポートレート、それに用いられた道具類、またはその他オブジェ類にて丁寧に紹介しています。浜美の大個展が、森村初心者(という言葉が適切かどうかは分かりませんが。)にその表現を分かり易く見せているようで実は大変にクセのある内容だったのに対し、今度は実に落ち着いたスペースの中にて、包丁を掲げながら花嫁姿に扮する森村のポートレート、「花と包丁」(1990)などがさり気なく展示されているというわけなのです。ただ私は、この一種の場違い的な、また奇怪な印象をあえてそのまま残しておくような感覚こそが森村アートを見る楽しみの一つであるような気もします。その点では、今回の小個展の方が森村の導入に相応しい内容ではないかとも思いました。

種明かしは殆どありません。謎解きは見る側に委ねられています。

10月2日までの開催です。(9/15)

*関連エントリ
「森村泰昌『美の教室、静聴せよ』展」 横浜美術館
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

金の美、銀の座? 「GINZA ART 122places」

先週、銀座へ行った際に初めて知りました。金沢美術工芸大学の学生、もしくはOBのアーティストらが、東京の銀座、京橋の画廊という画廊を『ジャック』しています。「2007 金沢美大OB 東京・銀座大展覧会」です。



金沢美大のOB組織、「東京けやきの会」が主催するアートのイベントです。詳細はリンク先のHPをご参照いただきたいのですが、主に今週末まで、同大学に関係するアーティストが銀座・京橋界隈の何と122の画廊にて一挙に個展を開催しています。もちろん、それらの全てをチェックするのは、土台無理な話ではありますが、まずは行き慣れた画廊でも少しのぞいてみようかと思いました。



このイベントの核となる展覧会として一つおすすめしたいのは、中央通りに面したポーラ・ミュージアム・アネックスで開催中の「一号一絵!?展」です。これは各アーティストが、それぞれ一号サイズのカンヴァスへアートを展開し、一堂に展示するというものですが、今週木曜日から第2部として「OB展」が企画されています。実は先週、私も第1部の「学生展」を拝見してきましたが、全体の作品の質云々は別としても、僅か一号サイズの画面に施される多様な表現(もちろん絵だけではありません。)にはなかなか見入るものがありました。ちなみに学生展では、作品の人気投票、及び販売(一点、3000円。まさに金の卵です。さすがにOBの作品は値がはりそうですが。)も行われています。画廊巡りはちょっとと仰る方でも、これなら気軽に楽しめるのではないでしょうか。ちなみに「一号一絵展」は今月27日まで開かれています。


ギャラリーMAPの一部。銀座~京橋の全域に及びます。(クリックで拡大します。)

2004年に次いで、今回で二度目の開催だそうです。メディア等への露出は少ないようですが、その規模の大きさ、もしくはしっかりとしたつくりのパンフレットなど、この企画にかける運営側の意欲は伝わってきました。

明日はポーラを軸に、少しうろうろしてみるつもりです。

追記) 後日、OBの「一号一絵」展へ行ってきましたが、OBの作品も学生と同じような価格でした。チャリティーなのだそうです。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

酒井抱一 「秋草図屏風」 東京国立博物館

東京国立博物館
平常展・本館2階(日本美術の流れ)8室「書画の展開 - 安土桃山・江戸 - 」
「酒井抱一 - 秋草図屏風 - 」

ようやく風に秋を感じる気候になってきましたが、東京国立博物館の平常展でも秋を見る抱一の名品が展示されています。それがこの「秋草図屏風」(もしくは「月に秋草図屏風」)です。金地の上に鈍く光る月を背景に、たらし込みも瑞々しい秋草がのびやかに駆けていました。


屏風の全体です。蛍光灯の写り込みが激しかったので、少し斜めから撮りました。秋草が上方と右方向へ群れるようにのびています。


浮かぶというよりも、ドンとのしかかるように存在感のある月です。秋草が一部、月に届いています。


墨、または彩色のツートンカラーの葉が絡み合います。すすきはうっすらとしたピンク色を帯びていました。


タッチは決して細やかではありませんが、群れる草花を色の濃淡によって巧みに表現しています。


葉がまるで透き通るかのようにに描かれています。それにすすきの葉はリズミカルです。秋草全体を奥から支えています。


屏風、右下部へのびる蔓です。まるでそれ自体が生きているかのように余白部分へと進んでいます。線は殆ど即興的な感覚です。

保存状態の要因もあるのかもしれません。金屏風にしてはやや地味な、言い換えればあまりきらびやかな作品ではありませんでした。ただそれも、仄かな月明かりに照る夜の秋草の風情、ととれば納得出来るのではないでしょうか。また、秋草の生い茂る地点こそ土の存在を示唆させるような表現がとられていますが、その他、上方や右へとのびる草は、一体それがどこにあるのかが分からないような、あたかも一種の非現実的な空間に置かれているような印象を受けます。これはあえて言えば、月にかかる上方の草が空間の奥へ、また右へのびゆくそれが手前部分へと迫出しているとも出来るのかもしれません。殆どシンボリックな月の存在も含め、この屏風の三次元的空間はかなり錯綜しています。

「夏秋草」に抱一一流の完成された美があるすれば、この「月に秋草図」はそれと対照的な『ゆるみの美』の極致が表現されているとも言えるでしょう。見れば見るほどやや謎めいた印象も受ける、実に味わい深い作品でした。

10月8日まで展示されています。(この他、抱一の書状も出ていました。)
コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )

「川瀬巴水 木版画展」 礫川浮世絵美術館

礫川浮世絵美術館文京区小石川1-2-3 小石川春日ビル5F)
「土井コレクション 川瀬巴水 木版画展」
9/1-25



点数こそ望めませんが、巴水ファンならずともぜひおすすめしたい展覧会です。昭和の広重とも称される風景版画家、川瀬巴水(1883-1957)の木版画展へ行ってきました。





主に展示されているのは、巴水の代表作としても知られる「東京二十景」(1925-30)シリーズです。大正後期より昭和に差し掛かった東京の光景を、まさにロマン溢れる詩心で美しくまとめあげています。藍色にも深いお馴染みの『巴水ブルー』の見事な質感はもちろんのこと、一見、ごく一般的なようで、実は例えば電柱の縦のラインなどを画面へリズミカルに潜ませる冴えた構図など、どれも巴水の魅力を存分に楽しめるものばかりでした。また、巴水版画でも特に有名な「馬込の月」も、この「東京二十景」のうちの一つです。その他、降りしきる雨が橋上を幻想的に洗う「新大橋」、または一匹の子犬の向こうに汽船をのぞむ「明石町の雨後」なども必見の作品と言えるでしょう。お気に入りの一点を探すのもまた面白いかもしれません。



興味深く感じたのは、ほぼ同じモチーフの「上野清水堂」の二点の作品でした。これは一点がピンク色の桜(ここに挙げた画像の作品です。)を、またもう一方では桜を白に変えて描いているものですが、ともに艶やかさと慎ましさを見るような桜の美感が味わい深く表現されています。ちなみにこの二点は「変り摺」と呼ばれる作品で、おそらくは前者が先に摺られ、その後、色を変えたもう一点が作られたのではないかということでした。版画ならではの変わり種です。

作品だけではなく、関連の資料も充実しています。最近のものでは、2003年発行の英語版の画集などが出ていましたが、1923年、巴水が初めてアメリカで伊東深水とともに紹介されたという「International Studio」誌はかなり貴重なものだと思います。その他、オークションカタログなど、英語の資料が多いのも巴水ならではと言えるのかもしれません。相変わらず海外での評価が先行しています。

hanga.com(東京二十景の大半の画像が掲載されています。)

もう一つ、この展覧会で重要な点は、会期中の毎週土日に、展示作品を所有する土井利一氏本人が会場にいらっしゃることです。ちらしにも「皆様の質問に直接お答えします。」とありましたが、実際にもこちらの素人な質問に実に丁寧に答えて下さいました。(非常に気さくな方です。)また土井氏が作成された、巴水の「木版画版元別作品一覧表」のコピーも有用です。各作品の版元はもちろん、その出版年から摺り師までが掲載されています。

手狭ながらも静かな空間でじっくりと巴水に酔える展覧会です。今月25日まで開催されています。(9/1)

*関連エントリ
「新版画と川瀬巴水の魅力」 ニューオータニ美術館(昨年、夏に開催された巴水の講演会の記録です。)
コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )

N響定期 「モーツァルト:交響曲第36番」他 プレヴィン

NHK交響楽団第1598回定期公演 Aプログラム

オール・モーツァルト・プログラム
「フィガロの結婚」序曲 K.492
ピアノ協奏曲第24番 K.491
交響曲第36番 K.425

指揮・ピアノ アンドレ・プレヴィン
演奏 NHK交響楽団(コンサートマスター:篠崎史紀)

2007/9/8 18:00 NHKホール3階



プレヴィンを聞くのは、同じくN響でモーツァルトを指揮振りした1998年の定期以来のことです。(その際にもフィガロとK.491を演奏しています。)N響定期へ行ってきました。

10年前の公演の印象がもう殆ど残っていないので、今更ながら比較することは出来ませんが、今回、プレヴィンの聴かせてくれたモーツァルトは、まさに優美や上品という言葉のピッタリな、正攻法の、またある意味ではやや時代がかった印象も受ける音楽だったと思います。アクセントは常に控えに、またレガートの美感に秀でたその演奏は、例えばシルクの肌触りを思わせるような、滑らかでかつ柔和な音楽を作り上げていました。快活さの抑制されたフィガロ序曲、それにデモーニッシュな部分の皆無な、それこそ水墨の山水画を見るかのようなK.491などは、例えば古楽器系のアプローチなど入り込む隙もないほどに泰然としています。また、繊細な表情のヴァイオリン、小気味良く鳴る木管、そしてむしろ主張しないティンパニなど、N響もプレヴィンの指揮に柔軟に反応していました。一つのスタイルとしての完成度の高い、それこそ評論家用語を使えば「円熟味」のある演奏だったと言えそうです。

そのようなプレヴィンのアプローチが効果的だったのは、メインのラルゲット、アンダンテ楽章で聴く、奇を衒わない、足取りのゆっくりとした素朴な語り口でした。「リンツ」では中庸のテンポを基盤に、まるで各パートの音の糸を紡ぐかのようにして曲を運び、またK.491では、ピアノの技巧にこそやや冴えない部分があったものの、タッチの落ち着いた、その弱々しくもある音に透明感を見るような演奏で楽しませてくれます。この印象なら、K.595などであるとより一層、その幽玄な味わいで魅力ある演奏になっていたのではないでしょうか。その意味では、編成も大きく、また時にピアノとオーケストラが対峙するK.491では、やや力の足りない印象も否めませんでした。

この巨大な箱でも無理に響かせようとしない、まるでサロンで聴いているかのようなモーツァルトです。またこのA定期と、ラフマニノフがメインのBが逆であれば、ホールの力も借りてより効果的な演奏になっていたかもしれません。何はともあれ、NHKホールはモーツァルトには大きすぎます。



余談ですが、N響のHPがリニューアルされていました。シンプルなデザインで好感を持てますが、トップページのプレヴィンのアップが強烈です。驚かされます。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )

「京都五山 禅の文化展」 東京国立博物館

東京国立博物館・平成館(台東区上野公園13-9
「京都五山 禅の文化展」
7/31-9/9(会期終了)

しばらく前に一度拝見し、感想も書けずにそのままにしていたのですが、先日有り難くもチケットをいただけたので再度挑戦してくることにしました。足利義満の没後600年を記念して開催された「京都五山 禅の文化展」です。



もし「難易度」というものが展覧会にあるとするならば、私の無知を棚に上げておくとしても今回は間違いなく最上級のAだと思います。資料的価値の問題はさておき、禅僧の座像や肖像画を見ても、率直に申し上げて何ら感ずるものがありません。というわけで、今回楽しめたのはズバリ、絵と詩を組み合わせたという詩画軸、ようは絵そのものでした。これなら讃が全く読めなくとも、何とか自分の感性だけで太刀打ち出来るものがあります。



詩画軸の出ているのは主に第4章「五山の学芸」でしたが、まず印象に残ったのは伝周文の「竹斎読書図」(15世紀)でした。上部は殆どが讃で占められていますが、下部に遠近感にも長けた山水の光景が美しく表現されています。また一見、即興的な画風ではあるものの、良く目を凝らして見ると湖上には小舟も浮かび、人々の生活が確かに記されていました。ちなみにタイトルに「読書図」とありましたが、それはやはり岩山の東屋での光景を指すのでしょうか。人が本を読んでいる様を微かに見ることが出来ます。



梅を描いたものに二点、対照的ながらも佳い作品がありました。それは伝如拙の「墨梅図」(14世紀)と、物外の同じく「墨梅図」(15世紀)です。前者は梅の枝が、まるで風に靡くかのように上から垂れていますが、後者は波のように渦を巻く梅が力強く上へと伸びています。また物外では、紅白梅を墨の濃淡、つまりは白には墨を置かず、紅には墨を配して描き分けるというその技法も興味深く感じました。水墨の陰影が紅白を示唆しているわけです。

仏画、仏像の並ぶ第5章では、吉山明兆の二点の「白衣観音図」を挙げたいと思います。これは明兆の若い頃と、年代の確定した後の時期による同じ画題をとる作品ですが、何やら足を曲げ、岩山に寛ぐかのようにして鎮座する観音様がとても流麗に描かれていました。(まるで西洋画にありそうな一ポーズです。)また、後期の作品では、衣の部分の白が実に艶やかに彩色されています。不謹慎かもしれませんが、若干のエロスも感じる仏様です。

一点一点に付けられたキャプション、または非常に分厚く充実した図録など、展覧会自体はとても充実、または丁寧に構成されていたと思います。(ただしパンフレット表紙のセンスはどうかと感じますが…。)その上で欲を申せば、私のような初心者向きに、例えばレオナルド展であったようなビジュアルの解説などがあればなお良かったかもしれません。これほど敷居の高さを感じた展覧会も久しぶりでした。

熱心にご覧になられている方も多くて驚きました。禅はこれほど一般的だったとは知りません。

東博での会期は既に終えています。来年元日より、九州国立博物館へ巡回するそうです。(9/8)
コメント ( 9 ) | Trackback ( 0 )

「第2回竹ノ輪展 『自分らしく秋の夜長を過ごす一つの提案』」 幸伸ギャラリー

幸伸ギャラリー中央区銀座7-7-1 幸伸ビル2階)
「第2回竹ノ輪展 『自分らしく秋の夜長を過ごす一つの提案』」
9/3-9/9(最終日17時終了)



本日、銀座へ行かれる方には是非おすすめしたいスペースです。街の喧噪からも一歩離れ、アートに包まれた安らぎの空間がここに実現しています。WEBSHOP「竹ノ輪」の『提案』する新しいかたちの展覧会です。



「竹ノ輪」
「第2回竹ノ輪展」

展示のコンセプト、もしくは「竹ノ輪」についてはそれぞれ上記のHPを参照していただきたいのですが、銀座・公詢社通りをのぞむビルの2階、幸伸ギャラリーにて、数々のアートと少し甘い香りも放つハチミツ(これは是非現地で!)、そして主宰のTAKEさんが温かく出迎えて下さいます。もちろん、ギャラリーでの企画ということで、並べられた作品等は全て購入することが可能です。僅か100円程度のポストカードから数万円の絵画まで、まさに身近な空間を彩ってくれそうな品々が揃っていました。


カジュアルな雰囲気ながらも、作り込んだこだわりの空間がまた魅力的です。


寝転がれるソファーまで準備されています。


安岡亜蘭の作品群。新版画を思わせます。モダンです。


書道コーナー?


窓際に並ぶ品々。さり気なく奥に展示されているのは、「封筒の中のギャラリー」の第1弾でした。

画廊にありがちな敷居の高さは全くありません。心地良いBGMにも誘われて、秋を楽しませてくれるアイテムを探してみるのは如何でしょう。本日、夕方5時までの開催です。入場は無料です。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「自画像の証言」 東京藝術大学大学美術館・陳列館

東京藝術大学大学美術館・陳列館(台東区上野公園12-8
「自画像の証言」
8/4-9/17



memeさんの一推しとあらば見逃すわけにはいきません。藝大美術館の陳列館にて開催中の「自画像の証言」へ行ってきました。



展示のコンセプトは極めて明瞭です。今より遡ること100年以上前、明治31年にはじまったという芸大生の卒業制作「自画像」を時系列に追っていきます。これまでに生み出され、また収蔵された自画像は全部で5000点にも及ぶそうですが、当然ながら展示で紹介されるのはそのごく一部に限られていました。(全170点。全体の約3%です。)とは言え、そのラインナップは熊谷守一、青木繁、里見勝蔵に牛島憲之、さらには時代を超えて、川俣正、村上隆や松井冬子などとまさに多種多様で、さながら一美術史を横断して見ているかのような感覚を味わうことが出来ます。初めの二枚、つまりは黒田清輝の指導の元に描かれたという、北蓮蔵と白瀧幾之助の自信に満ちあふれた自画像から、もはや描くことをやめ、全く異なった別形態の事物に自我を投影させた川俣のオブジェなど、一概に自画像といえども、その表現の変遷と幅広さは尋常ではありません。一般的な自画像へのイメージをぬぐい去って見た方が良さそうです。



まず印象に残ったのは、その絵自体の凄みという点で挙げたい青木繁の自画像です。彼は元々乱視で、普段は眼鏡をかけて生活していたそうですが、この絵ではそれを外し、どこか達観した面持ちで遠くを見つめています。くすんだ闇に朧げに浮かび上がるまるで物の怪の気配のような、一種異様な作品です。ちなみに彼の卒業した1904年は、他に和田三造、熊谷守一、児島虎次郎らを出した「黄金世代」であるそうですが、熊谷の静謐ながらも、何か問いを発しているような作品にも見入るものがありました。こちらが見るのではなく、見られているような自画像です。



二次大戦中に描かれたもので心にとまるのは、まるで自身の影だけを描いたような日高安典の作品です。彼は1937年に芸大へ入学しますが、戦争のため三ヶ月で繰り上げ卒業し、翌三月には召集され戦地へと赴いています。全くの表情を伺うことの出来ないこの自画像は、その出征の日も絵筆を握って描き続けていたものだそうです。作品に安易な物語を付けるのは往々にして危険ですが、その後の1945年にルソンで戦死する人生を暗示しているのかもしれません。



自画像制作は敗戦後、1951年になってその収集が再開されますが、これ以降は女性の姿もちらほらと目にとまります。(戦前は女性の入学が禁止されていました。)ここでは、凛とした表情で前を見据える岸田衿子が印象的です。そしてこの時期に入ると、全体的に色遣いも淡く、そして明るくなってくるような気もします。また明治から終戦直後まで、一貫して具象の油彩表現で示された自画像が、日本画、そして抽象から絵画を通り越したオブジェ、さらには概念的なものへ移って行くのも興味深いところです。アートがいわゆる現代的なものになっていく道程が示されています。



現代では、人気の松井冬子や、まるで絵の中を彷徨い歩いているような村上隆の自画像だけでも楽しめますが、私が面白く感じたのは小瀬村真美の作品です。この手の画風では、本家、松井を超えるような不気味さと、何か絵が爛れているような感触が心に残りました。亡霊のように浮き出るその表情に、耽美的な妖気すら感じる作品です。

作品の図版と、自画像収集史やその修復の過程などが掲載された冊子(500円)が良く出来ていました。またこの展覧会に合わせて、以下の書籍も出版されています。

「藝大生の自画像―四八〇〇点の卒業制作/河邑厚徳/日本放送出版協会」

今月17日までの開催です。入場は無料です。私もおすすめします。(8/25)
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )

9月の予定と8月の記録 2007

まだまだ暑い日が続きそうですが、秋の展覧会シーズンももう間もなくです。毎月恒例の「予定と振り返り」をあげてみました。

9月の予定

展覧会
「京都五山 禅の文化展」 東京国立博物館( - 9/9)
「山口晃展 今度は武者絵だ!」 練馬区立美術館( - 9/17)
「都市のフランス 自然のイギリス/若冲とその時代」 千葉市美術館( - 9/17)
「ル・コルビュジエ展」 森美術館( - 9/24)
「土井コレクション『川瀬巴水』展」 礫川浮世絵美術館( - 9/25)
「磯辺行久展」 東京都現代美術館( - 9/30)
「谷文晁とその一門」 板橋区立美術館(9/8 - 10/21)
「BIOMBO/屏風 日本の美」 サントリー美術館( - 10/21)
「ヴェネツィア絵画のきらめき」 Bunkamura ザ・ミュージアム( - 10/25)
「仙ガイ - 禅画にあそぶ - 」 出光美術館( - 10/28)

コンサート
NHK交響楽団第1598回定期Aプロ」 モーツァルト「交響曲第36番」他 (8日)
読売日本交響楽団第494回名曲シリーズ」 ショスタコーヴィチ「交響曲第10番」他 (25日)


8月の記録

展覧会
「混沌から躍り出る星たち 2007」 スパイラルガーデン (4日)
「水と生きる」(後期展示) サントリー美術館 (4日)
「仏像の道」 東京国立博物館 (4日)
アンリ・ミショー展/アンリ・カルティエ=ブレッソン展」 東京国立近代美術館 (4日)
「日展100年」 国立新美術館 (11日)
「アジアへの憧憬」 大倉集古館 (15日)
「第13回 アートコレクション展」 ホテルオークラ東京 (15日)
「花鳥礼讃」 泉屋博古館・分館 (15日)
「AYAKASHI 江戸の怪し」 太田記念美術館 (17日)
「芳年『月百姿』を主に - 月の浮世絵展」(後期展示) 礫川浮世絵美術館 (17日)
「ルドンの黒」 Bunkamura ザ・ミュージアム (18日)
森村泰昌『美の教室、静聴せよ』展」/ミロとデルヴォーの版画(コレクション展)」 横浜美術館 (24日)
「La Chaine 日仏現代美術交流展」 BankART (24日)
シャガールとエコール・ド・パリ(常設展示)/「アンドリュー・ワイエス展」 青山ユニマット美術館 (25日)
「自画像の証言」 東京藝術大学大学美術館・陳列館 (25日)

ギャラリー
「イロノベクトル - 金丸悠児・野地美樹子二人展 - 」 四季彩舎 (4日)
「works on paper」 ヴァイスフェルト (4日)
Oコレクションによる空想美術館(第2室)/TWS-EMERGING 77/78 - 恵木亮太/後藤靖香 - 」 トーキョーワンダーサイト本郷 (18日)
「ジョエル・ビトン 『ABSTRACT』」 ギャラリー・エフ (31日)
「小柳裕 新作展」 ケンジタキギャラリー東京 (31日)

8月は画廊巡りをほぼお休みしましたが、その分、美術館へかなり足を運びました。ともかく収穫は、太田、小石川繋がりで見た月岡芳年です。浮世絵師でこれほど素直に惹かれたのは初めてだったと思います。しばらく追っかけてみたいです。

ミショーと合わせて見たカルティエ展ですが、その感想は結局書けずに終ってしまいそうです。写真はもちろんどれも驚くほど巧く、まさに完璧という言葉のピッタリなものばかりでしたが、不思議とその分、被写体から伝わってくる要素が非常に希薄に感じられてなりませんでした。またその後、常設で見た木村伊兵衛に、いつも以上の魅力を感じたということも付け加えておきたいと思います。私の嗜好と共感は明らかに後者にあるようです。

今月の展覧会で挙げたサントリーの「BIOMBO」は、展示替えが何と全部で7回も予定されています。(幾ら何でも多すぎます。)到底、その全てを見ることも出来ませんが、やはりベストの会期というものがあるのでしょうか。率直に申し上げて、一体どの時期に行けば良いのかの見当すらつきません。もしアドバイスがあれば是非お願いします。

コンサートは二つほど予定していますが、まだ両方とも手元にチケットがありません。行けるかどうか怪しい部分もあるので、都合がつけば当日券で楽しんできたいと思います。

それでは今月も宜しくお願いします。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

パバロッティ氏死去

リンク先の記事には「オペラ歌手」と掲載されていますが、もはやそのような括りで語られる方ではなかったと思います。エンターテイナーとしても、またもちろん三大テノールの一人としても名高いルチアーノ・パバロッティ氏が亡くなりました。71歳でした。



オペラ歌手のパバロッティさん死去…3大テノールの一人(yomiuri online)
パバロッティ氏逝く 日本でも惜しむ声(asahi.com)

つい先日、退院したというニュースを見たばかりでしたが、その後、容態が急変し、今回のような事態になってしまったようです。昨年のトリノオリンピック開会式での「誰も寝てはならぬ」が最後の舞台でした。ご記憶の方も多いのではないでしょうか。

率直なところ私は、氏の三大テノールとしての活動すら追っていないので、気の利いたことを言える立場にもないわけですが、その輝かしくもややクセのある響きは一度聴いたら忘れられない、非常に独特な歌声だったと思います。舞台(もちろん生に接したこともないので、DVDで見る限りにおいてですが。)で一目で分かるその風貌と、耳に刺すようなその明るい声は、確かに彼が稀有な存在であったことを十分にうかがわせるものです。

愛聴盤とまではいきませんが、彼の演奏で良く聴くのは、ムーティ&スカラによるヴェルディの「ドン・カルロ」です。YouTubeでも楽しめます。



ちなみにYoutubeでPavarottiと検索をかけると数多くの映像がヒットしますが、その中から印象に残ったものをいくつかリンクしておきました。サザーランドとの「ノルマ」グルベローヴァとの「リゴレット」、そしてプライスとの「仮面舞踏会」やBon Joviとの共演の様子などもあります。



またオペラキャスト様によれば、これから各ネットラジオで追悼番組も予定されているそうです。ご冥福をお祈りします。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「シャガールとエコール・ド・パリコレクション」(常設展示) 青山ユニマット美術館

青山ユニマット美術館港区南青山2-13-10
「シャガールとエコール・ド・パリコレクション」(常設展示)
(~開催中)



噂には聞いていましたが、まさかこれほど充実したコレクションとは思いもよりません。表題の通りシャガールと、ブラック、ピカソ、藤田、ミロ、キスリング、ヴラマンク、ルオーなどの集う、青山ユニマット美術館の常設展示(全53点。)です。特に看板のシャガールに見応えがありました。



まずシャガールの画業初期の頃の作品として印象深いのは、あまり見慣れない紫色で画面をまとめあげた「窓から見たパリ」(1913)です。窓辺に佇む人物や、その頭上で浮いているかのようなカップルに彼ならではの表現を見出せますが、窓を通して広がる、光と影の分割されたような外の空間は明らかにキュビズムの影響が感じられます。作者名を言われなければ、これが彼であると分からない作品かもしれません。



一方で、チラシ表紙も飾る「ブルー・コンサート」(1945)は、まさしくシャガールならではの幻想性に強い魅力を感じる名品です。故郷ヴィテブスクや母子、そして最愛のベラのモチーフを、鮮やかなでありながらも深みと重みを感じさせる青や赤の色彩で見事に包み込みこんでいます。場所と時間を超え、まさにシャガールの記憶を全て盛り込んだ作品と言えるのではないでしょうか。そう見ると、彼の作品にはイメージの処理において、ある種のキュビズム的な部分があるのかとも思います。次元の異なる場所にいる事物を、同一の面にて張り合わせるかのように並べ、再構成してしまうわけです。



さてシャガール以外では、まず藤田の「バラ」(1922)を挙げるベきでしょう。これは藤田一流の乳白色の空間に、艶やかなバラが咲いている作品ですが、ともかくそのどこをとっても質感、または細部の描写に、藤田の繊細な感性と卓越した画力を感じることが出来ます。同じ乳白色と言えども、花瓶の磁器と背景の漆喰壁、そしてクロスの地の質感は全て異なり、また花びらの重なる様子やクロスの模様には、優れた日本画を見るような細やかな筆遣いを見ることが出来ました。これは見事です。

これまであまり意識して見たことのないマルケに、一点、優れた海景画が出ていました。それが「アルジェの港」(1940-42)です。エメラルドグリーンの海に、グレーの軍艦のような船がぽっかりと浮かんでいます。その面的な太いタッチに素朴な魅力を感じさせます。

その他では、花びらの一枚一枚が、まるで燃え盛る炎のように赤々とうごめくシャガールの「菊の花」(1926)や、白い雲の浮かぶ空に赤とピンクの鳥が舞う、おおよそブラックの画風とは思えない「空の鳥」(1960)、またはどこか愛らしいモチーフが具象と抽象の間を彷徨うミロの二点(「顔」、「鳥、虫、星座」。)などに惹かれました。

常設展なので会期はありません。また展示作品を入れ替える際には、HPで告知があるそうです。それを見計らって、再度見に行きたいと思います。(8/25)

*関連エントリ(同時開催中)
「アンドリュー・ワイエス展」 青山ユニマット美術館
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

「アンドリュー・ワイエス展」 青山ユニマット美術館

青山ユニマット美術館港区南青山2-13-10
「アンドリュー・ワイエス展」
3/20-10/14



東京・南青山に今年春、移転オープンした新しい美術館(と言っても、他のブロガーの方はとっくのとうに行かれているようですが…。)です。シャガールなどの充実した常設展と同時開催中の「アンドリュー・ワイエス展」へ行ってきました。



ワイエスの作品をこれほどまとめて見たのは初めてですが、まずはその「アメリカンリアリズム」というだけあっての高い写実性に強く感じさせるものがあります。アメリカ東部の田舎町の、まさしく田園を描き続けたというその風景画はどれも叙情的で、それこそ遮るもののない広大な大地に生きる人々の素朴な営みを見て取れるような作品ばかりでした。またテンペラを使ったものにはある種の軽やかさ、つまりは何か実体のない、例えば夢で一度見たような懐かしい風景が描かれているような感覚も受けます。率直に申し上げると、私にはこれらにもう一歩の重量感、ようはその土地の『影』の部分を伝えるような確かな感触が欲しいのですが、総じて心地良い風と空気を肌に感じるようなこれらに強い人気があるのにも頷ける気がしました。極めて純粋です。



テンペラの他に水彩画も出ていましたが、こちらはまるでエミール・ノルデを思わせるようなタッチに瑞々しい美感を見出すことができます。また細部の装飾など精緻に描く部分と、そうでない例えば建物に差し込む光の描写などの大胆な塗りとのコントラストも面白いと思いました。どちらかと言えば私は水彩の方に魅力を感じているかもしれません。

シャガールとエコール・ド・パリを名品を紹介する常設展(こちらが目的でした。)については、また別エントリで触れたいと思います。

当初の会期(10/2まで)が延長されています。10月14日までの開催です。(8/25)

*関連エントリ
「シャガールとエコール・ド・パリコレクション」(常設展示) 青山ユニマット美術館
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

「ブルータスで先取り!狩野永徳展」 BRUTUS 9/15号

「BRUTUS (ブルータス) 2007年9/15号」

表紙からして秋の永徳展とタイアップしています。「檜図屏風」のアップで電車の吊り広告も目立っていたブルータスの最新号を買ってきました。



「国宝って何?」というタイトルが示すように、内容は決して狩野永徳の特集ではありませんが、巻頭20ページ、カラー図版のオンパレードからして彼が強くクローズアップされていることは間違いありません。編集部による地の文が、例えば「永徳参上、夜露死苦!」などやたらにキッチュなのが感心できませんが、「四季花鳥図」の特大パノラマ図版など、ブルータスならではの魅せる仕掛けは健在でした。また先日、新発見で話題となった「洛外名所遊楽図屏風」の図版は資料としても重宝するのではないでしょうか。ともかく、京博の永徳展への期待がいやがうえにも高まるような内容です。ここは素直にのせられておくことにしました。



特集はその他の国宝作品、例えば光琳や宗達などの絵師から仏像、または絵巻などの紹介と続いていますが、特に興味深かったのは「国宝を支える仕事。」という、国宝を修復、運搬、そして売買(国宝を売買出来ることは知りませんでした。)することに携わる方々の記事です。ただたんに国宝はいつも美術館に鎮座しているわけではない、何やらそれをとりまく人々の息遣いを見るような気がしました。



 

ところで秋の永徳展についてですが、先日チラシが「表・檜図屏風、裏・余白」の暫定的なものから、「表・唐獅子図屏風、裏・各出品図版」の本格的なそれへとリニューアルしています。懸案だった唐獅子図も晴れて京へ出立することになったようです。これで史上初という言葉に偽りはなくなりました。

*関連リンク
「特別展覧会 狩野永徳」(場所 - 京都国立博物館/会期 - 10/16~11/18)
コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )

「絵と俳諧に生きた風狂人」(酒井抱一@ARTISTS JAPAN第33号)

以前に拙ブログでもご紹介したことのある「ARTISTS JAPAN」の最新号に、ようやく我らの(?)酒井抱一が登場しました。琳派では第4号の光琳、そして第16号の宗達に遅れての特集です。随分と待ちました。

「ARTISTS JAPAN」(デアゴスティーニ・ジャパン)

「ARTISTS JAPAN」は92年に別出版社から刊行された冊子の再発です。よって、この抱一の特集も当時の内容をほぼ踏襲していると思われますが、特筆すべきなのは琳派研究者としても名高い仲町啓子氏のテキストが大変に充実しているということでした。おそらく現在市中に出回っている抱一、もしくは琳派関連本で、これほど彼の画業史を簡潔に、しかもそれでいて深く掘り下げた文章は他にないと思います。まさに抱一ファン必携の一冊と言えるでしょう。


表紙はやはり「夏秋草図屏風」の「夏草図」でした。ちなみに抱一はこの作品を、「夏艸雨、秋艸風」(なつくさあめ、あきくさかぜ)と呼んでいたそうです。


抱一の画業史が整理されています。また、当時の抱一を含む文人ネットワーク(サロン)に触れる記事もありました。これは、何故、抱一の芸術は江戸に生まれたのかを問う一種の文化論だと思います。


見開きのギャラリー、図版集です。率直に申し上げると発色は今ひとつですが、お馴染み「十二か月花鳥図」(尚蔵館本)や「四季花鳥図屏風」、それに「夏秋草図屏風」などが掲載されています。


背表紙は「手鑑帖」から「葛に蜥蜴図」でした。これは若冲の拓版画よりモチーフをとった作品ですが、本文中には他作品との比較も紹介されています。(抱一は若冲の拓版画より11点の図柄を借りています。)

まずは書店にてご確認下さい。ともかく抱一は書籍でも殆ど単独で取り上げられないので、次は「もっと知りたい伊藤若冲」ならぬ「もっと知りたい酒井抱一」あたりを東京美術様にお願いしたいところです。

*下二冊は、仲町氏の琳派関連本です。「すぐわかる琳派の芸術」では月に秋草鶉図屏風、夏秋草、四季花鳥図巻、桜に小禽図、手鑑帖などが、また「琳派に夢見る」ではその他に、波図屏風、八橋図屏風、十二月花鳥図(尚蔵館本)、三十六歌仙図屏風、梅模様小袖が紹介されています。もちろんともに図版入りです。

「すぐわかる琳派の美術/仲町啓子/東京美術」

「琳派に夢見る/仲町啓子/新潮社」

*抱一関連エントリ
お月見は「秋草図屏風」で。(現在、東博・平常展にて抱一の「月に秋草図屏風」が展示されています。)
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )

「小柳裕 新作展」 ケンジタキギャラリー東京

ケンジタキギャラリー東京新宿区西新宿3-18-2-102
「小柳裕 新作展」
8/29-9/29

そのイメージは深夜2時の街角です。寝静まった都会の夜の静けさを、アクリルの質感も瑞々しいタブローに表現します。小柳裕の個展へ行ってきました。



どれも遠目では写真と見間違うほど精巧に描かれた作品です。どこでもありそうなマンションやその駐輪場、また場末の古びたアパートなどが、深い夜の闇に包まれて微睡んでいます。そしてこれらの作品に特徴的なのは、その光景を照らし出す街灯の明かりです。目もくらむほど眩しい白が、闇を突き破るかのようにして輝いています。そのコントラストは強烈です。

以下はネタバレ的な要素も含みますが、この白い明かりの表現は、元々作品を描く際にマスキングさせた部分、つまりはキャンバスの白い地そのものなのだそうです。そう言われてみると確かに光源には何も塗られておらず、他との絵具の層の段差も見て取ることができます。ちなみに作品の絵具の層は全部で6つに及ぶそうですが、白い光源はまさしく闇にぽっかり開いた穴という見立てなのかもしれません。何も塗られていない部分に強い存在感があるという、効果的なマスキングの妙の冴える作品です。

道ばたの溝に咲く花を捉えた「Geranium」(2007)にも惹かれました。誰も気に留めないような、雑草のような花にこそ愛情を注いで楽しみたいものです。

小柳裕は、2004年のVOCA奨励賞を受賞しています。他の作品も是非拝見してみたいと思います。

9月29日まで開催されています。おすすめします。(8/31)
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
   次ページ »