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故吉村昭さん、自ら死選ぶ 自宅でがん闘病…点滴外す<o:p></o:p>
2006年08月25日15時07分 asahi.com
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膵臓(すいぞう)がんで7月31日に79歳で亡くなった作家吉村昭さんが、闘病の末に自ら死を決断していたことを、妻で作家の津村節子さんが24日夕刻にあったお別れの会で明かした。(略)<o:p></o:p>
津村さんによると、(略)死の前日、突然点滴の管の連結部を自分で外し、さらにカテーテルの挿入部をむしり取った、という。遺言状にも、延命治療は望まないと書かれていたため、家族も本人の意思を尊重し、その数時間後に息を引き取ったという。 <o:p></o:p>
津村さんは「彼が自分の死を自分で決めることができたのは、彼にとってよかったことではないかと思う」と話したが、「私は目の前で『自決』するのを見てしまったので、彼がまだ書斎にいるとか、取材旅行に出かけているとは思えない。身勝手な人です」とも述べ、涙で声をつまらせた。(略)<o:p></o:p>
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ご家族には、本人自らの意思を通したので良かったという思いと、自死したという辛い思いとが同時にあるようです。
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昔、我が家のお墓は、墓石がずらりと並んだお寺の中で、一つだけ木の棒に家名が書いてあるものでした。幼くして死んだ兄だけが入っているお墓でした。私が学生のころ、多少余裕ができたのでしょう、小さいながら墓石を建てました。そのときは、本当に両親は嬉しそうでした。何回も水を掛けて、まだ新しいのに布でゴシゴシこすったり、「本当にごめんね」とかブツブツ言って長いこと拝んでいました。
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私は、やりたいようにやってきたようでも、そこはサラリーマンですから、自らの死に方ぐらい、自分の意思を通したいとの思いがありました。延命治療は拒否すると家族に告げてあります。また、私自身は、女房殿もそうなのですが、墓なんていらない、どこかに散骨してもらいたいと思っています。しかし、墓の中のあの両親のことを思うと、この墓を私の息子に守っていってもらわざるを得ないな、と今では考えています。身勝手で自分勝手な親に似ず、古風なところのある息子もそのつもりでしょうから。そのためにも私自身が納骨してもらわないといけないでしょう。そして、葬式もまったく何もやらなくて良いというわけにもいかず、ごく親しい人だけで簡単にしてもらうことになるでしょう。
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結局、何もかも思い通りにはいかないのですが、考えてみれば、死んでしまう当人より、残された家族の思いを優先させるべきなのかもしれません。葬式も、墓も、死んだ当人のためと言うより、残された家族のためにあるのでしょうから。
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