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嵯峨・嵐山は京都の観光拠点の一つになっていて大勢の観光客が訪れられる場所ですが、北嵯峨まで行くと人の出は急に少なくなり、落ち着いた雰囲気が漂い始めます。
もっとも花の季節には大勢の方が来られるようですが、季節外れの北嵯峨では静かな時間が過ごせるようです。
北嵯峨にある旧嵯峨御所・大覚寺は、門跡寺院としての華やかさと落ち着きのある佇まいを併せ持った寺院で穏やかな時間を過ごさせて頂くことが出来ました。
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大覚寺は弘法大師・空海を宗祖とする真言宗大覚寺派の大本山であり、別称・嵯峨御所とも呼ばれる門跡寺院です。
明治時代初頭まで代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を努めたとされますから、近代まで続いた格式の高い寺院だったようです。
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今に至るまで「嵯峨御所」と呼ばれるのは、平安初期に嵯峨天皇が離宮として建立されたことによるようで、当時は「離宮嵯峨院」と称されていたとされます。
876年には恒寂入道親王を開山として嵯峨院が大覚寺へなったと伝わり、1200年近くの年月を刻んだ寺院になります。
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玄関の横には生花が数点展示されていましたが、大覚寺は“いけばな(華道)”の「嵯峨御流」の総司所(家元)であることから、境内に“いけばな”が展示されていたようです。
大きな作品が多かったのですが、“いけばな”は理解するにはあまりに難解な世界ですね。
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大覚寺の堂内は全て廊下でつながっていて、最初に宸殿(重要文化財)へ入ることになります。
宸殿は江戸時代の初めに後水尾天皇より賜った建築物で、前面の庭には大海を表すとされる一面に白川砂が敷かれており「右近の橘」「左近の梅」が植えられていました。
宸殿の部屋には狩野山楽による襖絵が描かれ、桃山時代の美しい伝統美を感じることが出来ます。
狩野山楽は戦国大名・浅井長政の家臣の子として生まれ、浅井家滅亡後には豊臣家に重用された絵師だったようです。
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白川砂が敷かれた庭の先には江戸時代の再建とされる勅使門が見えます。
庭の中央には皇族の籠をつける場所なのか、1段高い位置に台が設けられてあり往時を偲ばせます。
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大正14年に建造された御影堂には大覚寺の歴史に大きな役割を果たされた方の尊像が祀られており、内陣の正面は開けられ、その先には心経殿が拝めます。
心経殿からは五色紐が内陣までつながっていて、内陣で心経殿の奉安されている勅封心経とつながることが出来ます。
内陣には1周回せば、お経を1巻読んだのと同じ功徳が得られるとされる「摩尼車」や「なで五鈷杵」が五色紐によって心経殿とつながっていました。
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心経殿は1925年に法隆寺の夢殿を模して再建された建物で嵯峨天皇・後光厳天皇・後花園天皇・後奈良天皇・正親町天皇・光格天皇の直筆の般若心経が奉安されていて、60年に一度の開扉となっているそうです。
嵯峨天皇が書された般若心経は弘法大師空海のすすめによって書かれたものとされており、その由来から般若心経写経の根本道場ともなっているようですね。
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大覚寺の諸堂は回廊によって結ばれていますが、迷路のような廊下の床は鶯張りになっていて音が出ます。
ウグイスの囀りのような音とまではいかないものの、歩くたびに音が出るので「忍び返し」の役割は充分果たしています。
また刀を振り上げられないように低くなっている天井によっても守られているようです。
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大覚寺の諸堂の中で少し雰囲気が違うのが「安井堂」でした。
安井堂は1871年に京都東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂を移築したもので、内陣の格天井鏡板に描かれた花鳥や雲龍図など趣の異なる内陣となっている堂宇です。
須弥壇には尊像が祀られており、門跡寺院としての歴史ゆえということなのでしょう。
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鮮やかな丹塗の霊名殿は二・二六事件で射殺された第30代総理大臣の斉藤実が建立した東京池袋の日仏寺の本堂だったものを1958年に移築したものだそうです。
80年ほど前の昭和・日本ではクーデターが起こるような国だったということになりますが、長い歴史からみればわずかな時間で日本人の国民性は大きく変わったともいえますね。
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寺院内を巡った後は大沢池に向かい池の周囲を散策となりました。
大沢池は平安前期に造営された人工林泉ですが、水は澄み切って池の底までよく見えます。山から流れてくる水が清流なのでしょう。
蓮も生えている池の向こうには心経法塔が見えます。
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さらに池の畔で歩を進めると、十数体の石仏がありました。
鎌倉中期の石仏で「大沢池石仏群」と呼ばれているそうですが、なかなか見応えのある石仏群です。
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ここで寺院の方を振り返ってみると大覚寺の本堂である五大堂が見えます。
迷路のような廊下を歩いているうちに五大堂へ参っていなかったことにここでやっと気が付きました。
もう一度寺院の中へ入れてもらって、無事に五大明王を拝観して御札を収めることが出来ました。
祀られている五大明王像(金剛夜叉明王・降三世明王・不動明王・軍荼利明王・大威徳明王)は人間国宝・松久明琳師の作の比較的新しい仏像とはいえ、気迫を感じる明王像です。
平安後期の五大明王像(重文)と室町時代の五大明王像(同じく重文)は霊宝殿に安置されていますので、もし見る機会があれば平安仏と室町仏の五大明王を一緒に見ることができそうですね。
また、五大堂の舞台からは大沢池も見渡すことが出来ます。
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さて大覚寺に参拝したのにはもう一つ理由がありました。
それは牡丹の障壁画が描かれた御朱印帳の購入でしたが、布地に絢爛な牡丹の花がプリントされている愛着の持てそうな御朱印帳です。
宸殿の牡丹の間に描かれていた狩野山楽の障壁画の一部ですね。
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大覚寺は“春は桜”“夏は観月”“秋は紅葉”が楽しめる寺院だといいます。
しかし、季節の風物詩の時期でなくても優雅な平安時代の息吹を感じられる寺院だと思います。