
臨済宗では「公案」という修行者が悟りを開くための課題に取り組みながら座禅修行をする、いわゆる「禅問答」の修行だとされます。
曹洞宗では「只管打坐」という座禅することそのものが悟りの姿だとされており、臨済宗の寺院と曹洞宗の寺院では訪れただけでも全く違う印象を受けてしまうことがあります。
はてさて、もう一つの黄檗宗はいかなる寺院か?
黄檗宗の末寺には参拝したことはありますが、大本山である萬福寺へは今回が始めての参拝となりました。


黄檗宗は中国明朝の臨済宗(臨済正宗)の僧・隠元禅師によってもたらされ、大本山である萬福寺は1661年に開基されたとされます。
隠元禅師が中国から日本にもたらせたとされるものには“美術・建築・印刷・煎茶・普茶料理、隠元豆・西瓜・蓮根・孟宗竹(タケノコ)・木魚”があるといわれ、特にその名の付いた“隠元豆”は有名ですね。

1661年に建立された総門(重文)は、黄檗宗の建築物の特徴である“中央部分が高く、左右が低く”作られた独特の門になっています。
日本固有の建築物とは様相が全く違う黄檗宗の門は「牌楼式」と呼ばれていて如何にも中国的な雰囲気を感じる門です。

総門から少し行ったところにある三門(重文)は1678年の建立で、三門の先には天王殿・大雄宝殿・法堂が一直線に並びます。
中国の臨済宗には三門はないそうですが、日本の臨済宗の寺院には三門があるため、少し遅れて三門が建てられたという話があるようです。
いずれにしても巨大で見上げるような迫力のある三門です。

総門からの直線上には1668年建立の「天王殿(重文)」があります。
本堂の前に一直線に堂を置くのは中国式の伽藍配置だということですが、そういう目で寺院を見たことはなかったように思います。
堂の中の正面には像高約110cmの布袋尊像が祀られているのが近づくにつれて見えてきます。
正面に布袋尊が祀られていることは少し不思議な感じがしますが、中国では布袋さんは弥勒菩薩の化身だと言われていることに由来するようです。


この天王殿で驚いたのは2mを超える四天王像でしょうか。
布袋尊(弥勒菩薩の化身)を守護するように四方を守護していますが、この四天王像なかなかの迫力です。

増長天

持國天

広目天

多聞天
さらに堂の裏側へ回ると、韋駄天像の大きな姿に再び圧倒されます。
仏像は、萬福寺造営の際に明より招かれた仏師・范道生の作とされ、衣装の柄などには中国の影響がみられるように思います。

天王殿を裏側から出ると正面には萬福寺の本堂となる「大雄寶殿(重文)」と向き合うことになります。
大雄寶殿は1668年に建立された建物で、日本で唯一チーク材を使った歴史的建築物だとされます。

本堂・大雄寶殿の御本尊の「釈迦如来坐像」と脇侍に「迦葉と阿難」立像が並ぶ釈迦三尊になります。
この釈迦三尊の直線距離の位置には天王殿の裏側に祀られている韋駄天像がありますから、護法善神としての韋駄天が離れた場所から釈迦を守るという配置になっているようです。

また、釈迦三尊の左右には一八羅漢が祀られており、見た瞬間にリアルなその姿に驚きました。
日本では一六羅漢が一般的ですが、黄檗宗では一八羅漢が加わります。この理由についてはよく分らないのですけどね。


萬福寺の伽藍は屋根付きの回廊で結ばれており、天候に左右されず修行僧の方が行き来できるようになっていました。
萬福寺では修行僧の姿を何度も見掛け、僧の方は参拝客には目もくれず修行に励まれておられましたが、この回廊でも1列になって粛粛と歩いて行く僧の方々の姿がありました。

斎堂の前には木魚の原型といわれる大きな木の魚の「開ぱん」が吊るされています。
室内からは読教が聞こえていましたが、斎堂は食事する場所でちょうど昼時でしたので、もしかすると食事の時間だったのかもしれません。

三門から直線に並ぶ堂宇の最奥には「法堂(重文)」という説法をするための大きな堂宇がありました。
堂前面の勾欄は卍くずしの文様となっており、ここにも中国風の雰囲気が漂っています。


萬福寺の「七堂伽藍」は“総門・三門・天王殿・大雄寶殿・法堂・斎堂・開山堂”とあり、最後の堂宇として開山堂へ立ち寄ることとしました。
開山堂は開山・隠元禅師を祀るお堂になっていますが、黄檗宗・隠元の名を知らなくとも“隠元豆・西瓜・蓮根”など日本人の生活に溶け込んでいる食材を広めた人と言い換えれば親近感が湧きますね。


回廊の一角には梵鐘があり、撞いてもいいところでは梵鐘を撞かせていただいて音色を聞くのが楽しみなんですが、残念ながらこの梵鐘は撞けませんでした。
修行僧が多い寺院ですから、梵鐘には梵鐘本来の役目があるということなのだと思います。
また、境内の入口にも中国風の鐘楼がありましたので、萬福寺には2つの梵鐘があるようですね。


『禅』という言葉には日本的なイメージを強く受けてしまいますが、黄檗宗の寺院では中国的な影響が色濃く残っているといわれています。
中国で発展した禅宗は、鎌倉時代に始まった臨済禅は室町期にかけて日本独自の発展をしていったのに対して、比較的新しい江戸時代に伝わった黄檗宗は当時の中国の臨済禅の影響が強いということなのでしょう。