hiyamizu's blog

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六人部昭典『もっと知りたい ゴーギャン 生涯と作品』を読む

2021年01月15日 | 読書2

 

六人部昭典著『もっと知りたい ゴーギャン 生涯と作品』(アート・ビギナーズ・コレクション、2009年5月10日初版、本書は2020年11月15日東京美術発行)を読む。

(手元の本は「ゴーガン」となっているが、東京美術のホームページでは「ゴーギャン」となっている。近年の美術展覧会などではフランス語の発音に近い「ゴーガン」と表記される例も多い。ここでは、慣れ親しんでいる「ゴーギャン」とする)

 

東京美術の内容紹介は以下。

南太平洋の島に果てた伝説の画家の素顔と、
神話的題材や楽園の情景に込められた深い哲学的メッセージをよみとく!
■力強く大胆な描線と鮮やかな色彩、そして南海の島々の風物や女性を描いたエキゾチックな画風で知られるゴーギャンだが、本書は、一風変わったこれらの絵の多くに実は、深い神話的な意味や宗教的メッセージが込められていることを明らかにしていく。
■「われわれは何者か。われわれはどこから来たのか。われわれはどこへ行くのか」──彼が残したこのあまりにも有名な、根源的な問いかけからもうかがえるように、100年前を生きたゴーギャンは現代にこそ強い訴求力をもつ画家である。傲岸なまでの自負が支えた波瀾の生涯をたどりながら、その新たな魅力を掘り起こす。

 

本書はB5版ではあるが、ゴーギャン(本書ではゴーガン)の23歳から55歳で死ぬまでの人生の変遷と共に、各時期での代表的作品が掲載され、要点が解説されている。


ゴーギャンは、パリに生れ、幼年期の6年をペルーのリマで過ごし、成長後も船員として南米へ、海軍を志願して世界に目を向けていた。


パリで株式仲買人として裕福な家庭を築き、アマチュア画家として絵を描き、第4回~7回の印象派展に出品する。34歳の時に金融恐慌を機に画家となるが、経済的に破綻する。


当初のモネなど主要メンバーは参加しなかった最後の印象派展(第8回)に出品する。ブルターニュ地方へ行き、独自の絵画を模索し始める(38~42歳)。
この時代の《海辺に立つブルターニュの少女》」(国立西洋美術館蔵)は代表作。


43歳でタヒチへ行く目的を彼は語った。

文明の影響から解放されて、心静かに暮らすために行くのです。私は単純な、きわめて単純な芸術しか作ろうとは思いません。そのためには、汚れない自然の中で自分を鍛えなおし、野蛮人(野生の人)にしか会わず、彼らと同じように生きる必要があります。

《浜辺の二人の女》(オルセー美術館蔵)


1893年(45歳)、2年間滞在したタヒチからフランスへ戻るが、個展の反響も思わしくなく、47歳で家族とも離別して永住する決心で再びタヒチへ行く。


49歳で代表作《我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか》(141*376㎝の大作、ボストン美術館)を描き、ヒ素で自殺を図るが未遂となる。


53歳でタヒチを離れ、東のマルキーズ諸島のヴァ=オア島へ移り、1903年54歳、心臓発作で死ぬ。



六人部昭典(むとべ・あきのり)
1953年、京都府生まれ。大阪大学文学部(西洋美術史専攻)卒業、同大学院修了。関西の大学で教鞭をとったのち、2006年より実践女子大学(美学美術史学科)教授。

主な著書は、『モネー《睡蓮》への歩み』、訳書『二十世紀美術におけるプリミティヴェイズム』など。

 

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

ゴーギャンの波乱の多い生涯をたどるとともに、各時期での代表的作品が示され、絵の背景、変遷が理解しやすい。端的で要領の良い解説は読みやすい。

 

もっと大判の絵や、美術館で本物を観たくなった。とりあえず、ゴーギャンをモデルとしたサマセット・モームが1919年に著した『月と6ペンス』を読んでみようか。

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