塔本シスコさんの回顧展「シスコ・パラダイス-かかずにはいられない!」は、2021年9月に「世田谷美術館」に始まり「熊本市現代美術館」「岐阜県美術館」「滋賀県立美術館」と巡回しています。
展示作品200点以上という大規模な回顧展は、過去最大規模だといい最初で最後かもしれない大規模美術展といえます。
この美術展は6月に「岐阜県美術館」で観覧し、次の巡回先である「滋賀県立美術館」での開催にも再度来館しましたのでこれが2度目になります。
同じ美術展を同じ美術館で2度見たことはあったものの、同じ美術展を別の美術館へ観覧しに行ったのは初めてのこと。
「滋賀県立美術館」での美術展を見たかったのは、滋賀会場でのみ公開される5点の作品が気になったからです。
シスコさんは53歳の時に突然絵を描き始め、身近な風景や日々の暮らし、子供の頃の思い出や家族と過ごした時間などを91歳まで描き続けた方。
その絵は時に時間軸を超えたり、記憶に残る想いでを描かれたり、身近な出来事や風景を絵日記のように描かれます、
色とりどりの鮮やかな色彩に彩られた作品はまさにシスコさん独自の「パラダイス」の世界が広がります。
「ヒマワリとアマガエル」は1971年シスコさん58歳の作品ですので初期の作品になります。
3本のヒマワリの葉の上にはアマガエルが体を休め、アゲハチョウやキチョウ・シロチョウが舞っています。
アマガエルを狙っているヘビが鎌首をもたげている姿が中央に描かれ、ヒマワリの茎と平行になっているのが印象的です。
「ヒマワリとアマガエル」 1971年 キャンパス 油彩
シスコさんは熊本県八代市で生まれ、結婚して1男1女に恵まれますが、46歳の時に夫が急逝。
1970年に長男の賢一さんと同居のため、大阪の枚方市に転居されたという。
「クジャクサボテン」は枚方市へ転居後の65歳の時の作品で、茎節の力強さや咲き誇る花と舞う蝶が奔放に描かれています。
「クジャクサボテン」 1978年 キャンパス 油彩
シスコさんが住んでいた枚方市には淀川が流れており、隣接する京都府側には宇治川と木津川と桂川の合流地点がある。
そこには背割堤防という提が造られているといい、その背割堤防をお孫さんの研作さんと散歩した時の姿を描いたのが「背割堤防 研作とシスコ散歩する1」です。
2000年シスコさん87歳の時の作品ですが、二人とも姿が若く描かれており、若かった頃のある日の思い出を蘇らせるように描かれた作品なのでしょう。
「背割堤防 研作とシスコ散歩する1」 2000年 パネル 油彩
塔本シスコ展「シスコパラダイス」が日曜美術館で特集された時に、シスコさんの故郷である熊本県宇城市の「ソコイビ祭り」の絵が紹介されていました。
宇城市は干潟干拓の町であったが、海を干拓した農地だったため、農作に必要な水を引っ張ってきて池を造ったという。
しかし、川は満潮になると海水が流入して農作には使えない。そのため江戸末期に川底をくぐる水路が造られる。
その難工事の完成を祝う祭りが「ソコイビ(底井桶)祭り」で戦前まで続いたが、途絶えてしまって写真なども残されておらず、祭りの詳細は分からなくなってしまったという。
忘れられてしまった祭りの様子を描き残していたのがシスコさんの「ソコイビ祭り」で、この絵を参考にして半世紀以上の時を経て「ソコイビ(底井桶)祭り」が復活。
大きな太鼓を叩いているのはシスコさんのお父さんで背負われている子供はシスコさんを描いたもの。思い出がいっぱい詰まっている絵ですね。
「ソコイビ祭り」 1996年 キャンパス 油彩
滋賀県立美術館のみで公開された5作品の最後は「5歳のシスコを抱いている86歳のシスコ」 。
時間軸を超えて描かれた作品をどう受け止めたらいいのでしょう。老人になって5歳の自分と会った時、どんな感情を憶えるのでしょうか。不思議な感覚の世界です。
「5歳のシスコを抱いている86歳のシスコ」 1999年 パネル 油彩
シスコさんは、キャンパスなどに描いた作品の他にいろいろな素材にも絵を描かれています。
「シスコの晴着」では自分で仕立てた着物に絵を描いて、盆踊りに行かれたりされていたそうです。
また、人形とその衣装を作って江戸時代の庶民のような作品も作られています。
「シスコの日本人形」は1994年頃の作品とされており、80歳を過ぎても旺盛な創作意欲で作品を作り続けられていた姿が思い浮かぶような作品です。
シスコさんの描きたいという衝動は、ごく身近な箱や瓶やしゃもじにまで及び、素材がシスコ・パラダイスに彩られていきます。
造形を始められたのは48歳の時に軽い脳溢血で倒れた時に石を彫り始めたのが最初といい、年齢を重ねていくと三面仏など仏教的な印象を受ける作品も造られています。
塔本家では飼い猫の名前に「ミー」と付けていたといたそうで、後期にはネコをモチーフにした絵が増えてくるように見えます。
「ミーチャン トウガンヲ ミテ ビックリよ」は2002年、89歳の時に段ボールに油彩とフェルトペンで描いた作品で、ネコだけどネコでないような愛嬌のある姿で冬瓜の周りで遊んでいます。
「ミーチャン トウガンヲ ミテ ビックリよ」 2002年 段ボール 油彩、フェルトペン
会場の出口近くでは、シスコさんの末期に近い頃の作品が壁一面に展示されています。
近くの公園や観光地、思い出に残る記憶を描いていた頃と比べると、静物画が多くなってきていたように見えます。
最後の何年かは足腰が衰えていたそうですが、絵を描く意欲は全く衰えていなかったようです。
短い期間に「岐阜県美術館」と「滋賀県立美術館」の2カ所で塔本シスコ展を見ましたが、同じ作品が並んでいるにも関わらず、美術展としての意趣がかなり違うように感じました。
キャパシティや展示室の構成が違うとはいえ、展示構成によって大きく印象が異なる美術展になります。
塔本シスコ展「シスコパラダイス-かかずにはいられない!人生絵日記」~「岐阜県美術館」~
展示作品200点以上という大規模な回顧展は、過去最大規模だといい最初で最後かもしれない大規模美術展といえます。
この美術展は6月に「岐阜県美術館」で観覧し、次の巡回先である「滋賀県立美術館」での開催にも再度来館しましたのでこれが2度目になります。
同じ美術展を同じ美術館で2度見たことはあったものの、同じ美術展を別の美術館へ観覧しに行ったのは初めてのこと。
「滋賀県立美術館」での美術展を見たかったのは、滋賀会場でのみ公開される5点の作品が気になったからです。
シスコさんは53歳の時に突然絵を描き始め、身近な風景や日々の暮らし、子供の頃の思い出や家族と過ごした時間などを91歳まで描き続けた方。
その絵は時に時間軸を超えたり、記憶に残る想いでを描かれたり、身近な出来事や風景を絵日記のように描かれます、
色とりどりの鮮やかな色彩に彩られた作品はまさにシスコさん独自の「パラダイス」の世界が広がります。
「ヒマワリとアマガエル」は1971年シスコさん58歳の作品ですので初期の作品になります。
3本のヒマワリの葉の上にはアマガエルが体を休め、アゲハチョウやキチョウ・シロチョウが舞っています。
アマガエルを狙っているヘビが鎌首をもたげている姿が中央に描かれ、ヒマワリの茎と平行になっているのが印象的です。
「ヒマワリとアマガエル」 1971年 キャンパス 油彩
シスコさんは熊本県八代市で生まれ、結婚して1男1女に恵まれますが、46歳の時に夫が急逝。
1970年に長男の賢一さんと同居のため、大阪の枚方市に転居されたという。
「クジャクサボテン」は枚方市へ転居後の65歳の時の作品で、茎節の力強さや咲き誇る花と舞う蝶が奔放に描かれています。
「クジャクサボテン」 1978年 キャンパス 油彩
シスコさんが住んでいた枚方市には淀川が流れており、隣接する京都府側には宇治川と木津川と桂川の合流地点がある。
そこには背割堤防という提が造られているといい、その背割堤防をお孫さんの研作さんと散歩した時の姿を描いたのが「背割堤防 研作とシスコ散歩する1」です。
2000年シスコさん87歳の時の作品ですが、二人とも姿が若く描かれており、若かった頃のある日の思い出を蘇らせるように描かれた作品なのでしょう。
「背割堤防 研作とシスコ散歩する1」 2000年 パネル 油彩
塔本シスコ展「シスコパラダイス」が日曜美術館で特集された時に、シスコさんの故郷である熊本県宇城市の「ソコイビ祭り」の絵が紹介されていました。
宇城市は干潟干拓の町であったが、海を干拓した農地だったため、農作に必要な水を引っ張ってきて池を造ったという。
しかし、川は満潮になると海水が流入して農作には使えない。そのため江戸末期に川底をくぐる水路が造られる。
その難工事の完成を祝う祭りが「ソコイビ(底井桶)祭り」で戦前まで続いたが、途絶えてしまって写真なども残されておらず、祭りの詳細は分からなくなってしまったという。
忘れられてしまった祭りの様子を描き残していたのがシスコさんの「ソコイビ祭り」で、この絵を参考にして半世紀以上の時を経て「ソコイビ(底井桶)祭り」が復活。
大きな太鼓を叩いているのはシスコさんのお父さんで背負われている子供はシスコさんを描いたもの。思い出がいっぱい詰まっている絵ですね。
「ソコイビ祭り」 1996年 キャンパス 油彩
滋賀県立美術館のみで公開された5作品の最後は「5歳のシスコを抱いている86歳のシスコ」 。
時間軸を超えて描かれた作品をどう受け止めたらいいのでしょう。老人になって5歳の自分と会った時、どんな感情を憶えるのでしょうか。不思議な感覚の世界です。
「5歳のシスコを抱いている86歳のシスコ」 1999年 パネル 油彩
シスコさんは、キャンパスなどに描いた作品の他にいろいろな素材にも絵を描かれています。
「シスコの晴着」では自分で仕立てた着物に絵を描いて、盆踊りに行かれたりされていたそうです。
また、人形とその衣装を作って江戸時代の庶民のような作品も作られています。
「シスコの日本人形」は1994年頃の作品とされており、80歳を過ぎても旺盛な創作意欲で作品を作り続けられていた姿が思い浮かぶような作品です。
シスコさんの描きたいという衝動は、ごく身近な箱や瓶やしゃもじにまで及び、素材がシスコ・パラダイスに彩られていきます。
造形を始められたのは48歳の時に軽い脳溢血で倒れた時に石を彫り始めたのが最初といい、年齢を重ねていくと三面仏など仏教的な印象を受ける作品も造られています。
塔本家では飼い猫の名前に「ミー」と付けていたといたそうで、後期にはネコをモチーフにした絵が増えてくるように見えます。
「ミーチャン トウガンヲ ミテ ビックリよ」は2002年、89歳の時に段ボールに油彩とフェルトペンで描いた作品で、ネコだけどネコでないような愛嬌のある姿で冬瓜の周りで遊んでいます。
「ミーチャン トウガンヲ ミテ ビックリよ」 2002年 段ボール 油彩、フェルトペン
会場の出口近くでは、シスコさんの末期に近い頃の作品が壁一面に展示されています。
近くの公園や観光地、思い出に残る記憶を描いていた頃と比べると、静物画が多くなってきていたように見えます。
最後の何年かは足腰が衰えていたそうですが、絵を描く意欲は全く衰えていなかったようです。
短い期間に「岐阜県美術館」と「滋賀県立美術館」の2カ所で塔本シスコ展を見ましたが、同じ作品が並んでいるにも関わらず、美術展としての意趣がかなり違うように感じました。
キャパシティや展示室の構成が違うとはいえ、展示構成によって大きく印象が異なる美術展になります。
塔本シスコ展「シスコパラダイス-かかずにはいられない!人生絵日記」~「岐阜県美術館」~
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