島崎藤村の「初恋」は、「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり」で始まり、「やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは…」と続く。
私もりんごは女性にむいてもらう方が勿論好きなのだが、りんごの皮むきは嫌いではない。皮をつなげたままどこまでむけるかゲームのようなところもあり、小学生のときから一人でチャレンジしていた。もちろん、ギネス記録の53メートルには遠く、遠く及ばないのだが。
記録を狙う人は、りんごを回しながら、皮にカッターでらせん状に刻みを入れていく。その時、可能な限り線と線の間隔が狭い幅になるようにする。上からはじめて下まで刻み終わったら、細い紐のようになる皮をむいていくのだ。極度の集中力を必要とする作業で、想像するに、むき終わったらもはや、りんごを食べる元気はなくなっているだろう。
小学校の遠足の時だったと思うが、女の子の前でりんごをむくことになった。いつものようにスルスルとむかず、わざと鉛筆を削るように皮を削り取っていった。見ていた女の子は「何してるの! しょうがないわね」と言って、笑いながらりんごとナイフを取り上げてむいてくれた。俺とどっこいどっこいだなと思ったが、感心したように見ていた。小学生にして、あざとく母性本能を刺激して、女性の関心のひき方を習得した私だが、その後は生来のひねくれ根性とこの顔のせいで、技を磨けず、錆びつかせたままで終わりを迎えている。
食い意地はっていた青年期はともかく量さえあれば良いと、料理に全く関心が無く、包丁にも縁がなかった。結婚しても、親父の見様見真似で魚を三枚におろすときと、研ぐとき以外は包丁を持つこともなかった。
数十年前のことだが、正月に職場の長の家に何十人もおじゃましてご馳走になる慣習がわが職場にあった。上司の奥様は家で料理を教えている方で、手伝いに行った女房がいろいろ教えていただいた。その技のひとつに玉ねぎのみじん切りの仕方がある。どの程度普及している方法なのか知らないのだが、以下ざっと説明したい。
まず皮をむいた玉ねぎを縦半分にし、根の所は取らないでおく。玉ねぎは根元を向こう側にしてお椀のように伏せ、繊維方向、つまり縦方向に沿って薄く切り込みを入れていく。この時、刃先側で玉ねぎの上端を切り離さないようにする。
次に、玉ねぎを反時計方向に90度回し、包丁を横にして、まな板に対し水平に2,3箇所切れ目を入れる。最後に、玉ねぎを右端から細かく刻んでいけば、みじん切りの出来上がりだ。
玉ねぎで眼が痛くなるからと苦手の女房に代わり、この技を習得させられた私が、上司の奥様の技の継承者で孫弟子となっている。そして、こんなはずではなかったと思いながら、平和を愛する私は幸せをかみしめ、みじん切りに涙を流すのだ。
定年になって女房に「私に定年はないの?」と問われて、そうか、これからは家事も手伝わなくてはいけないのかと初めて気が付き、徐々に、洗い物と、食材の下ごしらえだけは手伝うようになった。と言っても、レタスは手で千切るし、包丁を使うのは、キャベツ、トマト位だろうか。最近では調理済みの食材も多いし。
あくまでお手伝いの立場はわきまえていたのだが、気が付くといつのまにか昼飯は私の担当になっていた。といっても、外出すると、ランチは外食していまうことが多く、私の出番は毎日ではない。また、昼飯を家で食べるときも、せいぜい、卵焼きを作ったり、豆腐を切って削り節を載せる程度で、あとは前日の夜の残り物や、いつも冷蔵庫にある副食品をテーブルに並べるだけのことが多い。要するに正直言えば、ほぼ配膳係に過ぎない。
そうそう、ここ10年以上、ぬか漬けを担当していることを忘れていた。キュウリ、カブ、ダイコン、ニンジンなど適当な大きさに包丁で切って、漬けて、取り出して刻んで、毎日の食卓に漬物を欠かしたことがない。
こう書きだしてくると、僕ってけっこうやってるじゃない! もう、昭和男子とは呼ばせない。令和はちょっと言い過ぎだが、平成男子ぐらいには言われても良いはずだ、と相方に聞こえないように小さな声で言っておきます。
冷水さんは昭和のおじさまじゃなかったんですね!
玉ねぎのみじん切りから糠漬けまでなさっていたとは!
ウチのオットの方が昭和です(とほほ)
余計なお世話ですが、みじん切り等、フードプロセッサーの導入おすすめします。充電式のもの使えますよ。