金生山 明星輪寺のある金生山は標高217mの低山ではありますが、実に興味深い山でした。
金生山は石灰岩や大理石の有数の産出地になっていることから石灰が豊富なことから、石灰のカルシウムから殻を作る陸貝の生息地になっているそうです。
金生山では陸貝が固有種を含めて約40種類が確認されているそうですが、“タニシみたいなカタツムリの仲間が水辺ではなく山の中に生息しているのか?”と大変驚きました。
また、明星輪寺の境内はヒメボタルの生息地でもあることから、この一体は自然豊かな場所なのだと思います。
明星輪寺へは散々迷った末に到着することが出来ました。なぜかと言うと山に沿って石灰の採掘会社が立ち並んでいて、どうしても山へ入ることが出来なかったからです。
地元の方をつかまえてややこしい道を教えてもらいましたが、知らなかったらとても行けそうにはない場所にある寺院です。
傾斜のきつい林道を車で登っていくと駐車場がありましたが、そこからまだ上まで行ける道があると教えてもらっていたので寺院前の駐車場まで登っていきます。
石標に「日本三大虚空像」と彫られていますが、道を教えてもらったおばさんが“こくぞうさん”と呼ばれていましたので、地元では“こくぞうさん”で親しまれているのでしょう。
また、三大虚空の残りの2つは「京都法輪寺」「伊勢朝熊山金剛證寺」と言われているそうです。
右方向に濃尾平野を眺めながら歩いていくと、すぐに仁王門が見えてきて爽快な気持ちになります。
やはり山の寺院はいいなぁと仁王門へ向かいますが、交通の不便な場所にあるにも関わらず次々と参拝者が来られていました。
仁王門では金剛力士像が待ち構えられていて、この木造金剛力士像は岐阜県指定重要文化財に指定されている鎌倉時代初期に製作された力感のある力士像です。
阿形は像高254.8cm・吽形は252.5cmとサイズ感もあり、見応えのある仁王様でした。
手水舎の龍には松とスイセンが飾られていて、岩もこの山のものなのでしょう大石をくり抜いてしつらえてあります。
ロウバイも花を咲かせていましたが、金生山には季節の野の花が数多く咲き、秋には美しい紅葉が見られる花の豊かな山でもあるようです。
まず最初に参道途中にある地蔵堂にお参りを致しました。
かつて地蔵堂に祀られていた木造地蔵半跏像は、平安時代の作とされ国の重要文化財に指定されていることもあって収蔵庫に納められています。
地蔵様の半跏像をこれまで何躰かだけしか観たことはありませんが、好きな仏像の一つで写真でしか見られなかったのは残念でした。
地蔵半跏像は拝観出来ませんでしたが、代わりに祀られていたのは虚空像菩薩?と不動明王像でした。
仏像の履歴は分かりませんが、明星輪寺には新しい仏像も含めて各所に仏像が安置されています。
境内入口近くには無造作に10躰を超える仏像が安置されていたのにも驚きます。
本堂へお参りする前に鐘楼へと向かいます。
“強く撞かなくても大きな音がします。”と注意書きに書かれてあった通りに軽く撞いてみたら、想像以上に大きな音のする梵鐘でした。
平成9年の銘のある梵鐘でしたが、寺院には室町時代の1393年の梵鐘も保管してあります。
明星輪寺は686年、持統天皇の勅願により役小角が開山したとされますから、修験道の色濃い霊場だったようです。
その後衰退していたところへ空海が来山し再建を果たし、真言宗へと改宗したとされます。
しかし1148年に焼失し、再建されたものの往時の規模より縮小したものとなって1609年に美濃国高須藩藩主徳永寿昌の援助により再建されたと寺伝にあります。
江戸時代には大垣藩藩主戸田氏の代々の祈祷所となって保護されてきた寺院だとされ、現在も参拝者の多い寺院です。
御本尊の「虚空蔵菩薩」は秘仏となっていますので、お前立ちを拝むことになりますが、お前立ちとはいえなかなか厳かな仏像でした。
左の脇陣には智拳印を結んだ「大日如来坐像」、右の脇陣には天井にも届きそうな「阿弥陀如来立像」、他に四天王と思われる4躰の仏像も安置されています。
本堂に入って驚いたのは、御本尊が祀られているのはなんと内陣に納められた巨大な岩窟の中だったことです。
内陣まで入ることが出来るので入らせていただきましたが、その岩窟の大きさたるや数十トンありそうな巨大な巨石に見えます。
近年「パワースポット」という言葉がよく使われますが、そのような言葉を凌駕するような強い気を感じる岩窟で、修験道で始まった寺院の歴史を感じさせてくれます。
HPより
ところで明星輪寺から更に上には「岩巣公園」という奇石・怪石が剥き出しとなった景勝地があります。
明治の神仏分離令によって分離された蔵王権現宮の社が点在する一帯には迫力のある巨石が並び何とも迫力のある場所です。
石段を登るとまず見えてくるのは「蔵王堂」になりますが、この金生山の岩石群には驚かされながらも心沸き立つ思いがしてきます。
この岩山は通り抜けが出来たりもしますので、随分長い時間を岩窟探検に費やしてしまいましたよ。
岩には幾つかの彫り物があり、蔵王堂の横の巨石には彫られた虎や置かれた牛の姿が見られます。
虎の彫り物は彫刻師・清水金峯翁が昭和29年に掘り上げたものとされており、牛があるのは虚空像菩薩が丑虎の守護仏であることからと推定されます。
岩の一番目立つ所には「磨崖仏聖観音」が彫られていましたが、高い場所ですのでさぞや難作業だったことでしょう。
このような特別な場所で見ると、やはりありがたさが湧くというものです。
さて、岩の隙間や登山道を歩いていると、神社・仏閣とは全く違う意味で圧倒される景色に遭遇しました。
山の下に並んでいた採掘会社の採掘現場なのですが、なんと巨大な現場なのでしょうか。
砂利トラが豆粒のようにしか見えず、興奮したまま風に煽られて崖から落ちそうになりながらも眺めてしまいました。
エジプトのピラミッドを見たことはありませんが、現代のピラミッドを思わせるように削られた山にも唖然としてしまいます。
この自然豊かな金生山の一角にこのような現場があるのは複雑な気持ちもありますが、異常に迫力のある光景には唖然としてしまいます。
ところで恥ずかしい話になりますが、圧倒されたまま山道を歩いるうちに方向感覚を失って山の中で迷ってしまいました。
なんとか舗装道路に出たのは良かったけど、車で登っていった林道をもう一度徒歩で登りなおす羽目になりましたよ。
もう一度寺院に入った先にあったのは「琴子」という方が描かれた絵の展示場所です。
自己紹介文によると、琴子さんは成人になった頃に自閉症スペクトラム障がいの診断を受けられたそうです。
見た目では人には分らない病気であることから誤解を受けやすく、ストレスから二次障害も抱えてしまったとされます。
しかし“たどりついたこの場所で心に浮かぶ世界観から来る絵と詩を書いています。”とポジティブな生き方をされていて、最後は“自閉症の世界感と私の言葉です”と結ばれています。
絵はどの絵も明るいトーンで色彩豊かに描かれていて、透き通るような冷たさを感じながらも光に溢れている作品です。
惑星(もしくは地球)がモチーフになっている幻想的な絵が多く“この空のような宇宙のような海底のような内面的な世界感”が琴子さんの“私の言葉”ということなのかもしれません。
琴子さんの言葉に「トウメイなヤミ」という考えさせられる言葉があり、言葉からも感性の鋭さや豊かさ、絵の素晴らしさを知ることが出来ます。
寺院の一角の堂の仏像の前に展示された絵画。この寺院に来て本当に良かった、優しい気持ちになれたと感じながら帰路に着きます。
金生山は石灰岩や大理石の有数の産出地になっていることから石灰が豊富なことから、石灰のカルシウムから殻を作る陸貝の生息地になっているそうです。
金生山では陸貝が固有種を含めて約40種類が確認されているそうですが、“タニシみたいなカタツムリの仲間が水辺ではなく山の中に生息しているのか?”と大変驚きました。
また、明星輪寺の境内はヒメボタルの生息地でもあることから、この一体は自然豊かな場所なのだと思います。
明星輪寺へは散々迷った末に到着することが出来ました。なぜかと言うと山に沿って石灰の採掘会社が立ち並んでいて、どうしても山へ入ることが出来なかったからです。
地元の方をつかまえてややこしい道を教えてもらいましたが、知らなかったらとても行けそうにはない場所にある寺院です。
傾斜のきつい林道を車で登っていくと駐車場がありましたが、そこからまだ上まで行ける道があると教えてもらっていたので寺院前の駐車場まで登っていきます。
石標に「日本三大虚空像」と彫られていますが、道を教えてもらったおばさんが“こくぞうさん”と呼ばれていましたので、地元では“こくぞうさん”で親しまれているのでしょう。
また、三大虚空の残りの2つは「京都法輪寺」「伊勢朝熊山金剛證寺」と言われているそうです。
右方向に濃尾平野を眺めながら歩いていくと、すぐに仁王門が見えてきて爽快な気持ちになります。
やはり山の寺院はいいなぁと仁王門へ向かいますが、交通の不便な場所にあるにも関わらず次々と参拝者が来られていました。
仁王門では金剛力士像が待ち構えられていて、この木造金剛力士像は岐阜県指定重要文化財に指定されている鎌倉時代初期に製作された力感のある力士像です。
阿形は像高254.8cm・吽形は252.5cmとサイズ感もあり、見応えのある仁王様でした。
手水舎の龍には松とスイセンが飾られていて、岩もこの山のものなのでしょう大石をくり抜いてしつらえてあります。
ロウバイも花を咲かせていましたが、金生山には季節の野の花が数多く咲き、秋には美しい紅葉が見られる花の豊かな山でもあるようです。
まず最初に参道途中にある地蔵堂にお参りを致しました。
かつて地蔵堂に祀られていた木造地蔵半跏像は、平安時代の作とされ国の重要文化財に指定されていることもあって収蔵庫に納められています。
地蔵様の半跏像をこれまで何躰かだけしか観たことはありませんが、好きな仏像の一つで写真でしか見られなかったのは残念でした。
地蔵半跏像は拝観出来ませんでしたが、代わりに祀られていたのは虚空像菩薩?と不動明王像でした。
仏像の履歴は分かりませんが、明星輪寺には新しい仏像も含めて各所に仏像が安置されています。
境内入口近くには無造作に10躰を超える仏像が安置されていたのにも驚きます。
本堂へお参りする前に鐘楼へと向かいます。
“強く撞かなくても大きな音がします。”と注意書きに書かれてあった通りに軽く撞いてみたら、想像以上に大きな音のする梵鐘でした。
平成9年の銘のある梵鐘でしたが、寺院には室町時代の1393年の梵鐘も保管してあります。
明星輪寺は686年、持統天皇の勅願により役小角が開山したとされますから、修験道の色濃い霊場だったようです。
その後衰退していたところへ空海が来山し再建を果たし、真言宗へと改宗したとされます。
しかし1148年に焼失し、再建されたものの往時の規模より縮小したものとなって1609年に美濃国高須藩藩主徳永寿昌の援助により再建されたと寺伝にあります。
江戸時代には大垣藩藩主戸田氏の代々の祈祷所となって保護されてきた寺院だとされ、現在も参拝者の多い寺院です。
御本尊の「虚空蔵菩薩」は秘仏となっていますので、お前立ちを拝むことになりますが、お前立ちとはいえなかなか厳かな仏像でした。
左の脇陣には智拳印を結んだ「大日如来坐像」、右の脇陣には天井にも届きそうな「阿弥陀如来立像」、他に四天王と思われる4躰の仏像も安置されています。
本堂に入って驚いたのは、御本尊が祀られているのはなんと内陣に納められた巨大な岩窟の中だったことです。
内陣まで入ることが出来るので入らせていただきましたが、その岩窟の大きさたるや数十トンありそうな巨大な巨石に見えます。
近年「パワースポット」という言葉がよく使われますが、そのような言葉を凌駕するような強い気を感じる岩窟で、修験道で始まった寺院の歴史を感じさせてくれます。
HPより
ところで明星輪寺から更に上には「岩巣公園」という奇石・怪石が剥き出しとなった景勝地があります。
明治の神仏分離令によって分離された蔵王権現宮の社が点在する一帯には迫力のある巨石が並び何とも迫力のある場所です。
石段を登るとまず見えてくるのは「蔵王堂」になりますが、この金生山の岩石群には驚かされながらも心沸き立つ思いがしてきます。
この岩山は通り抜けが出来たりもしますので、随分長い時間を岩窟探検に費やしてしまいましたよ。
岩には幾つかの彫り物があり、蔵王堂の横の巨石には彫られた虎や置かれた牛の姿が見られます。
虎の彫り物は彫刻師・清水金峯翁が昭和29年に掘り上げたものとされており、牛があるのは虚空像菩薩が丑虎の守護仏であることからと推定されます。
岩の一番目立つ所には「磨崖仏聖観音」が彫られていましたが、高い場所ですのでさぞや難作業だったことでしょう。
このような特別な場所で見ると、やはりありがたさが湧くというものです。
さて、岩の隙間や登山道を歩いていると、神社・仏閣とは全く違う意味で圧倒される景色に遭遇しました。
山の下に並んでいた採掘会社の採掘現場なのですが、なんと巨大な現場なのでしょうか。
砂利トラが豆粒のようにしか見えず、興奮したまま風に煽られて崖から落ちそうになりながらも眺めてしまいました。
エジプトのピラミッドを見たことはありませんが、現代のピラミッドを思わせるように削られた山にも唖然としてしまいます。
この自然豊かな金生山の一角にこのような現場があるのは複雑な気持ちもありますが、異常に迫力のある光景には唖然としてしまいます。
ところで恥ずかしい話になりますが、圧倒されたまま山道を歩いるうちに方向感覚を失って山の中で迷ってしまいました。
なんとか舗装道路に出たのは良かったけど、車で登っていった林道をもう一度徒歩で登りなおす羽目になりましたよ。
もう一度寺院に入った先にあったのは「琴子」という方が描かれた絵の展示場所です。
自己紹介文によると、琴子さんは成人になった頃に自閉症スペクトラム障がいの診断を受けられたそうです。
見た目では人には分らない病気であることから誤解を受けやすく、ストレスから二次障害も抱えてしまったとされます。
しかし“たどりついたこの場所で心に浮かぶ世界観から来る絵と詩を書いています。”とポジティブな生き方をされていて、最後は“自閉症の世界感と私の言葉です”と結ばれています。
絵はどの絵も明るいトーンで色彩豊かに描かれていて、透き通るような冷たさを感じながらも光に溢れている作品です。
惑星(もしくは地球)がモチーフになっている幻想的な絵が多く“この空のような宇宙のような海底のような内面的な世界感”が琴子さんの“私の言葉”ということなのかもしれません。
琴子さんの言葉に「トウメイなヤミ」という考えさせられる言葉があり、言葉からも感性の鋭さや豊かさ、絵の素晴らしさを知ることが出来ます。
寺院の一角の堂の仏像の前に展示された絵画。この寺院に来て本当に良かった、優しい気持ちになれたと感じながら帰路に着きます。