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開基は平安時代に遡り、当時は伊吹山の山中に寺院があったようですが、鎌倉期または南北朝期に現在地に移転されたと伝わります。
「大原観音寺」には“秀吉が鷹狩りで立ち寄った際、寺の小僧をしていた石田三成に茶を所望したところ、1杯目はぬるい茶を、2杯目は少し熱い茶を茶碗に半分ほど、3杯目は熱い茶を小さなお茶碗で...。”
という石田三成 「三献の茶」の逸話が残り、茶の水を汲んだと伝わる井戸(石田三成水汲みの井戸)が残されています。
(古橋の法華寺にも「三献の茶」の逸話は伝わる。)
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長く緩やかな参道を登っていく途中でハッと息をのむのは、農作業するマネキンの姿です。
猿除けかと思いますが、薄暗い時間帯に見たらちょっと怖いでしょうね。
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大原観音寺は通常非公開の寺院ですので御堂は閉じられている。
本堂は江戸時代の建築物で重要文化財に指定されており、御本尊の十一面千手観音・四天王像・不動明王・伝教大師像などがお祀りされています。
過去に参拝して内陣に入れて頂けたのはもう6年も前ですから、御開帳が待ち遠しい寺院になります。
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さて、今回は寺院参拝に訪れたのではなく、目的は寺院の後方にある横山(観音寺山)へ登ることでした。
横山の山の峰には「横山城跡」があり、戦国時代には浅井長政が築いた「横山城」があった山になります。
横山へは観音寺側から3つのコースと、山の反対側の石田町から登るコースがありますが、かつての旧道のような“龍の背コース”から登ってみます。
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登山道は“整備はされているが荒れている”という状態で、積み重なった落ち葉の上に折れた小枝が散乱しており、何ヶ所かには倒木があって道を阻む。
倒木を乗り越えたり、潜ったりしながらの道は、さしずめアスレチックでもやっているようですが、草が茂っている場所があったりで少々気味悪く感じる道です。
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途中に「鏡岩」という巨石がありましたが、苔と草で残念ながら鏡のようには見えない。
この先には「お化け岩」の看板があり、山側に岩があったものの、急勾配で道もないため登ることが出来ず、確認は出来ませんでした。
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案内図には「読誦回向の塔」とあり、それはこの塔のことだと思います。
転がり落ちてきそうな巨石の前に塔が立っており、ここで故人にお経を唱え供養されたのでしょうか。詳しい由来は不明です。
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読誦回向の塔のすぐ先には「峠の地蔵」が祀られています。
この峠に地蔵尊が祀られているのは、おそらくは昔は長浜市石田町と米原市朝日町を結ぶ山越えの道だったのかと思います。
昭和8年に「観音坂トンネル」が開通してからは山越えの必要はなくなったようですが、初代の観音坂トンネルは心霊スポットとしてTVなどでも取り上げられた怖いトンネルでした。
夜は真っ暗でトンネル内は細く、道が曲がりくねっていて事故が多く、崖下には池がありかったことから心霊スポットになっていた場所です。
2016年に広くて明るい新観音坂トンネルが開通して利用されるようになると、旧観音坂トンネルは閉鎖されたそうです。
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観音坂の峠まではやや荒れた道でしたが、途中にある東屋から先は道がかなり整備されてきます。
綺麗なテーブルセットのある展望台を越え木段に導かれるように進んで行くと、平成26年に改修されたという鐘楼堂へ到着します。
鐘楼堂のある場所は横山城の南城跡とされ、山頂があるのは北城跡になります。
梵鐘を撞かせて頂きましたが、やや低い音で長く余韻の残る鐘の音で、注意書きにあった“平和への願いを込めて鳴らしましょう。”に気持ちを込める。
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横山には「西国三十三番観音巡拝コース」も設置されており、ここが満願となる谷汲山 華厳寺の石仏になるようです
この日、観音巡拝コースは一部分だけしか歩かず「龍の背コース」から「十三仏巡拝コース」を周回をしましたので、いきなり西国三十三所巡拝は満願寺だけの巡礼となりました。
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見晴らしの良い場所から琵琶湖を眺めてみます。
長浜市の建物の並ぶ街並みの向こうには、琵琶湖に浮かぶ竹生島。
山登りを始めてから、いろいろな場所から琵琶湖を見おろす機会が増えました。
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そして横山(観音寺山)北峰にある横山城跡(北城)へ到着します。
道中に曲輪(郭)や堅堀・虎口など城跡の遺構が残りますが、何度も城跡のある山に登りながら理解力不足のため、地を見てかつての城郭の想像が出来ない。
横山城は浅井長政が六角氏に対する防御拠点として築城したといい、姉川の戦いで浅井・朝倉軍を破った織田信長軍により攻略されたといいます。
その後、横山城は木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉)が城番を勤め、浅井氏が滅亡した後に秀吉は長浜城を築城して居城を移したことにより、横山城は廃城になったとされます。
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横山は標高が312mの低山ですが、後方数キロの場所に浅井氏の本拠である小谷城が控え、東に北国脇往還・西に北国街道を見下ろすことができる交通の要衝を押さえる山だったようです。
信長にとっては美濃からの道が続き、浅井氏と直面するこの横山城が戦略的に是非手中に納めたかった城だったと考えられます。
姉川の戦いでは大依山に陣を張る浅井・朝倉軍と、横山に布陣する織田・徳川軍が向かい合い、その間にある姉川で戦うことになります。
山頂には三角点があり、ちょうど伊吹山が美しい姿を現してくれました。
そのわずか数分後には伊吹山が雲を被ってしまいましたので、到着した時間が良かったですね。
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下山は「十三仏巡拝コース」で下りましたが、崖沿いの急で細い道でしたので陥落要注意の道でした。
十三仏は道の脇にお祀りされており、驚いたのは巨石の下に祀られる石仏が何ヶ所かで見られたことです。
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道の脇にお祀りされている十三石仏もありましたが、少なくとも4カ所では巨石の下に十三石仏が祀られている。
十三仏は初七日〜三十三回忌までの13回の法要を司る仏様とされていますので、暗く細い道を歩いていると死後の冥途への道を歩くような気持にもなる。
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岩が大きいのでフレームに入れようとすると崖に足を掛けないと写真が撮れない場所もあります。
急坂のきつい所には太いロープが張ってあったので心強かったが、観音寺の本堂が下に見えてきた時はホッとする瞬間でした。“後少しだ!気を付けて下りよう”といった感覚です。
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下山途中に見た花はコウヤボウキ・アキノキリンソウと柚香菊と思われる花。
晩秋の花が終わったら冬の季節になり、次はスプリング・エフェメラルの花が待ち遠しくなる季節を迎えます。
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大原観音寺には「石田三成水汲みの井戸」がありますので立ち寄ってみます。
有名な「三献の茶」が実話かどうかはともかくとして、逸話に連なる井戸は今も水をがたくわえられています。
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石田三成の生誕地は、横山の観音坂を越えた長浜市石田町とされており、「石田治部少三成屋敷跡」や石田家の墓地や氏神とされる八幡神社、三成の資料を保管する「石田三成資料室」があります。
地元の方の話だと、江戸時代に敵と位置付けられていた三成でしたから、町内には石田を名乗る家はなく、菩提を公に祀ることは出来なかったとか。
五輪塔や石仏、古墳の石棺の蓋と思われる「石棺蓋(唐戸ばし)」などがあったが、地元の方は詳しかった年寄りが皆亡くなってしまって分からなくなってしまったと言われていました。
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通りをウロウロとしていると地元のお爺さんに声を掛けられ、三成の旗印「大一大万大吉」のマンホールへ案内してもらいました。
この「三成マンホール」は石田三成のゆかりの地7カ所の設置されていますので、探してみるのも面白いかもしれませんね。
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