彦根市の荒神山には「かまど神」として信仰される荒神山神社があり、御祭神に火産霊神・奥津日子神・奥津比売神をお祀りする神社です。
荒神山神社は古くは奈良時代に行基によって創建された「奥山寺」に起源があるとされますが、明治の神仏分離令により廃寺となり、荒神山神社だけが残ったといいます。
荒神山神社は荒神山の山頂近くにありますが、里宮(遥拝殿)としての荒神山神社は山の麓にお祀りされています。
里宮からは本坂という表参道があり荒神山へと登ることが出来ますが、その道とは別の道で山へ入ると「蛇岩」という巨巌(磐座)があると聞きます。
調べてみると「蛇岩」に行くには2つ道があるようですので情報を頼りに山へ入りましたが、最初の道は竹藪をかき分けていくような道で、倒れた竹に道を阻まれて断念。
次の道は途中で道が分からなくなり行き止まってしまいこれも断念。
諦めるしかないかと思いつつダメ元で農作業しているお爺さんに聞いてみると、遠い耳で何度も聞き返されながら道を教えてくださり、言われたままに道を進んでみます。
しかし、山側は柵で囲われて入る余地がない。しばらく探し続けて諦めかけた頃に猫の出入口のような小さなアルミサッシの入口を見つける。
これで行けると思いきや、山は倒木だらけで道がない。
上へ行けば何か見つかるかと思い道なき山肌を無理やり登ってみるが、人の踏み跡らしきものも見つからず、ただただ斜面を横断するばかり。
道もない山に一人いると心細くなってくるし、地面に大きな窪地があるとイノシシのヌタ場のように思えてきて怖い。
やはりダメか、諦めて戻るか、と諦めかけた時に山の上の方に岩の一部が見えた。
あれに違いないと斜面を登ってみます。
初めは岩の上の一部分しか見えていなかったのが登るにつれて全貌が確認できるようになってきます。
「蛇岩」は上方に大蛇岩があり、その下にも若干小さい岩があります。
両方とも蛇が口を開けたような姿をしていて注連縄が巻かれています。
奥の蛇岩は長さ6m・高さ3m・幅3m。
地元では石神さまとして毎年12月に注連縄が取り替えられ、正月には鏡餅を供えてお祀りされているといいます。
<荒神山「蛇岩」伝説>(国宝彦根城築城400年祭《談話室》)
「むかし天竺(インド)の霊鷲山の一岳を、大へびが背に乗せて月氏國(中央アジアの遊牧民国家)を経て日本に化来し、大へびは岩と化し、毎朝東にむかって三度口を開いて、日光を呑む。」
「蛇岩」は行基が奥山寺を開く前からあったとされますから、元々あった巨石への信仰が仏教伝来によって融合していった事も考えられます。
蛇あるいは龍は水の神とされることが多いのですが、この「蛇岩」が口を開けている方向は湖東平野の田園地帯が広がる方向になりますので農耕の神として祀られていたことも想定できそうです。
大蛇岩の前にある蛇岩は大きさは大蛇岩の1/3くらいとされてはいるものの、やはり大きく口を開けたような形になっています。
いずれの岩も信仰の対象として永く祀られてきており、古来より神の山として崇められてきた荒神山の磐座といってよいのではないでしょうか。
「蛇岩」の周辺を歩き周っている時に木段があるのを見つけました。
最初の小さな入口の右側からいけばたどり着いたと思いますが、そこには大きな倒木が横たわっていて進めなかった。
あおの倒木が無ければ、山の斜面を横断しながら苦しむ必要はなかったのかもしれませんね。
さて、荒神山の中腹には「稲村神社」があり、その神社にも磐座があるということですので稲村神社へと向かいます。
稲村神社へは東参道と西参道があるのですが、「蛇岩」で悪戦苦闘して疲れてしまいましたので林道を使って参拝しました。
「稲村神社」の御祭神は「豊宇気毘売神・伊弉冉尊・丹生大神」の3柱を祀り、創建は天智天皇の御宇六年、常陸国久慈郡稲村に鎮座の稲村神社の分霊を当稲里町小字塚の地に迎え、奉祀したのが始まりとされている。
境内の数カ所に磐座が祀られているが、大正時代や昭和の時代に奉納された磐座もあるようです。
もっとも大きな磐座は斜めに傾き天を指すような形の磐座です。
こ巨石も奉納されたものかもしれませんが、荒神山には4世紀末(中期古墳時代)の荒神山古墳群が十数基確認されているといい、巨岩とは古代より関わりがあったともいえます。
神社は天正年間の兵火にかかり、その後現在の大平山に遷座されたといいます。
彦根井伊藩は当社保護のため種々の制令を寄せたと伝えられており、本殿は寛政五年(1793年)の建造といいますから歴史ある建造物です。
荒神山は単立の山で大きくはない低山ですが、山にはこの稲村神社や荒神山神社・天満天神社・唐崎神社が祀られ、寺院も複数の寺院があることから、この地における重要な霊山だったことが伺い知れます。
現在は信仰の山であると共に、ハングライダーの離陸場や屋外スポーツ施設やキャンプ場のある荒神山公園、宿泊や体験活動のできる荒神山自然の家などがあり、林道にはウォーキングの方が実に多かった。
せっかくなので山頂近くの荒神山神社に参拝して、荒神山古墳・山頂三角点まで軽く歩いてみます。
尾根筋の山道ではジョギングで山を移動していく元気いっぱいの人や、麓からハイキングで登ってきた人などが多く、地元の人の憩いの場になっているんだろうと思います。
荒神山の山頂は荒神山神社のすぐ近くにある展望場になりますが、三角点は日夏山の頂上にあります。
ちなみに日夏山は標高261.5mで、荒神山は標高284m。この2つの山のピークはすぐ近くにあります。
三角点の横には東屋があり、東側には展望の広がる場所がある。
この位置から霊仙山と伊吹山が望め、それぞれ頂上付近には冠雪が見えます。
日夏山の三角点から荒神山へ戻ってくると、今度は琵琶湖が見える場所がある。
対岸の湖西の山も冠雪しており、滋賀県の雪の美しい景色が味わえる。
見る方向を変えると、手前に曽根沼、奥に琵琶湖が広がり、琵琶湖には多景島が見えます。
曽根沼は元は約96ヘクタールある内湖でしたが、昭和の干拓によって約20ヘクタールにまで減少したといいます。
直線の道路から左に広大な内湖があったことになりますが、残された曽根沼の湖面にはカモの姿が見受けられます。
せっかくなので多景島をズームで撮ってみます。
琵琶湖には竹生島・沖島・多景島の3つの島と、沖の白石という推進80mの湖底から突き出す4つの岩があるといいます。
竹生島以外の島には上陸したことはありませんが、多景島は彦根辺りからはよく見える島です。
もとは竹が植林されていたことから竹島だったようですが、角度によっていろいろな景色に見えることから「多景島」という字が当てられているという。
荒神山神社は古くは奈良時代に行基によって創建された「奥山寺」に起源があるとされますが、明治の神仏分離令により廃寺となり、荒神山神社だけが残ったといいます。
荒神山神社は荒神山の山頂近くにありますが、里宮(遥拝殿)としての荒神山神社は山の麓にお祀りされています。
里宮からは本坂という表参道があり荒神山へと登ることが出来ますが、その道とは別の道で山へ入ると「蛇岩」という巨巌(磐座)があると聞きます。
調べてみると「蛇岩」に行くには2つ道があるようですので情報を頼りに山へ入りましたが、最初の道は竹藪をかき分けていくような道で、倒れた竹に道を阻まれて断念。
次の道は途中で道が分からなくなり行き止まってしまいこれも断念。
諦めるしかないかと思いつつダメ元で農作業しているお爺さんに聞いてみると、遠い耳で何度も聞き返されながら道を教えてくださり、言われたままに道を進んでみます。
しかし、山側は柵で囲われて入る余地がない。しばらく探し続けて諦めかけた頃に猫の出入口のような小さなアルミサッシの入口を見つける。
これで行けると思いきや、山は倒木だらけで道がない。
上へ行けば何か見つかるかと思い道なき山肌を無理やり登ってみるが、人の踏み跡らしきものも見つからず、ただただ斜面を横断するばかり。
道もない山に一人いると心細くなってくるし、地面に大きな窪地があるとイノシシのヌタ場のように思えてきて怖い。
やはりダメか、諦めて戻るか、と諦めかけた時に山の上の方に岩の一部が見えた。
あれに違いないと斜面を登ってみます。
初めは岩の上の一部分しか見えていなかったのが登るにつれて全貌が確認できるようになってきます。
「蛇岩」は上方に大蛇岩があり、その下にも若干小さい岩があります。
両方とも蛇が口を開けたような姿をしていて注連縄が巻かれています。
奥の蛇岩は長さ6m・高さ3m・幅3m。
地元では石神さまとして毎年12月に注連縄が取り替えられ、正月には鏡餅を供えてお祀りされているといいます。
<荒神山「蛇岩」伝説>(国宝彦根城築城400年祭《談話室》)
「むかし天竺(インド)の霊鷲山の一岳を、大へびが背に乗せて月氏國(中央アジアの遊牧民国家)を経て日本に化来し、大へびは岩と化し、毎朝東にむかって三度口を開いて、日光を呑む。」
「蛇岩」は行基が奥山寺を開く前からあったとされますから、元々あった巨石への信仰が仏教伝来によって融合していった事も考えられます。
蛇あるいは龍は水の神とされることが多いのですが、この「蛇岩」が口を開けている方向は湖東平野の田園地帯が広がる方向になりますので農耕の神として祀られていたことも想定できそうです。
大蛇岩の前にある蛇岩は大きさは大蛇岩の1/3くらいとされてはいるものの、やはり大きく口を開けたような形になっています。
いずれの岩も信仰の対象として永く祀られてきており、古来より神の山として崇められてきた荒神山の磐座といってよいのではないでしょうか。
「蛇岩」の周辺を歩き周っている時に木段があるのを見つけました。
最初の小さな入口の右側からいけばたどり着いたと思いますが、そこには大きな倒木が横たわっていて進めなかった。
あおの倒木が無ければ、山の斜面を横断しながら苦しむ必要はなかったのかもしれませんね。
さて、荒神山の中腹には「稲村神社」があり、その神社にも磐座があるということですので稲村神社へと向かいます。
稲村神社へは東参道と西参道があるのですが、「蛇岩」で悪戦苦闘して疲れてしまいましたので林道を使って参拝しました。
「稲村神社」の御祭神は「豊宇気毘売神・伊弉冉尊・丹生大神」の3柱を祀り、創建は天智天皇の御宇六年、常陸国久慈郡稲村に鎮座の稲村神社の分霊を当稲里町小字塚の地に迎え、奉祀したのが始まりとされている。
境内の数カ所に磐座が祀られているが、大正時代や昭和の時代に奉納された磐座もあるようです。
もっとも大きな磐座は斜めに傾き天を指すような形の磐座です。
こ巨石も奉納されたものかもしれませんが、荒神山には4世紀末(中期古墳時代)の荒神山古墳群が十数基確認されているといい、巨岩とは古代より関わりがあったともいえます。
神社は天正年間の兵火にかかり、その後現在の大平山に遷座されたといいます。
彦根井伊藩は当社保護のため種々の制令を寄せたと伝えられており、本殿は寛政五年(1793年)の建造といいますから歴史ある建造物です。
荒神山は単立の山で大きくはない低山ですが、山にはこの稲村神社や荒神山神社・天満天神社・唐崎神社が祀られ、寺院も複数の寺院があることから、この地における重要な霊山だったことが伺い知れます。
現在は信仰の山であると共に、ハングライダーの離陸場や屋外スポーツ施設やキャンプ場のある荒神山公園、宿泊や体験活動のできる荒神山自然の家などがあり、林道にはウォーキングの方が実に多かった。
せっかくなので山頂近くの荒神山神社に参拝して、荒神山古墳・山頂三角点まで軽く歩いてみます。
尾根筋の山道ではジョギングで山を移動していく元気いっぱいの人や、麓からハイキングで登ってきた人などが多く、地元の人の憩いの場になっているんだろうと思います。
荒神山の山頂は荒神山神社のすぐ近くにある展望場になりますが、三角点は日夏山の頂上にあります。
ちなみに日夏山は標高261.5mで、荒神山は標高284m。この2つの山のピークはすぐ近くにあります。
三角点の横には東屋があり、東側には展望の広がる場所がある。
この位置から霊仙山と伊吹山が望め、それぞれ頂上付近には冠雪が見えます。
日夏山の三角点から荒神山へ戻ってくると、今度は琵琶湖が見える場所がある。
対岸の湖西の山も冠雪しており、滋賀県の雪の美しい景色が味わえる。
見る方向を変えると、手前に曽根沼、奥に琵琶湖が広がり、琵琶湖には多景島が見えます。
曽根沼は元は約96ヘクタールある内湖でしたが、昭和の干拓によって約20ヘクタールにまで減少したといいます。
直線の道路から左に広大な内湖があったことになりますが、残された曽根沼の湖面にはカモの姿が見受けられます。
せっかくなので多景島をズームで撮ってみます。
琵琶湖には竹生島・沖島・多景島の3つの島と、沖の白石という推進80mの湖底から突き出す4つの岩があるといいます。
竹生島以外の島には上陸したことはありませんが、多景島は彦根辺りからはよく見える島です。
もとは竹が植林されていたことから竹島だったようですが、角度によっていろいろな景色に見えることから「多景島」という字が当てられているという。