廿日市市中央市民センターの前庭に建立されている「芸州廿日市御本陣旧趾」碑で当初は本陣跡に建立されていたが2回も移設されこの場所は本陣とは関係ないところである。碑文だけ読んだ人はこの場所が本陣跡であると間違ってしまうであろう。本陣は中央市民センター東側で中画像の赤線部分の範囲に下画像ような豪壮な建築であったのではなかろうか。(廿日市本陣復元想像図)
廿日市市中央市民センターの前庭に建立されている「芸州廿日市御本陣旧趾」碑で当初は本陣跡に建立されていたが2回も移設されこの場所は本陣とは関係ないところである。碑文だけ読んだ人はこの場所が本陣跡であると間違ってしまうであろう。本陣は中央市民センター東側で中画像の赤線部分の範囲に下画像ような豪壮な建築であったのではなかろうか。(廿日市本陣復元想像図)
昨日紹介した天満宮境内入口の玉垣の端にある親柱に「宮内武田 狂気之薬所」と刻されており、宮内村の医師武田文敬が「鎮火奇応散陰陽狂気之妙薬」と名付けた特効薬を売っていたようである。この薬の効能書きによると「・・・此薬一服御用ひ被成候得者十ニ八九ハ治す、万一治せさる時ハ四五日も間をおき重て御用可被成候、・・・」とあり、よく効く薬であったようで十中八九治癒していたようである。