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『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

JR山陽本線脇の謎の階段

2019年05月16日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


昨日のブログで触れたかつての越峠垰付近のJR山陽本線脇に何故か4ケ所の階段が設けられているのである。この階段やガイドレール、舗装、擁壁などは藤掛団地や線路上に架かる峰高陸橋などが築造されたときに整備されたようである。それ以前の両側は山林が迫っており寂しいとこでありこの付近ではよく鉄道自殺があったようである。
戦時中、空襲警報が発令されると汽車は山間のこの付近に停車して乗客は降りて避難をしていたということをこの付近にお住まいの方から聞いたことがある。

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沢の尾道の名残り

2019年05月15日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


当ブログ主が子供の頃、上平良から宮内地区に行くには速谷神社前から沢の尾峠(現在のアマノ病院付近)を越え沢の尾道を下って北山地区に向かうか、七尾中学校からJR山陽本線沿いの越峠垰(こいとうだお)を通っていた。
陽光台団地の開発で沢の尾峠や沢の尾道は無くなったが、昨日紹介した北山王伴社の裏手上に十数メートルの沢の尾道の名残りが残っている。

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北山王伴社

2019年05月14日 | 「廿日市地区」ぶらり


 


宮内北山地区にある黄幡神社で江戸期の地誌には王伴社がみられるが詳しいことは不明である。本殿脇には当市域ではみられないような石祠があり御神体であろうか白く丸っぽい石がみられる。当市域でこのような石祠はあまり見ることはなくこのような石を産する他地域から持ち込まれたものであろう。古い時代に石祠で信仰されていたものが後の時代に現在の社殿が造営されたものであろうか。

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北山観音堂

2019年05月13日 | 「廿日市地区」ぶらり


 


宮内北山地区にある観音堂で延享3年(1746)6月18日の銘文のある十一面観音座像が祀られている。江戸期の地誌には「・・・由来不詳、古寺ノ跡ト見エタリ」とあり、堂裏には五輪塔残欠が沢山みられるので寺の跡であったものであろうか。近代になってから観音霊場とされていたようであるが詳しいことは定かでない。

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凝灰岩を使用した建物

2019年05月12日 | 「廿日市地区」ぶらり

日華石の石蔵

笏谷石の石瓦

福光石?の石蔵

来待石の棟石・隅棟石

 来待石の隅棟石・笠と相輪様


当ブログ主が旅行中にその地方で産出した石を使用した建物を見たものを紹介する。①北陸の小松市で産出する日華石は石切り場によって滝ケ原石、観音下石、大杉石などといわれているようである。画像は小松市平面町でみた石蔵で地域色のある蔵飾りである。②福井市足羽山で産出していた笏谷石を加工して福井県坂井市丸岡町にある丸岡城の屋根瓦が作られていた。③島根県温泉津町福光で産出される福光石がある。江津市有福温泉町でみかけた石蔵で福光石の産出地に比較的近いので福光石で築造されているのではなかろうか。④来待石については先日紹介しており、出雲市大社町の民家では棟石、隅棟石がみられ、安来市広瀬では宝形屋根の隅棟石と頂部に宝篋印塔の笠と相輪様が来待石で作られている。
 

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原鹿の旧豪農屋敷

2019年05月11日 | 旅行






 


出雲平野を走っているとひと際大きな築地松(屋敷森)があったので近付いてみると旧豪農屋敷であった。パンフレットによると戦後の農地改革当時186.5haの農地を所有していた豪農であったようである。旧屋敷は相当に痛みがあったものとみられ多くの部分に新材が使用して復元されていた。この屋敷に来待石の鬼瓦や棟石がみられるが復元改修時に新造されているようであり、古い来待石の鬼瓦や棟石が敷地内に残されていた。

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出雲平野の築地松(屋敷森)と麦秋

2019年05月10日 | 旅行




 


築地松(屋敷森)のある民家をと広い出雲平野の中を走った。一書によると築地松(屋敷森)は冬期の季節風を防ぐため、斐伊川の氾濫の時に土地ごと流されるのを防ぐため、枝打ちしたものは燃料とし落葉は堆肥として活用するため、屋敷の広さと築地松の高さなど家の格式をあらわすためなどとの説があったようである。しかし出雲平野の築地松(屋敷森)景観も次第に失われているようである。あちらこちらの広い麦畑は黄金色に輝く麦秋を迎えていた。

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来待ストーン

2019年05月09日 | 旅行

きまち湯治村 

来待石採石場跡 

かつての来待石採石場(ミュージアムパネルより) 

ミュージアム内石燈籠制作過程展示

 来待石の狸

昨日は田植え前の英気を養うために松江市宍道町のきまち湯治村大森の湯に浸かり、途中の来待石採石場跡に設けられた来待ストーンを探訪した。来待石は出雲石燈籠や石州瓦の釉薬として使用されているようであり、以前出雲地方を訪れた時に見られた民家の棟石が来待石で作られていた。大森の湯や隣接のいろり茶屋前には風呂に入る狸、酒を飲む狸、ビールを飲む狸が来待石で彫られている。

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蓮教寺の梵鐘

2019年05月08日 | 「廿日市地区」ぶらり




極楽寺の梵鐘

光禅寺の梵鐘

 称名寺の喚鐘


蓮教寺の鐘楼に架けられている梵鐘は廿日市の鋳物師山田貞栄が延宝7年(1679)に鋳造したもので市の重文に指定されている。この梵鐘の中帯には蓮弁文の両側に蕨手文を配して図案化した上下異なる文様が鋳出されている。
極楽寺の梵鐘と大竹市称名寺の喚鐘には上部の文様と同じものが鋳出されており、佐伯区光禅寺の梵鐘には下部の文様と同じものが鋳出されている。 

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蓮教寺旧庫裏玄関-旧津和野藩船屋敷玄関

2019年05月07日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 (蓮教寺庫裏解体調査報告書より)


蓮教寺の旧庫裏玄関は旧津和野藩船屋敷の玄関を移築したものであったが、現在の庫裡新築のために昭和56年(1981)に解体された。

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津和野藩士が寄進した狛犬・燈籠・玉垣

2019年05月06日 | 「廿日市地区」ぶらり





 


昨日紹介した蓮教寺のソテツを寄進した旧津和野藩士の田原小左衛門は、藩士時代の安政5年(1858)に佐方八幡神社の狛犬、元治元年(1864)に正覚院行者堂の燈籠、時代不詳に天満神社の石段玉垣を寄進しているのである。その他市域の寺院には船屋敷関係者の墓碑が多く見られ、これらから津和野藩船屋敷の人々は廿日市町人の生活の中に融合していたものとみられるのである。

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蓮教寺のソテツ

2019年05月05日 | 「廿日市地区」ぶらり


 


蓮教寺の本堂前にある大きなソテツで明治期以前津和野藩船屋敷御茶屋前に植えられていたもので市の天然記念物に指定されている。市域では最大のものであり県内では4位か5位くらいのもののようである。
このソテツは旧津和野藩士であった田原小左衛門により寄付されたようである。

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お月さんが煙たがった煙突

2019年05月04日 | 旅行




 


英彦山からの帰路に田川市石炭・歴史博物館を見物した。かつての三井田川鉱業所伊田竪坑の跡地にあり、隣接した石炭記念公園内には二本の煙突と竪坑櫓が残されており、炭坑節発祥の地碑が建立されていた。二本の煙突は明治41年(1908)に煉瓦造りで築造されたようである。炭坑節のモデルとなったようでこの煙突があまりにも高いので、お月さんが煙たがっているようだと・・・
       
♪~~あまり煙突が 高いのでさぞやお月さん けむたかろ~~♪

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嘉穂劇場

2019年05月03日 | 旅行





 


英彦山の探訪が終わって飯塚市にある嘉穂劇場を訪れたが定休日のため見学することが出来なかった。当劇場は歓楽街にあり炭鉱で栄えた当時、筑豊地方の炭鉱で働く人々の娯楽施設として賑わっていたようである。
当劇場の公演記録によると我が旧平良村出身の女剣劇の女王不二洋子が昭和25年(1950)8月、昭和32年(1957)2月・11月、昭和33年(1958)9月、昭和37年(1962)3月と公演しているようである。

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践祚改元奉告祭

2019年05月02日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 


令和改元の昨日、速谷神社では践祚改元奉告祭が催行された。社殿での奉告祭が行われてその後儀式殿前では記念植樹祭が行われた。儀式殿においては宮司さんによる「御代替と神事」と題した講和を拝聴した。

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