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田村山(一簣山)の国造り神話と民話「鯉が池」と「猫岩」~滋賀県長浜市の低山~

2022-09-12 06:13:15 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 長浜市の南端、琵琶湖からほど近い場所にある「田村山(一簣山)」は、標高138mの低山で、ものの数分で山頂に到着出来てしまうような山です。
しかし、こんな低山と言う勿れ、田村山(一簣山)には琵琶湖と富士山にまつわる神話や、雨乞いの民話が残る伝説の山でもあります。

田村山が(別名)一簣山と呼ばれる由来となっているのは、次の神話によるという。
神々の時代に、日本一高い山と日本一大きな湖をつくるために、近江の土を掘って富士山を造った時に、掘った跡が琵琶湖になり、運んだ土が富士山になったという神話がある。
月の神さまに照らされて神々はモッコ(簣)で土を運んだが、夜が明けてしまいモッコに残った土がこぼれて出来たのが田村山(一簣山)だという。(同じ話は三上山にも伝わる)



琵琶湖方面から田村山へ向かうと、「忍海神社」の一之鳥居へ到着し、長い参道を歩いて本殿へと進むことになる。
二之鳥居からは鬱蒼とした境内に入り、静寂に包まれた本殿は、田村山を背負ったような場所にある。



境内では地元の方が朝の参拝に来られており、挨拶を交わしたが、毎日の日課にされている方が複数おられるようです。
「忍海神社」は御祭神に素盞鳴尊を祀り、上古より鎮座していた「只越神社」と明治の時代に「一簀山神社」が合祀された後に付けられた社名とされている。



滋賀県では集落や地域でお祀りする神社が各村単位でありますが、どこの集落へ行っても立派な社殿の神社が多いことに驚く。
忍海神社も同様に、大きな鳥居と広い参道、立派な本殿と整備された境内から、集落で手厚くお祀りされていることが伺われます。



本殿の周辺にはかつては御神木であったと思われるスギの切り株が3本あり。
伐られた切り株からはシダのような植物が芽吹いていて、生命の循環や逞しさを感じることが出来ます。



神社の境内でお会いした方に“田村山はどこから登ればいいですかね?”と聞くと、“どこからでも登れますよ!”とのことでしたので、神社脇にあった登山口から登ってみる。
雨が続いていたので地面は濡れていて滑りやすいが、傾斜がそれほどでもないので歩みは早い。



すぐに分岐に到着して尾根道に出たので、まずは山頂方向へ向かってみます。
道は広いし、倒木や躓きそうな根もないが、カラスのネグラでもあるのかやたらとカラスの声がして飛び交う姿を見かける。



尾根道を直進していったら「鯉が池」という枯れ池が見えてきた。
今は窪みしか残ってはいないが、この池には民話「鯉が池」の話が伝わるという。

「鯉が池」には池の主という大きな鯉が住んでいて、村里に住む娘に恋をし稚児の姿に化して会いにきて、二人は恋に落ちる。
娘の母は、稚児の家を知りたくて、稚児の裾に釣り針を取り付けて糸でたどれるようにしたところ、山頂の池の中に釣り針を付けられて死んでいる鯉を見つける。

母親の夢枕に稚児が出てきて“この付近は水不足になるだろう”と語り、悔いた母親は池までお詫びに行く。
すると急に空が曇り、大雷雨となり、池の中から大きな鯉が現れ、龍と化して中天目指して昇って行ったという。
この民話には幾つかのバリエーションがあるようですが、この地における雨乞いに関する民話なのかと思います。



さて、少し道を戻って山頂を目指して登っていくと、すぐに山頂に到着します。
麓から数分で山頂に到着しましたから、里山散策といった処でしょうか。



山頂の広場には三角点があり、これは二等三角点で、点名は「加田村」というのだという。
こんな低山にも三角点があるのかとも思ったが、そもそも三角点は測量をするために4㌔おきに設置されているものなので、山の高低とは関係はないようですね。



山頂の近くにはベンチが置かれた展望所があり、そこからは伊吹山や霊仙山が見渡せるようですが、雲に阻まれて景色は見えない。
落葉して晴れた冬に訪れれば、冠雪した伊吹山や霊仙山が見渡せそうです。



田村山の山頂や「鯉が池」は山の東側にあり、分岐まで戻って尾根道を西に進むと、忠魂碑と琵琶湖の景色が望める場所があります。
この案内板は田村山では唯一の案内です。田村山には4カ所くらい登り口がありますが、尾根道に出たら東西に行ったり来たりすることになります。



忠魂碑の前からは琵琶湖や竹生島が望めます。
実はこの場所は、撮り鉄の方の撮影ポイントになっており、「SL北びわこ号」が運航していた頃は、撮影の方が車で駐車する場所を探すのも困難だったとか...。



ここで下山することにしましたが、帰りは別の道を選び、忠魂碑の横から下山して「多田幸寺」の横へ下りました。
「多田幸寺」は平安時代に天台宗寺院として開かれ、国の重要文化財の本尊・薬師如来坐像を祀られているという。
寺院は個人拝観されていないため、初薬師の日に参拝するか50年に一度の御開帳を待つしか拝観出来ない仏像だとされています。



ところで、田村山には「猫岩」という岩石群があるはずであったが、場所が分からず下山してしまったのが心残りでした。
どうしても見て見たかったので、地図で道を確認し直して、もう一度登り直して「猫岩」を探しに行きました。
「猫岩」への最短コースは猫石登山道から登ることですが、車を駐車する場所がなく、一旦山頂まで登り切って下山していくという遠まわりルートで行きました。



信仰があった気配は感じられませんが、山で出会う岩石群には心惹かれる思いがします。
圧倒されるような巨石ではないものの、周辺が綺麗に整備されていることを考えると、山の見所のひとつにと地元の方が尽力されているのかもしれません。
あるいは遠い昔には何らかの信仰の対象となっていたことも考えられますね。



田村山は標高も低く、単立で大きな山とは言えない山ですが、実際に登ってみると神話や民話が残り、岩石群もある山でした。
自分の足で歩いてみると、小さなことでもいろいろと発見があるものです。





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