原地区橋本にある民家で明治期から大正8年(1919)頃まで醤油醸造をされており、当時の名残であろうか土蔵の横には醤油甕がみられる。
大正9年(1920)にこの地域の醤油醸造業者が統合して可愛に芸陽醤油が設立されており、これを裏付けるように原村の醤油製造高が大正8年の200石から同10年には14石に大幅に減少しているのである。
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