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“男のためのガーデニング”改め

東近江市の「白鳥神社」の勧請縄~池之脇・上二俣・高木・市原野・如来・石谷~

2022-02-10 17:48:02 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 勧請縄は村に疫病や禍が入るのを防ぐ魔よけとし、五穀豊穣や天下泰平を祈願する年頭行事として、滋賀県の湖東・湖南地方に多くみられる民俗行事です。
湖東地方でも特に東近江市には勧請縄の伝統が色濃く残り、村々の魔よけとして受け継がれてきています。

東近江市の東に位置する旧永源寺町には勧請縄の行事が多く残ると共に、滋賀県ではこの一帯にしか存在しない「白鳥神社」が密集している地域でもあります。
複数ある「白鳥神社」は御祭神に日本武尊(ヤマトタケル)を祀り、日本武尊の白鳥伝説との関連があるかと想像はされるものの、白鳥(シラトリ)信仰にまつわる説もあります。

古代史家で白鳥研究家でもある芦野泉さんは、著書「白鳥と古代史」の中で、古代白鳥と初期農耕の頃の人間の生活に関係する地名について語られています。
また、東北地方を除く本州・四国・九州で確認できる地名の位置関係と白鳥の渡りのルートとの共通性についても述べられていて興味深い。
旧永源寺町地方にも山間部の最奥の甲津畑→和南→多度神社と白鳥(シラトリ)ゆかりとされる地名や神社があり、平野部には「白鳥神社」が密集する地域があります。
このラインは琵琶湖近くの「白鳥神社」まで続き、白鳥(シラトリ)の渡りのルートと考えると、白鳥信仰があったと思われる痕跡が見えてくるように思います。

<池之脇町の「白鳥神社」>

平野部へ入って最初の集落は池之脇で、集落は南は山麓に面し、それ以外の3方には田園地帯が広がる。
集落から少し離れたところに「白鳥神社」はあり、鳥居を抜けた先に勧請縄が吊るされている。



勧請縄は主縄に頭と尾があるオーソドックスな形をしており、中央の小さな丸いトリクグラズに祈祷札が付けられ、主縄の上には3本の御幣が刺されている。
小縄は通常は12本あることが多いが、この勧請縄は左に6本、右に5本と変わっており、トリクグラズに近い右の小縄は短いように見えます。





トリクグラズに付けられた祈祷札には“天下泰平・五穀豊穣・息災延寿・交通安全”と書かれ、裏側には奉納者の名前がある。
楕円形の枝葉で造られたトリクグラズは、シンプルながらも他ではあまり見かけない形です。



本殿は石段の上にひっそりと祀られており、里から少し離れた山の麓の神社ですが、江戸時代の天保3年までは山腹に鎮座されていたのだという。
神社の東方向には2つの溜池があり、その池が池之脇の町名になっているのかと思います。



<上二俣町の「白鳥若宮神社」>

池之脇町と隣接する上二俣町には「白鳥若宮神社」が祀られ、鳥居に勧請縄が吊るされています。
「若宮」は本宮の主神の分霊を勧請した社とされますが、近隣に「白鳥神社」が複数あるため、どこが本宮とされるのかは不明です。



上二俣の勧請縄は、主縄に頭と尾があるが、小縄はトリクグラズなどは見られず、シンプルな形状をしている。
シンプルゆえに注連縄のように見えてしまいますが、この勧請縄は以前は参道にある2本の木に吊るされていたといいます。



拝殿・本殿はこじんまりとした造りで、横にはお稲荷さんが祀られる。
その前には御神木の巨樹スギがありますが、幹周はおそらく4mはあろうかという太さがありこの御神木の迫力に圧倒されてしまいます。



<高木町の「白鳥神社」>

「白鳥と古代史」の痕跡を追って当地を訪れたのは昨年10月で、その時に何ヶ所かの神社で勧請縄を発見していたのが今回再訪したきっかけです。
この地域では勧請縄を「道切り」として祀られている集落はなく、集落の「白鳥神社」の参道に吊るされる。
集落は田園を挟んで独立していたり、つながったりしてはいますが、こんもりと木が茂った森があるとそこが神社なので目的地が見つけやすい。



高木の「白鳥神社」には昨年10月に参拝した時に勧請縄がありましたが、今年はどこにも見当たりません。
勧請縄を探していると、あると思っていてもないことが多々あり、行事を継続していく難しさを感じることがあります。



参拝だけ済まして次へ行きますが、昨年10月に偶然見た勧請縄はトリクグラズが四角形をしており、馬酔木の枝葉で造るのだといいます。
鳥居の前の木に吊るされた勧請縄は、主縄とトリクグラズだけの形状をした勧請縄でした。


(2021年10月撮影)

<市原野町の「白鳥神社」>

市原野の「白鳥神社」の勧請縄は主縄の両端に大きな房を付け、小縄やトリクグラズはないものの、主縄の上に蛇を模したような飾りが幣のように刺されています。
前回参拝した時は蛇のような飾りは取り外されていましたので、今回の訪問で是非とも見たかった勧請縄です。



房も立派なもので細い縄を絞るように巻き付け、まるで巨大な筆のように見えてしまいます。
どの「白鳥神社」も田園地帯の集落にある神社で、伊吹山で荒神と戦って傷ついた死んだ日本武尊が白鳥に姿を変えて飛びったったという伝説とのつながりがみえない。
総称としての「白鳥」(ハクチョウ・コウノトリ・ツル、シラサギ)が初期農耕における糞の肥料効果あるいは食料となってくれたことによる信仰と考えた方がしっくりくる。





さて、主縄の上に串刺しにされているのは、蛇を模したような七曲がり・五曲がり・三曲がりの飾りです。
蛇は水神とされますので農耕とは切っても切れない水を象徴すると共に、魔除けとして結界の役割を果たしているのではないでしょうか。



滋賀県の神社(村社)は立派な造りの建物が多いのですが、市原野の「白鳥神社」も創祀年代不詳ながらも立派な社殿です。
社殿や行事を続けることは大変な事ですが、氏子の信仰の篤さによって守り続けられているのだと思います。



<如来の「白鳥若宮神社」>

如来の勧請縄は、市原野町の「白鳥神社」の勧請縄とほぼ同じような造りとなっているが、西村泰郎さん著の「勧請縄-個性豊かな村境の魔よけ-」によると、縄は市原野町の「白鳥神社」と一緒に造っているのだという。
両端に大きな房があり、トリクグラズや小縄や幣がない代わりに、七曲がり・五曲がり・三曲がりの飾りが幣のように串刺しされている。



勧請縄を一緒に造っていることからすると、如来の「白鳥若宮神社」は市原野町の「白鳥神社」から勧請されたといえそうです。
2社共に、樹木や鳥居に吊るすのではなく、勧請縄を吊るす台まで設置されている。

反対側から勧請縄を見ると、道路沿いに神社ののぼりか旗を掛けたりするポールがあり、祭りの時などにのぼりを掛けられるのでしょう。
勧請縄の吊るし台やのぼりを掛けるポールが設置されている神社がこの辺りには多いように感じます。



如来の「白鳥若宮神社」にも勧請縄の上に七曲がり・五曲がり・三曲がりの飾りが串刺しされています。
一緒に造っているのですから当然なのかと思いますが、この信仰はこの2社特有のもので、見た中では他にはない信仰になります。



神社が社殿ではなく祠なのは如来だけでしたが、本宮から御神体が勧請された若宮だからなのでしょう。
石段右側の碑には「白鳥大明神」と彫られていて、白鳥を神と崇めていることが分かります。



<石谷町の「白鳥神社」>

最後に参拝したのは石谷の「白鳥神社」です。
石谷の勧請縄も両端が房になっており、小縄はないものの、主縄の中央にトリクグラズが付けられています。



両端に房を付けるのはこの一帯特有の造り方なのかと考えられます。
集落独特の勧請縄を伝えながらも、隣接する集落の影響は受けていると考えられます。
ここより西へ行くと、トリクグラズや小縄がある勧請縄が増えてくるようですので、勧請縄に独自性と地域性の両方が感じられます。



トリクグラズは円形に枝葉が巻きつけられ、一般的には主縄にバラバラと吊るされる小縄がトリクグラズに重なるように6本吊るされています。
主縄の上には御幣が3本刺さり、旧永源寺町域ではむしろ変わった姿となっている。





石谷の「白鳥神社」はかつて石谷町と一式町で2本の勧請縄を造っていたそうですが、近年になって2町が分かれ、一式町は「若宮八幡宮」に勧請縄を吊るすようになったといいます、
「白鳥神社」の本殿の横に境内社がありますが、「八幡神社」ですのでかつては2村の産土神だったのではないかと想像されます。



「白鳥神社(および若宮神社)」を巡ってきましたが、この一帯にある勧請縄は全て神社に吊られていて、「道切り」や集落外れの道沿いに吊られていることはありませんでした。
両端に大きな房があるものが多く、小縄やトリクグラズのない勧請縄もあり、祈祷札は池之脇の「白鳥神社」のみでした。
集落によって独特で個性的な勧請縄ではありますが、地域による特徴が見られるようです。

最後に「白鳥神社」の位置関係の略図です。
鈴鹿山系に面した甲津畑から平野に出ると「白鳥神社」が密集し、琵琶湖近くの「白鳥神社」まで北北西のラインで結ばれます。
“何かある”としか思えませんよね。




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