◆ちゃんとしゃべれ!治納由気(はるなゆき)◆

変な日本語、敬語もどき、崩れていく日本語、そして、正しい日本語とハムスター。

変な日本語、その10、変なアクセント。

2007-04-15 10:38:09 | ちゃんとしゃべれ!変な日本語
                デーモン・・・
 このごろ、アクセントのおかしい人が急増していて、聞き取りにくさに拍車をかけています。でも、方言、いわゆるなまりのことを言っているのではありませんよ。標準語できちんと話している中で、ある単語だけアクセントがおかしい、しかも、同じアクセントの人がじわじわ増えている例もある、そういう妙な状況なのです。
 例えば、「入門」の「にゅー」と「もん」は同じ高さで発音するものですよね。ところが、NHK教育「○○入門」という番組では、「にゅー」が異常に高くて「もん」が下がる、つまり、「デーモン」のアクセントで「入門」と言う人が少なくとも3人います。なにもわざわざそんなことを調べるためにNHK教育を見ているわけではありませんよ、たまたま興味があって見たという範囲でさえこういう結果なのです。
 ほかにも、「質・量、ともに大変なもので」のはずなのに「質量ともに大変なもので」と聞こえるとか、「○○ファンド」と言うときのファンドと単に「ファンド」と言うときのファンドの区別ができていないとか、「選挙戦も佳境に入り」が「選挙戦も華僑に入り」と聞こえるとか、「前編は」なのに「全編は」、「核施設」なのに「各施設」、「ごみの減量」なのに「ごみの原料」、「船体」なのに「千体」、「縦軸」なのに「掛け軸」などなど、枚挙にいとまがありません。
 テレビに出て標準語であれこれしゃべる職業の人たち、アクセントぐらい正確にお願いします。そういう職業でなくても、しゃべる相手が親しい友人以外であれば、やはり注意しましょうね。え、私ですか、私のふだんしゃべっている言葉はいろいろミックスですが、入門とデーモンぐらいは区別できますよ。
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ある、ない、ひょいと聞き間違えることがある。

2007-04-14 11:20:50 | ディクテーションについて
               そりゃ間違えるって
 ディクテーションをやり始めて間もないころ、あ、いや、そのころはほとんどテープでしたから、テープ起こしですね、テープ起こしをやり始めて間もないころ、入力スピードは遅く、ボキャブラリーも貧しくて、言葉の流れや話に矛盾があっても気がつかないということがありました。はっきり聞こえていても、ひょいと「ある」を「ない」と聞き間違えることすらありました。今は、流れで何かおかしいなと感じるので、すぐに戻って修正します。この「感じる」というのが重要なのです。でも、音が悪いうえに聞き慣れない方言とか、条件が非常に悪いとどうしても間違いに気づけないことはありますよ。
 あるとき、ほかの人が講演を入力したものを見る機会があったのですが、たまたま「ある」が「ない」になっていたのです。でも、その人は私よりずーっと先輩のベテランです。あれれ、どうしたのかなぁと思いつつ続きを見ていくと、講演の後に質疑応答があり、そこで、先ほど「ない」と入力ミスしていた事柄について「あるのですね」と確認した人がいて、演者が「はい、あります」とはっきり答えている、にもかかわらず、なんと、「ありません」と入力してあったのです。これには驚きました。
 決して音が悪くて聞こえなかったわけではなく、私には、「ある」「あるのですね」「はい、あります」と聞こえたのです。なぜ「あります」なのに「ありません」と入力してあるのだろうか。最初に「ない」と認識したら次も「ありません」と聞こえるのだろうか。うーん、それはあるかもしれません。あるいは、ここで「あります」にしたら、前に「ない」としたところに戻って「ある」に修正しなければならなくなるので、それが面倒くさかったのだろうか。もちろん、そんなことが許されるはずはありませんが。確かに、ひょいと聞き間違えることはあるけれど、これで気づかないというのはおかしいなぁ・・・。
 でも、ここだけの話、慣れていない作業者が入力したものを見ると、全く前後の意味がつながらない言葉を入力してあるなんていうことはよくあります。ですから、何が言いたいかというと、人の話を正確に文章化することがいかに難しいかということで、録音状態が悪かったら多少の間違いがあっても文句は言えないぞ、と、本当にここだけの話ですからね。
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ディクテーションにおける入力の特異性。

2007-04-13 12:00:19 | ディクテーションについて
             クイナが来る、クイナがぁぁぁ
 ディクテーションは、録音された他人の話を聞き、それを文章にするわけで、複数の人が話していても、そこに何人いるのかすら知らされず、大抵、資料はほとんどないという状況で作業をします。資料があるというときは逆に山ほどあって、どの資料のどこを見ているのか分からず、探すのが嫌になります。そういう状態なのに日本語がおかしいのですから、予測したとおりにならない、日本語としての流れが悪いので非常に聞き取りにくい、ありえない言葉が出てくる、次に何と言うか予測できない、ということで、とにかくいったんは聞こえるとおりに少しずつ入力するしかありません。
 実際、正しい日本語で話す人なら、当然次に出てくるべき言葉がちゃんと出てきますので、非常に効率よく気持ちよく入力できます。よほど専門的な話でなければ、しばらく作業を続けて慣れてくると、その人が話すのと同じ速度で入力できるようになります。言葉の流れから語尾を先読みして入力しても裏切られません。まあ、そんなことはめったにありませんから、あの人と、あの人と、という具合に指折り数えられる程度の人数ですよ。
 そもそも録音状態が悪く、眉間にしわを寄せなくても聞こえるなんていう音のいいものはめったにありません。耳に神経を集中させ、雑音の中から言葉を一つ一つ拾い上げるような状態なのでぶつ切りになり、頻繁に Enterキーを押す、そのせいで右手の薬指を痛めてしまったほどです。今は、鍼灸治療のかいもあってだいぶよくなり、ノートパソコンに替えたことで指にかかる負担が減り、随分楽になりましたが・・・。
 さらに、自分の頭で考えていることを文章にする場合にはありえないような変なところで区切って Enter しているので、変換がだんだんおかしくなってきます。そして、「ここが○○のいちばん得意な」を、「得意な」が聞き取れなかったので「いちばん」で切り、戻って聞き直し、続けて「とくいな」と入力して変換すると「と くいな」となり、「いちばん」まで削除して「いちばんとくいな」と入力して変換してみたら「いちばんと くいな」になって、「水鶏(クイナ)じゃないっつーの! キーッ!!!(`д´)」と、切れました。
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変な日本語、その9、「喧々諤々」。

2007-04-12 12:31:09 | ちゃんとしゃべれ!変な日本語
                やかましいっ
 若いタレントが「一つ難しい言葉を覚えたんですよ」と言うので、ほおー、何だろうと思って聞いていたら「喧々諤々(けんけんがくがく)」などとぬかしおって、おっと失礼、言いました。(`з´) せっかく覚えるのなら正しい言葉を覚えてもらいたいものですが、なぜわざわざ変な言葉を覚えてくるのでしょうかね。自信を持って「喧々諤々というのは・・・」なんて彼女に教えた人がいたということでしょうか、それが間違いであるとも知らずに。
 これは非常に多くの人が間違えているのですが、正しくは「喧々囂々(けんけんごうごう)」です。大勢の人が勝手にそれぞれ意見を述べていてやかましいということで、政治家や評論家がワーワー言い合う某テレビ番組を想像すればいいでしょう。「けんけんごうごう」という音からもそういう場面が想像できます。「喧騒」、そうぞうしい様子、騒がしい様子、「喧伝」、やかましく言い伝えること、「囂々」、声や発言がやかましいほど高くなる様子、「非難囂々(ひなんごうごう)」というのもありますね。
 そして、こちらはあまり聞かない言葉ですが、「侃々諤々(かんかんがくがく)」、はっきり言う、正しいことを遠慮なく、権勢を恐れずに言うという意味で、ただやかましいのとは違います。「喧々諤々」は、「喧々囂々」と「侃々諤々」とが半分ずつミックスされたものなのです。意味の違う言葉なのに、響きやリズムが似ているせいでしょうか、いつの間にか交ざってしまったようで、大学の先生でも「喧々諤々」と言う人は多いので、若い人が間違いだと知らずに覚えてしまうのは無理ないことかもしれません。
 言葉から浮かぶ光景ということが共通理解には欠かせないと思うのですが、それがばらばらになるということは、見たことがないというのはもちろんですが、想像力が乏しいということもあるのかな? ひょっとして、「喧々諤々」はだれかがわざと作ったとか・・・?
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能登半島地震、18日め、動物も被災。

2007-04-11 12:23:29 | いろいろあれこれ
               回し車はどうかなぁ
 うちには大切なハムスターたちがいますから、さっとみんな連れ出せるように、中を仕切ったケージを一つ準備してあります。でも、突然の災害というとき、果たして冷静にハムたちを連れて避難できるだろうかと、かなり不安になりました。ハムスターは避難所などに持ち込むことはできるのでしょうか。犬は、ほえるから、避難所の外の少し離れた場所でケージに入れてという具合ですね。猫は? うーん。動物のほうはもちろんですが、飼い主さんだって離れたくないですよね。7日にアニマルシェルターが県獣医師会の協力で開設され、獣医師が常駐して診療に当たっていらっしゃいます。また、飼い主と離れ離れになった迷い犬や猫も保護して世話をしているので、動物の扱いに慣れたボランティアを募集しているそうです。
 今回の県議会議員選挙も、被災地ではだいぶいつもと様子が違ったようです。選挙カーで名前を連呼するのではなく、防災服で被災地行脚、選挙カーが町に入ったのは投票日前日だけ。当選したかたも、万歳三唱ではなく、頑張ろう三唱でした。空き家を、仮設住宅が完成して入居できるようになるまでの間、避難している人たちに使ってもらおうという活動も始まっています。阪神淡路のときもそういうことがあったそうで、あの地震で本当にいろいろなことを経験しているのだなと、今更ながら思いました。
 通行不可になっていた能登島大橋が通行可能になりましたが、当初の予定より随分早く復旧したのですね、のとじま水族館や能登島ガラス美術館も平常どおり開館しています。たまたま地震前の3月16日に、のとじま水族館で国内最大級のイルカ水槽の建設が進んでいるということを書きましたが、すでにオープンしていますから、行ってみてはいかがでしょうか。輪島の朝市も本格的に再開され、今日は8割がたの150軒が出店したようです。あ、そうだ、能登の桜はまだまだこれから満開を迎えるところですよ。
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言葉から浮かぶ光景、「波紋が広がる」。

2007-04-10 11:33:29 | 気になる言葉、具体例
 昨日の続き。舌鼓(したつづみ)、鼓なんてなかなか見ないからなぁ~、それはそうですが、音楽か歴史か、何かの授業で、あるいはテレビで、また、伝統芸能に触れる機会に鼓を一度や二度は見て、鼓(つづみ)という楽器があるということを日本人なら認識するでしょう。だったら「舌鼓」は「したつづみ」、「腹鼓」は「はらつづみ」のままでいいはずです。つまり、「したずつみ」のように、時代とともに言葉は変化するものだという言い方が当てはまらない現象もあるということです。
 時代に合った変化と誤りは違うので、区別して、直せるものは直したいと思うのですが、直すことは不可能なのでしょうか。不可能だから、結局、変わってしまうのでしょうか。でも、「パソコンを立ち上げる」のように、文法に誤りがあっても、その時代のニーズから生まれ、合理性があるものは、早く広く人々に受け入れられて定着します。そのことに異を唱えるつもりは全くありませんよ。合理性も何もないのに、誤りだと気づかなくてそのままになってしまう、繰り返し聞かされて慣れてしまい、正しい言葉を忘れ、「悪貨は良貨を駆逐する」という結果になってしまうのが困るのです。
 さて、「波紋が広がる」を積極的な表現にするとどうなるか。「波紋を広げる」ですか? 「波紋を呼ぶ」ですか? でも、波紋って、呼ぶものでしょうか。「一石を投ずる」を忘れていませんか。水に石を投げて初めて波紋が広がるのですから、石を投げもしないで波紋を呼ぶというのはどういうことを表現しているのでしょうか。

 ところで、テレビ番組「でぶや」を見ていたら、岐阜のお店で「いぶり豆腐」というのが出てきましたが、能登の柳田村(やなぎだむら)にもありますよ。畑のチーズといって、夢一輪館(ゆめいちりんかん)というそば屋で食べたことがあります。そのお店は、能登空港から車で15分ほど、珠洲(すず)道路を珠洲方向へ走り、道の駅 桜峠を過ぎて少し行った左手の道に入っていきます。揚げ浜式塩田のにがりを使った柳田村の豆腐を能都町(のとまち)の「いしり(イカの魚醤)」で調味し、能登木炭と桜材で20時間かけて燻製にしたものだそうです。一度ご賞味あれ。
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言葉から浮かぶ光景、福、棹、鼓。

2007-04-09 11:23:58 | 気になる言葉、具体例
 1月28日の記事の「災い転じて福」や「流れに掉さす」のように、意味が変わってしまった言葉というのはたくさんありますね。「福となす」は「福となる」に、これは、「となす」を言わなくなったから何となく「福となる」という単なるラッキーの意味になってしまったのか、「福となす」という積極性が失われたために「となす」を言わなくなったのか、どっちが先か分かりませんが。「流れに乗じる」は、船頭さんが流れに棹さし舟を進めるという光景が見られなくなり、「棹さす」というと止まるイメージになるので、「流れに逆らう」という意味に移り変わりました。
 浮かんでくるイメージが共通していれば同じように認識され理解されるわけですが、時代が移り変わり、風景が変わり、生活が変わり、イメージがぼやけて定まらない場合、言葉の示す意味が人それぞれ違ってくるのはしょうがないことです。こうなると、大切なことを伝えようとするときは、そのことを踏まえ、誤解を生じないように言葉を選んで話すしかありません。聴衆の年齢や立場がばらばらなら、慣用句や意味があいまいになっている言葉を使うときは解説を忘れずに!
 でも、問題は「舌鼓」のような言葉で、これを「したずつみ」と発音するのを容認してはいけないと思うのです。なぜなら、「鼓」は永遠に「つづみ」だからです。「鼓」は? つづみ、「舌鼓」は? したずつみ、おかしくないですか? おかしいでしょう? 今、日本語は、こんなに簡単な理由があっても、「したずつみ」と言う人が多いからそれでもいいんじゃないかという流れになっていて、私はこれをあまりに寛容すぎるのではないかと思っています。もしもこの先「鼓」の読み方が変化することがあるとしたら、それは、誤りに寛容すぎることが原因でしょう。
 日本人が正しい助詞を使えなくなり、聞き手に甘えているということもたびたび書きましたし、実に深刻な状態なのですが、先日、あるニュース番組のメインキャスターが「そばを舌ずつみ」と言うのを聞きました。「舌ずつみ」だけでも十分おかしいのですが、助詞も間違っています。「そばを」ではなく、「そばに」です。「舌鼓」は、本来「舌鼓を打つ」で、「そばを舌鼓を打つ」はおかしいですね、「そばに舌鼓を打つ」なのです。でも、これを聞いた若い人は「そばを舌ずつみ」と言うのでしょうね、こうして日本語はどんどん崩れていくのです。時代に合った言葉を創出するよりも、正しい言葉を喪失することのほうが多く、それは見過ごしてはいけないと思うのですが、どうでしょうか。
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地震に慣れる、地震がないことに慣れる。

2007-04-08 10:51:29 | いろいろあれこれ
 能登半島地震、今日は15日めです。地震後ずっと断水していた地区も、すべて、断水は解消されたそうです。私は、2リットルのペットボトル入りの水を常に10本ほど備蓄し、期限が来たら料理に使って新しいのを補充するという具合にしていますが、これでどのくらい助かるか、給水車が来るまでは何とかなるでしょうか。そういえば、給水車が来て、持参した容器に水を入れるという光景を見ましたが、うちにはポリタンクもバケツもありません。買っておかないといけないかなぁ。買ったら、それを一体どこに置いておこうか、置く場所がない・・・うーん、そこから始めないといけませんね。
 地震は、ちょいちょいあればあったで慣れる、なければないで、ないことに慣れる、慣れて備えを怠れば、どちらも怖いことです。阪神淡路でも、福岡でも能登でも「まさかこんな大きな地震が来るとは思ってなかった」という声が聞かれましたが、地震列島日本に住んでいる以上、自分が住んでいる所だけは地震が来ないなんていうことはありえません。石川県にも大きな活断層があり、私がその真上に住んでいることも分かっていて、地震発生のサイクルからいっても、いつ大地震が来てもおかしくないということですから、先日の地震はそれかと一瞬思ったのですが、違いました。もしもそれだったら、今ごろはブログの更新なんてしていないでしょう。多分、生きていたら避難所生活です。
 なにしろ、うちの居間の壁には3メートルほどの長さの細い亀裂が斜めに入っているのですから、もっと大きな地震が来たらただでは済まないでしょう。ただし、この亀裂はこの前の地震で入ったものではありません。いつそうなったのか分からないのですが、家具を置いて壁が見えていなかった9年前から4年半前までの間でしょう。模様替えで家具をどかしたときに気づいてあ然としましたが、かといってどうすることもできず、そのままになっています。つまり、この亀裂は見なかったことに・・・。
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ハムレット→ハム→バベル。

2007-04-07 11:15:27 | 気になる言葉、具体例
               to be,or not to be
 大根役者のことを英語でハムアクターと言うそうで、辞書を見ると、ham だけでもへぼ役者という意味になっています。理由は、下手な役者ほどハムレットをやりたがるから。なーんだ、ハムレットかぁ、ハムスターとは関係ないんだ~。あんな下手なやつは降ろしちまえ、おろせ、大根おろし、大根役者、うまいねぇ、座布団1枚持っといで。
 ハムレット → ハム、レット → let は「小~」の意味を表す接尾辞で、例えば、スターレット starlet は星屑 → Hamite はハム人、アフリカ北部の黒人で、Noah (箱舟で有名なノア)の次男である Ham (長男セム、次男ハム、三男ヤペテ)の子孫だといわれている → Hamlet → 小ハム → ハムの子孫 → Hamite → あれ? あまり意味のない連想でしたが、こんなふうにどんどん連想して最初に何を考えていたか分からなくなることってありますよね。(^^;)
 思い出しました、一昨日の記事の「現代のバベル」について説明しようと思っていたのです。「バベルの塔」といえば、多くのかたが「なんか聞いたことあるな~」と思われるでしょう。ノアの子孫が地上に広がり、塔を建てて頂を天に届かせようとしたところ、主は下って言われた。「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこのことをしはじめた。彼らがしようとすることはもはや何事もとどめえないであろう。さあ、我々は下っていって、そこで彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」。このことによってその地がバベルと呼ばれるようになったので、「バベル」というのは言葉が通じなくなることを象徴するわけです。
 辞書を見ると、バベルの塔、旧約聖書にある伝説の中の未完成の塔、実現できない(できそうもない)計画、と書いてありました。うーん、知らなかった、そういう意味もあったのですね。でも、主は、人間が塔を建てて頂を天に届かせようとするのをやめさせようとした、そのために言葉が通じないようにしたわけで、実現できない計画というよりも、実現などさせてはいけない愚かな行為というほうが近いと思います。そういうことって、世の中にいーっぱいありますね。
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目に見える地殻変動。

2007-04-06 10:48:54 | いろいろあれこれ
 門前の剱地(つるぎじ、つるぎぢ)は+40センチ、深見は-10センチ、地殻変動がはっきり目に見える形になっています。剱地には漁港がありますが、なにしろ+40センチですから、港がその分浅くなっているわけです。こんなすごいことが一瞬で起きるほどのエネルギーが日本列島の近くにたまっているのですから、本当に沈没したら日本語がどうのこうのなんて言ってられませんね。
 ところで、全壊した家屋を実際に見て、何か違和感があったのですが、ローカルの報道番組を見ていて違和感の原因が判明しました。それは何かというと、瓦です。家が上から押さえつけたようにぐしゃっとつぶれている、けれど、瓦はきれいに屋根にくっついて並んでいるのです。普通、倒壊した家というのは、屋根の瓦が整然と並んでいるなんていうことはありませんよね。地震発生時にすぐに外に出てはいけないというのも、瓦が落ちてきて当たると危険だからで、瓦はすぐ落ちるものというイメージです。
 ところが、門前は海が近く、冬の日本海は荒れますから、強い風で瓦が飛ばないように「引っかけぶき」という、瓦を釘で屋根に固定する工法でふかれた屋根が多く、地震で家が揺さぶられても瓦が落ちないので、その重さが倒壊に拍車をかけたということなのだそうです。もちろん、強風でも瓦が飛ばないという点で有効な工法であることは間違いないわけで、耐震性が高い建物ならいいけれども、そうでない建物の場合、地震には逆に作用したということですね。
 それから、土蔵がみんな壊れているなぁという印象だったのですが、漆器は非常にほこりを嫌うので、輪島塗の職人さんが蔵を作業場にしているケースが多く、影響が大きいという話です。蔵といえば、酒蔵もだいぶ被害を受けているようです。でも、輪島のキリコ会館を久しぶりに団体客が訪れたというニュースも聞かれ、余震もほとんどなくなってきているので、早く被災者の生活が元に戻り、観光客も戻ってきてくれるよう祈ります。
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変な日本語、その8、「全然いいです」。

2007-04-05 10:59:43 | ちゃんとしゃべれ!変な日本語
               ノアの次男なのかぁ
 日常会話で若い人が「全然いい~」と言っているのを私はやや不快に感じます。でも、そんなに困りません。講演で中年以上の人が「全然いいです」などと言うのは腹が立ちます。そして、入力の手が止まり、削ろうかどうしようかしばらく考えます。否定ではない「全然」という言い方が出てきて、「全然ない」と言うと思ったら「全然ある」と言うのですから、話の流れが乱れてとても困ります。明治・大正時代は肯定でも「全然」と言っていたことは承知していますが、もうほとんどの人が昭和生まれであり、今は平成、すっかり否定でのみ使うようになっていたのに、なぜ今更また混乱させるのでしょうか。
 それに、これは自然に変化してきたというより、あまりにも急速で、一部の人たちの意図が裏にあるような感じがしてしょうがないのですが、気のせいでしょうか。あるいは、過去にも、例えば小説とか新聞とか、何かのきっかけでわっと広がって変化してしまったということはあったのでしょうけれども、今ほど急速ではないと思います。急速にすっかり変わってしまえばそれに従えばいい、かえっていいじゃないかという考え方もありますが、スピードだけではなく、なにしろ数が多いので大変です。私は変な日本語アレルギーだとしつこく何度も書いていますが、アレルゲンが日々増えていくのですからね。
 改まった雰囲気の講演で「全然いいです」などと言うのはやはり印象がよろしくないのでやめていただきたい。そんな変な言葉遣いは、親しい仲間が集まってわいわいおしゃべりといった場面だけにしてほしいと思います。ちなみに、いわゆる芸能人が、「全然」に限らず変な言葉を乱発するのは、逆ギレでもないのに「逆ギレ」という言葉を使いたいから言うというように、ただ単に流行の(流行させたい)キーワードを盛り込みたいだけなので、それはそれ、しょうがないですよ。でも、一般の人まで、言葉の意味を考えもせずに同じことをやっていていいのでしょうか。そうして言葉がどんどん乱れていっても、変化であると認めなければならないのでしょうか。私は認めたくありません。
 だって、ものすごく分かりづらいのですよ、こっちへ流れると思ったらあっちへ流れる、こういう意味だと思ったらああいう意味、言いたいことを理解するのに一苦労、多様性を通り越してばらばら、豊かさを通り越して支離滅裂、もしかして現代のバベル? 注)映画の「バベル」とは関係ありませんよ。
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門前の避難所に温かいそば。

2007-04-04 13:20:41 | いろいろあれこれ
 昨日、避難所でおそば屋さんグループが人々に温かいそばをふるまったと聞き、門前がそばどころであることを思い出しました。いつだったか、わざわざそばの花を見るために門前へドライブしたことがあります。役場でそばの花が咲いている場所を尋ね、行って、見たのですが、白い、小さな、地味な花で、1本だけそこにあったら雑草にしか見えない、辺り一面真っ白になるほどたくさんあって初めてそばだと分かる、そんな花でした。
 そば、蕎麦、ソバ、一般に「そば」なのですが、文書の性格や好みで「蕎麦」や「ソバ」でもいいわけです。でも、「あたしゃあなたのそばがいい」のそばと区別できないので検索するのに不都合ですね。輪島市役所の公式サイトには「門前そば」と書いてありました。
 ドライブの目的をうまいそばにすることもあります。157号線を南下して越前大野の田んぼの学校茶屋でそば定食とそばぜんざい、158号線、364号線をたどり丸岡町の千古(せんこ)の家でおろしそばを食べ、北上して山中へ抜け、栢野(かやの)大杉茶屋の草だんごを買って、その場で1個食べて帰ります。あぁ~おなかいっぱい。
 北陸三県では、福井はそば、石川はうどん、富山はラーメンといわれています。いや、いわれていた、かな? 石川県にだって、鳥越(とりごえ)、門前という有名なそばどころがあるのです。もちろん、金沢市内にもうまいそば屋はたくさんあってなかなか回りきれません。うどんは、昔、金沢市の繁華街に最高にうまいうどん屋があったのですが、突然閉店してしまい、店主が病気らしいとかいううわさも聞いたりして、あれからどうなったのか・・・。残念ながら、あれ以上にうまいと思える店はまだ見付かりません。もう一度食べたい、とうふうどん。薄い衣をまとってカラッと揚がった豆腐がのっかって、ゆず、もみじおろし、麺はもちろんですが、汁がこの上なくうまかったぁ。
 ところで、輪島市役所の公式サイトにあった門前そばの説明文、「能登半島の自然の中で育ったそば粉を使い、つなぎには自生する自然薯(山いも)をふんだんにつなぎに使った、素朴で風味豊かなそばです」、うんうん、なるほど、自然薯ねぇ~って、「つなぎ」が重複してる! 公式サイトなのだからちゃんと変な日本語をチェックしてほしいものです。そういえば、2月16日の記事に「鳳珠郡の読みを併記してくれとメールした」と書きましたが、まだ反映されていません、残念。
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門前はブルーシートだらけ。

2007-04-03 17:39:31 | いろいろあれこれ
 昨日、輪島へ行ってきました。合併で門前も含めて輪島市になりましたが、普通、輪島といえば、朝市、輪島塗などで有名なところです。能登有料道路は徳田大津インターまで通常と変わらぬ様子で、そこから穴水此木(くのぎ)まで国道249号線を北上、この間、能登有料道路でなら20分かからないのですが、35分かかりました。ですから、余計に時間がかかったというのはこの差、15分だけです。此木からは県道1号線を北上、朝市通りまで26分、道路の亀裂などはすでに応急処置が施され、片側交互通行のところが1か所あっただけで、所要時間はふだんと同じでした。此木交差点のすぐ近くに食品スーパーや衣料品店などが集まっているところがあるのですが、ここもふだんどおりです。
 県道をまっすぐ進むと自然に朝市通りに着くのですが、近くに広い駐車場があります。その先は海ですが、右手に埋め立てでできたけっこう広い野原があり、そこに災害ゴミの山ができていました。町の中で被害を受けたのは、かなり古い建物や古い土蔵などのようです。重蔵神社の石の構造物はかなり崩れていました。入り口の脇の大きな石灯籠も崩れたままです。まるでそこに地震のパワーが集中したように見えて不思議な感じがしたのですが、とにかく地震のときは石の構造物のそばにいないほうがよさそうです。親類の家や、東京で暮らす友人の実家を訪ねたのですが、幸いけがもなく、棚から落ちたものがだいぶ壊れたものの、建物そのものには被害がなくて安心しました。
 寝室のタンスが倒れたけれども、もう起きていてそこにいなかったから、というようなことで、やはり、10時少し前という時間であったことがよかったようです。若夫婦は、ちょうど地震発生時に能登有料道路の現在不通になっている区間を走っていて、急に車がふらふらしたのでパンクかと思って停車したそうです。そして、調べたけれどもパンクはしていない、ということは地震だったんだ、というわけで、前進するしかないのでそのまま進み、横田インターで降りるように指示され、その日の予定は取りやめ、電柱が傾いて電線が垂れ下がり、亀裂が入ったりぼこぼこになったりしている道をどうにか走って家に戻ったそうです。
 輪島からの帰りは、国道249号線で門前へ。中屋トンネルを抜けて少し進むともうブルーシートだらけ、総持寺周辺はすごいことになっていました。町の中には入らず、国道を走りながら見ただけですが、崩れた家、下敷きになってそのままの車、災害ゴミの山など、被災地であることを実感する光景です。国道は普通に走れるようになっていますが、国道を外れると、ぼこっと盛り上がったアスファルト、長い亀裂、段差がそのままです。さらに南下し、能登金剛・関野鼻(せきのはな)の手前で海から離れて山の方へ行くのですが、山肌が崩れて大きな石がごろごろ、山側の車線はふさがり、谷川の車線だけで片側交互通行になっています。そこを過ぎて富来(とぎ)以南の国道249号線はふだんどおりです。
 途中、門前で「名古屋市環境局災害応援隊」と表示された数台のゴミ収集車らしき車とすれ違いました。フル稼働でやっても追いつかないゴミ処理を手伝ってくださるのでしょう、うれしいことです。素晴らしい観光地の多い能登ですから、富来、七尾、和倉温泉、能登島、穴水、輪島、柳田、能都、内浦、珠洲へお出掛けの予定があるかたは、キャンセルせず、行かれてはいかがでしょうか。
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今日は輪島へ行ってきます。

2007-04-02 08:13:13 | いろいろあれこれ
 昨日は、地震からちょうど1週間たった日曜日ということで、ボランティアのかたがたや親類の人たちが大勢能登へ行ったようです。土曜日は雷を伴う激しい雨という悪天候で、皆さん大変だったと思います。昨日は穏やかで暖かい日でしたが、黄砂で遠くの景色がかすんでいました。1年前に亡くなった母方の伯母の法要に出席したのですが、遠方の親類も集まる貴重な機会ですから、みんな互いにカメラ付き携帯で写真を撮り合っていました。
 輪島に住んでいる親類は父方です。今回の地震による直接の被害に加え、今後も影響をもろに受けそうな職業なので心配は尽きません。そして、ひらめきました。こんなタイミングのいいことはめったにない、せっかく親類が大勢集まるのだから、これぞ神の恵み、生前みんなから慕われた伯母さんの与えたもうたチャンスと思い、手近な箱で作った募金箱を法事会場に持っていき、事情を説明し、皆さんに協力してもらうことができました。本当にありがたいことです。まあ、どういうことになるか、とにかく行ってきます。
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ちゃんとしゃべれ! 気づかないと直せない。

2007-04-01 10:20:18 | 電子書籍(でじたる書房)
 私は‘ 変な日本語アレルギー ’です。ディクテーションで毎日変な日本語を聞かされて許容量を超えてしまい、ついにアレルギーを発症したというわけです。どんどん重症化するので、書きためたアレルゲンのメモを、昨年末、電子書籍にしました。タイトルは「ちゃんとしゃべれ! あなたの日本語 ここが変だから直してください」です。「でじたる書房」の「教養」「一般教養・雑学」というカテゴリーにありますが、内容は、興味のあるなしにかかわらず‘ 日本人に必須 ’です。
 「でじたる書房」は http://www.digbook.jp 「はるなゆき」で著者名検索すると、青いメガネをかけたハムスターが「ちゃんとしゃべれ!」と言っている表紙と紹介文が出てきます。
 私の言う変な日本語とは、「あいうえお」でなければいけないところを「か・にう/せ-ほ」と表現すること、その立場のしかるべきレベルに達していないことで、それでも本人はこれを「あいうえお」と言っているよ、これでいいんだよとかたくなに思い込んでいるのですから、ここが問題なのです。「aiueo」でも「AIUEO」でも「アイウエオ」でもいいのです。個性、味わい、方言、しゃれ、便利、親しみ、柔らかい、楽しい、分かりやすい、美しい、そういうものはそれでいいのです。
 よく聞こえない、誤りが多くて読みにくい、正誤をほとんど気にしていない、何を言っているのか、何を書いてあるのか理解できない、いちばん肝心なことが伝わってこない、はっきりしない、あいまいで混乱する、不快である、誤解を生む、オリジナルの意図を曲げてしまう、その原因が日本語そのものにあるとき、それを「変な日本語」と言っています。日本人ならみんな気をつけなければいけないのですが、特に、人前で話すことが職業である人、例えば、アナウンサー、キャスター、セミナーの講師、講演者、教員、そして、企業や公的機関のサイトおよび印刷物の担当者、こういったところの人たちが日本語に注意を払わないのは非常に困ったことです。
 日本語をテーマにしたテレビ番組を見て「へぇーなるほどー」なんて言ってる場合じゃないですよ、現状はもっとレベルが低いのですから、もっとひどいことになっているのですから。皆さん、変な日本語に慣れて鈍感になっていませんか。話し方のおかしい人は、自分は間違っていないという妙な自信を持っているようで、だからいつまでも直らないのですね。まず、どこがどう間違っているか、これをきちんと認識しなければ直せません。何も考えないで放置すれば、いつか、思わぬところで誤解を生じたり、意図が十分伝わらなかったり、困ったことになりかねません。
 自分の話している言葉が正しいか正しくないかを気にしている人は、はっきり間違いだと分かれば自分で修正することができますが、残念ながら、何も考えないで毎日間違いばかりを聞かされていると、いつの間にか間違いのほうに引っ張られていってしまいます。もちろん、何でも時代に合わせてある程度変化していくもので、言葉も例外ではありませんが、「変化」と「乱れ」は違います。時間があれば、そのつど自分で調べて正しい日本語を確かめればいいのですが、これはなかなかできないことです。私は仕事の中でそういう作業を即座にすることができたから言葉を整理できたというわけで、全部実例ですから、ぜひ参考にしてください。
 録音された話を耳から聞くだけでそれを文書にするという仕事ゆえに、変な話し方がストレートに作業効率に影響し、大きなストレスとなり、アレルギー症状が出たのですから、アレルゲンが減ることを願うのは当然です。化学物質過敏症の人のアレルゲンである化学物質のように、周り中すっかりアレルゲンに囲まれているという状態に等しいのですから、これは苦しいですよぉ~。
コメント (2)
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