天神山にある正覚院境内の先日紹介した鐘楼脇にある石燈籠で「海上安全、明治23年5月」と刻されている。廿日市の湊には交易のために諸国から商船が入津しており、夜間の入津の目印に見晴らしのよい天神山に常夜燈が設置された。常夜燈設置の始まりについては定かでないが、江戸期の正徳2年(1712)頃には町の経費から天神坊灯明銭が支給されており、また、享保21年(1735)頃には西浜町で常夜燈中という維持管理組織が出来ていたようである。
天神山にある正覚院境内の先日紹介した鐘楼脇にある石燈籠で「海上安全、明治23年5月」と刻されている。廿日市の湊には交易のために諸国から商船が入津しており、夜間の入津の目印に見晴らしのよい天神山に常夜燈が設置された。常夜燈設置の始まりについては定かでないが、江戸期の正徳2年(1712)頃には町の経費から天神坊灯明銭が支給されており、また、享保21年(1735)頃には西浜町で常夜燈中という維持管理組織が出来ていたようである。