hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

池内紀『海山のあいだ』を読む

2011年07月07日 | 読書2
池内紀著『海山のあいだ』中公文庫、2011年3月中央公論新社発行、を読んだ。

裏表紙にはこうある。
好きなことをする以上に、「いやなことはなるたけしない」。いつも人恋しい思いがあるので、わざとそっけなく、へだたりをとって生きている、―――そんなスタイルを貫く著者が、足の向くまま山へ、海へ。池内流「ひとり旅」の原点となった飄逸なエッセイ集。  第10回講談社エッセイ賞受賞作




大部分の山の話以外から池内さんらしいところを二つだけ。

田舎の中学に通常ならとてもありえない東京の有名な音楽大学をでた女性教師がやってきた。何か問題があって心ならずも田舎教師になった若い教師はいつも憂鬱そうで、放課後、たえなるピアノの音が聞こえてきた。池内少年は知る。
世の中には自分を賭けるべきなにかがある・・・。金でも名誉でもない何か。目に見えない、どちらかといえば実生活で、およそ役立たずの何か。


8歳のとき、祖父が死ぬ。10歳のとき、祖母を起に行ったが死んでいた。13歳のとき父親が死ぬ。14歳のとき、希望の星だった就職したばかりの兄が死んだ。大学の時、母親が死んだ。池内さんは書く。
死についていまだによくわからない。要するにそれは引き算だと思っている。冷酷きわまる引き算だと思っている。ポツリポツリといなくなる。人が消え失せ、もぬけのからの部屋だけがのこる。それ以上はわからない。それ以上は考えない。
以後、池内さんはことばばかりに熱中する。現実世界は引き算ばかり。ことばの世界には永遠の足し算の声がひびいていると。


初出:1994年5月マガジンハウス刊



池内紀(いけうち・おさむ)
1940年、兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。
1966~96年、神戸大、都立大、東大でドイツ語、ドイツ文学の教師。その後は文筆業。
1978年『諷刺の文学』亀井勝一郎賞
1994年本書『海山のあいだ』マガジンハウス・角川文庫・講談社エッセイ賞
1999年訳書、ゲーテ『ファウスト』毎日出版文化賞
2001年『ゲーテさん こんばんは』桑原武夫学芸賞
2000/2002年訳書『カフカ小説全集』日本翻訳文化賞など



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

「好きなことをする以上に、いやなことはなるたけしない」をモットーとする池内さんらしさがよく出ている本で、私も大いに共感する。過去をたどった5編の「自分風土記」は面白い。子供時代の思い出は甘酸っぱいセピア色だ。田舎のちょっとした風景、ふれあいも池内さんにかかれば趣あるものに思えてしまう。

ただ、大部分は山に登った記録で、40年程山登りしていない私にはもうぴんとこない。
いくつかの山は懐かしく思い出した。たとえば、八甲田大岳、酸ヶ湯はスキーで行った。(「山スキーと温泉」)



追悼記はリンドル氏と登った山の話なのだが、主人公であるオーストリア大使館の短躯で赤ら顔のリンドル氏がユニークだ。二人のたどたどしい(実際そうだとは思えないのだが)ドイツ語での会話がリアルだ。
「若さはいかなる困難をも克服するが、老いはそれをなしえないであろう」・・・語彙が貧弱だと、表現に遠慮会釈がない。

中学の英語の教科書の中の文の単語を入れ替えただけの単純、無味乾燥な私の英会話と同じだ。

17歳のとき、レジスタンスの末端にいたリンドル氏が受けたゲシュタポの尋問の様子が不気味だ。小肥りで猪首、好人物そうな尋問官がおだやかな声で話しだす。「知ってればしゃべりますが、全く知らないんですよ」と彼は昂然として答える。突然・・・。そして、毎日殴られ歯が欠けるたびに、あることないことしゃべってしまう。

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