hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

「ウェブ炎上-ネット群集の暴走と可能性」を読む

2007年11月19日 | 読書

荻上チキ(おぎうえ・ちき)の「ウェブ炎上-ネット群集の暴走と可能性」ちくま新書を読んだ。

見開きには以下のようにある。
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「ブログやミクシイで、ある人物への非難が燃え上がり、収拾不能になることがある。こうした現象を「炎上」と言う。時に何千もの批判が押し寄せ、個人のプライバシーすら容赦なく暴かれる。有名無名を問わず「炎上」の餌食となるケースが頻発する今、そのメカニズムを明らかにし、そうした集団行動(サイバーカスケード)にはポジティブな側面もあることを指摘する。ウェブという「怪物」の可能性を見据えた、現代の「教養」書。」
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著者はつねに冷静、公平であり、文章もわかりやすく、炎上例の紹介は行き届いている。

著者は炎上を「サイバーカスケード」と表現して説明しているが、炎上の仕組みについては、私も含め、この本を読むような多くの人は理解しているだろう。カスケードcascadeとは小さな滝、多段の滝といったもともとの意味で、一個人の主張が大量に集つまり束となり、強大な影響力を及ぼし、有効な反論ができないまま、強圧的な力になる現象だ。

サイバーカスケードの原因の一つとして、人は情報をフィルタリングし、自分の見たいものを見て、見たくないものを見ない。そして、同じ意見のものが集まり、たまに見る異なる意見に激しく反発するようになる。これを防ぐひとつの方法として、意見を述べるときには、反対意見のリンクも張ることがあると著者は言うが、実行する人は群れない人だろうし、効果は疑問だ。
このほか、いくつかの原因が指摘されるが、有効な対策はない。

また、この本には、多くの炎上の事例紹介があり、2ちゃんねるはほとんど見ない私は知らない話が多かった。読んでいくうちに、攻撃される人に多少の非はあっても、ヒステリックな集団いじめ、リンチのような炎上に群がる匿名の卑怯者たちに怒りを覚えた。

この本では、なぜ群がるのか、群がる人たちの心理、状況への分析はない。また、見開きには「集団行動(サイバーカスケード)にはポジティブな側面もあることを指摘する」とあるが、これらの行動を強制的にできないようにすることの弊害については理解できるが、ポジティブな側面はこの本を読んでもとても感じられなかった。


以下は蛇足
記憶が定かではないが、90年代前半に f j . ○○というインターネット上の主に研究者が集まるコミュニティ(?)があった。というか、当時日本では大学、研究所しかインターネットが使えなかったと思う。その時代でもときに議論が白熱し、偏屈ではあるが一応の知的レベルにあるはずの研究者が次第にささいなことで非難しあうようになることがあった。
また、米国の方の議論をのぞいた時に、「日本には商用電源に50Hzと60Hzがあり、両用の機器でないと使えないのは、非関税障壁だ」などという議論があり、あちらでも、めちゃくちゃなことを言う奴がいると思った。
このときから、顔の見えないネットでの議論はエスカレートしがちだと危惧していた。

たとえば、「>」をつけて、相手の書いた文章を引用し、文章毎に反論を書くスタイルは、全体の文意、文脈に関係なく、その文章だけについて揚げ足をとることになりやすい。


ネット上で有効な議論をするためには、マナー教育ではだめだろうから、相手を罵倒し議論できなくするような行為に罰則を与えるなど何らかの仕組みが必要だ。
私は、実名を出すつもりもないし、強烈な反論が来そうな意見も差し控えている。中国だけでなく日本でもインターネットは自由な場ではない。




コメント
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