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法然上人も鎌倉時代に開かれた各宗派の開祖の例に漏れず、比叡山延暦寺で天台宗を学び、比叡山を下りた後に浄土宗を開いた僧だと伝わります。
「専修念仏」という“念仏を唱えれば平等に往生出来る”という教えに救いを求める衆生の信仰を集めていきますが、その反面で旧仏教からの弾圧を受けて法難にあったといわれます。
また、法然の弟子による事件により後鳥羽上皇の怒りを買ってしまったことから、法然上人は75歳の高齢になってからも四国へ流罪となるという波乱の人生を生きられた方のようです。
放免されて再び京に入った法然上人でしたが、その1年後に入寂されてしまいます。
享年は80歳だったといいますから「専修念仏」にその長い一生を捧げた方だといえますね。
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岡崎公園から平安神宮の大鳥居を背にして知恩院へと向かう通りには、和菓子屋や食事処が並び気を惹かれます。
知恩院までは歩いてもさほど遠くはない距離でもあり、お店を見ながらの散策はなかなか楽しいものでした。
普段は車での直接移動が多いため、ブラブラ歩きもいいもんだなぁと感じながらの物見遊山の道中となります。
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知恩院といえば京の三大門(南禅寺・仁和寺・知恩院)と並び称される大きな三門が有名ですが、知恩院の三門も高さ24m・横幅50mといわれるだけあって実に見事な三門でした。
門の屋根に使われている瓦はなんと約7万枚ということであり、奈良東大寺の南大門よりも大きく、現存する三門(山門)の中では最大級の大きさだそうです。
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三門は、1621年に徳川秀忠の寄進により建立された国宝建築物で、浄土宗を信仰していた徳川将軍家ならではの寄進ということなのかと思われます。
「華頂山」と書かれた扁額は畳二畳よりも大きいそうですから、その額の大きさすら感じさせないくらいの大きな門だともいえます。
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三門から境内に向かう道は、急な勾配の男坂と緩やかな女坂がありました。
まず行きは男坂からということで男坂から上りましたが、さほど段数の多い石段ではなく心地よい石段登りとなりました。
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現在の知恩院は本堂が長期工事中のため参拝ルートが変更されており、まず宝佛殿からの参拝となります。
宝佛殿は1992年の建立と比較的新しい堂宇となりますが、内部に祀られているのは「阿弥陀如来立像」と「四天王像」は見応えのある仏像です。
四天王像は色鮮やかで新し感がありましたので、おそらく近年に造られた仏像なのかと思われます。
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宝佛殿の横手から石段を登っていくと、除夜の鐘で馴染み深い大鐘楼へと到着します。
大晦日にTVで見る知恩院の鐘は撞木につなげた縄を16名の僧が引っ張り、仰向けになって綱を鐘を撞く1名の僧の姿が印象的ですが、確かにそうでもしないと撞けないサイズの鐘です。
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(右の写真はHPより)
梵鐘の大きさは、高さ3.3m、直径2.8m、重さはなんと70tの凄まじい大きさです。
奈良東大寺の大きな梵鐘とほとんど同じような大きさながら、重量が全く違うのは梵鐘の厚みの差なのでしょうか。(東大寺の梵鐘は26.3t)
こんなに重いものをどうやって吊るして支えてきたのかと考えると、日本の建築技術の高さを感じざるを得ませんね。
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知恩院の御影堂は平成24年1月~平成30年度末まで大修理に入っており、拝観不能となっています。
長期間に渡る大工事のため足場もかなりしっかりしたもので、低層マンションでも建てているように見えてしまいます。
工事中の御影堂の横には仮設の通路が「集会堂(法然上人御堂)」まで続いています。
仮説で作った通路にしてはもったいないくらい立派なもので、通路の横からは工事中の御影堂の様子も見ることが出来ます。
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「経蔵」は工事現場のすぐ横に建てられていて非公開となっていますが、小窓から覗くと色彩豊かな壁面や柱の絵が少しだけ見えました。
公開されることがあったら是非堂内に入って観てみたいものです。(重要文化財)
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これまで御影堂で行われていた法要は現在は集会堂で執り行われているとのことで、木魚と読教の声と工事の騒音が響く中を集会堂へと向かいます。
途中には「鴬張りの廊下」があり、廊下を歩くといい音が出ます。
廊下を歩いていた時は昼時になって工事が小休止中でしたので、鳴る音がよく聞こえたのは助かりました。
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集会堂には本来は御影堂に祀られている法然上人像が工事期間中はご遷座されていてお参りすることが出来ます。
広々と横幅の広い内陣に畏れ入ってしまいましたが、ご焼香をして合掌していた時にさらに驚くべき光景に会いました。
横でお参りしている若いカップルがおられましたが、お参りする仕草を見ていると、“手を合掌して合わせた後、手を肩幅より広く横に広げ、次に手の平を上にした状態で手を上げて頭を下げる。”
中国か台湾か韓国の方なのかと思いますが、そのような仕草を見るのは初めてでしたので非常に興味深い姿でした。
次にお参りした阿弥陀堂でもその2人と一緒になりましたが、その時も同じようにお参りされていましたので同じ仏教でも国が変われば合掌の作法も大きく違ううんだなぁと実感することになりました。
この阿弥陀堂には知恩院の御本尊である阿弥陀如来坐像が金色の姿で祀られており、像高が2.7mもあることもあって神々しい印象を受ける仏像です。
この阿弥陀堂は明治時代の1910年の再建で、明治の初期に荒廃が進みいったん取り壊されたいいますから、もしかすると廃仏毀釈の影響を受けてしまった堂宇だったのかもしれません。
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参拝ルートの最後となる多宝塔も1958年に建てられた比較的新しい塔で、この多宝塔は法然上人の七百五十年大遠忌に建立されたもののようです。
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知恩院は繁華な東大路通りから知恩院道を少し歩いていったところにありますが、境内は自然豊かな場所です。
参道を歩けばキツツキ(コゲラ)が木をつつくドラミングの音、エナガが飛んできて木でエサを啄んだり、ヤマガラがエサを求めて地面に降りてくる。
京都の寺院は街の中心付近にありながらも、境内へ一歩入れば野鳥が集まるような自然環境が残されていますね。