ノアの次男なのかぁ
日常会話で若い人が「全然いい~」と言っているのを私はやや不快に感じます。でも、そんなに困りません。講演で中年以上の人が「全然いいです」などと言うのは腹が立ちます。そして、入力の手が止まり、削ろうかどうしようかしばらく考えます。否定ではない「全然」という言い方が出てきて、「全然ない」と言うと思ったら「全然ある」と言うのですから、話の流れが乱れてとても困ります。明治・大正時代は肯定でも「全然」と言っていたことは承知していますが、もうほとんどの人が昭和生まれであり、今は平成、すっかり否定でのみ使うようになっていたのに、なぜ今更また混乱させるのでしょうか。
それに、これは自然に変化してきたというより、あまりにも急速で、一部の人たちの意図が裏にあるような感じがしてしょうがないのですが、気のせいでしょうか。あるいは、過去にも、例えば小説とか新聞とか、何かのきっかけでわっと広がって変化してしまったということはあったのでしょうけれども、今ほど急速ではないと思います。急速にすっかり変わってしまえばそれに従えばいい、かえっていいじゃないかという考え方もありますが、スピードだけではなく、なにしろ数が多いので大変です。私は変な日本語アレルギーだとしつこく何度も書いていますが、アレルゲンが日々増えていくのですからね。
改まった雰囲気の講演で「全然いいです」などと言うのはやはり印象がよろしくないのでやめていただきたい。そんな変な言葉遣いは、親しい仲間が集まってわいわいおしゃべりといった場面だけにしてほしいと思います。ちなみに、いわゆる芸能人が、「全然」に限らず変な言葉を乱発するのは、逆ギレでもないのに「逆ギレ」という言葉を使いたいから言うというように、ただ単に流行の(流行させたい)キーワードを盛り込みたいだけなので、それはそれ、しょうがないですよ。でも、一般の人まで、言葉の意味を考えもせずに同じことをやっていていいのでしょうか。そうして言葉がどんどん乱れていっても、変化であると認めなければならないのでしょうか。私は認めたくありません。
だって、ものすごく分かりづらいのですよ、こっちへ流れると思ったらあっちへ流れる、こういう意味だと思ったらああいう意味、言いたいことを理解するのに一苦労、多様性を通り越してばらばら、豊かさを通り越して支離滅裂、もしかして現代のバベル? 注)映画の「バベル」とは関係ありませんよ。
日常会話で若い人が「全然いい~」と言っているのを私はやや不快に感じます。でも、そんなに困りません。講演で中年以上の人が「全然いいです」などと言うのは腹が立ちます。そして、入力の手が止まり、削ろうかどうしようかしばらく考えます。否定ではない「全然」という言い方が出てきて、「全然ない」と言うと思ったら「全然ある」と言うのですから、話の流れが乱れてとても困ります。明治・大正時代は肯定でも「全然」と言っていたことは承知していますが、もうほとんどの人が昭和生まれであり、今は平成、すっかり否定でのみ使うようになっていたのに、なぜ今更また混乱させるのでしょうか。
それに、これは自然に変化してきたというより、あまりにも急速で、一部の人たちの意図が裏にあるような感じがしてしょうがないのですが、気のせいでしょうか。あるいは、過去にも、例えば小説とか新聞とか、何かのきっかけでわっと広がって変化してしまったということはあったのでしょうけれども、今ほど急速ではないと思います。急速にすっかり変わってしまえばそれに従えばいい、かえっていいじゃないかという考え方もありますが、スピードだけではなく、なにしろ数が多いので大変です。私は変な日本語アレルギーだとしつこく何度も書いていますが、アレルゲンが日々増えていくのですからね。
改まった雰囲気の講演で「全然いいです」などと言うのはやはり印象がよろしくないのでやめていただきたい。そんな変な言葉遣いは、親しい仲間が集まってわいわいおしゃべりといった場面だけにしてほしいと思います。ちなみに、いわゆる芸能人が、「全然」に限らず変な言葉を乱発するのは、逆ギレでもないのに「逆ギレ」という言葉を使いたいから言うというように、ただ単に流行の(流行させたい)キーワードを盛り込みたいだけなので、それはそれ、しょうがないですよ。でも、一般の人まで、言葉の意味を考えもせずに同じことをやっていていいのでしょうか。そうして言葉がどんどん乱れていっても、変化であると認めなければならないのでしょうか。私は認めたくありません。
だって、ものすごく分かりづらいのですよ、こっちへ流れると思ったらあっちへ流れる、こういう意味だと思ったらああいう意味、言いたいことを理解するのに一苦労、多様性を通り越してばらばら、豊かさを通り越して支離滅裂、もしかして現代のバベル? 注)映画の「バベル」とは関係ありませんよ。