京都市下京区に建つ「下鴨神社」は京都市北区に建つ「上賀茂神社」と共に山城国の一之宮とされています。
2つの神社は葵祭の祭儀が行われる神社として有名で、儀式としては平安時代の貴族由来の伝統行事ということになるようです。
下鴨神社の御祭神は「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」と「玉依媛命(たまよりひめのみこと)」で、賀茂建角身命は古代の京都(山城国)を開かれた神として祀られ、玉依媛命はその子供として祀られています。
紀元前90年頃には神社の瑞垣の修造がおこなわれたという記録も残っているそうですから、平安京の遥か以前から信仰されていた神社とされます。
神社の案内によると、奈良時代の544年から葵祭が行われているとされており、都が平安京へ遷都されてからは国と首都京都の守り神として、皇室の氏神さまとして特別な信仰をされてきたとあります。
この下鴨神社は当方が京都をドライブする時のルート上にあって、今まで何度も神社の森を横目に見ながら参拝しようと思いつつこれまで参拝が叶わなかった神社でしたが、やっと訪れることができました。
車で行くと楼門のすぐ前にある南口鳥居に着いてしまいますので、このまま参拝するか、一之鳥居まで行ってから参拝するか悩みます。
南口鳥居は神社の正面になってしまいますので、やはり“広大な「糺すの森(ただすのもり)」を一之鳥居まで行って正式な順番で入ろう!”と思い神社の反対方向へ参道の往復をしました。
しかし、歩いてみるとこれがなかなか距離があります。表参道の両端を流れる小川を眺めながら森の間の道を二之鳥居まで延々と歩くことになりました。
糺すの森を出た先にある住宅地の方に鳥居(一の鳥居)が見えてきましたので、さらに住宅地にある一之鳥居まで歩いて行き、そこから改めて参拝のスタートとしました。
“糺すの森”は京都の市街地にあるとは思えないような鬱蒼とした森で参道脇には神木と思われる巨大な樹もあります。
この“糺すの森”からは縄文時代の遺跡や遺物が発見されているらしく、この地に石器時代からの歴史があった場所ともいわれています。
鳥居の横には“世界文化遺産”と掘られた石碑が建てられていて、『古都京都の文化財』の世界文化遺産は1994年に登録され、京都(比叡山延暦寺は滋賀県)の下鴨神社・上賀茂神社を含む17の神社・仏閣が登録されています。
ここ数年、日本の遺産が世界遺産の登録されたというニュースを毎年聞きますが、登録されることによって遺産が保護されていくのは残していくという意味でいいことだと思います。
参道の一角には「さざれ石」も祀られていました。
さざれ石は、大きな神社で希に見ることがありますが、“ちいさな石(さざれ石)が巌(いわを・岩石)となって、苔むすまで”と長い年月をかけて栄えるようにという意味があるそうです。
さて、“糺すの森”の参道を折り返してスタート地点まで戻ってきて、南口鳥居をくぐるといよいよ楼門が見えてきます。
楼門は高さが13mあるとされ、左右に廻廊がつながっている重要文化財の建築物です。
この日はお日柄が良かったのか結婚式があったようで、文金高島田の新婦さんの初々しい姿がありましたよ。
下鴨神社の社殿には2棟の国宝と31棟の重要文化財があるといいます。
「舞殿」は、葵祭の時に天皇の勅使が御祭文を奏上される場所とされ、東遊(雅楽の演奏)の舞が奉納されています。
1628年の式年遷宮での造変後は21年ごとに解体修理されていて、重要文化財の指定を受けています。
「橋殿」は御蔭祭のとき、御神宝を奉安する御殿とされており、御手洗川をまたぐように建てられています。
この橋殿も舞殿と同様に重要文化財指定を受けていて、21年ごとの解体修理をされているそうです。
御本殿の前には「言社」という七つの社があり、干支の12支を七つの社に分けてお祀りしています。
ここでは参拝者の皆さんもそれぞれの干支の社に分かれて参拝することになります。
参拝は「中門」で行うことになるのですが、参拝はここまで。
中には加茂建角身命を祀った「西本殿」と玉依媛命を祀った「東本殿」があり、共に国宝に指定されていますが、わずかに垣間見える本殿に向かっての参拝となります。
境内には「御手洗社(井上社)」と呼ばれる社が御手洗川につながる井戸の上に祀られています。
この御手洗川では「水占い」という水につけると字が浮き出てくるおみくじがあって、おみくじを引かれている女性が多かったですよ。
“葵祭”では斎王代の禊が行われる場所だそうですから今日は斎王代の気分で!といった感じですね。
斎王代が乗ると思われる牛車も境内の御車舎に保管されておりました。
御手洗(みたらし)川は“みたらし団子”発祥の地とされていて、これはみたらしの池に湧く水の泡を人の形にかたどったのが由来とされています。
滋賀県大津市の唐崎神社もみたらし団子発祥の地といわれていますが、はてさてどちらが本家なのでしょうね。
ただ下鴨神社のみたらし団子は少し変わっていて、一番上の団子がしたの4つと少し離れていて人形に見立てた形になっています。
下鴨神社の西参道を出て北大路通にお店はありましたが、さすが大繁盛しているようでしたよ。
下鴨神社のみたらし祭りは、毎年7月の土用丑の日の頃に御手洗社の湧水に足を浸して歩いていき、蝋燭を献灯するお祀りだそうです。
無病息災を祈って誰でも参加出来るお祭りだそうですので、下鴨神社は葵祭の斎王代の清めの貴族行事と庶民の祈りの行事が同居してきた神社といえるのかもしれません。
2つの神社は葵祭の祭儀が行われる神社として有名で、儀式としては平安時代の貴族由来の伝統行事ということになるようです。
下鴨神社の御祭神は「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」と「玉依媛命(たまよりひめのみこと)」で、賀茂建角身命は古代の京都(山城国)を開かれた神として祀られ、玉依媛命はその子供として祀られています。
紀元前90年頃には神社の瑞垣の修造がおこなわれたという記録も残っているそうですから、平安京の遥か以前から信仰されていた神社とされます。
神社の案内によると、奈良時代の544年から葵祭が行われているとされており、都が平安京へ遷都されてからは国と首都京都の守り神として、皇室の氏神さまとして特別な信仰をされてきたとあります。
この下鴨神社は当方が京都をドライブする時のルート上にあって、今まで何度も神社の森を横目に見ながら参拝しようと思いつつこれまで参拝が叶わなかった神社でしたが、やっと訪れることができました。
車で行くと楼門のすぐ前にある南口鳥居に着いてしまいますので、このまま参拝するか、一之鳥居まで行ってから参拝するか悩みます。
南口鳥居は神社の正面になってしまいますので、やはり“広大な「糺すの森(ただすのもり)」を一之鳥居まで行って正式な順番で入ろう!”と思い神社の反対方向へ参道の往復をしました。
しかし、歩いてみるとこれがなかなか距離があります。表参道の両端を流れる小川を眺めながら森の間の道を二之鳥居まで延々と歩くことになりました。
糺すの森を出た先にある住宅地の方に鳥居(一の鳥居)が見えてきましたので、さらに住宅地にある一之鳥居まで歩いて行き、そこから改めて参拝のスタートとしました。
“糺すの森”は京都の市街地にあるとは思えないような鬱蒼とした森で参道脇には神木と思われる巨大な樹もあります。
この“糺すの森”からは縄文時代の遺跡や遺物が発見されているらしく、この地に石器時代からの歴史があった場所ともいわれています。
鳥居の横には“世界文化遺産”と掘られた石碑が建てられていて、『古都京都の文化財』の世界文化遺産は1994年に登録され、京都(比叡山延暦寺は滋賀県)の下鴨神社・上賀茂神社を含む17の神社・仏閣が登録されています。
ここ数年、日本の遺産が世界遺産の登録されたというニュースを毎年聞きますが、登録されることによって遺産が保護されていくのは残していくという意味でいいことだと思います。
参道の一角には「さざれ石」も祀られていました。
さざれ石は、大きな神社で希に見ることがありますが、“ちいさな石(さざれ石)が巌(いわを・岩石)となって、苔むすまで”と長い年月をかけて栄えるようにという意味があるそうです。
さて、“糺すの森”の参道を折り返してスタート地点まで戻ってきて、南口鳥居をくぐるといよいよ楼門が見えてきます。
楼門は高さが13mあるとされ、左右に廻廊がつながっている重要文化財の建築物です。
この日はお日柄が良かったのか結婚式があったようで、文金高島田の新婦さんの初々しい姿がありましたよ。
下鴨神社の社殿には2棟の国宝と31棟の重要文化財があるといいます。
「舞殿」は、葵祭の時に天皇の勅使が御祭文を奏上される場所とされ、東遊(雅楽の演奏)の舞が奉納されています。
1628年の式年遷宮での造変後は21年ごとに解体修理されていて、重要文化財の指定を受けています。
「橋殿」は御蔭祭のとき、御神宝を奉安する御殿とされており、御手洗川をまたぐように建てられています。
この橋殿も舞殿と同様に重要文化財指定を受けていて、21年ごとの解体修理をされているそうです。
御本殿の前には「言社」という七つの社があり、干支の12支を七つの社に分けてお祀りしています。
ここでは参拝者の皆さんもそれぞれの干支の社に分かれて参拝することになります。
参拝は「中門」で行うことになるのですが、参拝はここまで。
中には加茂建角身命を祀った「西本殿」と玉依媛命を祀った「東本殿」があり、共に国宝に指定されていますが、わずかに垣間見える本殿に向かっての参拝となります。
境内には「御手洗社(井上社)」と呼ばれる社が御手洗川につながる井戸の上に祀られています。
この御手洗川では「水占い」という水につけると字が浮き出てくるおみくじがあって、おみくじを引かれている女性が多かったですよ。
“葵祭”では斎王代の禊が行われる場所だそうですから今日は斎王代の気分で!といった感じですね。
斎王代が乗ると思われる牛車も境内の御車舎に保管されておりました。
御手洗(みたらし)川は“みたらし団子”発祥の地とされていて、これはみたらしの池に湧く水の泡を人の形にかたどったのが由来とされています。
滋賀県大津市の唐崎神社もみたらし団子発祥の地といわれていますが、はてさてどちらが本家なのでしょうね。
ただ下鴨神社のみたらし団子は少し変わっていて、一番上の団子がしたの4つと少し離れていて人形に見立てた形になっています。
下鴨神社の西参道を出て北大路通にお店はありましたが、さすが大繁盛しているようでしたよ。
下鴨神社のみたらし祭りは、毎年7月の土用丑の日の頃に御手洗社の湧水に足を浸して歩いていき、蝋燭を献灯するお祀りだそうです。
無病息災を祈って誰でも参加出来るお祭りだそうですので、下鴨神社は葵祭の斎王代の清めの貴族行事と庶民の祈りの行事が同居してきた神社といえるのかもしれません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます