ここ数年、正月の初詣は「太郎坊宮」へ参詣に行っています。
もっとも正月三ヶ日には他の神社にも参詣しますので、“太郎坊さんには欠かさず参詣している”といった方がいいのかもしれません。
太郎坊宮は赤神山(標高357m)の中腹にある神社で、まず赤神山の岩肌が剥き出しになった力強い霊山の神秘的な姿に魅力を感じます。
御祭神は「正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神」という神で、天照大神の第一皇子神とされます。御祭神の名前には勝利を象徴する意味が込められているといわれますので、ご利益は「勝運の神」となります。
阿賀神社(太郎坊宮)は今から1400年前の創祀とされており、山を御神体とする磐境信仰の霊山とされてきたと伝わります。
信仰が深くなるにつれ修験道の行者が修行するようになり、その姿が「太郎坊天狗」として伝えられてきたと社伝にあり、古くからの山岳修験の場だったことが分かります。
自宅を出た時に本降りだった雨も赤神山が見えてきた頃には止み、晴れ間が広がってきました。
“太郎坊天狗が大風を吹かせて雨雲を山から追いやってくれた”と勝手に解釈して、740段余りといわれる石段を登ります。
後述する「赤神山 成願寺」まではすぐ登れますが、成願寺横にある鳥居からが本格的な石段登りの始りです。
ある意味でこの石段登りが楽しみで訪れているともいえますが、苦しい道を進んだ先に感動があるのかもしれませんしね。
朝は雨模様で足元が悪かったのと混雑を避けて早めに到着したのが幸いして、例年なら行列になる石段もガラガラの状態で登れます。
石段が空いているのでどんどん登っていけるのはいいのですが、その分休むことが出来ないため逆にしんどかったですけどね。
途中にある「龍神舎」でも悠々と手水させて頂くことが出来ましたので、やはり早起きは三文の得ということなのでしょう。
岩の間に龍が一体、水を吐く龍が一体。水を吐く龍は時々凄く勢いよく水を吐きますので、周囲にいる人はその度に驚かされていました。
車で登られた方の駐車場のある参集殿の表参道からは、毎年本殿まで1時間ほどの行列が出来ますが、今年はあっという間に登れてしまいました。
以前に雪の正月に参拝した時よりもあっけなかったかもしれませんね。
参拝客が少なかったおかげで御神体「夫婦岩」の前にある「赤神山稲荷社」にもゆっくりと参拝することが出来ました。
「夫婦岩」の前には太郎坊宮の額のある鳥居にしめ縄が張られており、神域である証となっています。
この岩は「磐境信仰発祥の地 近江高天原」との但し書きが建てられていました。
高天原とは日本神話で天上の世界とされていますから、まさに神の住む場所となります。
「夫婦岩」は右が男岩、左が女岩で、全長12m幅80cmの岩の間の道を進みます。
良い心の持ち主が通ると願い事が叶い、悪い心の持ち主が通ると岩にはさまれてしまうという謂われのある岩です。
夫婦岩を抜けると、蒲生野の眺望が拡がる展望台の山側に「本殿」があります。
神社全体が山の壁面に張り付いているようになっていますから、本殿も小さな社になっています。
本殿に参詣した頃はまだ巫女さん(バイト?)は準備中でしたが、禰宜の方は堂内で既に待機されていました。
太郎坊宮に参詣した際に楽しみにしているのは“蒲生野の拡がる田園風景とタマミズキの赤い実”です。
今年も真っ赤な実がよく実っており、変わらぬ季節の光景に安堵いたします。
「一願成就社」のおみくじの所で今年の運気を占ってみる。
おみくじは吉凶の順位では“普通”の結果でしたが、大過なく万事平穏な年になるのが一番良いのかもしれませんね。
裏参道には各所に「七福神の石像」と道の終わりには「福助さんの石像」が安置されています。
ゴツゴツした岩の合間に安置されている七福神にも独特の味わいがあります。
参集殿の近くまで降りてきて、まずは恒例「太郎坊だんご」でちょっと一服して石段を降りていきます。
太郎坊宮への石段の分岐点にあった「赤神山 成願寺」まで降りたら、今度は寺院の初参りです。
「成願寺」は799年に最澄によって開山され、一時は50有余の坊や塔頭を有する寺院だったと伝わります。
その後、信長の焼き討ちにより焼失したものの、1640年に本堂と鐘楼を再興したとされます。
以前に成願寺の内陣でお参りさせて頂いたことがありましたが、天台宗の古刹として見所の多い寺院です
本尊の「薬師如来坐像」こそ秘仏のため拝観できなかったものの「お前立ちの薬師様」「十二神将」「二天像」「閻魔像」と驚くような仏像が祀られています。
梵鐘を撞かせていただくことが出来ますので、さっそく撞かせていただきました。
梵鐘には、昭和37年5月吉日鋳造の銘があり、「薬師瑠璃光如来」の名とともに天女と龍の彫り物があります。
この梵鐘はここ数年、毎年の年初に最初に撞く梵鐘になってきていますね。
年の初めに思う事。
毎年、その時の状況によって違いますが、“何事にも地味でもじっくり穏やかに”といった心境です。
もっとも正月三ヶ日には他の神社にも参詣しますので、“太郎坊さんには欠かさず参詣している”といった方がいいのかもしれません。
太郎坊宮は赤神山(標高357m)の中腹にある神社で、まず赤神山の岩肌が剥き出しになった力強い霊山の神秘的な姿に魅力を感じます。
御祭神は「正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神」という神で、天照大神の第一皇子神とされます。御祭神の名前には勝利を象徴する意味が込められているといわれますので、ご利益は「勝運の神」となります。
阿賀神社(太郎坊宮)は今から1400年前の創祀とされており、山を御神体とする磐境信仰の霊山とされてきたと伝わります。
信仰が深くなるにつれ修験道の行者が修行するようになり、その姿が「太郎坊天狗」として伝えられてきたと社伝にあり、古くからの山岳修験の場だったことが分かります。
自宅を出た時に本降りだった雨も赤神山が見えてきた頃には止み、晴れ間が広がってきました。
“太郎坊天狗が大風を吹かせて雨雲を山から追いやってくれた”と勝手に解釈して、740段余りといわれる石段を登ります。
後述する「赤神山 成願寺」まではすぐ登れますが、成願寺横にある鳥居からが本格的な石段登りの始りです。
ある意味でこの石段登りが楽しみで訪れているともいえますが、苦しい道を進んだ先に感動があるのかもしれませんしね。
朝は雨模様で足元が悪かったのと混雑を避けて早めに到着したのが幸いして、例年なら行列になる石段もガラガラの状態で登れます。
石段が空いているのでどんどん登っていけるのはいいのですが、その分休むことが出来ないため逆にしんどかったですけどね。
途中にある「龍神舎」でも悠々と手水させて頂くことが出来ましたので、やはり早起きは三文の得ということなのでしょう。
岩の間に龍が一体、水を吐く龍が一体。水を吐く龍は時々凄く勢いよく水を吐きますので、周囲にいる人はその度に驚かされていました。
車で登られた方の駐車場のある参集殿の表参道からは、毎年本殿まで1時間ほどの行列が出来ますが、今年はあっという間に登れてしまいました。
以前に雪の正月に参拝した時よりもあっけなかったかもしれませんね。
参拝客が少なかったおかげで御神体「夫婦岩」の前にある「赤神山稲荷社」にもゆっくりと参拝することが出来ました。
「夫婦岩」の前には太郎坊宮の額のある鳥居にしめ縄が張られており、神域である証となっています。
この岩は「磐境信仰発祥の地 近江高天原」との但し書きが建てられていました。
高天原とは日本神話で天上の世界とされていますから、まさに神の住む場所となります。
「夫婦岩」は右が男岩、左が女岩で、全長12m幅80cmの岩の間の道を進みます。
良い心の持ち主が通ると願い事が叶い、悪い心の持ち主が通ると岩にはさまれてしまうという謂われのある岩です。
夫婦岩を抜けると、蒲生野の眺望が拡がる展望台の山側に「本殿」があります。
神社全体が山の壁面に張り付いているようになっていますから、本殿も小さな社になっています。
本殿に参詣した頃はまだ巫女さん(バイト?)は準備中でしたが、禰宜の方は堂内で既に待機されていました。
太郎坊宮に参詣した際に楽しみにしているのは“蒲生野の拡がる田園風景とタマミズキの赤い実”です。
今年も真っ赤な実がよく実っており、変わらぬ季節の光景に安堵いたします。
「一願成就社」のおみくじの所で今年の運気を占ってみる。
おみくじは吉凶の順位では“普通”の結果でしたが、大過なく万事平穏な年になるのが一番良いのかもしれませんね。
裏参道には各所に「七福神の石像」と道の終わりには「福助さんの石像」が安置されています。
ゴツゴツした岩の合間に安置されている七福神にも独特の味わいがあります。
参集殿の近くまで降りてきて、まずは恒例「太郎坊だんご」でちょっと一服して石段を降りていきます。
太郎坊宮への石段の分岐点にあった「赤神山 成願寺」まで降りたら、今度は寺院の初参りです。
「成願寺」は799年に最澄によって開山され、一時は50有余の坊や塔頭を有する寺院だったと伝わります。
その後、信長の焼き討ちにより焼失したものの、1640年に本堂と鐘楼を再興したとされます。
以前に成願寺の内陣でお参りさせて頂いたことがありましたが、天台宗の古刹として見所の多い寺院です
本尊の「薬師如来坐像」こそ秘仏のため拝観できなかったものの「お前立ちの薬師様」「十二神将」「二天像」「閻魔像」と驚くような仏像が祀られています。
梵鐘を撞かせていただくことが出来ますので、さっそく撞かせていただきました。
梵鐘には、昭和37年5月吉日鋳造の銘があり、「薬師瑠璃光如来」の名とともに天女と龍の彫り物があります。
この梵鐘はここ数年、毎年の年初に最初に撞く梵鐘になってきていますね。
年の初めに思う事。
毎年、その時の状況によって違いますが、“何事にも地味でもじっくり穏やかに”といった心境です。