西国三十三所巡礼の第十番札所となる「三室戸寺」は別名『花の寺』と呼ばれる寺院として有名です。
早春には20000株のツツジが咲き、6月には10000株のアジサイ。
夏には250鉢の蓮が極楽浄土のように咲き誇るといわれ、晩秋には紅葉の名所になるといわれています。
花や紅葉に包まれた寺院というのは大変魅力的なのは山々ですが、混雑は極力避けたい当方ですので紅葉が終わった頃にひっそりとお詣りしてきました。
しかし西国三十三所の寺院ですから巡礼衣装の方や参拝の方が数多く訪れる寺院でもありました。
土産物屋さんも並ぶ道を少し進むと朱色の山門が見えてきます。
山門をくぐると静かな境内の参道の右下に広いアジサイ園が拡がるのが見え、花期に来たらさぞや壮観なんだろうと思う景色です。
山門のすぐ先には本堂へ登る石段が続きます。
寺院を訪れて最初に気持ちが盛り上がるのはやはり最初の石段になります。
石段を登りながら少しづつ見えてくる堂宇に心を踊らされるのは当方だけではないと思います。
三室戸寺は本山修験宗の別格本山とされており、総本山を聖護院とする本山修験宗は修験道の一派とされています。
本山派は熊野三山を拠点とする山岳修行の派で、三室戸寺は聖護院に続く位置にある本山修験宗の本山ということになります。
創建は770年、光仁天皇(天智天皇の孫)の勅願により、三室戸寺の奥、岩渕より出現された千手観世音菩薩を御本尊として創建されたと伝わる宇治の古刹です。
手水舎は石の大きな蓮からこぼれるように水が流れ出る造りになっており、下には憤怒の表情の不動明王が祀られていました。
この水は霊泉・不動水と名付けられ名水のようですが、飲んではいませんので味は不明です。
三室戸寺は1460~1466年の頃に火災で焼失し、再興したものの1573年に足利義昭に加勢したため信長に焼き討ちされたとされます。
その折に梵鐘は秀吉の部将・増田長盛により龍頭のみ切り取られてしまい、その直後より梵鐘の祟りか病に伏せった長盛が陳謝して鐘は返され、無事病の癒えた長盛は毎年御供米百俵を送ったという逸話が残されている鐘です。
梵鐘を撞かせていただきましたが、濁り音のない余韻の長いいい音色の鐘でした。
本堂は1814年に再建された建築物で、重層入母屋作りとされますが、非常に重厚な印象を受けます。
本堂の手前には蓮の鉢が並べられており、夏の花期にはさぞや壮観な光景が見られると想像されます。
外陣は如何にも西国三十三所の札所らしい奉納額が並んで掲げられていて、周辺には線香の香りが漂っています。
本尊は千手観音立像ということではありますが、厳格な秘仏となっておりその姿は拝観出来ません。
お前立ちが本尊の変りに厨子の前に祀られていますが、千手ではなく二臂のお姿で上に向かって拡がる大きな宝冠をかぶられ、その衣にはどことなく西洋の法衣のイメージすら感じさせる姿です。
ところで、外陣の奉納額の中に面白いものを見つけました。痛みは激しいですが、これは懸仏のようです。
神鏡のような円形の中に仏の立像が見えますし、花瓶に活けられた蓮も確認できましたので、これは神仏習合の証。嬉しい発見になりました。
鐘楼の後方にはやや小ぶりな三重塔(江戸時代)が山を背に建てられています。
境内には源氏物語の宇治十帖の『浮舟』の古蹟があり、この浮舟は三室戸寺の御朱印の一つにもなっています。
境内の紅葉はほぼ終わっていましたが、山側にはまだ紅葉が少し残っています。
大きな木色の塔の猛々しさも魅力がありますが、こういう優しい感じのする小ぶりな塔も雰囲気がありますね。
琵琶湖にある竹生島では平安時代から現代に続くとされる「蓮華会」で奉納される「宇賀弁財天」があり、「宇賀神」と「弁財天」が合体した弁財天信仰があります。
そこでは「弁財天」の頭の上に鳥居を建て「宇賀神」が祀られているというものですが、宇賀神を単体で見たのは三室戸寺が始めてでした。
“顔が翁”で“体は蛇”という人頭蛇身の神には「耳を触れば福が来て、髭を撫でると健康長寿、しっぽをさすれば金運がつく」御利益があると書かれており、訪れる方がそれぞれの場所を撫でられておられました。
三室戸寺には本堂前に「狛牛」と「狛兎」、石段を登りきったところに「狛蛇」があり、縁起物がたくさんある寺院です。
三室戸寺には「三千院往生極楽院」の観音菩薩像・勢至菩薩像のように大和ずわりをした阿弥陀三尊像がありますが、こちらは拝観叶わずでした。
拝観するとしたら次の「 観音様の足の裏を拝する会」まで待たないといけないようですね。
早春には20000株のツツジが咲き、6月には10000株のアジサイ。
夏には250鉢の蓮が極楽浄土のように咲き誇るといわれ、晩秋には紅葉の名所になるといわれています。
花や紅葉に包まれた寺院というのは大変魅力的なのは山々ですが、混雑は極力避けたい当方ですので紅葉が終わった頃にひっそりとお詣りしてきました。
しかし西国三十三所の寺院ですから巡礼衣装の方や参拝の方が数多く訪れる寺院でもありました。
土産物屋さんも並ぶ道を少し進むと朱色の山門が見えてきます。
山門をくぐると静かな境内の参道の右下に広いアジサイ園が拡がるのが見え、花期に来たらさぞや壮観なんだろうと思う景色です。
山門のすぐ先には本堂へ登る石段が続きます。
寺院を訪れて最初に気持ちが盛り上がるのはやはり最初の石段になります。
石段を登りながら少しづつ見えてくる堂宇に心を踊らされるのは当方だけではないと思います。
三室戸寺は本山修験宗の別格本山とされており、総本山を聖護院とする本山修験宗は修験道の一派とされています。
本山派は熊野三山を拠点とする山岳修行の派で、三室戸寺は聖護院に続く位置にある本山修験宗の本山ということになります。
創建は770年、光仁天皇(天智天皇の孫)の勅願により、三室戸寺の奥、岩渕より出現された千手観世音菩薩を御本尊として創建されたと伝わる宇治の古刹です。
手水舎は石の大きな蓮からこぼれるように水が流れ出る造りになっており、下には憤怒の表情の不動明王が祀られていました。
この水は霊泉・不動水と名付けられ名水のようですが、飲んではいませんので味は不明です。
三室戸寺は1460~1466年の頃に火災で焼失し、再興したものの1573年に足利義昭に加勢したため信長に焼き討ちされたとされます。
その折に梵鐘は秀吉の部将・増田長盛により龍頭のみ切り取られてしまい、その直後より梵鐘の祟りか病に伏せった長盛が陳謝して鐘は返され、無事病の癒えた長盛は毎年御供米百俵を送ったという逸話が残されている鐘です。
梵鐘を撞かせていただきましたが、濁り音のない余韻の長いいい音色の鐘でした。
本堂は1814年に再建された建築物で、重層入母屋作りとされますが、非常に重厚な印象を受けます。
本堂の手前には蓮の鉢が並べられており、夏の花期にはさぞや壮観な光景が見られると想像されます。
外陣は如何にも西国三十三所の札所らしい奉納額が並んで掲げられていて、周辺には線香の香りが漂っています。
本尊は千手観音立像ということではありますが、厳格な秘仏となっておりその姿は拝観出来ません。
お前立ちが本尊の変りに厨子の前に祀られていますが、千手ではなく二臂のお姿で上に向かって拡がる大きな宝冠をかぶられ、その衣にはどことなく西洋の法衣のイメージすら感じさせる姿です。
ところで、外陣の奉納額の中に面白いものを見つけました。痛みは激しいですが、これは懸仏のようです。
神鏡のような円形の中に仏の立像が見えますし、花瓶に活けられた蓮も確認できましたので、これは神仏習合の証。嬉しい発見になりました。
鐘楼の後方にはやや小ぶりな三重塔(江戸時代)が山を背に建てられています。
境内には源氏物語の宇治十帖の『浮舟』の古蹟があり、この浮舟は三室戸寺の御朱印の一つにもなっています。
境内の紅葉はほぼ終わっていましたが、山側にはまだ紅葉が少し残っています。
大きな木色の塔の猛々しさも魅力がありますが、こういう優しい感じのする小ぶりな塔も雰囲気がありますね。
琵琶湖にある竹生島では平安時代から現代に続くとされる「蓮華会」で奉納される「宇賀弁財天」があり、「宇賀神」と「弁財天」が合体した弁財天信仰があります。
そこでは「弁財天」の頭の上に鳥居を建て「宇賀神」が祀られているというものですが、宇賀神を単体で見たのは三室戸寺が始めてでした。
“顔が翁”で“体は蛇”という人頭蛇身の神には「耳を触れば福が来て、髭を撫でると健康長寿、しっぽをさすれば金運がつく」御利益があると書かれており、訪れる方がそれぞれの場所を撫でられておられました。
三室戸寺には本堂前に「狛牛」と「狛兎」、石段を登りきったところに「狛蛇」があり、縁起物がたくさんある寺院です。
三室戸寺には「三千院往生極楽院」の観音菩薩像・勢至菩薩像のように大和ずわりをした阿弥陀三尊像がありますが、こちらは拝観叶わずでした。
拝観するとしたら次の「 観音様の足の裏を拝する会」まで待たないといけないようですね。