出雲平野を走っているとひと際大きな築地松(屋敷森)があったので近付いてみると旧豪農屋敷であった。パンフレットによると戦後の農地改革当時186.5haの農地を所有していた豪農であったようである。旧屋敷は相当に痛みがあったものとみられ多くの部分に新材が使用して復元されていた。この屋敷に来待石の鬼瓦や棟石がみられるが復元改修時に新造されているようであり、古い来待石の鬼瓦や棟石が敷地内に残されていた。
出雲平野を走っているとひと際大きな築地松(屋敷森)があったので近付いてみると旧豪農屋敷であった。パンフレットによると戦後の農地改革当時186.5haの農地を所有していた豪農であったようである。旧屋敷は相当に痛みがあったものとみられ多くの部分に新材が使用して復元されていた。この屋敷に来待石の鬼瓦や棟石がみられるが復元改修時に新造されているようであり、古い来待石の鬼瓦や棟石が敷地内に残されていた。