江戸期、宇佐地方(岩国市錦町宇佐)から廿日市に向う宇佐往還道(長州藩では周防北街道と言われていた)は稗原峠~飯山~所山~津田~廿日市と通じていた。
宇佐地区の夏焼には長州藩の番所があったようで多くの人馬の行き来があったものとみられる。夏焼から稗原峠までは急傾斜面に道が設けられているためにつづら折になったところなど往還道の跡が、中国自動車道、作業道を除いて植林地内によく残っている。
goo blog お知らせ
プロフィール
最新コメント
- hera/木炭自動車が!
- nk0840/木炭自動車が!
- nk0840/ 平良丘陵開発の今
- hera/ 平良丘陵開発の今
- nk0840/ 平良丘陵開発の今
- hera/抹茶碗で一服⑥-楽山焼
- nk0840/抹茶碗で一服⑥-楽山焼
- hera/USBケーブル今昔
- nk0840/USBケーブル今昔
- hera/河野原大歳神社の注連縄奉納