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御朱印蒐集~京都北区 賀茂別雷神社(上賀茂神社)~

2017-08-06 17:33:33 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 御朱印巡りを趣味にしている人は意外と多く、当方の身の回りにも何人かそういう方がおられます。
もっとも御朱印についてはそれぞれこだわりがあるようで、例えば“寺院巡礼だけ”とか“神社巡礼だけ”などいろいろと趣向があるようです。
その中の一人は寺院からも一般の神社からも御朱印は頂かず、『一之宮』の神社の御朱印だけをもらっている方がおられます。

『一之宮』とはその地方の中で最も社格の高いとされる神社のことで、上賀茂神社は山城国(京都府の南半部)の一之宮となります。(山城国では下鴨神社も一之宮)
近江国(滋賀県)では一之宮が「建部大社」、二之宮が「日吉大社」、三之宮が「多賀大社」「御上大社」と社格が付けられてます。



「上賀茂神社」「下鴨神社」といえば、葵祭(賀茂祭)が有名で、TVでしか見たことはないのですが、王朝・貴族の祭りの伝統が守られた雅な祭りのようです。
祭りの主役となるのは毎年選ばれる「斎王代」ですが、その艶やかな姿を見ていると往時の京都貴族の姿が想像されますね。



上賀茂神社の御祭神は「賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)」で“雷(神鳴り)”の神として「厄除・方除・八方除・災難除などの御神徳があるとされます。
「賀茂別雷命」は神代の昔、本殿の背後にある神山(こうやま)にご降臨され、奈良時代の天武天皇の時代(678年)には賀茂神社として造営されたと由緒書きにあります。



一之鳥居から二之鳥居の間は広い参道となっていて、5月の初旬には「足汰(あしぞろえ)式」(5月1日)や「賀茂競馬(かもくらべうま)」(5月5日)が行われる神事の馬場となるそうです。
この上賀茂神社の「賀茂競馬」と下鴨神社の「流鏑馬神事(やぶさめしんじ)」は2社とも馬の神事を執り行った後に「埒(らち)があいて」葵祭が始まるということのようです。
(*「埒があく」:上賀茂神社発祥の言葉とされ、競馬が終わると埒があけられて、賀茂祭(葵祭)の神事が始まることを語源としているそうです)。



現在、上賀茂神社は「式年遷宮」(社殿の修理・修復)をされている最中でしたので、あの有名な楼門はなんとホロの中。
境内の配置が分からなかったため、楼門が見つからず“楼門はどこやろ?”と探してしまいましたが、ホロに包まれていては見つからないわけです。



上賀茂神社といえばシンボルマークになっているのは細殿の前に盛られた円錐形の「立砂(たてずな)」でしょうか。
この立砂は、上賀茂神社の神体である神山(こうやま)を模して作られ、鬼門にまく清めの砂の起源とされるそうです。立砂の頂上には松の葉が差されていて、右の立砂の松の葉は二葉・左の立砂の松の葉は三葉。これは陰陽道では神の出現を願うという意味があるといわれています。



上賀茂神社の社殿は“国宝が2棟”と“重要文化財が41棟”とあるとされている文化財建築の宝庫でもあるのですが、この細殿も1628年に造り替えられた重要文化財の建築物の一つになります。
それにしても国宝・重要文化財合わせて43棟の建物があるとは、凄い話ですよ。



上賀茂神社の境内には「明神川」・「御手洗川」・「御物忌川」・「ならの小川」と複数の名前のついた水量豊富な川が流れていますが、手水舎の水も吐出量が多く冷たい水が出ていました。
この水は「神山湧水」という名水で神山のくぐり水を汲み上げているそうで手を浸すととても冷たい。尚、この水は飲料水としても基準を満たしている名水とされています。



境内の細殿の横には「舞殿(橋殿)」と「土屋」が建てられており、土屋の方は「著到殿」ともいい、かつては神社関係者の著到殿(装束の着替えを行うところ)として用いられていたとされます。
しかし、現在は祓所として使用されているそうです。(1628年造替:重要文化財)



「舞殿(橋殿)」は夏越大祓(なごしのおおはらえ)のお祭りでは橋殿から御手洗川に人形が流される神事が行われる建物とされています。(1863年造替:重要文化財)
かつては勅使御拝の殿舎として使われていたとされるこの建物は橋殿の名のように御手洗川をまたぐように建てられていました。



舞殿越しに「御手洗川」を眺めると、舞殿がフレームのようになります。
ここでは「御手洗川」となっていましたが、上賀茂神社の境内を流れる川は“御物忌川と御手洗川が合流して「ならの小川」となり、境内を出ると明神川となる”とされています。配置を頭に入れないと少しややこしいですね。



さていよいよ参拝ということになり、中門へ向かうことになります。
中門は1928年に造替された重要文化財の建築物で通常はここから参拝することになります。



しかし、ここで目に入ったのは『国宝・本殿特別参拝』の赤い看板でした。
看板には「神職による案内」「国宝・本殿前にて参拝」「ご神宝類の拝観」とまで書かれていましたので、さっそく特別拝観を申し込みます。



受付を済ませると『浄掛(きよかけ』を首に掛け身を清めてから、直会殿(なおらい)でお祓いを受けます。
この浄掛をしないと本殿のある神域には入れないとされており、この姿でお祓いを受け神職からの説明を受けていると大変厳粛な想いがしてきます。



またこの浄掛には桧皮が抄き込まれていて、よく見ると二葉葵の絵の下地に檜皮がすいてあるのが見えます。
説明を聞いた後に「本殿」「権殿」のある内詣へ入り、再び説明を受けます。

本殿と権殿は全く同じ造りの建物で、共に国宝に指定された桧皮葺・流造の社です。
権殿は遷宮の時などに一時的に神様に仮住まいしていただくための社といわれます。
上賀茂神社は国宝指定のため伊勢神宮のように建て替えによる遷宮は出来ないということですので、上賀茂神社では大改修による遷宮をされているそうです。



式年遷宮は平成20年から始り、平成31年までの約14年間の工期とされ、工事あと3年ほど続くそうです。
遷宮にかかる総工費は23億円と見積もられているようですが、最終的には30億円くらいになりそうとのことですから、一大事業となりますね。



上賀茂神社には20社以上の摂社・末社があって全てを把握は出来ませんが、「賀茂山口神社」に関係した奇妙な石が祀られていました。
「陰陽石」という願い岩で、境内の渉渓園に龍の住む池があり、その池のそこから出土した岩とされます。
岩の横には“両手で同時に手を触れてから賀茂山口神社へお参り下さい。”と書かれた看板がありました。

陰陽石は陰と陽が融合した姿を表すとされていますので、まず陰陽道との関係が思い起こされます。
「賀茂(氏)」の名が付き、八咫烏のおみくじがあったりしますから、上賀茂神社は陰陽道との関係がありそうですが、これについての明確な話はなさそうですね。



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