西村賢太著『苦役列車』2011年1月新潮社発行、を読んだ。
「苦役列車」と「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」の、いずれも今や珍しいダメ男の私小説2編で、前者は芥川賞受賞作となった。
「苦役列車」は、中学卒業後日雇いの港湾労務者としてその日暮らしを続ける19歳のダメ青年、北町貫多。彼には友も女もなく、幾らかの金が入ればコップ酒を飲んでしまい、常に明日の飯の心配をする。
「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」は、多少の原稿料はときたま手に入っても相変わらずのその日暮しで、しかも歩くこともままならない程、腰を痛めてしまった40歳を超えた貫多があこがれの川端賞候補にあがり、心がはげしく上下に揺れるさまを描く。
初出 「苦役列車」:「新潮」2010年12月号、「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」:「新潮」2010年11月号
西村賢太
1967年7月、東京都江戸川区生まれ。町田市立中学卒。
2006年『どうせ死ぬ身の一踊り』で芥川賞候補、三島由紀夫書候補、『一夜』で川端康成文学賞候補
2007年『 暗渠の宿』で野間文芸新人賞
2008年『小銭をかぞえる』で芥川賞候補
2011年本書『苦役列車』で芥川賞受賞
その他、『二度はゆけぬ町の地図』、『瘡瘢旅行』
著者の父親が強盗強姦事件を起こしたことも事実だし、自堕落な生活ぶりや、逮捕歴も本当だ。
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
確かに近年にはない私小説で、しかも、破滅的インテリでなく、学歴もない性格破綻ぎみのダメ男が主人公の小説はめずらしい。しかし、この小説が新しい小説の形とは思えず、まして、今後の日本の小説の方向を示しているとは思えない。珍しく、特徴あるとは思うが、仇花という感じがする。西村賢太が次作で何を書くのか、心配だ。
主人公は、そして8割がた著者自身の人生でもあるのだろうが、悲惨な育ち、あまりにも惨めな人生だ。昔の私小説なら社会への怒りか、深い悲哀を感じさせ、あるいは感じさせるように書いているところだ。しかし、西村賢太の作品は、どうしようもないダメ男が主人公で、読者に俺だってここまでひどくないと安心させ、そしてあまりに徹底したダメぶりにどこか滑稽さをただよわせる。主人公の視点からの一人称でなく、三人称で書いてあることもダメ男から距離をおいて眺められる原因になっているのだろう。
ダメ男ぶりが幾度と無く記述される。パラパラ見ていくつか拾い出す。こう並べるとあまりにもくどい。
聞いたこともないような難しい言葉、何も漢字で書かなくてもと思う難しい漢字がふりがなつきで使われている。まず最初が、「曩時」だ。「のうじ」と読んで「さきの時、昔」といった意味らしい。その他、「黽勉」(びんべん=努力)、「慊」(あきたりない」など、昔の時代を思い出させるためだろうか、ふりがなふってまで漢字にするこだわりがあるのだろうが。
「苦役列車」と「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」の、いずれも今や珍しいダメ男の私小説2編で、前者は芥川賞受賞作となった。
「苦役列車」は、中学卒業後日雇いの港湾労務者としてその日暮らしを続ける19歳のダメ青年、北町貫多。彼には友も女もなく、幾らかの金が入ればコップ酒を飲んでしまい、常に明日の飯の心配をする。
「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」は、多少の原稿料はときたま手に入っても相変わらずのその日暮しで、しかも歩くこともままならない程、腰を痛めてしまった40歳を超えた貫多があこがれの川端賞候補にあがり、心がはげしく上下に揺れるさまを描く。
初出 「苦役列車」:「新潮」2010年12月号、「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」:「新潮」2010年11月号
西村賢太
1967年7月、東京都江戸川区生まれ。町田市立中学卒。
2006年『どうせ死ぬ身の一踊り』で芥川賞候補、三島由紀夫書候補、『一夜』で川端康成文学賞候補
2007年『 暗渠の宿』で野間文芸新人賞
2008年『小銭をかぞえる』で芥川賞候補
2011年本書『苦役列車』で芥川賞受賞
その他、『二度はゆけぬ町の地図』、『瘡瘢旅行』
著者の父親が強盗強姦事件を起こしたことも事実だし、自堕落な生活ぶりや、逮捕歴も本当だ。
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
確かに近年にはない私小説で、しかも、破滅的インテリでなく、学歴もない性格破綻ぎみのダメ男が主人公の小説はめずらしい。しかし、この小説が新しい小説の形とは思えず、まして、今後の日本の小説の方向を示しているとは思えない。珍しく、特徴あるとは思うが、仇花という感じがする。西村賢太が次作で何を書くのか、心配だ。
主人公は、そして8割がた著者自身の人生でもあるのだろうが、悲惨な育ち、あまりにも惨めな人生だ。昔の私小説なら社会への怒りか、深い悲哀を感じさせ、あるいは感じさせるように書いているところだ。しかし、西村賢太の作品は、どうしようもないダメ男が主人公で、読者に俺だってここまでひどくないと安心させ、そしてあまりに徹底したダメぶりにどこか滑稽さをただよわせる。主人公の視点からの一人称でなく、三人称で書いてあることもダメ男から距離をおいて眺められる原因になっているのだろう。
ダメ男ぶりが幾度と無く記述される。パラパラ見ていくつか拾い出す。こう並べるとあまりにもくどい。
「根が人一倍見栄坊にできている」
「馬鹿のくせして、プライドだけは高くできてる」
「根が子供の頃からたかり、ゆすり体質にできてる」
「根が意志薄弱にできてて目先の慾にくらみやすい上、そのときどきの環境にも滅法流され易い性質の男」
「根が堪え性に乏しくできてる我儘者の貫多は」
「根が全くの骨惜しみにできている彼は」
「根が歪み根性にできてる貫多は、・・・なぞ、いかにも中卒な屁理屈を言ってやり、」
「何かと云えば開き直って悪度胸を固める貫多も、根は小心にできてる質の男だったので」
「どこまでの怠惰な貫多のことであれば」
「根が人一倍の心配性にできてる貫多は」
「根が」と「できてる」(「できている」ではない)があまりにも多い。
「馬鹿のくせして、プライドだけは高くできてる」
「根が子供の頃からたかり、ゆすり体質にできてる」
「根が意志薄弱にできてて目先の慾にくらみやすい上、そのときどきの環境にも滅法流され易い性質の男」
「根が堪え性に乏しくできてる我儘者の貫多は」
「根が全くの骨惜しみにできている彼は」
「根が歪み根性にできてる貫多は、・・・なぞ、いかにも中卒な屁理屈を言ってやり、」
「何かと云えば開き直って悪度胸を固める貫多も、根は小心にできてる質の男だったので」
「どこまでの怠惰な貫多のことであれば」
「根が人一倍の心配性にできてる貫多は」
「根が」と「できてる」(「できている」ではない)があまりにも多い。
聞いたこともないような難しい言葉、何も漢字で書かなくてもと思う難しい漢字がふりがなつきで使われている。まず最初が、「曩時」だ。「のうじ」と読んで「さきの時、昔」といった意味らしい。その他、「黽勉」(びんべん=努力)、「慊」(あきたりない」など、昔の時代を思い出させるためだろうか、ふりがなふってまで漢字にするこだわりがあるのだろうが。