毛髪が抜け落ちた状態を「ハ」で始まり「ゲ」で終わる言葉で言うことが多い。私に言わせればこれは差別用語である。言われた人が不快になる身体的表現は婉曲に表現すべきだ。たとえば「毛髪が不自由」との表現はどうだろうか。「え! からかわれているようで、かえって不快だと?」
私自身は若白髪というやつで、40歳過ぎで「ロマンスグレー」、50歳で「きれいな白髪」と言われてもよい状態になった。
同じような若白髪の人が会社にいて、共感を覚えていた。ある日その人が真っ黒に髪を染めて出社した。「いや、娘が授業参観には髪を染めないといやだと言うものでね」と答えていた。かなり剛毅な人だったが、娘さんには勝てないのだなと思った。
その後、誰も言ってくれないが、ほとんど「銀髪」になってきて、「よし、よし」と思っていた。
60歳近くなると、髪をとかすときの抜け毛が少なくなってきているのに気がついた。「しっかりしてきたな」と思ったが、考えてみたらどうも抜けるべき毛が少なくなったためのようだった。つまり母数が小さくなったのだ。
そういえば、風呂上りに鏡で、髪がぺたりと張り付いた己が頭を見て、ゾットしたことがあった。おまけに、坊主頭にしていた親父の前のほうには毛がなかったことも思い出し、白髪のつぎは薄毛かと、暗澹となった。
60歳過ぎると知識が豊富になったためか、ひたいが秀でてきた。ときどき、ひたいに髪が一本ヒョロヒョロと生えているのに気が付いた。昔、髪の毛が生えていたところの残り毛であることが、いとおしく、哀しく、よりによって黒い毛なので目立ち、処置に困った。
この頃から育毛剤を使い出したが、説明に壮年性ハ◯に有効と書いてあるものはあるが、老年性ハ◯に有効のものは見当たらない。年寄りはあきらめろということなのか。
最初は前頭部に集中的に育毛剤をつけていたが、こんな負け戦の戦場で戦っていては一気にズルーとやられると思い、戦線を後退させて「ここから後は絶対に」という場所に鉄壁のマジノ線を築き、集中的につけるようにした。鉄壁が、トタン板になり、板塀になり、やがて、ススキがなびく、つわものどもが夢のあとになってしまった。
この頃から、風呂上りには、いの一番にドライヤーをかけるようになった。モタモタしているとそのままで乾いてしまうからだ。
現在では、前頭部と後頭部だけは、要するに側頭部を除く全体ともいえるのだが、可愛い赤子のような状態に近づいている。今や、薄毛さえうらやましく思える状態だ。奥様はこれを、「ひよひよ」と呼ぶ。
唯一の心の支えは、奥様が「そうなったら私が毎朝、布でピカピカに磨いてあげるわよ」と言ってくれていることだけだ。
2007年11月6日の「頭髪が不自由な人」を書き直しました。
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