滋賀県の湖東や湖南地方には大きな神社や仏閣が数多く残されています。
とは言っても、京都のような長く都があった都市とは比較にはなりませんが、京都と滋賀は比叡山を挟んで隣県になりますので、神社仏閣が多いのかもしれませんね。
東近江市には臨済宗永源寺派の大本山の瑞石山 永源寺があり、参拝をしてきました。
臨済宗ですから禅宗になりますが、臨済宗は元々は中国の禅宗五家の一つであったものを鎌倉時代に栄西らによって伝えられたものです。
永源寺の創建は南北朝時代の興安元年(1361年)に近江守護職であった佐々木六角氏頼公の寄進により、寂室元光禅師(正燈国師)が開山したとされています。
その後、室町から戦国時代の戦乱により焼失して寺運が衰退していったものの、江戸時代中期に彦根藩の井伊家などの帰依により復興したそうです。
湖東にある神社らしく、まずは羅漢坂という参道の石段登りからになります。
愛知川に沿って登っていく石段の途中には釈迦・文殊・普賢像と十六羅漢の石仏が奉安されていて興味を引きます。
羅漢像を過ぎると石段は終わって、ゆるやかな坂となり、総門が見えてきます。
紅葉樹が増えてきたのが分かりますが、この永源寺は名刹であると共に紅葉の名所としても有名なお寺です。
総門から少し参道を歩いていくと、立派な山門が見えてきて圧倒されます。
この山門は、寛政七年(1795年)井伊家の援助等により7年の歳月を費やし享和二年(1802年)完工したもので、重要文化財に指定されています。
山門は正面から見ても、背面から見てもヤマモミジが被ってしまうのですが、紅葉の季節に来たらさぞや見応えのある景色になるでしょうね。
方丈(本堂)は想像していたより遥かに大きな建築物で、国内屈指の葦葺き屋根といわれています。
現在の本堂は明和二年(1765年)に井伊家の援助により建立されたものだそうですが、堂内には大きな木魚があり、襖絵の美しさが印象に残る堂内でした。
法堂は、3度の兵火や火災で焼失してしまいましたが、現在の建物は享保十三年(1728年)の再建されたものだそうです。
本堂から法堂や開山堂へは回廊でつながっており、修行の禅僧が行き来する姿が頭に浮かぶような回廊になっていました。
境内には禅僧の専用道場があります。
臨済宗は、“純粋な人間性(仏性)を、修行を通して自覚(見性)することを旨とする”とされていますから、禅僧の方が静かに座禅を組まれている場所のようです。
開山堂は、永源寺を開山した寂室元光禅師(正燈国師)を祀るお堂ですが、このお堂にも樹勢豊かなモミジの葉が覆いかぶさるように茂っています。
湖東の山寺に多いのですが、この永源寺もモミジに包まれた寺院といった感があります。
臨済宗には約15の本山があるとされていて、その中の一つが『瑞石山 永源寺派』ということです。
他には「東福寺派」「南禅寺派」「建仁寺派」「大徳寺派」「天龍寺派」など有名なお寺が宗派の本山としてありますが、どういう経緯で枝分かれしていったのでしょうね。
とは言っても、京都のような長く都があった都市とは比較にはなりませんが、京都と滋賀は比叡山を挟んで隣県になりますので、神社仏閣が多いのかもしれませんね。
東近江市には臨済宗永源寺派の大本山の瑞石山 永源寺があり、参拝をしてきました。
臨済宗ですから禅宗になりますが、臨済宗は元々は中国の禅宗五家の一つであったものを鎌倉時代に栄西らによって伝えられたものです。
永源寺の創建は南北朝時代の興安元年(1361年)に近江守護職であった佐々木六角氏頼公の寄進により、寂室元光禅師(正燈国師)が開山したとされています。
その後、室町から戦国時代の戦乱により焼失して寺運が衰退していったものの、江戸時代中期に彦根藩の井伊家などの帰依により復興したそうです。
湖東にある神社らしく、まずは羅漢坂という参道の石段登りからになります。
愛知川に沿って登っていく石段の途中には釈迦・文殊・普賢像と十六羅漢の石仏が奉安されていて興味を引きます。
羅漢像を過ぎると石段は終わって、ゆるやかな坂となり、総門が見えてきます。
紅葉樹が増えてきたのが分かりますが、この永源寺は名刹であると共に紅葉の名所としても有名なお寺です。
総門から少し参道を歩いていくと、立派な山門が見えてきて圧倒されます。
この山門は、寛政七年(1795年)井伊家の援助等により7年の歳月を費やし享和二年(1802年)完工したもので、重要文化財に指定されています。
山門は正面から見ても、背面から見てもヤマモミジが被ってしまうのですが、紅葉の季節に来たらさぞや見応えのある景色になるでしょうね。
方丈(本堂)は想像していたより遥かに大きな建築物で、国内屈指の葦葺き屋根といわれています。
現在の本堂は明和二年(1765年)に井伊家の援助により建立されたものだそうですが、堂内には大きな木魚があり、襖絵の美しさが印象に残る堂内でした。
法堂は、3度の兵火や火災で焼失してしまいましたが、現在の建物は享保十三年(1728年)の再建されたものだそうです。
本堂から法堂や開山堂へは回廊でつながっており、修行の禅僧が行き来する姿が頭に浮かぶような回廊になっていました。
境内には禅僧の専用道場があります。
臨済宗は、“純粋な人間性(仏性)を、修行を通して自覚(見性)することを旨とする”とされていますから、禅僧の方が静かに座禅を組まれている場所のようです。
開山堂は、永源寺を開山した寂室元光禅師(正燈国師)を祀るお堂ですが、このお堂にも樹勢豊かなモミジの葉が覆いかぶさるように茂っています。
湖東の山寺に多いのですが、この永源寺もモミジに包まれた寺院といった感があります。
臨済宗には約15の本山があるとされていて、その中の一つが『瑞石山 永源寺派』ということです。
他には「東福寺派」「南禅寺派」「建仁寺派」「大徳寺派」「天龍寺派」など有名なお寺が宗派の本山としてありますが、どういう経緯で枝分かれしていったのでしょうね。