長浜市旧木之本町大音にある「伊香具神社」には、「伊香式鳥居」という一風変わった鳥居があり、空海が掘り当てたという浄水源の伝承が残されているといいます。
また、参道に並び咲く八重桜が見頃を迎えようとしているということもあり、賤ヶ岳の東麓にある大音の集落へと向かいました。
香具山(伊香山)を神奈備とする「伊香具神社」は、賤ヶ岳を挟んで反対側には余呉湖と琵琶湖があり、長浜市の最北西にあたる場所にある静かな集落です。
参拝者が多いのを避けたくて早朝に参拝しましたので、100mほどはあるかと思われる長い参道に人影はなく、早朝の神社を心地よく歩く。
「伊香具神社」の創建は、天武天皇白鳳10年(681年、由緒書きには660年頃)以前と伝わり、「伊香津臣命」を御祭神として祀ります。
「伊香津臣命」は有力豪族・伊香氏の祖であるといい、伊香氏は「物部氏」の近縁であるという説や「中臣氏(藤原氏)」の祖であるという説があり、興味深い。
当地は市町村合併までは「伊香郡木之本町大音」であり、伊香氏の名が地名に長く残っており、近隣の高月町には「物部」という地名が残る。
地名や名字にはその地の歴史の断片を示すことがありますが、物部氏の系譜には先祖に「伊香色雄」「伊香色謎」という名が出てきますので、物部氏との何らかの関係があったことが想像されます。
参道の横にある田圃はちょうど田植えの時期ということで田圃には水が張られており、リフレクションが写り込んでくれた。
大音からトンネルを抜けて海津大崎方面へ行けばソメイヨシノが咲きますが、八重桜はソメイヨシノより1カ月遅く咲くという。
一風変わった様式の鳥居は「伊香式鳥居」といい、奈良の「三輪式鳥居」と安芸の「厳島式鳥居」が組み合わさったという独特の形をしている。
かつて神社のすぐ前に「伊香小江」という湖沼があったといい、湖の神様の鳥居(厳島式)と、神奈備である香具山の山の神の鳥居(三輪式)の両方の意味があるといわれます。
この鳥居の先に湖が拡がっていたとは現在の姿からは想像が付きませんが、賤ヶ岳の向こう側にある余呉湖を想像するとよいのかも。
興味深いのは「余呉湖」と「伊香具神社」に共通して伝わる「羽衣伝説」でしょうか。
“白鳥に姿を変えた天女達が湖に飛来し、天女に恋心を抱いた伊香刀美は白い犬に衣を盗ませ、天に帰れなかった天女の一人を褄にした。”
更に余呉の「羽衣伝説」には“伊香刀美と天女の子供が菅原道真であった。”という伝説があり、伊香具神社にも道真公との親交を伝える伝承が残ります。
“9世紀後半、伊香具神社の神官・伊香厚行と親交の深かった道真公が、895年に道真公自筆の法華経・金光明経を奉納した。”
伊香具神社は織田信長の時代に領地没収の憂き目にあい、賤ヶ岳の戦で社殿・宝物は焼失してしまい、現在の「本殿」は江戸時代正徳の再建だといいます。
「拝殿」も同じ時期に再建されたとされ、残された写真を見ると萱葺の実に見事な拝殿でしたが、2018年の台風21号で倒れた杉の木によって倒壊し、現在は敷き石のみが残る。
台風被害を伝える朝日新聞の記事によると“高さ約30m・樹齢300年の杉の木が倒れ、拝殿が跡形もなくなった。境内では約20本の杉の木がなぎ倒された。”とあります。
確かに境内や裏山の各所には大きな切り株が何カ所も残り、被害の大きさと甚大さを物語っています。
「本殿」は、瑞垣に囲まれた中門から拝むことになりますが、本殿を拝むことは神奈備たる香具山(伊香山)を拝むが如く。
伊香山の中腹には磐座と「天児屋根命」を祀る奥之宮の祠があるといい、天児屋根命は中臣氏の祖であり、藤原氏の氏神でもあるといいます。
境内には日清戦争の戦没者を祀る「招魂社」や、縁結びの神としての御利益がある「臣知人命(伊香津臣命の長男)」を祀る三の宮神社がある。
また、伊香具神社にはかつて神宮寺があったとされ、弘法大師・空海にまつわる伝承が残されています。
“弘仁3年5月(812年)弘法大師がこの地の治水事業を行われた折り、伊香具神社に詣でられ「独鈷」を用いて浄水源を掘り当て、これを「独鈷水」と呼ぶ。”
実際に井戸を覗き込んでみると少量ながら水があったが、湧き出ているのか溜まっているのかは判断が付かなかった。
とはいえ、大音は「糸取りの里」とも呼ばれており、「大音の糸取り」は伊香具神社の湧き水を使って繭を煮て良質な生糸を生産してきたとされています。
大音の糸取りの歴史は平安時代の899年まで遡ることができ、戦後は衰退はしてきたものの、現在も「佃平七糸取り工房」で糸取りがされていると聞きます。
伊香具神社には弘法大師のもう一つの伝説が残されており、“かつて神社の前方にあった小江(湖沼)に住む大蛇を沼に封じ込めた。”とある。
その沼の名残りが「神宮寺の蓮池」だといい、かつて伊香鳥居の前にあったという小江を想像させる池となっています。
本殿の裏山や境内の老杉は失われてしまいましたが、まだ次世代の杉が何本も育ってきているのが未来に残る希望です。
境内の石垣を跨いであるのは何の木かは分かりませんが、嵐を生き抜いて立っていました。
大音の集落の外れには「賤ヶ岳リフト」の乗り口があり、シャガの群生が咲き誇り“シャガの花じゅうたん”の空中散歩が人気だという。
その群生の影響もあってか、大音から隣町の黒田にかけてシャガの群生が幾つか見られました。
伊香具神社には少し離れた場所に「一ノ宮神社」が祀られているといい、その近くには「一ノ宮の白樫」という巨樹があるといいます。
このところ巨樹に魅力を感じていることもあって、一ノ宮の白樫へと向かってみることにします。
また、参道に並び咲く八重桜が見頃を迎えようとしているということもあり、賤ヶ岳の東麓にある大音の集落へと向かいました。
香具山(伊香山)を神奈備とする「伊香具神社」は、賤ヶ岳を挟んで反対側には余呉湖と琵琶湖があり、長浜市の最北西にあたる場所にある静かな集落です。
参拝者が多いのを避けたくて早朝に参拝しましたので、100mほどはあるかと思われる長い参道に人影はなく、早朝の神社を心地よく歩く。
「伊香具神社」の創建は、天武天皇白鳳10年(681年、由緒書きには660年頃)以前と伝わり、「伊香津臣命」を御祭神として祀ります。
「伊香津臣命」は有力豪族・伊香氏の祖であるといい、伊香氏は「物部氏」の近縁であるという説や「中臣氏(藤原氏)」の祖であるという説があり、興味深い。
当地は市町村合併までは「伊香郡木之本町大音」であり、伊香氏の名が地名に長く残っており、近隣の高月町には「物部」という地名が残る。
地名や名字にはその地の歴史の断片を示すことがありますが、物部氏の系譜には先祖に「伊香色雄」「伊香色謎」という名が出てきますので、物部氏との何らかの関係があったことが想像されます。
参道の横にある田圃はちょうど田植えの時期ということで田圃には水が張られており、リフレクションが写り込んでくれた。
大音からトンネルを抜けて海津大崎方面へ行けばソメイヨシノが咲きますが、八重桜はソメイヨシノより1カ月遅く咲くという。
一風変わった様式の鳥居は「伊香式鳥居」といい、奈良の「三輪式鳥居」と安芸の「厳島式鳥居」が組み合わさったという独特の形をしている。
かつて神社のすぐ前に「伊香小江」という湖沼があったといい、湖の神様の鳥居(厳島式)と、神奈備である香具山の山の神の鳥居(三輪式)の両方の意味があるといわれます。
この鳥居の先に湖が拡がっていたとは現在の姿からは想像が付きませんが、賤ヶ岳の向こう側にある余呉湖を想像するとよいのかも。
興味深いのは「余呉湖」と「伊香具神社」に共通して伝わる「羽衣伝説」でしょうか。
“白鳥に姿を変えた天女達が湖に飛来し、天女に恋心を抱いた伊香刀美は白い犬に衣を盗ませ、天に帰れなかった天女の一人を褄にした。”
更に余呉の「羽衣伝説」には“伊香刀美と天女の子供が菅原道真であった。”という伝説があり、伊香具神社にも道真公との親交を伝える伝承が残ります。
“9世紀後半、伊香具神社の神官・伊香厚行と親交の深かった道真公が、895年に道真公自筆の法華経・金光明経を奉納した。”
伊香具神社は織田信長の時代に領地没収の憂き目にあい、賤ヶ岳の戦で社殿・宝物は焼失してしまい、現在の「本殿」は江戸時代正徳の再建だといいます。
「拝殿」も同じ時期に再建されたとされ、残された写真を見ると萱葺の実に見事な拝殿でしたが、2018年の台風21号で倒れた杉の木によって倒壊し、現在は敷き石のみが残る。
台風被害を伝える朝日新聞の記事によると“高さ約30m・樹齢300年の杉の木が倒れ、拝殿が跡形もなくなった。境内では約20本の杉の木がなぎ倒された。”とあります。
確かに境内や裏山の各所には大きな切り株が何カ所も残り、被害の大きさと甚大さを物語っています。
「本殿」は、瑞垣に囲まれた中門から拝むことになりますが、本殿を拝むことは神奈備たる香具山(伊香山)を拝むが如く。
伊香山の中腹には磐座と「天児屋根命」を祀る奥之宮の祠があるといい、天児屋根命は中臣氏の祖であり、藤原氏の氏神でもあるといいます。
境内には日清戦争の戦没者を祀る「招魂社」や、縁結びの神としての御利益がある「臣知人命(伊香津臣命の長男)」を祀る三の宮神社がある。
また、伊香具神社にはかつて神宮寺があったとされ、弘法大師・空海にまつわる伝承が残されています。
“弘仁3年5月(812年)弘法大師がこの地の治水事業を行われた折り、伊香具神社に詣でられ「独鈷」を用いて浄水源を掘り当て、これを「独鈷水」と呼ぶ。”
実際に井戸を覗き込んでみると少量ながら水があったが、湧き出ているのか溜まっているのかは判断が付かなかった。
とはいえ、大音は「糸取りの里」とも呼ばれており、「大音の糸取り」は伊香具神社の湧き水を使って繭を煮て良質な生糸を生産してきたとされています。
大音の糸取りの歴史は平安時代の899年まで遡ることができ、戦後は衰退はしてきたものの、現在も「佃平七糸取り工房」で糸取りがされていると聞きます。
伊香具神社には弘法大師のもう一つの伝説が残されており、“かつて神社の前方にあった小江(湖沼)に住む大蛇を沼に封じ込めた。”とある。
その沼の名残りが「神宮寺の蓮池」だといい、かつて伊香鳥居の前にあったという小江を想像させる池となっています。
本殿の裏山や境内の老杉は失われてしまいましたが、まだ次世代の杉が何本も育ってきているのが未来に残る希望です。
境内の石垣を跨いであるのは何の木かは分かりませんが、嵐を生き抜いて立っていました。
大音の集落の外れには「賤ヶ岳リフト」の乗り口があり、シャガの群生が咲き誇り“シャガの花じゅうたん”の空中散歩が人気だという。
その群生の影響もあってか、大音から隣町の黒田にかけてシャガの群生が幾つか見られました。
伊香具神社には少し離れた場所に「一ノ宮神社」が祀られているといい、その近くには「一ノ宮の白樫」という巨樹があるといいます。
このところ巨樹に魅力を感じていることもあって、一ノ宮の白樫へと向かってみることにします。