僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~福井県小浜市 石照山 多田寺~

2017-12-27 18:26:56 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 小浜市はかつて大陸文化の窓口であったとともに、奈良の都や京の都へ大陸文化や海産物を送り出してきた地といわれます。
逆に奈良や京都からは都の文化が流入し、繁栄した地であったことから小浜は文化財の宝庫となっており、数多くの仏像が残されています。

この独特の文化を残す小浜の神社・仏閣に魅了され、寺社巡り目的としては3度目の小浜訪問になりました。
前回の来訪時に“仏像を見たいのなら多田寺はどうですか。”と紹介されたものの、寺院の方が不在で拝観出来なかった多田寺へダメ元の再訪となりました。



多田寺は高野山真言宗の寺院で創建は、749年・孝謙天皇(女帝)の勅願によって勝行上人が創建したと伝えられる寺院です。
孝謙天皇が眼病を患っていた時に勝行上人が祈願したところ、たちどころに快癒され、山林(1千町歩)田畑(1町5反7畝)の寄進を受け、最盛期には子院12の寺院であったとされます。
また、多田寺の開山以前は「役行者」神変大菩薩が開いた山岳修験の根本道場であったとも伝わります。



多田寺の山門(仁王門)は、小浜の寺院によく見られる質素でやや小ぶりの山門ですが、門の左右には阿吽の金剛力士像が祀られ、寺院を守護しています。
金剛力士像には彩色が残っていますが、かつては鮮やかな青と赤に彩られた仁王像だったようです。





運良く受け付けの方がおられましたので早速受け付けを済ませて入山して、まず梵鐘を撞かせていただきます。
梵鐘には“薬師瑠璃光如来”の銘と共に“第八十三世 中僧正 廣本智宥代 大願主 十万施主”と刻まれており、昭和五十二年春鋳造の銘がありました。
現在は4代目の梵鐘ですが、初代の梵鐘は豊臣秀吉が撞いてお金に恵まれるようになったことから、お金に恵まれる梵鐘とされ、秀吉が持ち帰ったと伝わります。



境内には“観音様と観音様にすがるお爺さん・お婆さんの銅像”があり、その足元にはお爺さんとお婆さんの石像が祀られています。
何らかの意味があると思われますが、何となく愛嬌を感じさせてくれる石像ですね。



さて、いよいよ本堂です。
今回は本堂が開いているのが石段の下からでも見えます。
2度目の来訪でやっと縁がつながり入山出来たと安堵しながら石段を登ります。



本堂は江戸時代に火災にあい、1807年の再建されたもので密教系の佇まいのある御堂です。
迷いそうになるような多田の集落の細い道の先にこのような立派な寺院がひっそりと残されていることに感慨深いものがあります。



賓頭盧さんの祀られた本堂の外陣は、真言宗の巡礼の寺院の雰囲気に溢れています。
格子越しに見える仏像に惹かれますが、嬉しいことに内陣へ入ってお参りすることが出来ました。



寺院に参拝して内陣まで入れていただけるのは本当にありがたいことです。
諸仏に囲まれた空間にいることの何とも言えない厳かな気持ちになります。



内陣には右側に「阿弥陀三尊坐像」(藤原期)、「聖観音立像」(藤原期)、不動明王が並び、須弥壇の厨子の後方では十二神将が6躰づつに分かれて本尊を守護。
更に須弥壇の四方では右に「持国天・多聞天」(藤原期)、左に「広目天・増長天」(藤原期)が守護にあたっています。
厨子も見事なものでしたが、この厨子は1634年に小浜藩主となった酒井忠勝の寄進によるものだそうです

厨子に納められている本尊は平安時代初期に造られた「薬師如来立像」で像高192cm・カヤの一本造の像ですが、薬壺を持たない珍しい薬師如来です。(重要文化財)
以前は60年に一度の御開帳だったということもあって、厨子の前にはかつてお前立ちだったと思われる仏像が安置されていました。


ポストカード

薬師如来の脇侍として「日光菩薩・月光菩薩」が祀られていましたが、当初より日光・月光として祀られていたのではなさそうに見えます。
「月光菩薩立像」は平安時代初期の作とされ、像高144cmのカヤの一本造りで、頭部には元は十一面観音だったと思われる痕跡があります。(重要文化財)


ポストカード

厨子の中で薬師如来の左に安置されていたのが「日光菩薩立像」とされている仏像ですが、この仏像も十一面観音ですので本来は違う形で祀られていた仏像だと思われます。
この仏像は奈良時代末期から平安時代初期の作と考えられており、平城京から平安京にかけての都と小浜との結びつきの強さが伺われる仏像です。



内陣でゆっくりとした時間を過ごして次に向かったのは「若狭歴史博物館」で開催されている特別展『知られざるみほとけ~中世若狭の仏像~』でした。
特別展では17種28躰の仏像が展示されており、常設展の『若狭のみほとけ』でも複製を含めて13躰の仏像が拝観できますので、ボリューム感はたっぷりです。
また複製仏は小浜地域の秘仏を複製しているものですが、汚れ加減などかなり精巧に再現されているものです。

 

特別展の構成は「第1章 明通寺十二神将の世界」、「第2章 中世若狭の仏像Ⅰ・Ⅱ」、「第3章 祈りと仏像」と並びますが、興味深いのは坐像がやや前屈みで光輪が前倒しになっている姿の仏像が2躰あったこと。
この仏像は立ったまま見ると前屈みですが、床面に座った位置からみると視線が合い光輪が広がるように見えましたから、寺院で座って拝む時に映えるように造られているんだと思わず納得してしまいました。

博物館で「木簡」をいただきましたが、これは古代より塩や海産物を都に運ぶ時に荷札として使われてきたものの復刻で、昔のいわゆるパスポートのようなものだったようです。
博物館ではその「木簡」をイベントとして配布していて、裏側に寺院の朱印をもらって御朱印帳のように使うことが出来るようですよ。



小浜では「明通寺」「若狭姫神社」「若狭彦神社」「神宮寺」「妙楽寺」「羽賀寺」「圓照寺」「多田寺」と巡りましたが、小浜という町は歴史・文化の面からも非常に面白い地だと思います。
小浜にはまだ多数の秘仏を所蔵されている寺院がありますから、機会を見つけて再訪したい地です。


コメント
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