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“男のためのガーデニング”改め

京都国立博物館 特別展覧会~「海北友松」と「仏像入門」~

2017-05-17 18:40:08 | アート・ライブ・読書
 『この絵師、ただものではない!』とサブタイトルが付けられた海北友松の特別展覧会が京都国立博物館で開催されています。
同時開催の『仏像入門』の仏像展示と明治の建築物である京都国立博物館の建物見たさで訪れることになりました。

海北友松は滋賀県の湖北地方(長浜市瓜生町)の出身といわれる方で、瓜生町(うりゅうちょう)は小谷城があった小谷山・須賀谷温泉から山を一つ挟んだところにある村です。
友松は戦国時代の浅井三代に渡って使えた重臣の家に生まれたとされますが、幼少の頃より京都の東福寺で修行していたといわれます。
1573年に織田信長による浅井攻めにより、浅井家滅亡・兄弟討死の後、海北家の再興を望みながら還俗するも武士を捨てて絵師となったと伝わります。



海北友松展覧会が開催されている京都国立博物館は京都東山にあり、道路を挟んだ隣に三十三間堂・智積院などの神社仏閣が多く並ぶ文化ゾーンに建てられています。
明治時代の1897年に帝国京都博物館として開館され、開館120周年記念特別展覧会として今回の海北友松が開催されているようです。



明治の建築物らしくレンガ作りのモダーンな建築で明治の雰囲気たっぷりの建物となっていて、これは重要文化財に指定されています。
今回の展覧会は平成知新館という3階建ての展示館での開催で「明治古都館」での開催ではありませんが、すでに10万人以上(5月11日に達成)の来館者が訪れていますから、日本画がある種のブームになっているように思えます。



展覧会は「絵師・友松のはじまり-狩野派に学ぶ-」の第1章から、「豊かな詩情-友松絵の到達点-」の第10章まで10ブロックに分かれて展示されていて、友松の作品の変遷が分かりやすい構成になっていました。
海北友松といえば、建仁寺の龍図のイメージが強くその系統の作品を想像していましたが、大半の絵は山水画などの屏風が中心で違和感を感じてしまうこととなりました。


 
「柏に猿図」・・・ポストカード

まず印象に残るのは第1章に展示されていた『柏に猿図』でしょうか。
日本には居ない手長猿のような白と黒の猿が描かれた大きな画(177.9×138.4cm)が掛け軸に仕立てられて展示されていて、猿の体毛などはかなり詳細に描かれています。
説明では“狩野派風と友松風が混在している”初期の作品と書かれてありましたが、はてさて意味が?...といったところです。


「松に叭々鳥図襖」

第3章の「飛躍の第一歩-建仁寺の塔頭に描く-」に展示されていたのは重文の「松に叭々鳥図襖」。
この絵のキャッチコピーは『武士の希薄ほとばしる!刀を振り下ろしたかのような筆さばき』とあります。
そう言われましても、感性が悪いのか・勉強不足なのか理解出来ず悩ましく思えてしまいます。



「竹林七賢図」

松に叭々鳥図襖」と同じく重要文化財に指定されているのが、「竹林七賢図」(第4章:友松の晴れ舞台)という竹林で清談にふけった七賢人の姿を描いた建仁寺所有の絵です。

七賢人にちなんだ友松の話を書くと...・
海北友松は滋賀県の湖北地方の出身とされており、長浜市の旧浅井町という地域は五先賢という5人の賢人の出身地とされています。
その5人の中に海北友松も含まれており、他の4人は比叡山延暦寺の高僧「相応和尚」(千日回峰行の創始者)、賎ヶ岳七本槍の一人で秀吉の家臣「片桐且元」、江戸時代の造園建築家「小堀遠州」、明治の漢詩人「小野湖山」となるようです。(余談)

さて、あまりにも有名な雲龍図ですが、やはり海北友松というと雲龍図という印象ですね。
墨の濃淡の使い分けだけで描かれた龍の迫力には圧倒されてしまいます。その反面、禅師のような表情とも受け取れる龍の顔には擬人的なイメージもあり、見応えがありました。(第8章:画龍の名手・友松-海を渡った名声-)


 
「雲龍図」・・・ポストカード

ところで、今回の展覧会で秘かに楽しみにしていた『仏像入門』の部屋ですが、これは期待も予想も遥かに超えた素晴らしい展示でした。

◇最初に待ち構えていたのは京都・愛宕念仏寺の「金剛力士立像」(鎌倉時代)。鎌倉期の力強い仁王様にまずは感動。
◇京都・妙博寺の十一面観音立像のバランスの悪い姿(顔が大きくでっぷりとした短足で腕だけがアンバランスに長い)。こういう姿の観音像をまれに見ることがありますが、妙な魅力を感じるお姿です。
 京都・般若寺の普通のお姿の十一面観音立像と並んでいましたので比較に興味深いものがあります。
◇ガンダーラの仏頭やマトゥラーの半身像や唐の仏像など海外の仏像も展示されており、日本で熟成された仏像との違いにも明確なものが感じ取れました。



国宝「大日如来坐像」「不動明王坐像」・・・河内長野市HP

息を呑むというか、その神々しさに圧倒されてしまうのが、大阪河内長野市・金剛寺の国宝「大日如来坐像」・「不動明王坐像」でした。
智拳印を結んだ「大日如来坐像」に見とれていると、横におられた方が数珠を持って智拳印を結び、何やら教を唱えておられます。博物館で観る仏像とはいえ、思わず手を合わせたくなる平安時代末期の素晴らしい仏像です。

3mを越す大日如来坐像の横には同じく国宝で2mを越す「不動明王坐像」が祀られていました。
鎌倉時代作の不動明王は、仏師快慶の弟子・行快の作とされ、保存修理の影響もあってかお顔はやさしい表情をしておられます。
全部で25作(28躰)の仏像が並ぶ部屋は、全てを一気に見てしまうのはもったいないくらいの贅沢さを抱きます。

「仏像入門」の部屋を過ぎると、再び海北友松の展示が続きます。
水墨画の多かったこの展覧会には珍しい金屏風の作品で、重文の「花卉図屏風」(京都・妙心寺)が展示されていました。



「花卉図屏風」・・・パンフレット

先月、偶然に長谷川等伯の障壁画を観る機会がありましたが、海北友松と同時代に活躍した絵師で、同じような題材を絵にしてはいても、随分と作風が違うように思います。
当時の日本画には定型のようなものがあるのか、“手の長い猿の画”“深山幽谷の山水画”“雲龍図”“金箔画”などの題材が共通して描かれています。
もっとも、2人の絵師のどこがどう違うと具体的に言葉には出来ないのがもどかしいところで、やはり日本画を観るのは難しいものだと思います。



コメント (1)
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