hiyamizu's blog

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室生犀星『現代語訳 蜻蛉日記』を読む

2018年11月14日 | 読書2

 

室生犀星著『現代語訳 蜻蛉日記』(岩波現代文庫B225、2013年8月20日岩波書店発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

『蜻蛉日記』は、大政治家の藤原兼家の妻として、波瀾に富んだ生涯を送った道綱母が、その半生を書き綴った王朝女流文学の代表作。結婚生活の苦しみ、夫兼家とその愛人たちへの愛憎の情念が、流麗にして写実的な筆致で描かれる。作品中の和歌は、一段の精彩を放っている。韻文と散文が互いに交響することで、物語に独特の陰翳を与えている。室生犀星の味わい深い現代語訳により、日本古典文学の豊穣な世界に、現代の読者を誘う。(解説=久保田 淳)

 

 藤原道綱母は摂政関白にまでなった藤原兼家の妻の一人で、975年頃に書かれた。人の細かい心の動きを描き、『源氏物語』などに影響を与えた。

また、当代の一流の歌人の一人とされた道綱母などによる約120首の和歌は,韻文と散文が交互に混じりあい、独特の物語を紡ぎだしている。

 

夫兼家とその愛人たちへの憎しみ、嫉妬に苦しむ。

兼家がちょっと用があるのでと言って出ていくので、跡をつけさせたら、別の女の家だった。数日後、門をたたくので、くやしいのであけさせないと、女の家へ行ってしまった。朝になってそのままにしておくのも気になるので、

嘆きつつほとりぬる夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る

といつもより少しつくろった字で書いて、色あせた菊にさして持たせてやった。

 

寂しい晩年に期待した子供(藤原道綱)は、正妻時姫の子、道隆,道兼,道長が栄華を極めたのに対し、結局一地方官で終わる。

巻頭に「蜻蛉日記関係系図」があり、解り易い。というか、これがないとごちゃごちゃになりわからない。

 

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

あれほど熱心に自分の所に通っていた兼家がぱったり姿を見せない。毎日イライラと待っていたくせに、突然の久しぶりの訪問に、意地を張って戸を開けなかったり、返歌を返さなかったりする。本妻の他に別の女もいるんだから、しょうがないじゃないかと思うが、面倒くさい女なのだ。「巻の下」になってようやく悟りの気持ちが出てきている。

でも、美人で、歌の才能が抜群で、兼家はなんだかんだと忘れた頃に訪れたり、歌をよこしたり、世話をやく。肝心な時にはけっこうこまめだったり、ご無沙汰でもずうずうしく平気な顔で訪れ、戯れかかったりする。さすが、関白太政大臣に上り詰めた男だ。と感心したりして。

でも、結局後世に名を残したのは、兼家より、道綱母ということなのだ。芸術は強し。

 

それにしても、今も女と男の関係は変わらないことにあらためて驚く。さらに、1000年以上前にここまであからさまに自分の気持ちを書き記した日記があったことに驚き、誇らしく思う。歌が貴族の生活に密着したものであったとわかるし、私には評価できないのだが、優れているという歌が生まれた詳細な経緯が分かることも素晴らしい。

 

 

室生犀星(むろう・さいせい)
1889‐1962年。石川県金沢市生まれ。詩人・小説家

詩集に『抒情小曲集』、小説に『杏っ子』、句集『犀星発句集』など。

室生犀星は,この本を書いた後、綱母が敵視・蔑視する「賤の女」「町の小路の女」主人公をにした『かげろうの日記遺文』(1959年)を書いた。

 

 

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