宮内地区の的場を通る市道串戸・畑口線道端にある里程標石で明治24年(1891)5月に設置されているが何度か移設ののち現在地に建立、一部は埋もれて判読できなくなっている。この里程標石の元の位置は佐伯郡役所があった廿日市里程標から1里(約3.93km)で広島里程元標から4里17町24間2尺4寸(約17.61km)の距離があったようである。
宮内地区の的場を通る市道串戸・畑口線道端にある里程標石で明治24年(1891)5月に設置されているが何度か移設ののち現在地に建立、一部は埋もれて判読できなくなっている。この里程標石の元の位置は佐伯郡役所があった廿日市里程標から1里(約3.93km)で広島里程元標から4里17町24間2尺4寸(約17.61km)の距離があったようである。