日本海側と太平洋側を区切る山岳を中央分水嶺といい、高島市のマキノ町から朽木までの約80Kmに及ぶ登山道のことを高島トレイルと呼ぶそうです。
「赤坂山」は関西百名山に選ばれており、花の山として「花の百名山(山と渓谷社)」にも選ばれている花の山として知られているという。
「赤坂山」はマキノ高原スキー場を通り抜けた所に登山口があるので、キャンプ場となっているゲレンデを登っていくことになる。
マキノ高原へは森林セラピーロードの先にある「調子ヶ滝」へ訪れたことがありましたが、あれから1年も経たない間に、まさか自分が山登りをするようになるとは思いもよらず。
人って変わるもんだなぁと、半ば自分に呆れながら登山口へと向かいます。
赤坂山は標高842mの山で、昨年夏頃から始めた山登りでは最も標高の高い山になります。
山登りの素人ですので“初心者でも登れる”の謳い文句を信じて、またわずかな経験値を信じての登山となりました
コースタイムは小休憩を含めて4時間半くらいに設定して登り始め、朝は気温は低かったものの、前日の深夜の雨がたたって湿度が高く、汗が噴き出してきます。
先週登った山では500ccの水しか持って行かなかったために、あわや水不足になりそうでしたので、反省を活かして今回はペットボトル3本を持参。
登山道の最初は木段が続き、単調さも相まってここは我慢のしどころです。
ちょっと木段の崩れた場所は足への負担の少ない坂道を選びながら登ります。
木段が終わると、平坦な道もありましたが、岩ゴロゴロの歩きにくい道が続いたりもします。
登りしかない道ですので、帰りは下りのみと考えて辛抱・我慢で登ります。
1時間ほど登ったところに「ブナの小平」という山頂に着いたかと錯覚しそうな場所に東屋があり、ここで小休憩。
後で知ったのですが、「ブナの小平」の辺りでは過去にクマが発見されたことがあったとか...。
熊鈴は付けていましたが、知らなかって幸い。知ってたら怖くなって萎縮してしまったことでしょう。
山頂までの残り約半分の道を登っていくと、水音が聞こえ始めヒンヤリと涼しくなってくる。渓流沿いの道に入ったようだ。
この水の流れが下にある「調子ヶ滝」の源流のひとつになるのかなと思いながら、渓流を時折眺めて歩を進める。
途中でロープを掴んで登らないといけない場所があったが、透明感の高い清水と山中に響き渡る水音の何とも心地よい事。
山の面白さは、ただピークを目指して登っていくというのも一つありですが、想像もしていなかった景色に出会いながらピークへ行けるのが楽しい。
渓流沿いの最終部辺りの登山道は、岩だらけの登り道になってきました。
前夜の雨の影響でしょうか、岩のあちこちに水が流れていて、足の置き場を選びながらでないと危なかしっくて登れない。
樹林帯がブナに変わり、白いブナ林を抜けると、石組みで造られた祠に祀られる石仏に出会います。
右の石仏は首から上が取れてしまっており、左のお地蔵さんは比較的新しい石仏に見える。
お地蔵さんから少し登ると「栗柄峠」の看板があり、栗柄峠はかつては山越えの物資搬送路だったといいます。
粟柄越えは、琵琶湖の湖上交通によって滋賀県の海津に集められた物資を若狭・越前へ運び、またその逆もある物資の搬送路だったといいます。
山越えの運搬ルートのことは訪れた先で時々聞くことがありますが、歩くだけでも大変なルートで物資を運んでいたとは、その健脚に驚くばかり。
当時の名残りとして一部石畳の道が残っており、道中を行き来する人が手を合わせたのが先ほどのお地蔵さんであり、さらに登ったところにあった“大岩に祀られた石仏(後述)”なのでしょう。
粟柄峠を少し登ったところには大岩をくり抜いた窟に祀られている石仏があります。
この辺りは福井県と滋賀県の県境になり、風に吹きさらされて風化しながらも峠を守る象徴となってきたのだろうと思います。
くり抜かれた窟の中に祀られる石仏は「馬頭観音」といわれており、人馬一体となって物資を運んだであろう峠を考えた場合、馬を仏として崇め祀るに至ったのでしょう。
石仏という形はとっていますが、仏教的信仰というよりも生きていくための共同体である馬を神として、あるいは家族として祀る原初的な信仰を石仏という形としたようにも思えます。
さぁいよいよ山頂への道が見えてきた。
頂上付近は雲がかかって霞みの中です。登っているうちに雲が流れてくれないかなという希望はあえなく消えました。
最後の坂を登り切ればおそらく山頂に到着できそうですが、雲がゴロゴロ鳴る音が聞こえるのが気持ち悪い。
ドーンと落雷がきたら逃げ場はないが、鉄塔が幾つかあるのでもしもの場合は鉄塔に落ちるだろうと楽観的に考えるしかない。
そして、山頂へ到着。
360度見渡せる絶景の場所のはずだが、どの方向も雲しか見えない。
しかも強風が吹いていて、帽子を飛ばされそうになったり、汗で濡れたシャツが風にさらされて体が冷えてくる。
山登りには着替えのシャツとウインドブレーカーを持って登らないと駄目ですね。ひとつ勉強になりました。
赤坂山の三角点は土や砂に埋まらず、分かりやすい感じで立っています。
しばらくすると一人登山者が到着され、続いてまた一人到着。
ここから「明王の禿」~「三国山」とか、「大谷山」へ縦走されるのかもしれませんが、当方はここをゴールとしてピストンで下山です。
山頂から対面に見えるのは剥き出しの花崗岩が風化した「明王の禿」。
赤坂山山頂からだとかなり下って、登り返さないとたどり着けないような道が見える。
しかもピストンなので往復1時間のプラスは、ちょっとキツイかなと思いマキノ高原への下山道へ入ります。
赤坂山では標高のやや低いところではツツドリがよく囀っており、アカショウビンの囀りも谷筋から聞こえていました。
山頂近くからはホトトギスとウグイスが囀り、聞き分けの出来なかった野鳥の囀りが数種聞こえていて、花だけではなく野鳥も多い山なんだと実感。
山頂では雲に覆われて景色が見えませんでしたが、下山途中にメタセコイア並木が見えるポイントがありました。
この辺りでは田植えの時期が遅かったのでしょうか、まだ稲に覆われておらず、水鏡の田圃になっています。
赤坂山は「花の百名山」ということもあってか女性の2人組や単独登山の女性が多かったように思います。
登山道では何種類かの花を見かけましたので、識別しながら下山することになりました。...続く。
「赤坂山」は関西百名山に選ばれており、花の山として「花の百名山(山と渓谷社)」にも選ばれている花の山として知られているという。
「赤坂山」はマキノ高原スキー場を通り抜けた所に登山口があるので、キャンプ場となっているゲレンデを登っていくことになる。
マキノ高原へは森林セラピーロードの先にある「調子ヶ滝」へ訪れたことがありましたが、あれから1年も経たない間に、まさか自分が山登りをするようになるとは思いもよらず。
人って変わるもんだなぁと、半ば自分に呆れながら登山口へと向かいます。
赤坂山は標高842mの山で、昨年夏頃から始めた山登りでは最も標高の高い山になります。
山登りの素人ですので“初心者でも登れる”の謳い文句を信じて、またわずかな経験値を信じての登山となりました
コースタイムは小休憩を含めて4時間半くらいに設定して登り始め、朝は気温は低かったものの、前日の深夜の雨がたたって湿度が高く、汗が噴き出してきます。
先週登った山では500ccの水しか持って行かなかったために、あわや水不足になりそうでしたので、反省を活かして今回はペットボトル3本を持参。
登山道の最初は木段が続き、単調さも相まってここは我慢のしどころです。
ちょっと木段の崩れた場所は足への負担の少ない坂道を選びながら登ります。
木段が終わると、平坦な道もありましたが、岩ゴロゴロの歩きにくい道が続いたりもします。
登りしかない道ですので、帰りは下りのみと考えて辛抱・我慢で登ります。
1時間ほど登ったところに「ブナの小平」という山頂に着いたかと錯覚しそうな場所に東屋があり、ここで小休憩。
後で知ったのですが、「ブナの小平」の辺りでは過去にクマが発見されたことがあったとか...。
熊鈴は付けていましたが、知らなかって幸い。知ってたら怖くなって萎縮してしまったことでしょう。
山頂までの残り約半分の道を登っていくと、水音が聞こえ始めヒンヤリと涼しくなってくる。渓流沿いの道に入ったようだ。
この水の流れが下にある「調子ヶ滝」の源流のひとつになるのかなと思いながら、渓流を時折眺めて歩を進める。
途中でロープを掴んで登らないといけない場所があったが、透明感の高い清水と山中に響き渡る水音の何とも心地よい事。
山の面白さは、ただピークを目指して登っていくというのも一つありですが、想像もしていなかった景色に出会いながらピークへ行けるのが楽しい。
渓流沿いの最終部辺りの登山道は、岩だらけの登り道になってきました。
前夜の雨の影響でしょうか、岩のあちこちに水が流れていて、足の置き場を選びながらでないと危なかしっくて登れない。
樹林帯がブナに変わり、白いブナ林を抜けると、石組みで造られた祠に祀られる石仏に出会います。
右の石仏は首から上が取れてしまっており、左のお地蔵さんは比較的新しい石仏に見える。
お地蔵さんから少し登ると「栗柄峠」の看板があり、栗柄峠はかつては山越えの物資搬送路だったといいます。
粟柄越えは、琵琶湖の湖上交通によって滋賀県の海津に集められた物資を若狭・越前へ運び、またその逆もある物資の搬送路だったといいます。
山越えの運搬ルートのことは訪れた先で時々聞くことがありますが、歩くだけでも大変なルートで物資を運んでいたとは、その健脚に驚くばかり。
当時の名残りとして一部石畳の道が残っており、道中を行き来する人が手を合わせたのが先ほどのお地蔵さんであり、さらに登ったところにあった“大岩に祀られた石仏(後述)”なのでしょう。
粟柄峠を少し登ったところには大岩をくり抜いた窟に祀られている石仏があります。
この辺りは福井県と滋賀県の県境になり、風に吹きさらされて風化しながらも峠を守る象徴となってきたのだろうと思います。
くり抜かれた窟の中に祀られる石仏は「馬頭観音」といわれており、人馬一体となって物資を運んだであろう峠を考えた場合、馬を仏として崇め祀るに至ったのでしょう。
石仏という形はとっていますが、仏教的信仰というよりも生きていくための共同体である馬を神として、あるいは家族として祀る原初的な信仰を石仏という形としたようにも思えます。
さぁいよいよ山頂への道が見えてきた。
頂上付近は雲がかかって霞みの中です。登っているうちに雲が流れてくれないかなという希望はあえなく消えました。
最後の坂を登り切ればおそらく山頂に到着できそうですが、雲がゴロゴロ鳴る音が聞こえるのが気持ち悪い。
ドーンと落雷がきたら逃げ場はないが、鉄塔が幾つかあるのでもしもの場合は鉄塔に落ちるだろうと楽観的に考えるしかない。
そして、山頂へ到着。
360度見渡せる絶景の場所のはずだが、どの方向も雲しか見えない。
しかも強風が吹いていて、帽子を飛ばされそうになったり、汗で濡れたシャツが風にさらされて体が冷えてくる。
山登りには着替えのシャツとウインドブレーカーを持って登らないと駄目ですね。ひとつ勉強になりました。
赤坂山の三角点は土や砂に埋まらず、分かりやすい感じで立っています。
しばらくすると一人登山者が到着され、続いてまた一人到着。
ここから「明王の禿」~「三国山」とか、「大谷山」へ縦走されるのかもしれませんが、当方はここをゴールとしてピストンで下山です。
山頂から対面に見えるのは剥き出しの花崗岩が風化した「明王の禿」。
赤坂山山頂からだとかなり下って、登り返さないとたどり着けないような道が見える。
しかもピストンなので往復1時間のプラスは、ちょっとキツイかなと思いマキノ高原への下山道へ入ります。
赤坂山では標高のやや低いところではツツドリがよく囀っており、アカショウビンの囀りも谷筋から聞こえていました。
山頂近くからはホトトギスとウグイスが囀り、聞き分けの出来なかった野鳥の囀りが数種聞こえていて、花だけではなく野鳥も多い山なんだと実感。
山頂では雲に覆われて景色が見えませんでしたが、下山途中にメタセコイア並木が見えるポイントがありました。
この辺りでは田植えの時期が遅かったのでしょうか、まだ稲に覆われておらず、水鏡の田圃になっています。
赤坂山は「花の百名山」ということもあってか女性の2人組や単独登山の女性が多かったように思います。
登山道では何種類かの花を見かけましたので、識別しながら下山することになりました。...続く。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます