澁澤龍彦著『私の少年時代』河出文庫し1-62、2012年5月河出書房新社発行、を読んだ。
著者が黄金時代と呼ぶ「光りかがやく子ども時代」(12歳=終戦前まで)を回想するエッセイ集。編集部が『澁澤龍彦全集』からおおよそ編年体で並べ替えて編集したもの。
飛行船、夢遊病、骨折とギブス、昆虫採集、替え歌遊びなどノスタルジアあふれる幼少年期の思い出が並ぶ。
4、5歳のときの、おぼろげで断片的な記憶が何か妖しい。また、戦前の東京近辺の日常の様子が描かれている。ちんどん屋、少年冒険小説、医者の往診、チョロギ(黒豆に混ぜる巻貝の形をした赤い植物)など、戦後派(?)の私にもなつかしい。
澁澤龍彦 (しぶさわ・たつひこ)
1928~87年。東京生まれ。3浪して東大仏文に入る。卒論でマルキ・ド・サドをテーマにし、その後その著作を日本に紹介する。1961年、猥褻文書販売・所持の容疑で「悪徳の栄え事件」の被告人となる。人間精神や文明の暗黒面に光をあてる多彩なエッセイを発表。晩年は小説に独自の世界を拓いた。
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
澁澤龍彦ファン、戦前、戦中の子供の様子に興味ある人以外には、どうということないといえば、どうということないエッセイだ。
どのような子供時代を送ると、澁澤さんのような偽悪趣味(?)の大人ができるのか知りたくてこの本を読んでみた。彼は絵本についてこう言っている。
幼年時代から鉛筆で絵を描くのが好きで、海の底、蟻の家、墓場の絵ばかりを書いていた。小学校に入ると図画の時間に写生をやらされて閉口した。林檎、椅子といった面白くない日常の物体をその通りに書かねばならない。
それにしても、著者の記憶力はすごい。有名でもないローカルな歌の歌詞や、カルタの文句まで覚えている。そしてまったく飾らない語り口でわかりやすく語っている。
著者は子供の頃、このような言葉を使っていたという。( )は最近の言葉。
オシタジ(醤油)、カラカミ(フスマ)、オムスビ(おにぎり)、セトモノ(全部の陶器)、一膳二膳(一杯二杯)
しかし、これらの言葉もまだ普通に使っていると思える私はやはり古い人間なのだろう。
以下、私のメモ。
著者が黄金時代と呼ぶ「光りかがやく子ども時代」(12歳=終戦前まで)を回想するエッセイ集。編集部が『澁澤龍彦全集』からおおよそ編年体で並べ替えて編集したもの。
飛行船、夢遊病、骨折とギブス、昆虫採集、替え歌遊びなどノスタルジアあふれる幼少年期の思い出が並ぶ。
4、5歳のときの、おぼろげで断片的な記憶が何か妖しい。また、戦前の東京近辺の日常の様子が描かれている。ちんどん屋、少年冒険小説、医者の往診、チョロギ(黒豆に混ぜる巻貝の形をした赤い植物)など、戦後派(?)の私にもなつかしい。
澁澤龍彦 (しぶさわ・たつひこ)
1928~87年。東京生まれ。3浪して東大仏文に入る。卒論でマルキ・ド・サドをテーマにし、その後その著作を日本に紹介する。1961年、猥褻文書販売・所持の容疑で「悪徳の栄え事件」の被告人となる。人間精神や文明の暗黒面に光をあてる多彩なエッセイを発表。晩年は小説に独自の世界を拓いた。
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
澁澤龍彦ファン、戦前、戦中の子供の様子に興味ある人以外には、どうということないといえば、どうということないエッセイだ。
どのような子供時代を送ると、澁澤さんのような偽悪趣味(?)の大人ができるのか知りたくてこの本を読んでみた。彼は絵本についてこう言っている。
子供にとって、どういう絵本が良い絵本で、どういう絵本が悪い絵本かを決定することは、したがって、至難の業だと思う。・・・私にしたところで、少年時代の雑多な読書から、さまざまな良い影響(?)や悪い影響(?)を蒙って、その中から、現在あるような、自分の趣味とか美意識とかいうものを形成してきたにちがいないと思われるからである。
幼年時代から鉛筆で絵を描くのが好きで、海の底、蟻の家、墓場の絵ばかりを書いていた。小学校に入ると図画の時間に写生をやらされて閉口した。林檎、椅子といった面白くない日常の物体をその通りに書かねばならない。
そうじて私が近代のリアリズムよりも、近代以前のシンボリズムや装飾主義を愛するのは幼年時からの一貫した傾向らしいのである。
それにしても、著者の記憶力はすごい。有名でもないローカルな歌の歌詞や、カルタの文句まで覚えている。そしてまったく飾らない語り口でわかりやすく語っている。
著者は子供の頃、このような言葉を使っていたという。( )は最近の言葉。
オシタジ(醤油)、カラカミ(フスマ)、オムスビ(おにぎり)、セトモノ(全部の陶器)、一膳二膳(一杯二杯)
しかし、これらの言葉もまだ普通に使っていると思える私はやはり古い人間なのだろう。
以下、私のメモ。
庶民的でありながら繊細で芸術的な線香花火。外国にはありえない日本の誇り(言い過ぎ?)。そしてその描写の妙。パッパッという火花が目に浮かび、音や匂いを感じ、「線香花火、久しぶりにやってみたいな」と思わされる。
・・・なんと言っても私たちが飽きもせずに繰り返して遊んだのは、あの平凡な線香花火である、束にしてこよりで結んである線香花火である。
マッチで火をつけると、まず火薬をふくんだ花火の先端が、熟したような火の玉になって、ぐらぐら煮立ってでもいるかのように、かすかに震え出すのである。手で一心に支えていると、みずからの重みに耐え切れなくなって、そのまま流星のように地面に落ちてしまい、私たちをがっかりさせることもある。
しかし、熟した火の玉の重みによく堪えた線香花火は、やがて私たちの期待に応えて、庭さきの薄暗がりの中に、華麗な火花の抽象模様を繰りひろげはじめる。いや、抽象模様と言ってはよくないかもしれない。私たちはこれを松葉と呼んでいたからだ。まことに優雅な呼び名である。
最初にパッと飛び出す松葉があり、次にまた、パッと飛び出す松葉がある。やがてパッパッ、パッパッパッ、パパッパッパッと急テンポになり、前後左右にせわしなく松葉が飛びちがう。そして松葉の絶頂期をすぎると、火花の線は次第に力を失い、円みをおびて下に垂れるようになる。これがすなわち、しだれ柳である。最後は、すべてのエネルギーを使いつくした火の玉もろとも、火花を地面に落ちる、
火花が消えても、夜の闇のなかに、まだ黄色っぽい松葉やしだれ柳の残像が、ぼんやりと残っているような気がする。あたりには硝煙の匂いがただよって、なにか一つの事件が終わったという感じがする。
・・・なんと言っても私たちが飽きもせずに繰り返して遊んだのは、あの平凡な線香花火である、束にしてこよりで結んである線香花火である。
マッチで火をつけると、まず火薬をふくんだ花火の先端が、熟したような火の玉になって、ぐらぐら煮立ってでもいるかのように、かすかに震え出すのである。手で一心に支えていると、みずからの重みに耐え切れなくなって、そのまま流星のように地面に落ちてしまい、私たちをがっかりさせることもある。
しかし、熟した火の玉の重みによく堪えた線香花火は、やがて私たちの期待に応えて、庭さきの薄暗がりの中に、華麗な火花の抽象模様を繰りひろげはじめる。いや、抽象模様と言ってはよくないかもしれない。私たちはこれを松葉と呼んでいたからだ。まことに優雅な呼び名である。
最初にパッと飛び出す松葉があり、次にまた、パッと飛び出す松葉がある。やがてパッパッ、パッパッパッ、パパッパッパッと急テンポになり、前後左右にせわしなく松葉が飛びちがう。そして松葉の絶頂期をすぎると、火花の線は次第に力を失い、円みをおびて下に垂れるようになる。これがすなわち、しだれ柳である。最後は、すべてのエネルギーを使いつくした火の玉もろとも、火花を地面に落ちる、
火花が消えても、夜の闇のなかに、まだ黄色っぽい松葉やしだれ柳の残像が、ぼんやりと残っているような気がする。あたりには硝煙の匂いがただよって、なにか一つの事件が終わったという感じがする。