川村美術館から京成佐倉駅に戻り、15分ほど歩き武家屋敷へ。
3軒の武家屋敷は、江戸時代末期の佐倉藩の中・下級武士の暮らしぶりを偲ばせる。
旧河原家住宅は弘化2(1845)年には存在していたと思われる佐倉の武家屋敷では最も古い建物だ。
廊下にある兜をかぶることができるとあったが、年寄はそんなオッチョコチョイなことはしない‥‥が、意外と重く首がしんどかった。
旧但馬家住宅は、旧所在地に復元しているため、屋敷地の形状や植栽にも武家屋敷の特徴が出ているという。
旧武居家住宅は、百石未満の藩士の屋敷で、宅内に資料が展示されている。
佐倉市立美術館傍の私設の刀剣美術館「塚本美術館」へ寄った。
名刀を400本ほど収蔵し、20本ほど展示している。
鍔がずらり。
素人にもわかるような説明もある。
日本刀を焼入れする前に耐火性の焼刃土(やきばつち)を塗る(土置(つちおき))。棟側には厚く塗り低温で折れにくくなるようにする。刃側には薄く塗り、高温で折れやすいが硬くなる。この境目に直線や波形の刃文(はもん)が現れる。
以下の写真は幾何学的な複雑な土置でできた丁子(ちょうじ)の刃文。
「刀剣乱舞」でおなじみの「九州肥後同田貫上野介」(室町時代)
脇差 銘「清光」(加州清光、江戸時代・17世紀)
刀銘 井上和泉守国貞(真改)(江戸時代・1669年)
作刀過程も、実物と写真で展示されていた。
残念ながら、今どきの「刀剣女子」にはお目にかかれなかった。
さらに20分ほど歩いて「佐倉順天堂記念館」へ。
手前に大学病院とは別に、現在も開業している7代目の佐倉の順天堂医院がある。
創始者佐藤泰然が江戸末期に創設した医学塾兼診療所(日本最初の私立病院)の建物である記念館。
江戸で評判だった泰然は、改革を断行し、「西洋堀田」とあだなされるほど西洋びいきの堀田の誘いを受けて佐倉に移住した。泰然はオランダ語に習得、書物の勉強に偏らず、実際の診療の知識・技術の習得に力を入れて人材を育てました。
庭には功績者の胸像群。
館内には、おどろおどろしい当時の手術道具などが展示されている。
館内の様子や手術料金などの資料については、例えばブログ「まっくろクロスケ」に詳しい。
3cm刀傷 6,800円
乳ガン手術 68,400円
手足の切断手術 136,800円
白内障手術 68,400円
帝王切開手術 273,700円
かっては、帝王切開は非常に難しい手術だったのだろうか?
佐倉は田舎じゃないかと思っていたが、歴史にあふれた街だった。