光明寺
大乗寺
廿日市後小路にある光明寺の地は江戸期の地誌によると護念山浄厳寺の廃跡に建立されたようである。桜尾城主毛利元清の子宮吉丸が天正17年(1589)8月23日に早世しており、浄厳寺は宮吉丸法名清厳院浄厳幻了の菩提寺であったものとみられる。毛利氏の防長移封に伴って毛利秀元は長府にあった専称寺を淨厳寺と改め舎弟宮吉丸の位牌を安置して菩提所とした。明治時代になって浄厳寺は大乗寺と改称されている。明日は地域の人達と長府を訪れる予定であり大乗寺の門前をバスは通るであろう。
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