昔、ゴルフは年寄りの趣味と言われていた。早く始めれば上達が早いだろうと、私はゴルフを始める年齢として、当時では早い20代半ばで、練習場に通い始めた。
金がないので、最初は会社の裏にあったごく小さな練習場へ昼休みに通った。打った球はすぐネットに当たるほど狭いが極端に安かった。
数年後、近くにあった普通の広さのゴルフ練習場に初めて行って驚いた。今までごく小さな練習場でネットの正面に当たっていた球が、飛ぶに従って右に曲がっていくのだ。自分では満足していた当たりが、実は初心者によくある右に切れるスライスだったのだ。これではいけないと、右に飛ばないようにと左を向いて打つと、余計に最初から右に切れて、ひどいスライスになる。頑固に誰にも教わらなかったので、自己流で色々な打ち方に変えてみたが、結局ある程度は真っすぐに飛んでも、最後の方は右に切れるスライスになり、持ち球なのだとあきらめた。
金もないので、数年間は練習場だけで打っていたが、値段が安い河川敷の朝霞パブリックに誘われて、初コースを体験した。スコアは110台で上がり、筋が良いとおだてられた。練習場だけで数年打っていたのだから、そのくらいのスコアは出て当然なのに、才能あると勘違いして、以後、30年、平均年3回とショボショボだが、ゴルフを続けることになった。
一度もプロはもちろん、上手な人にも教わることなく、自己流のまま打っていたので、スライスは治らなかった。ラウンド後半に疲れてくると特に、手の振りが鈍くなって、身体で飛ばそうとするので、スライスが酷くなり、コースの右端、林の際を延々と進むことになる。それでも若い頃は力任せで、何回かドラコンを取ったこともある。しかし、ドライバーが旨く行くときには、グリーン周りでホームランして、結局パーはおろか、ダボならラッキーということになる。午前中、珍しく良いスコアになると、なぜか午後ボロボロになって、結局、いつもスコアは100前後で安定(?)していた。
そのうち、ご接待に駆り出されることが多くなって、60歳前に道具一切を一気に捨ててきっぱり止めた。
合計約100回の全スコアをパソコン入力してグラフを描いてみた。最後の方はばらつき(σ)が少なくなって、安定していたが、平均値は101だった。結局、最初が110で、30年やって、平均101では向上したとは言えない。ベストスコアは確か90少し切る位で、最悪が115位だったので低位安定していたのだ。年平均 3回のゴルフでは上達するわけがないと自分で慰めている。
何だかんだと一回 3万円以上するゴルフが千葉の山奥のコースだと 1、2万円であがる。たいして金は掛けていないつもりだが、それでも、道具代、交通費、昼飯などは別として、2万円で100回として、200万円以上はゴルフに使っていたことになる。
横須賀に住んでいたときには、近くの葉山にコースがあるのだが、高いので、千葉の山奥のコースへ行くのがお決まりだった。砂混じりの砲台グリーンで、うまく乗せたと思っても、ポンと弾んで転がって奥へ落ちてしまう。谷越えも多く、古い球を取り出して惜しくないのだぞと言い聞かせるが、それでも心配で顔があがるのが早くなってボールの上を叩き、谷に叩き込む。分かっているのにやめられない。フェアウエイは右斜面が多く、常にスライス気味の私の球はポンポンと弾んで藪の中へ入り、「マムシ注意」の看板があって球も取り戻せない。
冬はティーグランドが凍りついていてティーが刺さらず、金づちが置いてある。
安いからと、キャデイさんはいないし、クラブハウスには入れないのだが、ゴルフ場が休みの時に行ったこともなんどかある。
こんなコースだが、気の置けない仲間と、互いにケチをつけながら、冗談を言いながらのプレイは、リラックスできる時間だった。
朝早く相方に車で久里浜へ送ってもらい、フェリーで久里浜から浜金谷へ渡り、クラブバスに乗ってコースへ行く。
時たま、ラウンド中に「風が強くなってきたので、フェリーは欠航になります」と放送がある。こうなると大変だ、東京駅経由で東京湾をぐるりと回って、横須賀まで帰らなければならなくなる。
友人の車に拾ってもらい、久里浜から車ごとフェリーに乗って、そのまま車でコースに行ったことがあった。若かった我々は1.5ラウンドして、夕食を食べてから浜金谷に車で向かった。途中、叩きつけるような雨となり、予定より遅れて港に着くと「蛍の光」が聞こえ、最終フェリーが丁度桟橋を出て行くところだった。アクアラインがまだなかったので延々東京湾を一周して、横須賀に帰り着いたときは12時を回っていた。今でも「蛍の光」を聞くと、卒業式でなく、去ってゆくフェリーを思い出す。
一度だけ職場のコンペに出たが、たまたま所長と同じ組になってしまった。会社で、所長からたまに「冷水君、ちょっと来てくれ」と電話がある。あまりあれこれ考えるタイプではないのだが、それでも「あれかな、まさかあれじゃないだろうな」などビクビクしながら所長室へ駆けつけることがあった。この日はプレイが始まる前に所長がニコニコしながら近づいてくる。気味が悪い。「冷水さん、太い腕で飛びそうですね」 なんと“さんづけ”だ! どうも所長は、仕事中は“君づけ”で、プライベートは“さんづけ”と徹底しているらしい。考え方は理解できるが、普段との差が大き過ぎ、落ち着かず、スコアは滅茶苦茶だった。